これが泣かずにいられるか

ボーダーとして活動しておきながら何だが、学生であれる内は学生の身分を満喫したい。なので私がボーダー隊員だということは一部の友人にしか話していない。なるべく大学生活は穏やかに過ごしたいという私の願いはささやかなものだと思う。

この三年は思惑通りに生きてこれたと自負している。なのに、だ!
朝から早沼支部に顔を出し、講義前ギリギリに学食で昼食を一人かきこんでいたら、目の前の椅子に人が座る気配があって。別に食堂は混んでないのに何だと思って肉うどんから視線を上げればそこにいたのは二宮。
目が合ったが一旦目線を外してみる。学内でも有名なこの後輩と知り合いだと思われてはスクールライフに支障がありそうなので避けれるものならば避けていきたい。
素知らぬ顔で残りのうどんを腹に入れ、トレイを片付けようと立ち上がれば二宮は律儀に食べ終わるまで待っていたらしくすぐさま声が掛かった。

「無視ですか?」
「用事あったの?」

睨むとまではいかないが端正な顔にじっと見られていれば居心地が悪い。もしや緊急事態かと向き直って見れば二宮はため息をついただけで急いでいる様子はなかった。

「去年素材物理化学受講してましたよね?今期履修予定なので過去問ください」
「え、そんなこと?メッセージくれれば済むことじゃん」
「ちょうどナマエさんを見かけたので。直接言った方が早い」

今まで学内で見かけても二宮は声を掛けて来なかったので、私の学生生活を尊重してくれていると思っていたが、そんなことはなかった。単純に視界に入ってなかっただけらしい。
親しげに話す私達に幾つか視線が向けられる。あっちで高い声で騒ぎながら見ている女の子達は同じ学科の子だ。何だか良くない予感がする。とにかくこの場を早急に立ち去りたいので二宮に「見つけたら渡す」と端的に伝え昼一の講義のためにダッシュした。

度々襲ってくる睡魔に抗いつつ何とか講義を終え、出口に向かっているとミョウジさん、と呼ばれたので見てみると、そこにいたのはさっき食堂にいた女の子三人組だった。話したことはあるがそこまで親しくはない友人未満な関係。良くない予感が悪い予感に変わる。

「ねぇねぇ、あの二宮くんとさっき学食で話してたよね?」
「仲良いの?」
「何の話してたの?」

これは高校生の時によくあったパターンだ。高校の時も二宮と私が知り合いであると分かるとお近付きになりたいと言ってくる女の子は沢山いた。初めは戸惑ったが何度もとなればその対処法はバッチリだ。

「知り合いというか高校の後輩。見かけたから挨拶してくれただけ、律儀だよね」

嘘は言っていない。その答えに納得したのか今度は二宮について三人は語り出す。あれよあれよという間に「ここじゃなんだから」と教室を出てテラスでお喋り続行する流れとなった。ちょうど空きコマだったので一人で時間をつぶすよりいいかとキラキラ女子の巧みな話術にまんまと乗せられてついて行くと中々楽しかった。
決して悪い人ではないようで私にも時々話を振ってきてお喋りは様々な話題に飛ぶ。

「さっきの講義って八割は過去問そのままだから楽だよね」
「サークルの先輩が過去問くれたからあとは出席と合わせれば確実だね」

何それ、そんなの知らないと私が声に出すと、もう一人の子が綺麗なミルクティー色の髪を指でクルクルと巻きながらニッコリと笑った。

「過去問いる?」
「いる!助かるよーありがとう」

話はそこで終わらなかった。じゃあさ、と続くその子の言葉に悩みながら了承してしまった。背に腹はかえられぬ。私はなるべく労力をかけず単位が欲しいんだ。



後日部屋を漁って見つけ出した素材物理化学の問題用紙を片手に本部へ赴き、二宮をラウンジに呼び出すとすぐに来てくれた。

「俺を売って過去問を得たということですか」

友人へと関係性が変わった女の子達から過去問と交換に要求されたのは二宮の情報。本当は写真やら連絡先を要求されていたが、それはさすがに無理だと断るとじゃあ色々聞いてきてと言われた。
質問リストに目に通せば、さながらアイドルへのインタビューのようだ。
事の顛末を話して言われたのが先程の言葉。まぁそりゃそうだよなー知らない人に身の内を晒せというのだから。でも立っているものは親でも使えと昔の人も言っているので何とか飲み込んで頂きたい。

「私が口頭で伝えても信憑性がないから音声でよろしく。あ、データはもちろん渡さないから。聞かせるだけ」
「それで俺が得られるものは?」
「素材物理化学の過去問と私がもらう予定の過去問」
「そっちの講義は履修の予定はない」
「えっ?」
「割に合わない」

よくよく考えれば私と学科の違う二宮が受ける講義ではない。二宮が欲しがっている過去問を先に渡すと言ってしまったのは戦略ミスだった。他に差し出せるものはないかと悩むが何一つ浮かばない。

「メシに付き合ってくれればいいです」
「そんなんでいいの?……二宮は飲まないし私の寂しい財布でも大丈夫か!じゃあ高級焼肉を奢るってことで手を打ってください」

顔の前で両方の手のひらを打ち鳴らして頭を下げる。

「あ、焼肉なら東さん誘ってもいいかもね。久しぶりに」

そう付け加えるとバカみたいデカい溜息をつかれた。出費を少しでも抑えようとする浅ましい魂胆が丸分かりだったのだろうか?東さんにちょっとだけお布施してもらおうと思っただけなのに。
とにかく二宮の気が変わらない内に終わらせなければ。携帯のレコーダを準備して二宮に始めるよ、と言うと実につまならそうな視線を向けられる。

「じゃあ最初はこの質問からで。好きなものは?」

唐突に始まったインタビューに二宮は単語のみで淡々と答えていく。

「次、今までに付き合った人数は?」
「答える必要がない」

まぁそうだよね。答えたくない質問があるのは織り込み済みなのですぐに次の質問に移る。ここからは恋愛関係の質問ばかりで聞くこっちも恥ずかしい。羞恥心を押し殺すのは大変だ。

「好きなタイプは?」
「特にない」
「年上と年下どっちが好き」
「歳は関係ない」
「付き合っている人はいる?いないなら好きな人は?」
「……付き合ってるやつはいないが好きなやつはいる」

二宮とは飲みの席でも恋愛話なんかした事ないのに、シラフで恋愛事情聞くのもむず痒いなと思っていたところでまさかの暴露。
質問リストを追う目が滑って思わずリストに書いてない事を口走ってしまった。

「その人は身近にいる人?」
「身近がどの範囲を指すか分からないが、近くにいたのにいなくなったな」

淡々と答えていた二宮の声が丸みを帯びる。哀愁漂うのに慕情が見え隠れする物言いが妙に耳に残る。
これ以上聞いていられなくてまだリストに質問事項は残っているが録音を停止する。
これで終わりだと言えばそうか、と一言。そして辻の練習台になれと二宮隊室に連行された。
仮想戦闘モードで辻に滅多斬りにされたのはトリオン減少だけが原因じゃないことは自分が一番分かっている。

その晩、録音した音声を一人ベッドでもう一度聞いてみた。
近くにいたのにいなくなった人なんて二宮の周りに一人しかいない。普段は空気を読んで決して出しゃばるようなことをしないがいざ戦闘が始まれば精密かつ確実に対象を射抜く彼女。
人が撃てないと揶揄されることもあったが、その欠点を補って余りある技術をもつ替えのきかない大切な二宮隊のスナイパー。
B級に降格して幾日か経つがスナイパーを補填しようとしないのは二宮の意向が強いのだろうと想像にかたくない。

いつかの私のように二宮にも誰かに聞いてほしい身の内に留めきれない想いがあるのだろう。
あの時に二宮が私に対してしてくれたように、上手に聞き出して少しでもその心を軽くしてあげることなんて出来そうにない。
私はただ一人言葉に出来ないモヤモヤを抱え込むだけで、何とも落ち着かない。もう一度聞くべきではなかったと頭を抱えた。

録った音声を友人達に聞かせれば大変喜ばれた。好きな人に思い当たる人いる?なんて聞かれても貼り付けた笑みで分からないと答えるのが精一杯だった。これは加古ちゃんにも他の誰にも言えない私が知ってしまった二宮の秘密だ。

過去問と引き換えが済み用のなくなった音声は即削除したが、耳と脳に刻み込まれた言葉は消えてはくれないし、意図せず抱え込んでしまった他人の心痛に自分の胸までつまってしまってどうにもならない。
とにかく楽して単位を取ろうとすべきではないと深く反省した。