※名前は出ませんが貴銃士の破壊表現あり。
窮地に追い込まれていたレジスタンスを救った一人の女性がいた。手の甲にバラの傷痕を持ち、古銃の化身である貴銃士を呼び起こす。メディックとして貴銃士と共に戦うその姿は、まるで聖女と呼ばれたあの英雄の面影を彷彿させる。
彼女の背中にのしかかる「マスター」「メディック」としての名前はどれほど重く、どれだけ苦しいものだったのか。それを推しはかってくれる者は一体どれだけいたのだろうか。
「マスター、大丈夫?」
「ええ……大丈夫。ありがとう」
「無理しないで。歩くのがきついのなら僕が君を背負うからね」
「ええ……でも、大丈夫だから……」
どこに敵がいるのか、どこのだれが敵なのかも判別がつかない毎日だった。それと共にマスターの疲労の色は濃くなっていく。
「あ……あああぁ……!!」
雨が降りそうな曇天。散らばる無機物。
彼女の目の前でとある貴銃士が死んだ。銃に戻ったあと、破壊されてしまったのだ。
死を目の当たりにすることは初めてではないにしろ、彼の死をきっかけに彼女の精神は大きく崩れて落ちていった。まるで坂を転がり落ちるボールのように、急速なスピードで。
彼女は夜になると膝を抱え、泣きながら弱音を吐くようになった。
「死にたい」「殺して」
そうやって、取りつかれたように何度も何度も呟くのだ。昼間はいつもの「マスター」として過ごしてはいるものの、やはり夜になるとふと思い出したように同じ言葉を口にする。
「マスター、僕が手を握っていてあげるから少し眠りなよ。ね、大丈夫だから」
「……ありがとう、シャスポー……ごめんなさい」
「謝らないで。きみは悪くないよ……悪いのはあいつらのほうだ」
気が付けば、こんな泥水をすするような毎日がもう数か月続いていた。
*
それはレジスタンスが世界帝軍を倒し、平穏を取り戻した後の出来事だった。
最初は小さな噂話にすぎなかった。
「彼女の悪い噂が流れているみたいなんです」
「ええ? 私の?」
「はい」
「どんな噂?」
「それが……」
その報告に来た兵士から聞いた話だ。
滅びた世界帝軍に変わって、今度はあのメディックがこの地を、世界を治めるだろう。また恐怖政治が始まったらどうしよう。あの人も貴銃士を従えているから以前のように怯える毎日が続くのではないか……と。
このような荒唐無稽な噂話が囁かれているとレジスタンスの兵士が表情を変えずに報告してきた。噂の出元は、世界帝軍の支持者や支援者からだった。甘い蜜を啜れなくなった腹いせに違いない、くだらない。と何人かは鼻で笑い飛ばした。
皆、これからの行く先が不安で悪い噂が目立ってしまうのだろう。いまは復興のことを最優先しよう。そう言ったのは「マスター」だった。
だが念のためにその噂話を打ち消すよう別の話題を流しておこう。そう言って、恭遠はスパイを街に潜り込ませた。これでひとまず落ち着くだろう。あとはその噂が消えていくのを待つだけ。
火種は消えたはずだった。
しかし、レジスタンスの見解を余所に、市民の間で流れる噂は次第に膨張し、悪い方向へと進んでいった。不思議なことに、悪い噂ほど広まるのが早いものだ。悪人にされた者は容赦なく石を投げつけられ、排除される。
悪人にされたのはやはりマスターであった。
「なぜあの女がこの国を治めるのか。古銃やレジスタンスらはこれからどうなる?」
「なぜあの女はただの古銃から人の身を呼び覚まさせることができるのだ。その肉体はどこから用意した?」
「聞いた話では、古銃の肉体はそこら辺にいる浮浪者か囚人かを攫って悪魔との儀式に使っているとか」
「恐ろしい」「恐ろしい」
「帝軍のほうがよほどマシだ」「悪魔と取引だなんて。あの女は悪魔の使いだ」
「魔女だ。捕まえろ」「また世界帝軍のような恐怖政治を行う組織が生まれる前に」
「殺せ」「早く殺せ」
「あの女を庇うものは全員殺せ!」
基地を離れるときに聞いた誰かの罵声によって、目を覚ました。うつらうつらと船を漕いでいたシャスポーの耳にこびり付くあの声。それは垢のようにしつこく耳孔にくっつき、なかなか離れてくれない。
意識が引き戻された。緩慢な動作で辺りを見渡す。洞窟だ。そうだ。今日はここで一夜を明かそうと決めたのだった。洞窟の中心で燃える焚火がマスターの寝顔を照らす。
目の下の隈が濃いことにシャスポーは眉根を寄せた。地面で眠ることが多いため、しっかり休息を取れていないのだろう。このままでは彼女の体力がどこまで持つかわからない。自分たちは一体どこまで逃げれば、次はどこに向えばいいのか。
薪がパチッと音を鳴らして爆ぜた。
熱いわけでないのに嫌な汗が首筋を伝う。ぐいっと手で拭うが、やはり気持ち悪い。ここ何日も体を拭いていないせいだ。
川へ行って沐浴でもしたいが、見晴らしがいい場所では誰かに見つかる恐れがあるため、あまり長いもできなかった。食べる物すら満足に得られないのだ。世界帝軍と戦っているときよりもひどい環境で生活を強いらねばいけないのため、マスターには苦労をさせている。
ここ最近、マスターは全く笑っていない。喋る力も生きようとする気力すら、もう枯れ果てているのだろう。それは自分も同様であった。果ての見えない逃亡生活の疲れが、死への階段を踏み上がらせようとシャスポーの背を押してくる。
もとは銃とはいえ、五感を与えられたシャスポーもそろそろ精神と肉体の限界を感じてきていた。
そばにいた貴銃士達は彼女の肩を抱き「大丈夫」「自分がついている」と子守唄替わりにして励まし続けた。
だが我々はもう「大丈夫」だなんてことは絶対にありえない状況にまで追い詰められている。あれだけいた貴銃士はもう片手で数えられるほどしかいないのだ。味方をしてくれたレジスタンスも捕縛されたか死んでいるかのどちらか。恭遠すらいま、どこでなにをしているかすらわからない。基地から逃げるときに別の場所で落ち会おうと約束していたが、彼は現れなかった。どこかで生きていればいいと願うが、はたしてどうだろうか。
皆、彼女を守ろうとしていなくなった。
いくら貴銃士とはいえ、四方八方から撃たれれば蜂の巣になるしかない。市民らは世界帝軍が使っていた武器を使い、休む暇もなく銃弾を撃ち続ける。あれだけ群れて戦われたらこっちだってたまったもんじゃあない。
こちらに正義ありと言わんばかりの顏で銃弾を撃ち込んでくるくせに、いざやり返してみればコロッと地面をのた打ち回り「痛い痛い」と泣き叫ぶ。そして都合のいい言葉を並べて、ぎゃあぎゃあと糾弾してくるのだ。
被害者面だ、足を掠った程度だろうが。と、弾が貫通し、血を流す腕に包帯を巻いていた誰かが悪態をついた。ああ、あれは誰だったか。どうでもいい奴らではあったが、振り返ってみればとても懐かしいものだ。
彼女は貴銃士の数が三艇ほど減った頃からおかしくなった。いつ殺されるかわからない環境に放り込まれたせいだ。精神を保つことで精一杯の彼女に治療すら頼めなくなったのは逃亡して何日目のことだっただろうか。もうそれすら思い出せない。
手当てすらままならない状態にまで追い詰められたマスターの顔色は、日に日に悪くなっていくばかり。食欲もあまりないようだった。
怪我を治してもらえない貴銃士達は志半ばにして倒れていった。
生き残った他の者は、昨日の戦闘から撤退するときにはぐれてしまい、連絡すら取れない。とうとうふたりきりになってしまった。
明日、この場所にも奴らがやってくるだろう。片手に銃を持ち、かつて希望と謳われた彼女を殺しに。
夜が明ける前には逃げなければいけない。それなのに、足は動かない。まるで足に鉄球を付けられている囚人のように重いのだ。
焚火を挟んで向かい側に寝ているマスターは死人のような顔で瞼を閉じている。身動きすらせず、胎児のように体を丸めて外敵から身を守る姿勢を崩さない。胸は薄く上下しているが、目を離したら死んだしまいそうなほど呼吸が浅い。
もともと一般市民であった彼女にはあまりにも酷な結末だった。戦いの末、待っていたのは英雄としての賞賛ではなく耳を塞ぎたくなるような悪罵。きっとこのまま捕まれば、彼女は魔女として処刑される。
聖女であったあの英雄が魔女として焼かれたように。彼女もまた、死を迎えた先では「やはり彼女は英雄だった」と皮肉にも華々しく賛美されるに違いない。
彼女の体を悪魔の炎で焼かれたたまるものか。お前らが悪だ。群れて戦うことしか出来ない人でなしめ。
……何としてでも彼女を守らなければ。ならば急いでここを離れよう。
マスターの寝顔を見ながら、意を決する。
出発の準備をするために腰を上げ、マスターの頭上に膝をつく。薄くなった肩に手を伸ばしたそのとき。手が止まった。
洞窟の外から、ザリッと砂を踏み鳴らす音がしたのだ。微かだったが、人の気配も確かにある。数は……三人。
徐々に近づいてくる人の気配に銃を取る。
自分たちを探しに来た仲間の貴銃士か。それとも敵か。残りの薬莢ははあと数発。後ろは壁。逃げ場はない。敵だとしたらひとり一発ずつ確執に仕留めなければならない。ひどい怪我を負うかもしれない。それでも生きねばならないのだ。マスターと共に。
「ん……」
マスターが薄く目を開けた。彼女も洞窟の外に人の気配があることに気づいたのか、飛び跳ねるように起き上がった。
「マスター、僕の後ろに」
隠れてと手で促す。マスターが背後に回ったのを確認し、銃の引き金に指を添える。
「いいかい。マスター」
声を出す代わりに、マスターが視線をこちらに向ける。
「もし相手が敵だったら、僕が銃を一発撃つ。そしたら君はここから逃げて」
「シャスポーは? あなたはどうするの?」
「マスター、大丈夫だよ。たとえあの足音が敵だろうと味方だろうと僕は君の側にいる。送れても必ず後から追いつくから、大丈夫だから、お願い、僕を信じて」
縋るように、マスターがシャスポーの服を握り締める。自分に言い聞かすようにもう一度「大丈夫」と口にすれば、マスターは覚悟を決めたように頷いた。
「名前子」
名を紡げば、マスターが不思議そうな顔をした。そういえば、久しぶりに彼女の名を呼んだ気がする。シャスポーの身にいいようのない力が湧き上がる。
唇に少しだけ笑みをのせて「なんでもない」と首を振れば、マスターも呼応するように
「シャスポー」と言った。
心が穏やかになっていくのを感じながら、シャスポーは気を引き締め、銃口の先を睨む。
足音が止まった。
彼らが連れてきたのは死か、それとも希望か。
一発の銃声が夜明けの空に響き渡った。
2018*0804
過去作。