ただ一つ確かなもの



花が空から降ってくる。
それはある程度の質量を持っているようで降るというより落ちるという表現の方が合う。
その日船番のナマエは仲間達が補給や息抜きの為に次々と上陸していく姿を羨ましそうに見送っていた。
ナマエが落ちてくるものに気付いたのは見送りも済んで日光浴でもしようかと空を見上げた時だった。
甲板へ落ちる前に落下点へ入り両手でしっかりと受け止める。
一瞬にしてナマエは純白の花から漂う甘い香りに包まれた。
落ちてきたものは花束というよりブーケ。もっと詳しく言うとウェディングブーケだった。
人目を避けて切り立った崖のそばにポーラータング号を係留したのだがその崖から投げられたのだろう、今日は天気はいいが風が強い。
かなりの高さを落ちてきたにも関わらずブーケはしっかりと作り込まれているようで縦長の流れるような形状に崩れはほとんど見られなかった。

「随分似合わねェものを抱えてるな」

思わぬ拾いものにニヤけていたナマエが声の方へ振り向くと何とも気だるげにローが立っていた。

「キャプテン、おはよう。太陽を楽しもうと思ったら空から降ってきたんだけどそんなに似合わない?」
「少なくともツナギには合わねェな」

着ているツナギとブーケを見比べたナマエは納得したのか可笑しそうに声を出して笑った。

「昔見た本に書いてあったんだけど、ブーケを受け取った人は近々結婚出来るんだって!予定ある?」
「ねェな」
「だよねー。逆にあるって言われたらどうしようかと思った」
「……そもそもそれを投げたヤツらは誰かに渡すつもりはなかったみたいだけどな」

そう言いながらローはブーケに挟み込まれた小さなカードを取るとナマエの目の前に差し出した。

“この海に二人の永遠の愛を誓う“

ナマエが流れるような美しい文字を読み上げるとローはカードを指で弾いた。
カードはふわりと風に乗り、そのまま紺碧の海へ落ちる。
しばらく漂っていたが波にさらわれた瞬間海の底に沈んでいった。

「確かにこんな海でも神に誓うよりマシだろうな」
「海に誓うどころか海賊が受け取っちゃったね」

ブーケを見つめるナマエの表情は先程までの浮かれたものから一変して憂いに満ちており、ローにはとても女海賊には見えなかった。
普段はベポ達と馬鹿みたいに騒いでケラケラ笑っているくせにたまにこんな顔を見せる。
それも決まってナマエとローが二人でいる時だけに。
きっと一味の誰も知らない。
ローよりナマエとの付き合いが長いシャチとペンギンでさえ知らないだろう。
この表情を見るたびにスワロー島に残るよう説得すべきだったのかとローは考えてしまう。
他人に感情移入しすぎる性格はおよそ海賊向きとは言えない。
敵に同情する言動でもあればすぐに船から下ろすつもりだったローだが、感情の機微に通じているナマエはローの考えを見越しているようでこれまでそんな素振りを一切見せなかった。
元来涙脆くて優しすぎる性格を隠すように仕向けた自覚のあるローは、ナマエが昇華出来ずにこうやって顔に表す時にはそれを取り除くように努めていた。
目は口ほどに物を言うとは良く言ったものだとローは思う。
このブーケを海に捧げた顔も名前も知らない夫婦の事を想っているのであろうナマエはいまだに顔を上げようとしない。
この場所に船を停めたのはベポだし、ブーケが落ちてきたのは偶然に偶然が重なったからだ。
それに海に投げた本人達は誰かがブーケを拾うなんて考えてもないだろうし、拾われた所でブーケに込めた気持ちが変わることはないだろう。
そう諭したところでナマエの気持ちは晴れないことを分かっているローは何も言わず、並び立っているナマエの頭を引き寄せてこの海と同じ色をした髪に口付けを落とした。
しばらく頭をローに預けていたナマエだが、おもむろに甲板の縁に歩いていくとブーケを海に向かって手放した。

「ちょっと寄り道させちゃったけどこれで大丈夫!これで二人の愛は海に護られるね」

くるりと海に背を向け目を細めて笑うナマエに憂いは見当たらなかった。
他人の愛の行方なんぞ全くもって興味のないローはそんな事に一喜一憂するナマエが理解出来ない。
理解は出来ないが、その真っすぐな心に傷を付けたくないと思ってしまう。

「甘ったるい匂いがするな」
「大きな花だったから香りが移っちゃったのかな。幸せをお裾分けしてもらった気がする」

嬉しそうなナマエに向かってローが右手を差し出すとナマエは条件反射的に自らの手を重ねた。
瞬間二人の姿は沢山の医学書が並ぶ部屋にあった。

「予定できたぞ。今だ」
「ん?」
「神にも海にも誓わねェ。おれはナマエに誓う」
「へっ?」

ナマエの視界は殆どがローが占めており、僅かに見える天井から下がるランプと背中の感触からベッドに倒されているとナマエは判断した。
突然の移動にナマエが文句を言う前に、ローから飛び出した言葉はナマエの理解の範疇を超えていたようで間抜けな返事しか出来ていなかった。

「さっき予定ないって言ってたのに……」
「気が変わった。お前がゾウに向かう前に、と思ってな」
「……」

帽子を脱ぐとローはナマエの探るような視線をかわすかのように額や瞼にいくつもキスを落とす。

「返事はねェのかよ」
「私も誓います。ローとあの海賊旗に」

段々と不貞腐れてきたローの姿にたまらず無言の追求を止めたナマエは一先ずこの幸福感に浸る事にした。
甲板には二人の立っていた場所に枕がぽつんと落ちていた。