私には五歳離れた従兄がいます。
私より綺麗な艶のある黒髪と丸い金の瞳を持ったなんとも可愛らしい男の子です。
 彼の両親はお金持ちで、長期休みに入ると必ずどこか遠い国へ旅行に行きます。私はそのたびに従兄からお土産を貰っていました。
 お土産を渡されるとき男の子は必ず旅行先を教えてくれましたが、覚えにくい国の名前ばかりだったので私はいつもすぐに忘れてしまいました。ちなみに私の家はというと、国内のテーマパークに行ったりのんびり温泉旅行を満喫するくらいです。質素な旅行ばかりでしたが、私としては家族と一緒にどこかへ行けることがとても楽しいと思っていたので、従兄弟の家に羨ましさを感じつつもけして妬みをもつことはなかったのです。

 私は欲がない子だと両親からよく言われました。悪く言えば、物にあまり関心を持たない子供でした。
新しいおもちゃが欲しい!と両親に訴えたことは何度かありましたが、玩具コーナーでは恒例の「買ってよ!」という癇癪は起こさなかったのです。
ジュース買ってあげるから、それでいい?
目線を合わせて説得してくる両親を、幾度なく学習することなくいつもすんなり受け入れていました。
 そんな私の馬鹿さ加減に母は同情したのでしょう。
 別に学校が嫌いなわけではなかったのです。ただなんとなく、そういう日がありました。たまに発症する学校に行きたくない病のとき、母は少し悩んだあと渋々といった様子もなく、すんなり担任の先生に休みの電話をしてくれました。

「明日はちゃんと行くのよ」

 母はいつもそう言って仕事場に向かうのでした。皆が授業しているときに観るテレビはなぜあんなに面白いのでしょうか。

 私には五歳離れた従兄がいると言いましたね。その子の名前は光忠と言います。通称みっちゃんです。両親は光忠のことをそう呼んでいたので、私もいつの間にか彼のことをみっちゃんと呼ぶようになっていました。外国によく行く従兄とはもちろん彼のことです。
 みっちゃんは容貌の優れた子です。しかも笑うととても可愛いのです。
女の子みたい。以前、私はふざけてみっちゃんにそう言ったことがあるのですが、みっちゃんは頬を膨らまして怒ってしまいました。男の子に可愛いなんて言ったのですから当然ですね。
ごめんね。私が謝るとみっちゃんはいいよ、と許してくれました。みっちゃんは優しい子なのです。

 うだるように暑い夏の日のことでした。
私とみっちゃんは庭で水遊びをしていました。お母さんに買ってもらった新しいワンピースの下に水着を着て、みっちゃんと水鉄砲を打ち合います。

「そのワンピース可愛いね。似合ってるよ」

 短パンとTシャツ姿のみっちゃんはにこにこと笑いながら褒めてくれました。みっちゃんは私が髪の毛を切っても新しい洋服を着ていてもすぐに気付いてくれます。そしてさっきみたいにたくさん「可愛いね」と言ってくれるのです。
それはとても嬉しいことなのですが、私はあの金色の瞳にじっと見つめられて、可愛いねと褒められるのが苦手でした。嫌なわけではありません。恥ずかしいのです。
だから私はみっちゃんの斜め後ろに視線を逸らしながら早口で「ありがと」と返すのが精一杯。そうすると、みっちゃんはなんだか懐かしそうに目を細めて必ず私の頭を撫でてくるのです。意味はよくわかりません。けどみっちゃんの手のひらは温かくて好きです。
 このとき、私は五歳。みっちゃんは十歳になっていました。

 みっちゃんが一三歳になったとき、私はまだ八歳でした。
みっちゃんは黒のスラックスとシンプルなワイシャツを卒業して、黒い学生服を着るようになりました。そう、中学生になったのです。中学生になっても、みっちゃんは相変わらず私に優しく接してくれました。

「はい、クッキーだよ。たくさん食べてね」

 みっちゃんはお菓子作りが得意です。クッキーだけじゃなく、最近はケーキまで作るようになっていました。
将来はお菓子屋さんになるの?
私はクッキーをぽりぽり食べながら聞きました。でもみっちゃんは首を横に振ります。

「ならないかな」

ふぅん、こんなに美味しいのに。私が言うと、みっちゃんは身を乗り出しこう訊ねてきました。

「お菓子屋さんになったほうがいいかな?」

 私はしばらく考えたあと、みっちゃんの好きにしたらいいよ、と返しました。

「そっか」

 素っ気ない言い方だったかな。私は少し不安になり、みっちゃんの顔を盗み見ました。でもみっちゃんは特に気にした様子もなく白い手を伸ばしてクッキーを齧っています。

「ほら、ついてるよ」

 それどころか私の口の周りについた食べかすを取ってくれたのです。私はホッとして、丸まっていた背中をぐっと伸ばし、コップに残っていたウーロン茶を最後まで飲み干しました。すると、気配り上手なみっちゃんがさっそく腰を上げて「おかわりする?」と訊いてきます。私は冷蔵庫に向かうみっちゃんの後ろ姿を見送りながら、うんと頷いて、口の中にクッキーを放り投げました。みっちゃんの作るクッキーは、いつもほろ苦いビターのチョコチップクッキー。私は癖になるこの苦みが好き。ああ、美味しい。
 
 そしてさらに二年後、みっちゃんはお菓子作りだけではなくほかの料理にも手を出し始めました。どれも美味しくて、ほっぺが落ちそうになったくらいです。みっちゃんのお母さんも「私より上手」と悔しそうに舌を巻いていました。
ちなみに今日の料理はエビのグラタンです。私のお母さんが作るグラタンとは一味違います。

「はい、あーん」

 差し出されたスプーンの上にのせられた赤いエビととろりとしたチーズとリボンの形をしたマカロニを口一杯に頬張れば、金色の目が満足げに細められます。ぷりぷりと弾力のあるエビ。口の中に広がる濃厚なチーズ。私はグラタンの味にうっとりと酔いしれながら、頬を押さえて具材を噛みしめます。ごくりと飲み込み金色の瞳に催促をすれば、

「はいはい。ほら、あーん・・・・・・ふふ、美味しいかい?」

 こくこくと頷きながら夢中になって口を動かす私を、みっちゃんは幸せそうに眺めては時折笑みを零すのです。

「昔はこんなことできなかったからね。君が美味しそうに食べてくれて嬉しいよ」

 昔? みっちゃんの言葉が妙にひっかかります。私は気になって目で問いかけてみましたが、微笑むだけで答えは返ってきませんでした。みっちゃんは時々不思議なことを言う子です。

「ゆっくり食べてね。急いで食べる必要なんてないからね」

 それから、みっちゃんは私がグラタンを食べる終わるまでずっとそばにいました。
食事の最中、私の脳裏にはなぜか台所の隅で食事をする母の寂しい後姿が浮かび上がっていたのですが、それがどうもおかしいのです。
 だって母は夕食時、必ず家にいてひとりで食事をするなんてことは滅多にないのです。それに平日のお昼も仕事に行っているので家で食べることはありません。
そういえば母にしては随分若い後姿だったような気がする。ああ、あと髪型も違いました。
 じゃああの女の人の後姿はいったい誰だったのでしょうか。私は首を傾げつつグラタンを綺麗に完食したのでした。
そのあと、みっちゃんはお皿を洗いながら上機嫌に鼻歌をうたっていました。
私がグラタンを食べきったことがそんなに嬉しいのでしょうか。変なの。みっちゃんは本当によくわからない男の子です。
 こうして私のお昼ご飯の時間は終わったのでした。

 私は十歳に、みっちゃんは一五歳になりました。
桜が舞う春のことです。私がまだ赤いランドセルを背負っていたとき、みっちゃんはすでに高校一年生になっていました。
この頃、みっちゃんは周りの女の子達にモテるようになりました。いえ、みっちゃんは幼稚園、小学生、中学生のころから誰にでも好かれる人気者だったのです。
 私はみっちゃんと幼稚園も小学校も別のところに通っていたので詳しいことは知らないのですが、よく女の子達がみっちゃんを取り囲んで下校してくる姿を何回か目撃したことがあります。
男の子にも人気があるようで、よくサッカーとか野球に誘われていました。けど、みっちゃんは私と遊んでいるとき、他の子に誘われても少し彼らと遊ぶだけで、その後は必ず私を優先してくれました。
 口には出しませんが、私は彼の優しさに優越感を感じていました。だって、みっちゃんは大事な友達よりも私を優先してくれるのですから。こんなに嬉しいことはありません。
 男の子たちはあっさりと「じゃあな」と別れてくれるのですが、女の子の場合だと執念深く私たちの後をついてくることが度々ありました。目尻を下げて微笑む彼女たちの瞳にちらちらと映る淀んだ色。あの暗くて醜い真っ黒な眼球はぎょろりぎょろりと動き、綺麗な金色の瞳のみっちゃんを見て、にんまりと微笑むのです。私はあれが苦手で仕方ありませんでした。あの獲物を狙う猛禽類のような鋭い目が気に食わなかったからです。

「あなた邪魔」「どこかいって」「光忠くんの何なの?」
 語らずとも彼女たちの黒い目はそう訴えていました。けれど彼女たちは意地悪で演技上手な女優さんでした。表面ではにこにこと笑みを張り付け、私に向かって「可愛いね」と心にも思っていないことをぺらぺらと吐き出すのですから。
 けどもっと意地悪なのは私の方でした。私は彼女たちが怖い目を向けてくることを、みっちゃんに話してわざと泣きそうな顔を見せてやったのです。陰湿でずるい女です。子供とはいえ、女とはとても恐ろしい生き物ですね。でも私は彼女たちのことが嫌いだったので彼女たちにどう思われようと構わないのです。恐らくあちらも私の事が嫌いでしょうし。

「そう・・・・・・怖かったね。ごめんね、気付いてあげられなくて」

 みっちゃんは悲しそうに眉を下げて言いました。悲哀に染まる顔を見て、ほんの少しだけ罪悪感が芽生えましたが、そんなものは数秒で何処かへ吹っ飛んでいきました。
だって、みっちゃんが私の体をぎゅう、と抱きしめて可哀想にと囁きながら背中を擦ってくれたからです。みっちゃんの服や髪から漂う大好きな匂いが肺にいっぱい流れてきました。
みっちゃん、大好きと言えば「僕もだよ」と彼は私の頭を撫でてくれて、私はとても幸せな気分になり、そのままみっちゃんの胸に顔を押し付けてひっそりと微笑んだのでした。

 それから、私はみっちゃんと遊ぶときは必ず家の中がいいとお願いするようになりました。みっちゃんもいいよと言ってくれたのでこれでもう安心です。こうして、私は誰にも邪魔をされずに、みっちゃんとゆっくり遊ぶことができたのです。私はみっちゃんが好きです。

 言い訳をさせてもらうと、このときはまだ、私は大好きな従兄を他の女の子に取られたくないただの可愛い嫉妬でした。本当ですよ。