目が覚めると、私は自室のベッドに寝かされていた。
 さらに、少し目線を動かせばなぜか鯉登少尉の姿があった。


「貴様はあれから二日も寝ていた。鶴見中尉? 鶴見中尉はいま旭川を離れている。月島軍曹と共に小樽へ向かった。私も同行したかったのだが、鶴見中尉が貴様を一人にしておくのは不安だとひどく心配しておられたので、私が、わざわざ、残ってやった、感謝しろ。
は? 鶴見中尉の具合……? 苗字野、貴様まだ寝ぼけているのか、鶴見中尉は特に体調を崩したりはしてはいない。頭痛も、眩暈がするとも仰られてはいなかったが……ああ、貴様は二日前の朝、階下で倒れていた。足を滑らせてそのまま下に落ちたみたいだが……覚えていないのか」

 どこから夢で、どこまでが現実なのか。判別がつかない。私の部屋の椅子に座り、机に頬づえをつく鯉登少尉を見て、机の目の前にある窓へと視線を移す。
 鬱蒼とした気分とは裏腹に夏の空は爽快に晴れ渡り、どこからか風鈴の音さえ聞こえてきそうなほど、疎ましい色が広がっていた。

「幸い頭は打っていないようだが、その間抜け面をいつまでも晒しているところを見ると、どこかが欠けていてもおかしくはないな……本当に平気なのか」

 心配するような言葉を言いつつ、鼻で笑う鯉登少尉。鯉登少尉は椅子から立ち上がると、ベッドの縁に腰を下ろした。ギシ、と珍しくベッドが軋んだ。ひとり分の体重が増えてもこのベッドは音を立てたりしないはずなのに。
なんだか体が重い。思考がうまく働かない。首に汗をかいている、気持ち悪い。

 寝間着の懐に冷たい何かが入り込む。胸元あたりでもぞもぞと動くそれは、褐色の枝。いや、枝ではない。手だ。枝がこんなに逞しいはずがない。
腕の先を辿らなくても、ここにいる人間は私と鯉登少尉しかいないのだから、もうわかっている。

「薄々そうではないかと思ってはいたが、苗字野、貴様、やはり女か」

 ぼんやりと鯉登少尉を見つめる。特徴のある眉に深い皺を寄せている。

「部屋に運んだときに思った。肌の匂いが男のそれとは違うと」

 左の乳房を掴まれ、痛みを感じた。そういえばこの寝間着を着せてくれたのは誰なのだろうか。少尉か? 
 意識を失った患者の着替えは容易ではない。

「男を誘う卑しい女の匂いだ」

 乱暴に顎を掴まれ、上を向かされる。鯉登少尉の黒い目が私の黒青色と絡み合う。私の色では彼に負けてしまう。その真っ直ぐで煌々と輝く若い目の奥に薄暗い炎が宿る。

「異人の血が入っているせいだったのか、その瞳の色は。
……美しいと思う反面、脳裏にこびり付いて離れない厭わしい色だ。引き寄せられ、そのまま吸い込まれてしまいそうな錯覚さえ覚える。苗字野、私は貴様のことが憎くてたまらない」

 ぎし、とまたベッドが軋む音がした。鯉登少尉がベッドの上に膝を乗せたせいだ。顎の骨が折れるのではないかと思うくらい、掴む手が強くなる。それでも、私は抵抗も悲鳴も上げないまま、じっと目の前にいる若い将校の顏を見つめ続ける。

「髪を短く切り、男の格好をし、性別を偽り続け、あまつには鶴見中尉の寵愛を受けるなど。何が目的だ。言え、返答次第では貴様を斬る」
「……でも、今日は軍刀を忘れていますよ、少尉」
「……はっ、なんだ、喋れるではないか。舌でも切り落とされたのかと思ったぞ」
「ふふふ、鶴見中尉に?」
「舌切り雀のようにな。むしろそちらのほうが可愛げがあるのではないか?」
「はは……ははは、そうですね……はは、はははは!!」

 互いに乾いた笑いを漏らす。私は天井を仰ぎ、男のように豪胆に笑ってみせた。

 暗澹たる空気が部屋を支配する。開いた胸元に生温かい息が当たった。母乳でも絞り出そうとしているのではないかというくらい強く掴まれた左の乳房には、薄い痣が出来ている。赤子のように吸われ、愛撫されるころになると寝間着の帯はとっくに解かれていた。

 粘着質な音が下半身から鳴り、自ら足を広げれば「売女め」と罵られた。でも教えられたことだから、ちゃんとやらなくてはいけない。そう反論すれば、気分が良さそうだった鯉登少尉の顔がみるみるうちに嫉妬で歪んだ。

「女狐が」
 
 その言葉はもう聞き飽きた。
 哂ってみようとしたが、赤い血が通う刀が肉を割って入ってきたことによって悲鳴に変わってしまった。上下に揺さぶれらながら嫉妬で燃える黒い双眸を凝視する。
 燃え盛る赤い炎。兄もあの炎の中で散って行った。肉体は黒い燃えカスとなり異国の空へ飛んで行った。残ったのは白い骨だけ。
獣のような声が出そうになるのを押し殺していると、ぎょろりと目玉が上を向いた。
呼ばれた。窓を叩いている音がする。小石の窓ガラスに投げて当てている音が断続的に聞こえてくる。

 体はまだ揺さぶられている。暴力に近い悦楽から口からは涎が垂れ、目尻からは涙が零れる。
 ゆるして。仕置きをされたときのように、言葉を紡ぐ。けどその謝罪さえ、彼は拾ってはくれなかった。荒い息が首筋に当たる。
 体が真っ二つになれそうな気分だった。

 窓を凝望していると、黒い靄のような影が表れた。それは次第に人の形に変わり、容貌をはっきりとさせていく。

 途端、私は目を見開いた。驚愕したのかそれとも達したのか。私の体は打ち上げられた魚のようにびくびくと震えていた。包み込んでいる熱い刀身を締めつけると、中を蹂躙するそれの動きが止まった。呻き声がしたが、私の意識は別の場所に向けられていた。

「ぁ、ああ……ぁ……」

 窓ガラスに映る兄。兄は手の甲を叩き合わせながらこちらを睨んでいた。
 ぐにゃりと、視界が暗転した。

2018*0818

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