みっちゃんは部活に入っていて、帰りも前よりだいぶ遅くなりました。みっちゃんと私の家は隣同士だったので、私はみっちゃんが大体何時頃に帰ってくるかよく知っていました。
いつも夜の八時を過ぎると外から「じゃあな、光忠ー!」と知らない男の子の声が聞こえてくるようになったからです。それをお風呂場とか、自分の部屋で聞くと、あ、帰ってきたのかと考えるようになりました。
みっちゃんは土日も部活動があります。多分それなりに忙しいはずです。
なのに、みっちゃんは必ず金曜日の夜に私に会いにきます。みっちゃんとは家が隣同士だと言いましたが、実はお部屋もものすごく近いです。屋根を伝ってお邪魔しますができるくらいの近さなのです。私はできませんが運動神経の良いみっちゃんは楽々と私の部屋へやってきます。
「でね、僕の友達がそんなことを言うんだ」
へぇ、そうなんだ。
私は今日もみっちゃんが作ったケーキに舌鼓を打ちながら、彼のお喋りに付き合います。母には内緒の金曜日のデザートはとても美味です。みっちゃんの口からペラペラと出てくる言葉を聞き流しながら、鮮やかなオレンジ色のキャロットケーキを黙々と口に運びます。にんじんの自然な甘みは私の顔にほんのりを笑みを作らせる魔法の味でした。
以前、夜遅くにこっちへ遊びに来てお母さんに怒られないかと訊ねたことがありますが、どうやら毎週金曜日の夜はご両親がお仕事で遅くなる日が多いので問題無いそうです。
だから何をしても大丈夫だとみっちゃんは笑っていました。寂しくないのかな。私は心配になりましたが、みっちゃんんは寂しくないよと平然と言い放ちました。だって君がいるからね、とも付け加えて、私をぎゅうっと抱きしめてくるのです。
みっちゃんは一度私を抱きしめるとなかなか離してくれないので困ります。あと首のところで顔をぐりぐりもしてきます。正直、あれはくすぐったいからやめてほしいです。
月日はながれ、私は一三歳になりました。とうとう中学生です。
一三歳になったとき、私はつい女に成長しました。月に一度の股の違和感に怯えながら過ごした土曜日の午後。
この日、私はみっちゃんにとんでもないことをされました。それはあまりには突然のことだったのです。
私がリビングのソファの上でうたた寝していると、玄関から鍵を開ける音が聞こえてきました。
「ただいま」と母が買い物から帰ってきた声がしました。それともうひとつ「お邪魔します」と礼儀正しく挨拶をするみっちゃんの声も聞こえてきました。いつも私の部屋に上がるときは「お邪魔します」なんていわないくせに。
私はみっちゃんの猫かぶりに辟易しながらなんとなく寝たふりを演じ続けました。
「あらやだ、この子ったら。ほら、起きなさい。みっちゃんが来たわよ、起きなさい」
リビングに入ってきた母が恥ずかしそうに咎めました。
それでも私は狸根入りを決め込みます。いまさら起きて、こいつ寝たふりをしていたなと勘繰られるのが気恥ずかしかったからです。
「おばさん、いいよ。寝かしといてあげて」
みっちゃんは声を潜ませて言いました。
母は申し訳なさそうに謝りながら、買い物袋をガサゴソと漁っています。すると母は、買い忘れたものがあると思い出したように声を上げました。
「みっちゃん、申し訳ないけどお留守番頼んでもいいかしら、ほんの十分くらいだから・・・・・・」
「いいですよ。急がなくても平気なので、ゆっくり買い物してきてください。僕もどうせ暇なんで。あ、買ってきた食材は僕がしまっておきますよ」
「あら、そう? んー・・・・・・じゃあお願いしてもいいかしら。適当でいいからね。ごめんなさいね。じゃあ、あの子寝ているけど気にしないで。好きにくつろいでいてね」
「はい。いってらっしゃい」
母はみっちゃんとそんなやりとりをして、早足で出かけていきました。
買ってきた食材を冷蔵庫にしまう音、パタンとドアを閉める音がした後も私はそのまま狸寝入りを続けます。みっちゃんのことだから、私が寝たふりをしているなんてすぐ気づくだろうと思っていたからです。
ぺたぺたとスリッパの足音がこちらに近づいてきます。
「・・・・・・起きてるんでしょ?」
やはりみっちゃんは気づいていました。それでも私は瞼を閉ざしたまま、起きようとはしません。真上から覗き込まれる気配がして、その後、床に膝をつく音がしました。
「ね、起きてる?」
先ほどより声が近くて、私の心臓は大きく跳ねあがりました。あまりにもどきどきと心臓が脈打つものだから、このままではみっちゃんにばれてしまうのではないかと焦ったほどです。
みっちゃんの問いかけは、私が本当に寝ているか確かめようとしているときの、掠れた低い声でした。
起きてるよ。私がそう言いながら起き上がる準備をしようとしていたとき、みっちゃんが私の頭を撫でてきました。
昔からよく私の頭を撫でてくるみっちゃんでしたが、私が大きくなるにつれて撫でる回数もだいぶ減りました。久し振りの体温に体の力が抜けていきます。
「いい子だね」
みっちゃんは昔とは違う、高い声でなくて、低い大人の声で囁きました。とっくに声変りを終えたみっちゃんの声は、凶器にも似た音を唇から出します。
可愛らしかった顔立ちは何処へ行ったのやら。いまではすれ違う女の子からきゃあきゃあ言われるほどの端正な顔立ちを持っています。
そんな男の人にいい子だねと頭を撫でてもらうなんて、ほかの女の子達からしたら従妹という立場は喉から手が出るほど欲しいものに違いないありません。私は生意気にも自分がいかにみっちゃんに可愛いがられているか、よぉく知り、嫌なくらい自覚していました。
「いい子」
みっちゃんはもう一度繰り返すと、今度は私の頬に触れてきました。むにむにと頬を弄られたけど、我慢我慢。もう完全に起きるタイミングを失ったのです。みっちゃんはいつまでも私の頬を突いたり押したりしています。なにが楽しいのかさっぱりわかりません。
「・・・・・・ふふ、可愛いなあ」
・・・・・・どうしよう。
いいやこのままお母さんが帰ってくるまで寝たふりだ。私は気まずい心持のまま、必死に寝息に似たような呼吸を続けました。
すると、私の唇になにやら風みたいなものがひゅうと当たりました。でも生温かいのです。不思議に思っていると、次の瞬間、私の唇になにかが触れました。
むに、という感触です。
そのなにかは一度唇から離れると、またくっついてきました。そこでとうとう私は気づきました。唇です。私の唇に押し当てられていたものは、みっちゃんの唇だったのです。
なぜ私はみっちゃんにキスされているのか? なぜみっちゃんは私にキスしているのか? ぐるぐると混乱する脳をさらに追い詰めるのがみっちゃんの唇でした。
私が起きないのをいいことに、みっちゃんは私の下唇をちゅう、と吸い始めたのです。寝たふりのため、間抜けに開いていた唇はさそかし吸いやすかったことでしょう。
みっちゃんは何度も啄んできました。ぬるりとした舌が私の唇を撫でて弄びます。
「ん・・・・・・、」
――――、とみっちゃんは熱い吐息を漏らしながら私の名前を呼びました。
堰を切ったように、しつこいほど下唇を愛撫するみっちゃんでしたが、それだけでは飽き足らず、ついに上の唇ごとちゅうちゅうと吸い始めました。
私のささやかな胸の谷間をみっちゃんの手が滑るように撫でてきたので、そこがむず痒くてたまりません。
みっちゃんの大きな手はそのまま右胸に移動して、僅かについた脂肪を持ち上げるように触れてきました。それに驚いた私は、思わず右足をピクリと震わせてしまったのですが、みっちゃんはキスに夢中で気付くことはありませんでした。
私は抵抗することすら忘れて、ひたすら脳内で「???」の文字を飛ばしてパニックに状態に陥っていました。
怖い、とも思いました。けど、みっちゃんの舌が唇に触れたとき、私は形容しがたい感慨に襲われていたのです。全身に微弱の電気を流されたような痺れ。胸を締め付けられるような苦しさ。私はどうすることもできず、ただ静かに耐えていました。
しかもみっちゃんが首に手を添えて先ほどと同じように皮膚を擽ってくるものだから、私はたまらず体を捩りたくなりました。でも我慢です。私は寝ているのですから、瞬きすら許されないのです。
「はあ・・・・・・ん、」
息継ぎのためにみっちゃんの唇が離れると、なぜか彼の首に手を回して追いかけたくなりました。呼吸する時間すら惜しい。唇だけじゃなくてもっと口内までそれを入れてほしい。
唇しか愛撫されないもどかしさに、私が寝たふりをしていたことすら忘れて、みっちゃんの首に手を回しそうになったときでした。なぜか唇が離れていったのです。
伸ばしかけた手を慌てて戻し、瞼をぎゅっと瞑りました。みっちゃんの親指が、私の唇についた唾液をさっと拭います。
「ただいま」
ちょうど玄関のほうから母が帰ってくる音がばたばたと聞こえてきて、心底がっかりしました。
ああ、もう少し遅く帰ってきてもいいのに。
みっちゃんが「おかえりなさい」と言いながら玄関の方へ向かう足音を耳にして、私は綺麗に拭われた唇を舌で舐めました。そこにはもう乾いた皮膚があるだけ。私の中では、漠然とした寂しさだけが残りました。
そして、私はふたりの会話を聞いているうちに、いつの間にか本当に眠ってしまいました。
はっと、目が覚めて時計を見ればもう夕食の時間です。ようやく私が起きたことに気付いた母が呆れ顔で「みっちゃんが来ていたけど、あなたが寝てたから帰っちゃったわよ」とお味噌汁を掻き回しながら言いました。
知ってる。
私はそう言い返さずに、ん〜と曖昧な返事を投げてから、テーブルの上に置いてあったテレビのリモコンを手に取り電源を付けました。
みっちゃん、何時頃に帰ったんだろ。もう六時過ぎだし、三時頃かな。
適当に番組を切り替えていると、連続ドラマのCMに目が止まった。
――――君が好きだ、好きなんだ。
お決まりの台詞を吐いたあと、茶髪の女優にキスをしている若い俳優。
私も少女漫画は読むほうでしたが、まさか自分が従兄にキスされるなんて思いもしなかったことです。なぜ、みっちゃんは私にキスをしたのか。考えれば考えるほどわからなくなります。そして最終的にたどり着いた答えが「もしかして、みっちゃんは私のことが好きなのかも」でした。
ここで少女漫画さながら「きゃっ」とか言いながら顔を赤くして喜ぶべきだったのでしょうか。
むしろ私はあの光忠のことが恐ろしく思えて仕方がありませんでした。背中からうねうねと這い上がる毛虫に気付いたような嫌悪感が芽生えたのです。それと同時に、またあの行為をしたいという浅ましい想いもふつふつと中心から湧き上がるのです。
このときです。私ははじめて優しいみっちゃんを怖いと思いました。
性にたいしてはある程度理解はあるし、興味がない訳でもないのです。このいいようのない気持ちは何なのでしょうか。やはり答えはでません。
そしてこの気持ちのまま、来週の金曜日にはみっちゃんが自分の部屋に遊びに来るのです。
どうしようか・・・・・・。もう上げないでおこうかな・・・・・・。
私は悶々と悩みながら、ソファの肘掛けに寄り掛かり次々と画面が切り替わるニュース番組をぼんやりと見つめました。そして、水分を奪われてカラカラに乾いた下唇を舐めると、また皮膚をふやかすように湿らせたのでした。
まあ、来週の水曜日にでも考えておこう。
投げ出した両足を組み替えると、奥底からどろりとした何かが溢れてきたような気がして、私はその不快さに眉を潜めながらテレビを必死で観続けたのでした。