私が買い物から帰宅すると、玄関がかすかに香水の匂いを漂わせていた。誰か来たのだろうかとリビングに向かうと、沖矢さんが深刻そうな顔でソファに座っておりギョッとする。物思いに耽る様も、似合いすぎる。
「ああ、おかえりなさい」
「あ、はい、ただいま帰りました」
足音に気付いたのかこちらを見上げた彼に出迎えられ、少し吃りながら返事をする。目を合わせるのも照れ臭く、私は急いで買ってきたものを冷蔵庫にしまった。
「あ、そういえばかすかに香水の香りがしますが、誰か来たんですか?」
「え?……ええ、有希子さんが」
「え!?有希子さんきたんです!?」
「はい、入れ違いで帰られましたが」
「いれ……違い…」
私の恩人と言っても良い彼女がまさか帰ってきていたなんて……。タイミングが悪いし、とても残念だ。思わず項垂れると「よろしく伝えてくれとおっしゃってましたよ」とフォローのように言われて申し訳なくなる。でも、私には相談できる人間なんていないから、話を聞いて欲しかったんだけどな…。お忙しいから仕方ないだろうけれど。はぁ…とため息をついてキッチンに立つ。
「今お昼ご飯を作りますね……」
夕方になると沖矢さんは用事があると言って工藤邸を出かけられた。それを見送ってリビングの掃除をしていると、玄関の鍵が開く音がする。沖矢さんが忘れ物でもされたのだろうかと玄関に向かうと、そこに二人の女の子と小学生の男の子がおり思考が停止する。それはあちらも同じようで、しばらく見つめ合ったまま固まっていた。
「なんだぁ、そうだったんですね!」
とりあえず自己紹介と有希子さんに拾われて使用人のようなことをしていると伝えると、毛利蘭と名乗った少女は安心したように笑っていた。もう一人の女の子は鈴木園子さん、少年は江戸川コナンくんというらしい。
蘭さんはこの工藤邸に住んでいた工藤新一くんという、有希子さんの息子さんの幼馴染で時々この広いお屋敷のお掃除を自主的にされていたそうだ。園子さんとコナンくんはその付き添い。沖矢さんとはもう顔見知りで、初めて会った時は勝手に忍び込んだ不審者だと思ったとか。そんな他愛もない会話をしながら掃除をしていると、また玄関の扉が開く音がする。
「あ!今度こそ沖矢さん!」
私はハタキを置いて玄関に向かう。すると案の定沖矢さんがそこにいらっしゃった。彼は玄関に並ぶ三人の靴を見つめていた。
「おかえりなさい、沖矢さん」
「ああ、ただいま。えっと、誰か来ているんですか?」
「ええ、毛利蘭さんと鈴木園子さん、それと江戸川コナンくんが」
「ほう、ボウヤたちが」
沖矢さんは嬉しそうに笑ってリビングに向かってしまう。例え脈なしといえど、なんだがそばにいるとほっぺが緩んでしまう。思うことだけは許してほしいなあと思いながらその背中を見送ると、書斎にいたはずの園子さんが「なになになになに!?」と早口で言いながら近づいて来た。それはこっちのセリフなんだけど…。
「ちょっとちょっと、もしかして名前さん、昴さんのこと気になってる感じじゃないですか!?」
「え!?」
もしかしてほっぺ緩んでるの見られた!?と顔を両手で覆うと、「隠しても無駄よ!」とニンマリ顔で言われた。園子さんの後ろから近づいて来た蘭さんも興味があるようで、「ちょっと園子…」と言いながらもこちらをチラリと疑ってくる。女の勘というやつだろうか、これは隠せなさそうだ。
「まぁ……そうなる、かな」
「やっぱり!昴さん好き〜って感じで見つめてましたもんね、ねぇ蘭?」
「うん。好意を抱いてるんだなっていうのはわかりました」
「そ、そんなにわかりやすいかなぁ……」
「昴さんのあの様子は気付いてるかわからないですけどねぇ…」
園子さんは沖矢さんがいるであろうリビングの扉をじとーっと見つめる。まさか女子高生に見抜かれるとは…やっぱり多感な時期だから他人の気持ちにも鋭くなるのだろうか。
「でも、お付き合いしたいとかじゃなくて、見ているだけで満足なのよ」
「えー!勿体無いわよ!好きって思ったらガツンとアタックしなきゃ!昴さん絶っっ対にモテるから、早く物にしないと誰かのものになっちゃいますよ!」
「……」
誰かのものに……か。それを想像すると胸が苦しくなる。でもそれは一方的な押し付けに過ぎない。恋愛なんて沖矢さんの自由なのだから。
「ねえ、蘭もそう思うでしょ!?」
「んー…でも、言えない気持ちはわかります。そばにいると一歩踏み出すのが怖くなっちゃうと思うんです。振られたらどうしようって、最悪のことばっかり考えちゃって……」
「蘭…」
「蘭さん……」
「あ、でも、言わなきゃ変わらないとも思うんですけどね。恋愛って難しいですから」
蘭さんはそう照れ臭そうに笑った。二人とも恋してるんだなと思うと心が暖かくなる。こうやっていっぱい考えて不安になったり、好きだなって感じたりするのは私一人じゃないのだと思うと気が楽になった。有希子さんに相談はできなかったけれど、今日二人に会えて本当によかった。
「ありがとう、蘭さん園子さん。また話を聞いてくれる?」
そう聞けば、二人は満開の花のように綺麗に笑って返事をくれた。
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