トンネルのむこうは不思議の町でした。
名作映画のキャッチコピーが脳裏に浮かぶ。辺りを見渡せば人モドキ、人モドキ、人モドキ、の中に紛れ込む異質なソレら。一本足、一つ目、首の長い女。そして向かいの席にいる水を吸って体がぶよぶよになってしまったダイコンのような奴。手には高価そうな湯呑があり、それを掴む手はごぼうのように細い。
あきらかに人ではない容貌で茶をすするソレは、私の視線に気付くとニタリと口角を上げた。標的を見つけたぞ、というような不気味な笑みにゾッと体を強張らせる。
「あんたの嫁かい?」
「ああ、そうだ」
「めずらしねえ。人の子を娶るなんて」
「そうでもないさ。昔は人身御供なんてめずらしくなかっただろう」
「うむぅ、そうだなァ。いやまだ若い娘で羨ましい」
「やらんぞ」
「はっはっは。刀の付喪神の嫁に手ぇだしたら胴体を真っ二つにされちまうからなァ。前に付喪神の女にちょっかいかけて首を跳ね飛ばされた馬鹿がいてなァ。いや、あれは見事な太刀筋であった……ンン、怖い怖い……おお、そうだ。そういえば付喪神といえばあの妖の娘もな……」
なにやら隣で世間話を始めたが、私はそれどころではない。膝の上にあるみたらし団子の味は全くしないし、緑茶だってただの白湯。提供した店のせいではない。私の味覚が麻痺しておかしくなっているのだ。
「ははは、そうなのか。それはそれは」
「そうなんだよなァ。ぐりゅッぐりゅッ」
うがいをしながら喋ったときみたいな声でダイコンが笑った。ダイコンの口から唾が飛んで、地面に落ちる。ウッと身を引いたが、隣にいる鶯丸は優雅に茶を飲みながら微笑んでいる。店先でのほほんと談笑をするダイコンの存在に神経をすり減らされ、私は「信じられない」と緑色の頭に向かって悪態をついた。
**
「かえりたい」
布団に寝転びながら言うが、返事はない。
「かえりたい」
やはり返事はない。その代わり、本を捲る音と茶を飲む音だけは、相変わらず私の話に答えを返してくれる。
本と茶の主を睨むがどこ風吹くと受け流す。涼しい横顔に向かって手元にあった手拭いを投げるが、男はそれを腕で払い落とし、持っていた湯呑をようやくちゃぶ台の上に置いた。
「鶯丸さん。ここからいつ出られるんですか?」
「さあ。だがこんのすけや本丸にいる刀剣がいつか気付いて俺たちを探しにくるだろう。それまではここで大人しく待つしかないぞ」
「えええ……」
感嘆する私を尻目に、鶯丸は話を続ける。
「ここに来て三日。町の端から端まで色々調べてみたが、俺たちの本丸に戻れる術は全く見つからないうえに、そのすまほとやらも使えなんだろ?」
鶯丸が私の枕元にあるスマホを顎で示した。
スマホの画面をタッチして電波を確認するが、やはり圏外。充電は70パーセントを切っている。政府の緊急連絡先にダイヤルを押すが、聞こえてくるのは「おかけになった電話は電波が届かない」という虚しいアナウンスのみ。
帰り道を断たれた私たちは適当な宿を取り、そこで腰を据えて救助を待つことにしたのだ。こんのすけと他の刀剣は私たちがいなくなったことに遅かれ早かれいつかは気づく。それまで私たちはこの狂ったような世界の片隅で彼らの助けを待つしかないのだ。
「帰りたい……こわい」
枕に顔を突っ伏しながらぼやく。鶯丸がまた茶をひと口飲んだ。
私の気持ちなどてんで汲み取ってくれない彼にいいようのないもどかしさと苛立ちが募る。しかしこの状況を作ってしまったのは他でもない自分自身。文句を言える立場ではないため、私は溢れ出す不満をぐっとを飲み込んだ。
この世界は、どうやら妖が住まう場所らしい。ソレらには人型もいて、つい人間だと思いこみ咄嗟に回り込んでみたのだが、彼の顔はもうそれはそれは恐ろしいものであった。大変失礼な言い方だとは思うが、言葉にするのも吐き気がするほどのもであった。その日の夜、私はあまりの恐怖に眠れぬ夜を過ごした。隣ですやすやと眠る鶯丸が憎たらしくてわざと大きくため息をついたり乱暴に寝返りを打ったり……。だが鶯丸はそんなこと気にも留めず、静かに寝息をたてるだけ。そのうち馬鹿らしくなってしまい、私もそのまま不貞寝をした。
おかげで最近は睡眠不足であり、とうとう目の下に隈ができ始めた。枕が変わると眠れなくなるという繊細な性格ではないため、根本的な問題はこの世界にいるという理由のみである。
「帰りたい」
「我慢してくれ」
鶯丸は呆れ口調でそう言うと、また活字を追う作業に戻ってしまった。彼の膝元にある手拭いを指さしてみれば、丁寧に畳んで、そして乱暴にぺいっと投げ返される。
手拭いが顔に当たり「んぶ」と変な声を上げると鶯丸がふふ、と鼻で笑った。
*
この宿の下にある団子屋は妖にとって絶品らしく、よく鶯丸が暇つぶしに誘ってくる。付喪神である鶯丸はともかく、人間である私にとってやはりあの団子は美味しいとは言い難いものだった。慣れれば食べられないことはない。が、食感はただのこんにゃくである。みたらし団子ではなく、こんにゃくに薄く溶かした味噌をかけただけの代物だとしか思えない。
「美味しい? それ……?」
「ああ、まあ悪くはない。食べてみるか」
「うん」
鶯丸が食べていた粒あんの団子に視線をやりながら不安げに訊ねれば、串ごと差し出されたので、怖々と口を開ける。丸ごと食べる勇気はないので半分齧ってみれば、その瞬間、舌いっぱいになんとも言えない苦みが広がった。団子を飲み込めず咳き込む私に、鶯丸がテーブルに手を付き、背を擦ってくる。吐き出す訳にもいかず、水を飲むがそれでも団子は喉を通ってくれない。涙目で悶える私を見かねた鶯丸が自身のハンカチを口元まで持ってきて、吐き出せと目で伝えてきてくれたが、まさか恋人の、しかも布越しとはいえ手の中に食べ物を吐き出すなんてこと私には出来ない。
泥団子のように溶けだした団子をなんとか流し込み、息をつく。
「やはり妖の食べ物は君には無理か」
ため息交じりで言う鶯丸に、私は声も出さずに頭を振る。
「でも前に食べたみたらしとか三食団子はまだいけます……よくわからないけど……すっごく食べたいっていうものでもないけど……うっ」
「大丈夫か? ここの食が主の口に合わないのには困ったな。他に食べられそうなものを探すか……」
「……なんで鶯丸さんは平気なんですか? うっ」
「付喪神は妖とも言い伝えられているからなあ。その影響でここの食にも馴染んでしまうだろう。見ろ、神である俺がいてもみな特に関心を寄せてこないだろ?」
「うっ、そうですね、うう、」
「そんなに苦しいのか」
「いえ、苦しいっていうより胃の奥からなにかがせり上がってる……」
胸を押さえながら嘔吐く私の口に、また手が差し出される。この人は掌が吐瀉物まみれになっても気にしない人なのだろうか。渾身的な介護をしようとする神に戸惑いつつ、私はその後お手洗いに駆け込んだのだった。
その日、町の店という店を歩き回り、なんとか私が食べられるものをいくつか探すことができた。それでも同じものをローテーションで食べれば飽きが来ると言うもの。この世界に飛ばされて一番困ったことは言語でも娯楽でもなく「食」であると、のちの私は大いに嘆き、食の有難さを再認識した。