透明へ駆け出す

 梅雨の始まりの、今にも雨が降り出しそうなどんよりした夕方に、久し振りに見る名前からメッセージが届いた。
 彼とは小・中の同級生で、確か中学の卒業式後に流れで連絡先を交換した。交換したは良いが、別に連絡を取ることなんてなくてこれが初めてメッセージ。
 そんな彼からのメッセージは、絵文字がふんだんに使わていて中々に長い。要約すると『高校三年だと進路によっては、もうすぐ三門を出ていく人もいるだろうから、夏祭りで小学校六年生のクラス同窓会をしましょう』とのこと。
 小六と聞いて真っ先に思い浮かんだのは、些細なことがきっかけで会話することすらなくなった、十八の歳を迎える今も気まずいままの、物理的な距離は近いのに心の距離が遠い幼馴染である北添尋くんの存在。
 同じクラスだった尋くんにも間違いなくお誘いはかかってるだろうし、きっと尋くんはこのお誘いを断らない。
 夏祭りも同窓会も行きたくないわけじゃない。むしろ、わくわくしてしまったからこそ悩んでしまう。私がいることで尋くんが嫌な気持ちになるかも、と思うと参加するのが怖いのだ。
 そんなことを馬鹿みたいに延々と考えてしまって、結局その日メッセージには返信できなかった。

***

 梅雨の真っ只中。午後から降るかもという曖昧な天気予報に、湿気に負けて右側だけがうねる髪。
 昨日、突然の雨に学校の置き傘を使ったので、今日使う傘と合わせて二本も持って行かないといけないという面倒さ。何もかもが憂鬱な気分を倍増させる。
 そんな鬱々とした朝に、またしても懐かしい人からのメッセージがスマホに届いた。
 今度は小六から中学まで、よくつるんでいたが今は連絡すら取っていなかった女の子から。
『久しぶり!今度の夏祭り同窓会は浴衣着ていこー!』
 私と彼女を含めた四人グループに送られたメッセージは溌剌とした彼女の声で脳内再生される。同窓会に参加すると思い込んで送られた内容に、押しが強いのは変わりないんだな、とつい画面を見て笑ってしまった。
 『いいね〜!』『浴衣どんな柄?』
 そんな彼女に続いて、次々に舞い込んでくる返答。みんな乗り気なのに、そういえば私は浴衣なんて小さい頃着たっきりで持ってない。

「浴衣持ってないから買いに行かなきゃ」

 そう返答すると、『じゃあ皆で買いに行こうよ、私は髪飾りほしいし』浴衣で行こうと言い出した彼女からの提案に次々と乗っかる友人達。こうして、とんとん拍子に買い物へ行くことが決定した。
 結局、その日夕方過ぎても雨は降らなかった。使われなかった傘を片手に家路をのんびり歩いて帰る。
 塾と家の往復だけしか予定がなかった物悲しい夏休み。そこに加わった二つの予定がキラキラ輝いて見える。
 ようやく幹事と思われる彼に参加します、と返信をした。そして、二つの予定を指折り数えながら勉強に励む日がしばらく続いた。急に輝き始めた夏が待ち遠しい。

***

 心待ちにしていた日というものは、何故だかあっという間に時間が流れて行く。
 久し振りに会う友人との間にぎこちなさがあるのは始めだけで、お買い物もお喋りもすごくすごく楽しくて。バイバイしても、眠りについても心は満ち足りていて数日間ずっとポカポカと温かいままだった。
 なのに、だ。
 夏祭り当日。買い物に行った日同様、この日も楽しみにしていたことに変わりはないのに、本日の集合場所である駅が何故だか遠い。
 それは着慣れない浴衣で歩きにくいからなのか、それとも人一人分空けて隣を尋くんが歩いているからなのか。きっと両方なんだけど、今更どうしようもない。
 だって、母親に着付けてもらって意気揚々と玄関から飛び出たらちょうど尋くんが歩いていて、思いっきり目が合ってしまえば無視する事なんて出来ないでしょ。

「久しぶりー。夏祭りの同窓会、行くんだよね?」

 上擦った声でうん、と一言しか返せない自分が情けない。小六の時に同じクラスだった人が浴衣で家を出てくれば、夏祭り同窓会に参加するんだと気付くのは当然だろう。尋くんは気をつかって一緒に行こうと切り出してくれた。
 太陽が西へと傾いてきた。ずいぶんと日射しは和らいだが、まだまだ蒸し暑い中を二人でゆっくりと歩く。
 熊みたいに大きい尋くんの影が私に落ちる。こんなに大きかったっけ?と記憶を辿るが、どうやっても同じぐらいの身長で隣を歩いていたことしか思い出せない。

「浴衣姿かわいいね。夏って感じだし金魚柄がすごくナマエちゃんっぽくて似合ってるよ〜」
「えっ?あ、そう、かな?変じゃないなら良かった」

 天気いいね。みたいなノリで、そんな事を突然言わないでほしい。かわいいだなんて、お世辞の常套句だと分かっていても同世代の男の子にサラリと言われてしまえば動揺してしまうのは当然だと思う。

「ちっとも変じゃないよ〜すごくかわいい」

 晴天の空みたいに曇りのない笑顔で二度も言われてしまえば降参して素直に受け止めるしかない。だけど、ありがとうは私達を呼ぶ声に邪魔されて伝えることは出来なかった。いつの間にか駅の近くまで来ていたらしい。
 尋くんも私もかつての同級生の輪に入り、それぞれがそれぞれの友人と話す。しばらくして人数が揃ったところでぞろぞろと夏祭り会場へと向かった。

 夏祭りなんてすごく久しぶりで端的に言うと、私はすごくはしゃいでしまっていたんだと思う。
 まずは腹ごしらえとばかりに焼きそばとたこ焼き、イカ焼き更にはじゃがバターにベビーカステラ、かき氷。シェアしたにしろ食べ過ぎた。
 お腹が満足した時に見つけたのはカタヌキの屋台。小さい頃にすごく夢中になった事を思い出した。やったことがないという友人を誘って、単純形状の林檎型に挑戦する。早々に割ってしまった友人を横目に綺麗に抜き取ると友人どころか、他のお客さんからも称賛を浴びた。どうやら腕は鈍ってないらしい。
 調子に乗って次は飛行機型に挑戦。昔何度やっても成功出来なかった飛行機型を見つけてしまい、つい手を出してしまった。
 慎重に針を刺し込む。余計な力を入れないように、ひと針ひと針ゆっくり。少しずつ切り離していく中、一番くびれている箇所にさしかかり、さらに慎重に針を進める。そんな苦労を嘲笑うかのように、プスリと刺した瞬間くびれ部分が本体から分離する。

「あー残念!もう少しだったのにね」

 肩の力を抜いた瞬間、背後から声が聞こえた。振り返るとそこには落胆の表情を浮かべた尋くんがいた。
 先程まで友人が座っていた場所では知らない人がカタヌキに真剣になっている。見回してみても尋くん以外知った顔はいない。

「みんな先に行くって。声掛けたけどやっぱり聞こえてなかった?」
「全然気付いてなかった……」
「すっごく集中してたもんね〜」
「待たせちゃったよね、ごめん。みんなどこかな?早く合流しないと」

 屋台の端に寄って謝ると、尋くんはなんて事はないと大きく首を横に振ってにっこりと笑ってくれた。そしてそのまま携帯を取り出し誰かと通話し始める。
 ゾエさんだよ〜から続く会話。時折うんうん、と相槌を打つ尋くんの声を気にしながら人の流れに目をやると、花火の打ち上げ時間が近付いてきたからなのか、人が増えてきたように思える。

「みんな港の方に向かってるって」

 そう言って歩き出す。その歩みは多くの人が向かう流れとは逆方向。

「尋くん、港こっちじゃないよ」
「やっぱり分かっちゃう?」

 人が多くて声が通らない。流れをぬうように進んでいるので立ち止まることも叶わず、少しだけ声を張り上げてみる。

「どうゆうこと?早くみんなのとこ行こう」
「このまま僕と二人で抜けよ〜あっちにナマエちゃんに見せたいのあったんだ」

 背の高い尋くんが少し屈んで耳元で喋る。その声に胸の奥が詰まった感覚を覚えて返事もままならない。カッと耳に熱が集まって前しか見れなくなって、隣にある尋くんの気配だけを頼りに足を動かす。
 周囲の喧騒に追いやられるように端に端にと進んでいくと空気の流れが変わった気がした。新鮮な空気を大きく吸い込み、そのままの勢いで後ろから尋くんのシャツの端を摘んで引っ張ってみる。

「あの、ずっと謝らないといけないと思ってたことがあって……」
「僕に?」

 そんな急で些細な主張を尋くんは不思議な顔をしながらも受け止めてくれた。そのまま建物のそばまで連れ立って歩いて完全に人の流れから飛び出る。

 もう誰が言ったかなんか覚えていない。
『ナマエちゃん、北添くんと仲良いよねー。私たちと一緒にいるより北添くんと一緒の方がいいんじゃない?そっちの方が楽しいでしょ』
 その言葉に賛同するクラスの子達。言葉は刃物のように心を切り裂いていく。
 どちらと一緒の方が楽しいなんてないのに、私の言葉は届かない。あの時はクラスの友達という、小さなコミュニティが私の世界の大半を占めていた。女の子たちに嫌われるのが怖くて仕方なかった……だから私は尋くんを切り離すことにした。
 仲良くなんてない、と示すために一緒に登校しなくなったし一緒に遊ばなくなった。声を掛けられて無視したこともあった。
 私にとっては大事件だったことも、周りには関係なくて。進級してクラスが変われば、そんな騒動はなかったかのように誰も触れない。ただ私が尋くんに話しかけられなくなっただけで、その時私達の間には透明で分厚い壁が築かれた。
 その壁を壊すなら今だと私の中の私が叫ぶ。

「小五の頃、私、尋くんにひどい態度取ったしひどい事も言ってた。今更謝るのは卑怯だけど、それでも、ごめんなさい」

 突然の懺悔に尋くんが戸惑っているのがわかる。それでも言葉は止められなかった。きちんと伝えないとまた後悔を続けることになる。

「あー、あの時の事?あれは……仕方ないことだったんだよ。ナマエちゃんが謝ることなんてないよ〜」
「仕方なくない。私がちゃんと尋くんに話せばよかったんだって今になって分かった。だから、本当にごめんなさい」
「僕がナマエちゃんにずっとくっついて甘えてたのが良くなかったし、ナマエちゃんが悪いんじゃないよ。僕も気付けなくてごめんね」
「尋くんが謝ることなんて一つもないから。私、色々言われて嫌だったはずなのに、同じような酷いことを尋くんに言ってたくさん傷つけた」
「傷付いてなんかないよ、ちょっと寂しくなっただけ。ね、それより頭上げてよ〜このままだと僕が酷いこと言ってるみたいに見えちゃう」

 下げた頭からチラリと視線を上げる。わざとおどけてみせた尋くんは本当に何ともないって顔をして笑っていた。そんな様子につい、つられてしまって頬が緩む。

「これで昔の話はおしまいにしよ。じゃないと僕らお互いにずっと謝りっぱなしになっちゃう」
「うん……尋くん、ありがとう」

 夏の夜の風はぬるくて、じめっとしてて、重たくて。熱くなった体をさらに火照らせる。だけど数年ぶりに顔を見合わせて笑い合っていれば、なぜだかお日様の匂いがした。

「泣いたり怒ったり笑ったりコロコロ表情が変わるナマエちゃんは昔と変わらずかわいいね〜」
「えっ!」
「ん?あ、今日は泣いてないか〜」

 本日三回目のかわいいは先程と同様、曇りなき笑みで、なんの照れもなく突然落とされた。確かに泣いてはないし、何なら怒ってもなかったけど私が驚いたのはそこじゃない。

「尋くんはいっつもそんな感じなの……?」
「どんな感じ?」
「かわいい、とか平気で誰にでも言っちゃう感じ」
「全然平気じゃないよ!すごく緊張してるし、かわいいと思ったのはナマエちゃんだけ!」

 私には尋くんが緊張しているようには全く見えなかった。それどころか必死に弁明する姿は逆に怪しい。
 照れ隠しを大いに含んだ疑いの眼差しを向けていると、あからさまに尋くんの肩が下がっていく。小さくなっても全然小さくなれない尋くんがポツリと言葉を零す。

「ちょっと長くなるけど聞いてくれる?」
「うん。なぁに?」

 僕ボーダーの戦闘員なんだ。から始まる話は確かに少し長かった。でも聞き役に徹することは全然苦痛じゃなくて、むしろ私が今まで知ろうとしなかった尋くんを知れる喜びに溢れていた。

「視線とか雰囲気とかで自分が思ってることが伝わるかもしれないけど、それは誤解を生む可能性が高いから。だから大切な自分の気持ちはきちんと言葉で伝えるようにしてるんだ」

 だから全部本当だよ、と最後に付け加えられた言葉はすごく真剣で優しさに満ちていた。それが私に向けられていると意識してしまえばむず痒くて恥ずかしかったけれど、受け止めないわけにはいかなかった。

「ボーダーってすごい人達の集まりなんだね」
「そうかも〜でも普通の人だよ。能力なんて関係なくて、何かのために行動したいって気持ちがちょっとだけ強い人が集まってるだけ」

 ここからでも見えるボーダー本部に目を向ける尋くんはとても同い年とは思えなくて、近付けたと思えたのに途端にまた遠く感じる。

「尋くんはかっこいいね」
「えっ!」

 言っておいてなんだけど、思ったことを本人にぶつけるのはかなり恥ずかしいし勇気がいる。自分の気持ちはきちんと言葉で伝えるべきだと、教えてくれた本人が盛大に照れているんだから尚更。

「ね、私に見せたいのって結局なんだったの?」
「あ!あっちに金魚すくいあったんだ〜最近ってあんまり金魚すくいってないんだね。見つけられたのそこだけだったんだ。……金魚好きなのは変わってない?」

 自分を取り戻した尋くんは私の浴衣の柄に視線を落とす。水泡と共に描かれた赤と紺色の金魚達が白地の布の上を泳いでいる浴衣は、つい先日即決してこの日のために買ったもの。

「金魚すくえても飼えないから……」
「僕の家、水槽あるよ。僕が飼うから大丈夫!ずっと金魚すくいしたかったんだよね?」

 そう言われて小さい頃に尋くんと互いの母親と縁日に行った時、金魚すくいがしたいと騒いだことを思い出した。どうしても金魚が欲しかったのに飼えないとピシャリと母親に言い切られた。そんなやりとりを尋くんはしっかり覚えていたらしい。

「ウチで飼ったらたまに様子見に来てくれる?」
「もちろん!毎日だって見に行くよ」
「それは……すごく嬉しいな〜」

 穏やかな表情の尋くんの横に並び立つ。案内してくれる尋くんの足取りは変わらずゆったりしていて、手を伸ばせばその腕に簡単に触れられそうだ。
 でも手は伸ばさない。
 触れてしまえばこの胸のドキドキに名前がついてしまいそうで、少しだけ怖い。
 今は初めての金魚すくいと連れて帰る金魚達のことで頭はいっぱいだ。

「あ!金魚の餌どうしよう」
「金魚すくいの後、すぐに買いに行こうか〜ホームセンターならまだ開いてるかも」

 花火は見逃してしまうし、友達も置いていっちゃうことになるけどその提案に異論はない。
 夏風が頬を掠める。
 二度とない夏が終わって他愛のない日常が戻ってくる。それでも、まだ世界はキラキラ眩しくて、私の退屈は風に吹かれていった。