されど上手くはいかぬもの


「これから会えないし連絡も出来ない」

バイト終わりの店の前でポケットに手を突っ込んで待っていた匡貴くんは何の前置きもなくそう告げた。日中の人通りの多い道での突然の言葉。今日の予定を聞いてきたのはこれを言うためだったのか、と思うと同時にそもそもこの一ヶ月はまともに会えてなかったし、何なら連絡もほぼ取れていなかったじゃないかとも思ったが口には出せなかった。
続く沈黙を破ったのは匡貴くんの携帯だった。携帯を取り出し画面を見ては盛大に舌打ちして、着信音はそのままに再び口を開く。

「話す時間がない。それだけ伝えにきた」

追い討ちのようにそう言うと、長い足を大きく動かし携帯を耳に当てて去っていった。この間多く見積って二分。あぁ今のは彼なりの別れの言葉だったのかと理解したのはさらに二分後。こうやって私の恋愛はあっさりと終わりを迎えた。
憧れから始まった恋は奇跡的に実って、匡貴くんを知れば知るほどその想いは大きくなっていった。大学で優秀な成績を収めながらボーダーとして働く多忙な彼が、私といる時は少しでも心穏やかに過ごせるように最大限努めたつもりだった。それはあくまで自己満足だったんだろう。
往来では、と必死にしまいこんだ涙はようよう帰った部屋で一気に溢れ出る。私の何がいけなかった?物分りがいい振りをして出来た彼女を演じていたこと?いっその事、本心むき出で我儘を言って困らせた方が良かった?忙しい彼に会いたい、もっとかまってほしいなんて言っていたら別れがもっと早く訪れただけかも。そんな自問自答を繰り返すが答えはない。
ようやく少し心が落ち着いた頃、恐る恐るメッセージを送ってみたけれど既読すら付かない。その後何日経っても読まれもしないメッセージを確認する日々に心が疲弊し、とうとう連絡先を削除した。
今までのメッセージも、数少ない写真も全て消してしまえば、共通の知人もおらず通う大学も違う私達が付き合っていたと示すものは何もない。それでもいつの間にか聞き慣れてしまった低く響く、耳に甘い声とそれに付随する思い出達だけは消そうとしても私から消えてはくれない。

*****

長かった遠征の帰路。その艇内は行きほどの緊張感はない。最後の経由地を出立すれば、それぞれが帰還した時の事に思いを馳せ始める。

「二宮さん、これ本部から送られてきたんで……」

そこに例外はなく二宮もまた深く椅子に座り込んではリラックスした様子で携帯を見ていた。携帯なんて地球の電波の入らない遠征艇では無用の長物であるにもかかわらず。
二宮の背後から声を掛けた犬飼は意図せずその画面が目に入ってしまい掛けた声を失ってしまった。見ていたのは間違いなく女性の写真で。それも寝顔のようだった。
すぐに携帯をしまい込み立ち上がった二宮はいつも通りの無表情で振り返ったが、犬飼からすると取り繕ったものに見えた。

「何だ?」
「あー、ちょっと確認してほしいものがあって」

端末を渡せば二宮はすぐに内容を確認し、問題ないと突き返してきては、用事はそれだけかと続け様に問われる。

「これだけですね。問題ないと回答しておきます」

犬飼がそう言うと二宮は再び椅子に深く座り込んだ。今度は目を瞑っており携帯を取り出す様子はない。そんな二宮の元を離れて犬飼は報告のため操舵室へと向かう。今しがた見たものについて気楽に話せる相手がいないのは今更ながら辛いと思ってしまった。

今までにない大遠征は準備もさることながら、帰還後の後処理も膨大な量となっていた。帰還したばかりの遠征部隊でさえ休みはそこそこに後処理に駆り出されている。
僅かに与えられた休息時間も隊室は忙しなく、ここにいては休憩にならないからと二宮は追い出され一人ラウンジにいた。二宮から発せられる隠しもしない疲弊感に隊員達は遠巻きにラウンジを利用せざるを得ない。

「ずいぶんとお疲れだね」

コトリと缶コーヒーをテーブルに置き来馬が向かいに座わる。素直に肯定の意を二宮が表せば来馬の目が大きく見開いた。

「何か問題でもあった?」
「いや、捌く量が多いだけで問題は特にない」
「問題ないって感じじゃないけど?」

良くみると二宮の表情には苛立ちが見える。本当に何もないのであるのならば、即座に会話を切り上げるのがこの男だと来馬は理解しているので缶コーヒーを飲みながら二宮が話す気になるのを待ってみる。すると二宮が大きくため息をついた。

「帰還してすぐに彼女に連絡したんだが」
「彼女!?」

来馬の声が思わず大きくなってしまえばギロリと二宮が睨みつける。何か考え込んでいるなとは感じていたが、まさか恋愛事とは。そもそも二宮に彼女がいたこと自体初耳だし驚くなという方に無理があるが、ごめん、続きどうぞと来馬が言えば再び二宮は話し出した。

「返答がない」
「あーそれは……遠征だから連絡取れないことは事前に伝えた?」
「遠征は機密事項だろう。連絡が取れないことだけを伝えた」
「大事なことはちゃんと言ったんだね。で、彼女は何て?」
「そういえば返答は聞いていないな」

えっ、とまたしても声が大きくなる。どんな風に伝えたのかと聞いてみればその内容は端的で二宮らしいと言えば二宮らしいが、今回においては悪手極まりない。

「それ、別れ話と思われてる可能性あるんじゃないのかな?」

遠慮がちにそう言うと二宮の眉間に盛大に皺が寄る。電話も出ずメッセージも読まれないということは連絡先を削除されてるかも、とさらに追い打ちをかけるようなことは思っていても来馬の口からは言えなかった。

「あの馬鹿が」
「いや、それは彼女が可哀想だよ。今回は出来うる限りの説明をしなかった二宮に非がある」
「……少し外に出てくる」

そう言って缶コーヒーはそのままに二宮はラウンジを後にする。一人残された来馬は空き缶を両手に二宮隊と遠征部隊になんと説明したらいいものかと頭を悩ませ始めた。

*****

バイト終わりに寄ったスーパーで買い込んだ食材を肩にかけ家路を急ぐ。借りている部屋の共同玄関が見えればそこにはいるはずのない人物がいた。頭を下げていて顔は見えないが腕を組んで柱に体重をかけるあの高身長は間違いなく匡貴くんだ。
なんでいるのか分からないがようやく前向きになれた所だったのにここで顔を合わせればまたあのドロドロとした醜い感情に飲まれてしまう。とにかく逃げようと来た道を戻っていれば不意に腕を掴まれた。

「何故逃げる」

そりゃ会えないと言われ振られた男に待ち伏せされれば逃げるでしょうよ、とは言いたくても言えない。この後に及んでも私はいい子でいたいのだ。

「私の部屋に忘れ物でもしてた?ごめんね、気付かなかった。取ってくるからちょっと待ってもらえる?」

掴まれた腕を振り払いながらくるりと振り向いて平然とそう言ってみる。今、私は上手く笑えているのだろうか。匡貴くんに写る私が少しでも醜くならぬよう精一杯努めてみるが、怖くて目は合わせられない。

「違う。話をしに来た」
「今更何を?私きちんと理解できてるから心配しなくても大丈夫だよ」
「何をどう理解した?」

ぐっと言葉に詰まる。振られたと、別れ話を受け入れたとそう言わせるつもりか。ようやく塞がった傷口がまたパックリと割れる。視界が滲んできて、まずいと思った時には頬に濡れた跡が走った。

「誤解をさせたのなら解かせほしい」

その声色は哀しいもので憂いを帯びた懇願は惚れた弱みがあるにしろ突き返せるものではない。

「ここではちょっと……私の部屋でもいいよね」

以前なら常備してあったジンジャエールはもう冷蔵庫には入っていないので出せるものもなく、テーブルを挟んで向かいあう位置に私が座ればすぐに匡貴くんが単刀直入に口火を切った。

「まず俺は別れたつもりはないし、別れるつもりもない」

会わないし連絡しないというのは別れの言葉だろう。そう言ったのは匡貴くんなのにその口で真逆のことを今度は言い始める。

「今回はボーダーの任務で長期連絡が取れない状況にいた。詳しくは秘匿事項なので言えないが」

納得したかと問われ首を縦に振る。納得したが目の前の人について理解は出来ていない。

「まさ……二宮君は言葉が足りなさ過ぎる」
「それは同僚にも指摘された」
「今回のことはわかった。でもきっとまた同じ様なことがあると思う。その度にこんなことになるのは私は耐えられない。だから別れよう」
「次は言葉を尽くす」
「今回は話せる時間が少しでもあったけど、次その時間があるとは言えないでしょ?ボーダー任務なら急に入ることもあるだろうから」

異次元からの侵略者は突然現れる。匡貴くんがボーダーだと勿論知っていたけれど、多忙なりに普通に生活している彼を見ていて忘れてしまっていた、彼は侵略者と戦っているのだということを。
つまるところ私はボーダー関係者と身近な存在になる心積りが出来ていないのだ。自分勝手で心の弱い私は匡貴くんと一緒には居られない。

「言いたいことはそれだけか」

雰囲気がピンと強ばる。さすがに怒らせてしまったらしい。歩み寄ってきた匡貴くんを突き放したのは私なのだから甘んじて受け入れるしかないが顔を見るのは恐ろしい。

「状況に不満があって俺自身に対しては不満はないということだな」
「ん?」
「籍を入れよう。配偶者なら機密事項も緩和されるだろう。何かあった時も間違いなく連絡が入る」

籍を入れるとは結婚するということ。つまり今のはプロポーズということで。やっぱりこの人のことは理解が出来ない。私達は別れ話をしていたんじゃなかったのか。
あまりの言い分に思わず顔を上げればそこに匡貴くんはおらず、いつの間にか横に立っていた。手を取られ強引に立たされればそのまま優しく抱きしめられる。

「状況が悪いのならば打破するにはそれが最善だろう。だから他人行儀な呼び方はやめてくれ」
「待って!私達まだ学生だよ!そもそも別れ話の途中だったはず」
「ボーダーでの収入がある。今回の報酬もあるから当座の生活には困らない。それに何度も言うが俺は別れるつもりはない」

抱き寄せられたことで聞こえてくる匡貴くんの心音は随分早い。気恥ずかしくなり胸板に手をついて少し距離を空ければ今度は首元にぽすりと額が寄せられた。

「次は待たせてすまないではなく、待っていてくれてありがとうと言わせてくれ」
「そんな言い方ズルいよ。嫌だなんて言えなくなっちゃう」

視界に入る匡貴くんの耳が赤い。おずおずと匡貴くんの頭を撫ぜれば腰に回っている手に力が入って強く引き寄せられる。何だか満ち足りた気分になったが、このまま言いくるめられないよう返事はとりあえず保留しなければと気を引き締めた。