幸福という言葉の意味
「方美ちゃんがキャッチボール出来るとは思わなかった!」
「誘っておいてその言い草はなんなわけ?ナマエの方がよっぽど失礼だと思うんだけど」
どうやらさっき私が失礼だと言ったのを覚えていたらしい。根に持つタイプなのは子供の頃から変わっていないようだ。まぁ、言葉の割に表情には怒りは浮かんでいないのでとりあえず笑ってごまかしておく。
自販機で買ったばかりのスポーツドリンクは冷たくて、体の隅々に染み渡っていくのを感じる。そのままレジャーシートに寝転ぶともう起き上がる気力は残っていなかった。
「あー疲れたー。もう動けない、明日は筋肉痛確定」
「これくらいで何言ってんの?体力無さすぎ」
「毎日運動してる方美ちゃんと比較しない!一般的な成人女性としては当然なんです!……多分」
見なくても分かる。絶対に今、方美ちゃんは阿呆を見るような冷めた目をしているに違いない。
そう思いながらチラリと盗み見ると予想に反して神妙な面持ちをしていた。
「……また始めれば?」
方美ちゃんは絶妙なタイミングで私の決意をふりだしに戻すようなことを言ってくる。すぐにその言葉に頷けたらいいのに。
今なら昔みたいに楽しくステップを踏めるだろう。でもすぐにリーダーは方美ちゃんであってほしいと願ってしまう。
そんなの無理だと理解していても思わずにはいられない。そしてまた勝手に苦しくなって逃げ出してしまう。そんな未来が容易く想像出来た。
同じ轍は踏まない。方美ちゃんが進む道を別の場所から支えようって決めたんだ。
ダンスを辞めたのは方美ちゃんのせいでも何でもないから。だから自分が悪いみたいな顔をしないでほしい。そんな顔をさせているのは私のせいだ、なんて自意識過剰すぎて口には出せないけれど。
「そうだ、お弁当!今日のメインイベント!」
思わず伸ばしそうになる手を押しとどめ、露骨に話題を変える。勢い良く起き上がり並んで座っている間に弁当箱を置き、取り皿や箸、お手拭きなど次々に取り出す。
方美ちゃんは下手な誤魔化しに乗ってくれたようで、それ以上何も言わないでくれた。
それに甘えて、そのまま聞こえていなかった振りをして取り皿におかずを一種類ずつ乗せて渡す。すると小さいながらもいただきます。という声が聞こえた。こんな些細な所作に育ちの良さを感じてしまう。
お弁当がメインイベントという言葉に間違いはない。なんていったって方美ちゃんに食べてもらうのだから。
普段から料理はしているがそれは自分の為で、食べてもらうとなると下手なものは食べさせられないし、何より料理が下手だと思われたくなかった。
子供の頃は一緒に食事することがあったのに好物が何なのかなんて全く覚えておらず、自分の残念な記憶力に涙を飲んだ。
最初に方美ちゃんが箸を付けたのは卵焼きだった。
お弁当に卵焼きは個人的に必須だと思う。一緒に焼く食材の組み合わせで無限に味が広がる。今回は彩り優先で刻んだ紅ショウガと薬味ネギを混ぜて焼いてみた。よくよく考えると信号機みたいな卵焼きだ。
そんな色味を一切気にする素振りもなく方美ちゃんは一口で卵焼きを食べてしまった。
表情が曇ることはないようだから嫌いな組み合わせではないみたいで少し安心したのも束の間、次に方美ちゃんは一番の懸念案件である鯖の竜田揚げを食べようとしていた。
何が好物か記憶にないが、よく魚を好んで食べていたような気がする。そんな当てにならない記憶を元に唐揚げから変更した一品だ。
パッと見、鶏肉なのか鯖なのかは分からない。これで実は青魚が苦手だったらどうしよう。鶏の唐揚げだと思って食べたら苦手な魚でした、なんて最悪すぎる。
そう思いながらじっと観察していると、咀嚼し終わったタイミングでため息が聞こえた。
「そんな見られてると物凄く食べにくいんだけど」
「口に合うか気になっちゃって……」
「心配しなくても作ってもらったものはちゃんと食べるよ。ナマエも早く食べたら?」
美味しいから食べるってわけじゃないんだ。そう理解すると心臓がギュッとなった。
勝手に作ってきておいて理不尽な言い分だとは思うが落ち込まずにはいられない。
気を紛らわせるために何か飲もうと下げていた視線を上げると人参の肉巻きが目の前、というか口の前にあった。
「食べないの?」
疑問形のくせに食べないという行動は選ばせないようだ。何故なら既に肉巻きは私の唇に当たっている。
さらに言うとこのまま食べさせられるという選択肢しかない。
この状況を回避する術はなく、おずおずと口を開き食べさせてもらう。その間、方美ちゃんの視線は間違いなく私にあった。
確かに見られていると物凄く食べにくい。というか恥ずかしい。最早拷問に近い。
「うまい?」
正直味どころじゃなかったが、作った時に味見した限り美味しかったからとりあえず頷いておいた。
その答えに満足したのかようやく視線が他のものに移ったのが分かり、思わず溜め息を付いてしまった。
それから何となく味について聞くことが憚られ、感想を聞きたいが聞けないというジレンマと葛藤しつつ自分が作ったお弁当を食べていた。
「正直さ、ナマエが弁当なんて嘘だろって思ってたけど美味かった。ごちそーさま」
「得意って言ったでしょ?」
「意外な特技をお持ちのようで。さぞ周りの評判も良いんだろうね」
「それが……家族以外に食べてもらったの初めて。お弁当も初めて作ったんだ。お弁当って難しいね」
一緒に空っぽになったお弁当を片付ける。
三分の二ぐらいは方美ちゃんが食べてくれたので、言葉の通り美味しかったと受け取っても良さそうだ。
全て片付け終わり木に寄りかかって一息つくと、木漏れ日の温もりと時折吹く風の気持ち良さに自然と瞼が落ちてくる。
胸もお腹も一杯の状態では睡魔の誘惑に勝てそうもない。
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急に意識が明確になる。それと同時に方美ちゃんと一緒にいたことを思い出す。
寝てる場合じゃない!という意識に呼応するように、頭が大きく動いたのをどこか他人事の様に感じた。
「ようやく起きた」
「ごめん!寝るつもりなんてなかったんだけど、つい。長く待ってた?起こしてくれて良かったのに」
声がした方に顔を向けるが逆光だからなのか寝起きだからなのか、きっとその両方なのだろうけど視界がぼんやりとしていて方美ちゃんの顔が見えない。
大きな影が動くと一気に光が差し込んできた。
その眩しさに目が眩んだことで、方美ちゃんが影を作ってくれていた事を理解した。
「大口開けて気持ち良さそうに寝られたら起こす気もなくなるよね」
「えっ!?」
今更無駄だと分かっているが手は口を押さえてしまう。涎は出ていなかったみたいなので最悪の自体は免れたのか……?
焦っていると抑えきれない、といった感じの笑い声が聞こえてくる。そんな方美ちゃんの様子を見て思わず声が大きくなる。
「もしかして嘘?」
「さぁ?どうだろうね」
片方の口角だけを器用に上げて笑う方美ちゃんに思わず見入ってしまう。
唐突に格好いいな、あの笑った顔が好きだなと思った。
その瞬間、頭がフル回転し始める。
昔のことを事あるごとに持ち出して支えたいとか少しでも自分をよく見せたいと思うなんて、この人を好きだからなんじゃないか。
いつから好きだったのか……もしかしなくても子供の時からかもしれない。幼すぎて気付いていなかったのか。
私は方美ちゃんが単純に好きなんだ、そんな結論に至ると今までの自分の言動を思い出し叫びたくなった。
立ち上がって節々を伸ばすように体を動かしている方美ちゃんをちらりと盗み見ると、今までどうやって話しかけていたんだっけ?と軽くパニック状態に陥る。
「帰ろう!とりあえず今日は帰ろう!」
勢いよく立ち上がった私から飛び出した言葉に方美ちゃんが珍しく驚いた顔をしている。
また逃げ出してしまったと今更ながら気付いたが、今はゆっくり考えをまとめて今後の対応を考える時間が必要だ。
でもここから家までの道のりをどうやってやり過ごそう……来るときは無言でも気にならなかったが、今となっては何故平気だったのかが分からない。
未だパニック状態の私を置いて方美ちゃんは言葉に従って帰るべく片付けをしてくれている。なんと素直な。
でもきっと『またナマエの突然の我儘が始まった』と思っているに違いない。
先程から変わらず今も広がる青い空がなんとなく憎たらしい。さっきまでは清々しく美しく見えていたのに。