むさ苦しい兵士の中に顔の作りが女のような男がいれば、そういった目を向けられ、揶揄されることなどそう珍しくない。だから俺はよく銭湯で尻を隠しながら湯に浸かったよ。
と、冗談なのか本当なのかどちらともとれない手紙が送られてきたあの日の記憶は、まるで昨日のことのようにはっきりと覚えている。手紙の差出人は兄で、兄も私と同じく女のように肌が白く男にしては小顔であった。背は高かったがそれほど筋肉はつかず悔しい思いで訓練をしたとも文末に添えてあり、ひいひい言いながら演習に励む兄の姿を想像してはひとり吹きだしたものだ。
確かに兄は美しい人だった。きょうだいの私から見ても贔屓目なしに言える。
あの手紙は北海道にいる兄から送られてきた最初で最後の、たった一通の手紙だった。
「先生。やっぱりあいつの弟なだけあって、横顔もよく似てるなあ」
兄と同じ戦場に立ったことのある兵隊が、ある日突然口ずさんだ。あいつ。恐らく私の兄のことだ。カルテを書く手を止めて、そちらを見れば熱に浮かされたような目がこちらにそそがれていた。男の肉情に、ゾッと背筋が震えた。おぞましいその色に嫌悪感を露わにしたい気持ちを抑え、唇に笑みを乗せる。
「はあ」
「あいつも先生と同じく、女みたいな奇麗な顔をしててね、北鎮部隊じゃ結構有名で……」
「××さん、疲れてますね。お薬出しておきますから、今日の夜はこれを飲んでゆっくり休んでくださいね」
話を遮ると、兵隊は萎縮した様子で頷いた。
名残惜しげに医務室から出ていく兵隊を見送り、椅子に腰をかける。まだ診察の人数は二人目だというのに、ドッと疲れが押し寄せてきた。机に肘をつき、額に手を当てる。
私の兄は日露戦争で戦死した。立派な戦いぶりであったと、先ほどの兵隊から聞いたことがあるが、果たしてどうなのだろうか。
兄の手紙、含みのある兵隊の目。繋げてみれば、ある答えに結びつく。もしやとは思うが信じたくはない。兄があの兵隊の陰間かなにかだったなんてことを。地方によってはそう珍しいことではないと理解しているが、実際耳にしてみるとなんともいえない気持ちになる。
きょうだい揃って同じようなことをしているなんて……。
複雑な心境のまま、今日も医務室のドアをノックする音に応え続けた。
*
「私の兄の事を……」
「……うん?」
「あ、申し訳ございません。眠っていましたか」
「いいや、構わん。続けてくれ」
「いえ、気にしないでください。たいしてことではないので……」
皆が寝静まった夜。
医務室のベッドに寝転んだ鶴見中尉の額に薬を塗りながらぽつりと零せば、色の違う皮膚の下にある瞼が薄く開いた。どうやら眠りを妨げてしまったようだ。黙る私に、鶴見中尉が目を閉じたまま右手を軽く上げる。いいから話せと促され、ぎこちなく切り出す。
「私の兄、苗字野のことです。その、覚えていらっしゃらないと思いますが……」
「ああ、彼のことか、もちろん覚えているとも。懐かしい名前だ」
私は鶴見中尉の話に耳を傾けた
「苗字野一等卒は体つきこそ頼りないが、頭の良い優秀な兵だった。肉体を使って戦うよりも頭を働かせるほうが得だったようでな。時間が合えば将棋でもどうだと誘ったことがあるが……残念でならない」
「そう、だったんですか……あの、それで兄は、その」
手を動かしていればあっという間に薬は塗り終わっていた。最後に額当てを返せば終わりとなる。私はあえて額あてを渡さないまま立ちすくむ。思い切って話してみたが、こんなこと中尉に訊ねてよいものだろうか。言い淀む私の気持ちを先に汲んだのか、鶴見中尉が閉じていた双眸を開き、私を捉える。洞察力に富んだ彼の目を見ると、いつも鷹を連想させてしまうが、これは私だけだろうか。
「君が一番よく良く知っていると思うが、苗字野一等卒は背が高くなければ女に間違えられてもおかしくない顔立ちをしていてな。よく上からも下からも言い寄られるときがあってほとほと困っていると愚痴を吐いていた。とくにあの、××といったか」
今日医務室に来たあの兵隊の名が出て、思わず肩を強張らせる。不安をなだめるように少尉の手が私の背を軽く叩く。
「あの男に少し嫌な目に合わされたようでな」
「えっ」
「いや、未遂で済んだ。そんなに怯えたような顔をするんじゃないぞ、名前之」
「すみません。兄は、なにもされなかったんですよね」
「ああ、××に襲われそうになって身の危険を感じた彼は、ふふ、あれに噛みついて気絶させたらしい……ふふ」
含み笑いをする鶴見中尉に小首を傾げ、なんのことですかと視線を投げる。鶴見中尉は少しだけ目を眇めた。心の底まで見透かす鶴見中尉の目に射抜かれ、思わず緊張が走る。その目を黒曜石と例えるにはあまりにも弱弱しすぎる、獰猛に輝く黒い眼球が見え隠れする瞬間に私はひどく見惚れてしまう。
ふと、鶴見中尉が眉間についていた脳汁を指で拭っていたので、慌てて清潔な布を取りだし汚れた場所を丁寧に拭く。指についた汁を拭い取り、ひとさし指に布を巻きつけて汁をふき取る。顔を上げれば、鶴見中尉と目がかち合った。先ほどよりも距離が近い。鶴見中尉の力強い視線に引き込まれ、体の神経すらどうにかされたように、四肢が動かなくなる。気付けば鶴見中尉の右手は私の背に回っていた。先ほど、子を慰めるように優しく叩いたものとは違う、私を誘う手のひらの熱。
普段なんてことないその手つきに心臓が高鳴るのは医務室が薄暗いせいだろうか。夜風が吹いて、静寂な医務室の窓を叩く。隙間風が入ってきたのだろうか。サイドテーブルに置いてあるランプの明かりが揺れて、医務室のカーテンに写る私たちの影を溶かす。無骨な手が腰へと降りていく。淡い期待に頬が紅潮し、じっとりと体が火照りだす。
「あの、あれとはいったいなんでしょうか……」
「言わなければわからないかな」
「…………」
黙り込む私を見て、鶴見中尉の目に愉悦が浮かぶ。
「仕方ないな、先生」
ここに来てからというもの、先生と呼ばれると町中でも時折反応してしまう癖ができた。私を呼び止めたわけではないとわかっていても、染みついたものはなかなか抜けない。
教師に教え込まれた算数の解き方をずっと忘れずに覚えている子供と同じで、母に教えられた編み物は死ぬまで忘れない、足音は立てずに静かに歩けと祖父母に何度も言いつけられていたことも、兄に医学は面白いぞと小難しい医療用語を子守唄替わりにさせられていたことも、すべて一生覚えているだろう。
思い出は永遠について回る。同様に、兄の死に顔が私の脳裏にこびり付いて離れないのも似たようなものなのだろう。
「私に跨りなさい」
生徒に言いつけるように優しく命令するその言葉には有無を言わせない強制力があった。
倒錯的な行為に下半身の欲望が膨らむ。私は靴を脱ぎ、鶴見中尉の上に跨った。スルリと項を撫でられたかと思えば強く引き寄せられる。無意識のうちに、あぁ……と吐息交じりの声が私の唇から漏れた。
私は躾けられた犬のように、目の前にあるかんばせを唇で丁寧に愛撫してみせた。
2018.0801