これが泣かずにいられるか

人生というものは悩みが尽きないもので。齢二十一でしかない私もご多分に漏れず絶賛お悩み中だ。
ボーダーという特殊機関に所属して近界民からの侵攻防衛に日夜勤しんでいたのだからそりゃ色々悩んだりもするだろう。
吐き出してしまえば楽になるのかもしれないが、吐き出す先を定められない。
吐露した結果、人にどう思われるかそれを考えると怖くて言い出せない。そうして私は私の首を緩やかに絞めていく。

せっかくの飲み会なのに後ろ向きな考えにはまり込んでしまった自分に喝を入れて視線を周りに向ければ、寺島と風間が身振り手振りを交えて話している横で加古ちゃんに木崎、堤と来馬の四人が話しこんでいる。
さらにその隣では太刀川と諏訪が携帯覗き込んで爆笑中。
ボーダー本部のラウンジで繰り広げられるような光景だが、唯一違うのはそれぞれアルコール片手に話し込んでいるところだろう。
ガヤガヤと賑やかな居酒屋の大半の音はこの部屋から出てるんじゃないかというぐらい騒がしい。主に太刀川と諏訪が。

「みんな相変わらずだねー」
「変わりようがないです。二ヶ月前ですから、送別会で集まったのは。どうですか早沼支部は?」

正面に座っている二宮が表情筋を動かすことなく言う。まだ二ヶ月か、と呟いた声はきっと誰にも届いていない。
幸か不幸か私はどの隊にも所属していなかったから異動はすんなり通った。ちょっと前までは本部所属の戦闘員としてあの輪の中にいたことを思い返すも一瞬、今の生活を思いつくままにつらつらと口にする。
ソロのランク戦のために色んな人を捕まえては戦いを挑み、反省と改善に頭を悩ませ遅くまであーでもないこーでもないとみんなで議論しては寝不足のまま大学の講義に出ることはない。夜間の防衛任務もないから夜は学業に当てられるし、何なら時間は余るほどあるから新しく趣味でも見つけようかと思っている。
早沼支部での生活は規則正しくそして穏やかだ。

「でね、早沼支部って民間の人と距離近くてさーこの前も差し入れって言ってシュークリームくれたんだけど、それがめちゃくちゃ美味しくて!辻に食べさせてあげたいなー」
「充実してそうだか、その割につまらなそうですね」

ありのままを答えたのに辛辣すぎる。
あんまりな切り返しに怪訝な顔をする私を無視して二宮は話を続ける。

「加古が連絡がないとうるさいです。俺に愚痴られてもどうしようもないので現状報告ぐらいしてやってください。あと太刀川がレポートや考査の助けを求めてきて面倒です」
「確かにバタバタして連絡してなかったもんなー。太刀川に関しては何とも言えないけど……まぁ私の代わりに頑張って!」
「嫌です。最初に手を貸した人が責任持って最後まで見るべきだ」
「そんなペット飼うみたいな言い方しないであげてよ。助けてあげたいのは山々なんだけど本部と早沼じゃ遠すぎて中々ねぇ」
「大学行くついでに本部に顔出せば問題ない」
「太刀川ってあんなでも色々忙しいし時間が合うかどうか」
「時間ならそこらにいるやつで潰せばいい。俺もソロであなたに試したいことがある」
「二ヶ月以上対人訓練してないから相手にならないよ。二宮と戦ったら即ハチの巣にされる自信がある」

ないない、と手を横に振りつつビールを流し込めば隠すことない深いため息が聞こえてきた。
太刀川に苦労していると言うが、ヤツに苦労してるのは出会ってからずっとだから今更だろうに。

「で、いつまで逃げ回るつもりですか」
「逃げる、とは?」
「学業に専念するとか言ってましたが、俺にはただ早沼に逃げ出したようにしか見えない」

私はそう思われてたのか。ド直球な物言いは二宮らしいがかなり心に痛い。色々と悩んだ結果とりあえず本部から精神的にも物理的にも距離を取りたくなって。それで早沼支部への異動を希望したのだけど、これが逃げではないとは自分自身言い切れない。

「何を考えて早沼に行った?今までだって両立出来ていたから急な異動は納得しかねる。きちんと説明して下さい」

いつになく二宮がしつこい。これが絡み酒というやつか。誰だこんなになるまで飲ませた奴は。
何を考えていると聞かれても、自分の中でも考えが定まっていないのだから言い様がない。現在進行中で自身の在り方に悩んでいるし、まとまらない考えを誰かに聞いて欲しいと内心思ってはいたがこんな形でのお悩み相談は想定外。
しかもその相手が二宮なんて。二宮相手じゃ正論で返されてそんなことで、って鼻で笑われるのがオチだ。
でも、これは吐き出したくても言い出すタイミングを掴めない私にとってチャンスなのかもしれない。全て酒の席での事だと片付けられる。後で掘り返されても、そんなこと言ったっけ?ってとぼけられるはず。
でも……ここで話すのは少し、いやかなり難しい。
だってみんなが先程と同様に話してるように見せかけて、聞き耳たててるのが分かるから。そりゃこんな広くもない掘りごたつの座敷の席じゃちょっと意識すれば声は拾える。
太刀川でさえ気を使ってくれてるのか、こっちをチラチラ見てる癖に目が合うとあからさまに逸らしては無駄に声量を上げて諏訪と話し出した。ヘタクソめ。
そんなでもでもだってな私の思考を見透かしたかのように、加古ちゃんはこちら見て優雅に口角を上げては顎をクイッと動かした。行けということですね、加古ちゃんは聞いてくれる気はなさそうでちょっとだけ寂しい。
みんなに聞かれるのは恥ずかしくてせめてもの悪あがきで二宮の隣に移動してみる。すると二宮はテーブルに肘を付き体ごとこちらを向いてくれた。ちょうど二宮が壁になって同じ列の人からの視線を遮る形になる。対角になる加古ちゃんや来馬、風間から私は丸見えだが何となく安心できる。

「学業に専念したいっていうのは本当。トリガー技術の転用を考えるのは凄く楽しい」

 それから先を話そうとするがまとまらぬ考えは中々喉から先に出ていかない。沈黙が続くがそれでも二宮はじっと待ってくれている。

「トリオンがね、減っていってるんだ。それでちょっと色々と考えて本部から離れたの」
「そんなことか」
「そんなことって!!重要な事でしょう!!」

意を決して打ち明けたというのに、その決意を一蹴するかのような二宮の物言いにカッとなってつい声を張り上げてしまうと、その声で騒がしかった部屋に一瞬静寂が訪れる。
元からトリオンが多いとは言えない私からするとトリオン量が減るということはこの数年間が無駄にほどの大問題なのだ。

「言い方が悪かったです、すみません。良くない病気になっただとかやむを得ない事情かと考えていたので」
「病気だったらノコノコ飲み会に参加したりしないよ」

それもそうですね、すみません。と殊勝な顔つきで再度謝罪されてしまえば声を荒らげてしまった自分が大人気なく感じられてしまった。
決まりの悪い顔をする私を気にしてか二宮がいつからだとか何で気付いたのかだとか、矢継ぎ早に質問を飛ばす。それに答えるため幾度も考えたことを言葉にして整頓していく。答えていくうちに少しだけ気持ちが落ち着いてきた気がする。

「何故その事を隠して早沼に行った?」
「トリオンの減少はどうしようもないことだって知られてる。それでもみんな優しいから一緒に悩んでくれるでしょ?それは惨めで辛い。だから……」
「黙っていなくなられるのも辛い」
「それは……ごめんなさい」
「トリオン量が減少していたなんて気付かなかった。知らされていれば言うように対策を提案していたと思う。でもそれは望むことではないんだな」
「そうだね、減ることはあっても増えることはないから。すぐにその対策は意味をなくしてしまうでしょ?」

トリオンが減ってからは今まで出来ていた事が出来なくなっている。それは一人で何度も確かめた。思っていたよりもトリオンの減少ペースが早く、あと一手が出なくて何度絶望した事か。
もし大規模な侵攻をまた受けて私を戦力の一つと考えた時に指揮官の想定している戦力を担えなかったら。私のせいで誰かが傷付いて取り返しのつかないことになってしまったら。一度その考えが浮かんでしまえばそれは脳裏から離れることはない。

「己の力量を把握し過信しないことは重要だ。隊を任される側としてはそう考えるが個人的には去ってほしくなかった」
「少なくとも卒業まではボーダーにいるよ」
「早沼では生存確認し辛い。本部に戻ってきて下さい」

足手まといだとか迷惑をかけるとか、そんなことしか考えていなかったから二宮の言葉はすごく嬉しかった。
でもそれを表せられるほど私は素直じゃないようで、逆に可愛くない言葉が口に出る。こんな時ほど滑らかに言葉が飛び出していくのだから嫌になる。

「でも本部で出来ることなんてないし、今更もう一度異動なんて無理だよ」
「腐っても個人の元上位ランカーだ、戦いたいやつは多いです。トリガーの研究がいいなら寺島さんのように開発に回ればいい」
「寺島みたいに頭良くないから開発からお断りされるのがオチだよ、それ。それにトリオン減少を日々突きつけられるようなことは避けたい」

どれも現実的ではないのは自分が一番分かっているし、あれも嫌だこれも嫌だと我儘言ってることは重々承知している。
それでもまだ別の案を考えてくれている様子の二宮の姿は、ささくれだった心を柔らかくしてくれた。

「ありがとう」
「何がですか?まだ何もできていない」
「誰かに聞いてもらいたかったけど言い出せなかったから。聞き出してくれてありがとう。今はそれだけで充分」

向き合ってくれた二宮に感謝を伝えると、二宮は大きく息を吐き出し体を正面に向け直した。これでこの話はおしまいという事だろう。
二宮の奥に見えた諏訪はまだ心配そうな表情を浮かべていたので大丈夫だと笑ってみせれば大きく頷いてくれた。

「皆心配していました。言い出しにくいとは思いますが可能なら伝えてほしい」

そう言いながら二宮が何かを差し出してきた。視線を落としてみるとテーブルにいたのはウサギ。おしぼりで作られたそれは耳がピンとたっていてとても可愛らしい。妙な特技があるものだと感心しながらちょこんと置かれたウサギの耳をつついてみる。

「私ってば愛されてるね」
「なにを今更」

珍しく二宮が目を細めて笑うものだからつられて私も笑ってしまった。