五話
鶴見中尉お気に入りのみたらし団子を買いに来た鯉登と月島は、蕎麦屋にいた。
鯉登少尉、いつものみたらし団子が食べたい。一五時きっかりに食べたい。
暗に一五時まで帰ってくるなと鶴見中尉は言っていたのだが……鯉登はピクリと肩を揺らし、月島の方を見た。
たとえ子供のお使い程度の任務でさえも、鯉登にとっては重大な役目を任されたに近い感動を覚えるらしい。パアアッと顔を明るくさせる彼(鯉登)を尻目に、月島は耳打ちされる鯉登の言葉をそっくりそのまま鶴見中尉に伝える。
鶴見中尉は鯉登だけに任せたか。月島は、てっきり鯉登だけにお使いを頼んだものだと思っていた。しかし歳下の上官である鯉登が「行くぞ、月島軍曹!」と張り切って兵営から出ていったので、月島は仕方なくに若い背中を追いかけた。
行きつけの店に行ったのはいいが、運悪く鶴見中尉お気に入りのみたらし団子は売り切れていた。鯉登少尉は任務を遂行できないことに焦り、なぜないのだ……!と唇を噛む。
別の団子屋で買いましょうと月島が提案すれば、鯉登は店の主人に他の美味い団子屋を教えてくれと頼みだした。団子屋に団子屋を紹介しろなどとおかしな事を言われたのにも関わらず、店の主人はにこやかに笑みをつくる。ここから少し離れてますが……と店の名前と道筋を説明する主人は、最後に「やはりうちには叶いませんが……」と一言添えるのを忘れない。主人は狐みたいな切れ長の目をさらに細めた。
鶴見中尉お気に入りの店から外れたくない団子屋は、手もみをしながらヘコヘコと頭を下げ、月島達を見送った。月島らが店から去り、主人の姿も小さくなったころ、後ろからなにやら罵倒に近い声が聞こえてきたが月島は聞かぬふりをした。
その後、腹が減っては戦は出来ぬということで、近くにあった蕎麦屋に入ることにした。昼時前だったが、暖簾を潜った店はそこそこ混んでいた。
ふたりが注文したのはニシン蕎麦。月島は店内の壁に貼ってある品書きを眺め、いっぽう鯉登は、紙を取り出し熱心に見つめている。
そうしているうちに、ニシン蕎麦が来た。だが鯉登の顔の前にはまだ例の紙が。
鯉登が持っている紙には、先程店の主人に教えてもらった団子屋の名前がいくつか書いてあるのだ。主人が教えた店は一軒だけだったが、それを見ていた人の良さそうな店員が身を乗り出して、別の団子屋を何軒か紹介したのだ。しかも「ここは蜜が上手くて……」と事細かく鯉登に伝えたものだから、店の主人の眉尻がぴくぴくと痙攣していたのを月島は見逃さなかった。余計なことをしてあの主人に怒鳴られてなければいいが……。とはいってももう後の祭りである。
「鯉登少尉」
「こちらのみたらしのほうが甘さが控えめだと……いやこっちの店は有名な老舗……」
「鯉登少尉……」
「この店まで行けばあの噂の団子も買える。主人が言っていた店よりもさらに遠いが……いや!鶴見中尉どんの口に入る団子だ。この町で一番上手いみたらし団子を買わねば……!!」
「……鯉登少尉!」
「なんだ月島! うるさいぞ!」
貴方が一番煩いです。という無礼な発言は一切せず、月島は目の前に置かれたニシン蕎麦を目で示した。
「蕎麦が伸びます」
注文した蕎麦が運ばれてきたことにも気づいていなかったらしい。鯉登少尉はいつの間に……とぼやいた。
これでようやく食事にありつける。月島はやれやれといった様子で箸を持った。
大きめのどんぶりから香るダシの匂いが嗅覚を刺激し、腹の虫も思わずぐうと鳴る。
白い湯気がたつニシン蕎麦。肌寒い秋の日。冷えた体を温めてくれる蕎麦ほど美味いものはない。
それは鯉登少尉も同じなのか、紙を畳み、それを机の上に大事そうに置くと手を合わせ、いただきますと誰に言うでもなく口にし、黙々と蕎麦を食べ始めた。
若さゆえの未熟さや激情的な部分が目立つものの、鯉登は将来を期待されている海軍少将の息子である。彼は将来、指揮官となる道が用意されているわけだが、鶴見中尉を盲目的に慕う彼が鶴見の下から外れたがるかどうかが問題である。
鯉登は育ちの良さをうかがわせる容貌を持つ男だ。実際、先程蕎麦を持ってきた娘がチラチラと鯉登を見ていた。精悍な顔立ちのせいもあり、女性の目に止まりやすいのようだが……ただし、黙っていれば、鶴見中尉が関わらなければ、の話である。
あれはまだ梅の花が咲く春の日。
鶴見中尉を通じて、鯉登に見合い話が持ち上がった。乗り気ではなった鯉登だが、鶴見中尉が言うならば!と鶴見中尉には嬉々として返事をし、当日は鶴見中尉が言わねば会わんと内心は渋々といった感じで席についた。相手と会い、いざ話をしてみれば、さあ大変。
鯉登が鶴見中尉に心酔していることを知らなかった相手の娘が意地悪げに「鶴見さまの頭、不気味ですね」と囁いたらしいのだ。最初は鯉登も堪えた。鶴見中尉が関わっている件だったからだ。だが、娘が一度ならず二度までも鶴見中尉のことを悪くいうものだからついに堪忍袋の緒が切れ、薩摩弁で相手を怒鳴りつけてしまった。というわけらしい。
見合いの結果は想像通りである。
「可愛そうに、あちらのお嬢さんが怯えていたぞ。全く、君には自制心というものが足りんな。そういうところだぞ、鯉登少尉」
顔の前で手を組み、頭を振る鶴見中尉が真っ青になった鯉登に指を突きつけた。鯉登は床に蹲り、バリバリと爪を立てる。
……そんなこともあったな。
月島は遠い目で蕎麦を見つめた。
だがそんなことを言う鶴見中尉も、いい相手はいないかとしつこさに迫る先方に辟易し、身近にいた鯉登少尉を差し出しただけであり、破談になったのも想定内であるに違いない。
鶴見中尉の顔に泥を塗ってしまった!腹を切る!と、廊下で嘆く鯉登を宥めたのは月島ただ一人であり、通り過ぎる他の連中は見て見ぬふりで去っていった。
月島は脳裏に響く鯉登の猿叫を振り払い、柔らかくなった蕎麦を一気に啜った。
汁の底に短くなった蕎麦が沈んでいる。月島はどんぶりを持ち上げ、残った汁を啜った。
すると、足元に違和感を感じた。何かが当たっている。月島が机の下を覗き込む前に、
「猫だ」
と鯉登が言った。
猫は鯉登の足に体を押し付け、ニャアと鳴いた。どこから侵入してきたのかわからないが、どうやらダシとニシンの匂いを嗅ぎつけてきたらしい。猫が甘えた声を出し、鯉登に媚を売っている。
そんな鯉登は猫に見向きもせず、足に絡まる尻尾を振り払う。猫は諦めずにまた鯉登の元へ。鯉登はどんぶりを持ち上げ、汁を啜っている。
「この猫、いったいどこから入った来たんでしょうね」
月島が猫を見ながら言った。猫と目があったが、ふいと逸らされる。
鯉登の足がしつこい猫を、押しのけた。加減をして払ったせいで、猫は大して驚くこともなく。んにゃあと不満げに鳴いた。向こうに行けと払う足は優しいが、その上の顔はだいぶ不機嫌である。
そのあと、猫に気づいた娘が猫を店の外に追い飛ばし、中途半端に開いていた戸をしっかりと閉めた。どうやら、客がきちんと戸を閉めなかったせいで、猫が入ってきてしまったようだった。
「……猫は好かん」
鯉登が眉を寄せ、ぽつりと言った。どうやら「嫌い」の一言では終わらない深い理由があるらしい。彼の目の奥に、情念がじわりと広がっているのを見て、月島は思った。
鯉登のどんぶりに残っていた汁は全て飲み干され、すっかり綺麗になっていた。
2018*0515