「ねぇ、僕のお嫁さんになって。」
「なれません…。」
───────
霞柱様はとても不思議な方である。
前々から少し独特な雰囲気を持っている方だとは思っていたけれど、最近は一段と不思議ちゃんに拍車がかかったと言ってもいいだろう。
ずばり言ってしまおう。
なんと、あの霞柱様が白昼堂々、事ある毎に私なんかを嫁にしようとしてくるのだ。
路傍の石とかわりない、こんな私に、来る日も来る日もお嫁になってコールを熱烈にしてくる。
どうしてか?
そんなこと、私が一番わからない。
私は普通の、本当に普通の一般隊士で、階級もとくに高くない。
寧ろ下から数えた方がいくらか早いくらいだ。
任務に行けば大体、5割くらいは満身創痍で帰って蝶屋敷にお世話になるような弱い上に使えない隊士。
それが何故、霞柱様のような方からお嫁さんになってほしいと言われるようになったのか。
正直、今でも全然本当に、これっぽっちもよくわからない。
ただ、思い返せば甘味処で痛む傷に泣きながら餡蜜を食べていたのがきっかけだったのだろうとは思う。
それから何度も霞柱様は、私を見る度、覚えてもいないのに声をかけてくださった。
そしてある日を境に、何故か私を忘れることもなく、瞳にきらきら煌めきをともした霞柱様は事ある毎に必ずお嫁になってと伝えてきた。
断っても、避けても、何があっても絶対に私を見つけ出して時間の限り私に嫁になれと言うようになった。
「おはよう名前。」
「おはようございます、霞柱様。」
「うん、可愛い。お嫁にこない?」
「…お嫁にはいけません、申し訳ございません。」
「任務、行かなきゃ…。」
「あれ、名前。今から任務?僕もついて行くね。帰ったらお嫁さんになってよ。」
「げ、…霞柱様。いいえ、お気持ちだけで十分です…柱のお仕事をしてください。お嫁にも今はちょっと…。」
「きょ、今日こそは見つからないように…」
「それで隠れたつもり?可愛いね、お嫁さんになるべきじゃない?」
「ひぇ………なるべきではないとおもいます……。」
「……甘味、甘味が食べたい。も、もう傷は癒えてるはずだし、ちょっと抜け出すくらいなら、」
「その体でどこ行くの?早く布団に戻って。」
「……か、霞柱様…。どうして。」
「どうしてもこうしても、お嫁さんの看病するのは当たり前でしょ。」
「私、一体いつお嫁さんに…?」
「ねぇ、夫婦なら名前で呼び合うのが普通じゃない?」
「え、…夫婦ではないので普通じゃないです。」
「いいから呼んでよ、無一郎って。お願い。」
「どうかご容赦を…。本当にそれはできません。他の隊士が何と言うか…。私、人間に殺されるのは嫌です。」
「そう言えば僕、ふろふき大根好きなんだよね。」
「まぁ、良いですね、ふろふき大根。」
「今度作ってよ。お味噌汁も毎日飲みたい。」
「……お嫁さんにはなれませんけど、それくらいなら、良いですよ…。」
「うっ、ぐずっ…。」
「またこんなに傷だらけにして……。」
「…はい、五体満足なのが不思議なくらいです。」
「……お嫁さんになってくれなくても、僕が守ってあげるよ。」
「…ぐすっ、いい、え。だめ。それは、だめです。」
「僕が来たからもう大丈夫だよ、よく耐えたね。」
「ゲフ…ゴホ…はぁ…え、あれ…なんでうちの鴉、霞柱様のところへ…?」
「僕が教え込んだから。僕のお嫁さんが危ない時は僕を呼べって。」
「…っ、きょ、は流石に、もう、突っ込みませ、からね…。ゲホっ、は、でも…あ、りがとう、ございます。」
えとせとら、えとせとら。
思い出せば思い出すほど、一体こんな私のどこが良いのか、甚だ見当がつかなくて頭を抱えた。
すぐ泣いてしまうし、とても弱いし、体はもうあちこち傷だらけで見れたものじゃない。
手も足も、顔だって美しくはない。
そもそもきっと、遠くないうちに死ぬと思う。
私が男ならこんな女、頼まれたってお嫁さんにしないのに。
なのに、あのひとは。
「僕のお嫁さんになって。」
とびきり優しい瓶覗の淡く美しい瞳で、一等甘く穏やかな声で、その身すべてで私が愛おしいという。
真っ直ぐなこころを、慕情を、ひとつ残らず私に手渡してくれる。
どうして私なんだろう。
だって私は、素敵なあの人に愛を向けられるに足る、素敵な女の子じゃないのに。
あのひとの良いところなら両手の指がいくつあっても足りないくらい思いつくのに、自分の良いところなんて指一本で足りてしまう。
生きていること、ただそれだけ。それだけの人間だから。
不思議な方だ。
霞柱様は、とても不思議な殿方だ。
生きるしか能のない私なんかに、不出来な私なんかに、綺麗な恋をしてくださるのだから。
今日だってそうだ、私の元にふらりと突然やってきて、ご飯を食べようと誘ってくださった。
「…申し訳ございません、せっかくなんですけど、私、任務が…。」
「甘味処の方が良かった?」
「あの、ご飯が嫌だからお断りしたわけじゃないです…。でも甘味処の方が良いです。」
「じゃあ終わったら甘味処、一緒に行こう。新しい甘味処見つけたんだ。餡蜜が評判なんだって。名前、きっと好きだと思うよ。」
「え、あの、」
「だから早く帰ってきてね。約束。」
「……あ…。」
掬われた小指に、霞柱様の節ばった小指が結ばれる。
触れ合った指の熱に、とけそうなほど全身があつくなった。
指を離された後も小指から霞柱様の感触がはなれない。
「…でも心配だし、僕も一緒に行こうかな。」
「だ、大丈夫ですから…!」
「なんでそんなに毎回嫌がるの?…いいよ、困らせたいわけじゃないから。でも、絶対に帰ってきてね。危なくなったら鴉を飛ばして。」
「………は、い。善処、します。では、頑張って来ます…。」
「うん、待ってるね。」
花が綻ぶように、大きな瞳を嬉しそうに緩ませたその綺麗な笑顔が、私は好きだった。
年相応ににっこり笑った霞柱のお顔を、だれより近くで見られることが嬉しかった。
だからこの約束も、本当に泣いてしまいそうなほど嬉しくて、大切だった。
───────
だからすぐ、帰るはずだったのに。
「…あーあ……。いやに、なるなぁ。」
ゴポリ、と口から鉄臭い血液が溢れていく。
掠れた声が喉を鳴らしたら、咳になってまた血溜まりが広がった。
血なまぐさい。口の中がまずい。本当なら餡蜜を頬張っていたはずなのに、口内は溢れかえった生ぬるい液体で満たされている。
死んでも刀だけは離さぬようにと、布で括りつけた日輪刀を必死に握った右手はもうほぼ感覚がない。
爪も割れて、これが本当に女の子の手なのか疑うような酷い有様だった。
脇腹と左肩に空けられた穴からは絶え間なくどくどく血が流れていく。
呼吸で止血を試みてはいるけれど、正直もう痛みでそれどころじゃない。
頭では少し頑張って呼吸を整えれば良いことはわかっているけど、体は限界だというように震えて言うことを聞いてくれない。
あまりに情けなくて、泣いてしまいそうだった。
鎹鴉を飛ばしたけれど、間に合わない可能性が高いな、なんて普段より冷静な思考がそんなことを考える。
そう言えば、あの子は毎回霞柱様を呼びに行くけれど今日は流石に空気を読んでくれるかな。
どうかあの人には、最後に見せた笑顔を覚えていてほしい。
「……私の死体なんか、運んでもらいたくない、から…ほんと、頼んだよ…。」
血溜まりがまるで母の腕の中のようにあたたかくて、懐かしい。
鉛のように重い体はもうここで休みたいと泣きごとを言う。
ダメだと思っても指先ひとつ動かせなくて、どうしようもない貧弱さに少しだけ笑った。
眠たいなぁ。
でもきっと、寝たらだめなんだろうな。
元々夜だったこともあり暗かった視界は更に暗くなっていく。瞼が重くて今にも閉じてしまいそうだ。
嬲られた傷口が焼けるように痛かったのに、今度は不思議と体が寒さを感じ始めて、所詮私の最期なんてずいぶん呆気ないものだとぼんやり空を見た。
霞んでいく視界の中、どれだけ見上げたかわからないその景色はいつもと変わりなくてすこしだけ安堵する。
くらいくらい、夜の闇が広がっている。
ひとりは少し寂しいけど、仕方ないか。
多分きっと私は、ここで死ぬ。
ああでも、死ぬって、思ってたよりも怖くないなぁ。
弱いし、いつか死ぬとは思っていたけれど、まさかよりにもよって今日だとは思いもしなかった。
でも私の割には頑張った方だろう。
鬼の頸を切って逝けるのがせめてもの救いだった。
でも、霞柱様は怒りそうだな。
だって、甘味処に行く約束は破ることになってしまった。
一方的だったけど、それでも小指を絡めたその約束のおかげでここまで頑張れたのに、行けずじまいなのが少し残念だ。
帰ることは出来ないけれど、実力の割には善戦した方だから多目に見てほしい。
でも、本当は、任務終わりの至福の餡蜜、霞柱様と食べたかった。
新しい甘味処、私のためにわざわざ見つけてくださったのに、申し訳ないな。
そう言えば、私が死んだら、霞柱様は泣いてくださるかな。
ああでも、私の死なんかであの美しいかんばせを曇らせてしまうのは嫌だなぁ…。
あの人には、ずっと笑っていてほしい。
「…むいちろう、さま」
最期くらい、名前で呼んでもいいかな。
許してくれますか。
きっと、すごく喜んでくださったんだろうな。
あの人の笑った顔、大好きだったなぁ。
でも結局、あの人の前で名前を、ただの一度だってお呼び出来なかった。
呼んでと迫る少し寂しそうなその声に、気付いていたのに。何度も何度も胸の中で、夢の淵で、ずっと呼んでいたのに。
ねぇ、無一郎様。
秘密にしていましたがお料理は得意なんです。
あなたが好きだと言ったふろふき大根も、きっと美味しく作れます。
繕い物も、お洗濯も、お掃除も、私は家事炊事の方が鬼を狩るより得意です。
いつか添い遂げたいと思う殿方のためにと、欠片も残さず亡くなった母から教わった、母の形見とも言えるそのすべてを、あなたのために生かしたいと思っていました。
ですが臆病な私は、あなたから差し出される両手には抱えきれないくらいの慕情が、恋が、愛が、どうやっても受け取れなかったのです。
私は戦いに向いていません。鬼狩りに向いていません。
あなたが仰るように、弱い私は任務に行く度に満身創痍で帰ってきて、いつも呆然と泣いてしまいました。
死ぬことは、もちろん怖いことです。
痛いのも好きではありません。
最初は本当にただ鬼を狩ることが怖くて、傷が痛くて、ご飯が美味しくて、生きていることが嬉しくて、泣いていました。
でもいつからかそれ以上に、非力であることを恥じるようになりました。
あなたのことを考えて心臓が高鳴りを増すことを知ったあの日から、あなたのことを考えない日などありませんでした。
柱であるあなたは、私よりもっと過酷な死地に赴き命を危険に晒していることを思うと胸が潰れそうになりました。
あなたを喪うことが、私は何より怖くて泣くようになってしまった。
もちろんあなたはとても強い方です。だからどう考えても私の方が先に死んでしまうだろうに、私は自分の死より、あなたの死だけが怖かった。
あなたの手を取って、もしもあなたを喪ってしまったら。
そんな、考えても仕方のない未来が怖くて、終ぞその手を取れませんでした。
あなたの手を、わたし、本当はずっと取りたかった。
あなたの腕の中で、やさしくあなたを抱きしめたかった。
今からずるいことを言います。
届かないけど、それでも、ずっと大事にしていた私のとっておきの秘密。
きっとこれが最期の言葉になります。
あなたに言えなかったことだけが、ただひとつ、心残りです。
ごめんなさい、無一郎様。
「…あなた、の…お嫁さんに…なりたかった、なぁ…。」
───────
名前と一緒に甘味処に行ける。そう浮き足立っていた僕の前に現れた一羽の見慣れた鎹鴉に、ぞわりと嫌な予感がした。
カァーッ!と鳴く声を聞いたそれだけで、指先まで凍りつくように冷えていく。
心臓が破けそうなほどに激しく鼓動を打ち鳴らすのを感じたその瞬間、仔細も聞かず僕は外へと飛び出した。
「すぐ行くから。」
深い深い、飲み込まれそうな宵闇の中を駆ける。
鎹鴉が告げる名前の任務地は、幸いあまり遠くない。
脳裏に浮かぶのは、熟れた林檎のように可愛い顔をして、甘味処に行こうと指を絡めたときの、花開くように笑った名前の姿だった。
───────
名前は可愛い女の子だった。
可憐で、華奢で、刀を握り鬼を狩っているだなんて思えないほど、儚い女の子だった。
任務の前に泣いて、任務の後にも泣いて、ご飯を食べて笑うような、弱くて脆くて普通の子だった。
特に何があった訳じゃない。
ただ単に、気まぐれに赴いた甘味処で、鬼殺隊の隊士が泣きながらも幸せそうに笑って、それはそれは美味しそうに餡蜜を頬張る姿に惹かれて声をかけただけだった。
「なんで泣きながら食べてるの?」
「ぅ、ぐす……か、霞柱様…?」
「うん。それ、そんなに不味いの?」
「ふ、ぅ…いい、え。とっても美味しいです…けど…」
「美味しくて泣いてるの?」
「……いいえ。怪我が、痛くて。ひっ、ぐす…。」
「ふぅん。…じゃあ、僕も同じのにする。」
「……あ、の…席、他にも空いてますよ…。」
「なに、僕と相席は嫌なの?」
「ひっ…ぅ、うぇ…ぐすっ…い、嫌じゃないです、光栄ですぅ…。」
「そう。」
変だし、怪我くらいで泣くなんて弱いとその時は思った。そもそも本当に鬼殺隊の隊士なのかと思うほど、名前は触れれば容易く折れてしまいそうな美しい少女だった。
でもぽろぽろ涙をこぼすくせに、餡蜜を幸せそうに笑いながら食べるその顔をみて、妙に心臓が高鳴った。
それがすべての始まりだった。
当然、すぐに忘れてしまったけど、名前を見かける度に何故かいつも声をかけた。
きっと忘れても忘れても、心の一番奥底には積み重なった名前への想いが残っていたからだと思う。
僕は何度も、ぼろぼろ泣いて、それでも幸せそうにご飯をたべて、可憐に笑う名前に恋をしていた。
どれだけ傷だらけになっても、いくら怖くても、顔も名前も知らない誰かのために懸命に命を賭して戦う名前の苛烈なまでのやさしさに焦がれていた。
僕を見る度目をまん丸にして驚いて、柱に話しかけられて怯えて、それでも律儀に返事をして、嫌な顔ひとつせず名前を教えてくれた名前を好きになっていた。
「ねぇ、なんでそんな所で泣いてるの。」
「うぇ、っ、か、霞柱様…?」
「ちょっと、治療してからご飯食べなよ。」
「か、霞柱、様…。」
「それ、美味しそうだね。」
「はい…美味しいです、霞柱様…。」
「ぼろぼろ。君弱いね。」
「…ぐす…ひぅ……お恥ずかしい、限りです。霞、柱さま…。」
「鬼殺隊、なんで辞めないの?」
「ずびっ、ぐすっ…どれだけ辛くても、死ぬまで鬼を狩ると決めたので。」
思い返せば思い返すほど、名前のことが好きになる。どうしようもなく胸が疼く。何度忘れても募らせた君への想いを、どうか受け取ってほしい。
だから記憶が戻ったその時から、名前がどうしようもなく好きだって気付いたその時から、名前をお嫁さんにしようって思った。
お互いに、いつ死ぬかもわからない。
明日すら約束できない。
本当は、永遠も、一生も、ずっとも、言えないし誓えない。
胸に抱え込んで、墓場まで持って行った方がいいことはわかっていた。
だけど僕は、いつか死の淵で言えなかった言葉を悔やむより、君を想いながら、君との日々を思いながら、好きだなって笑って死にたい。
きっと、言えずに後悔するより、言って後悔した方がずっと良いから。
何より、あんなに素敵な女の子を放っておけるわけがなかった。
名前に会いたい、今すぐ伝えたい。療養しながらもそんな思いが膨れ上がって、ようやっと名前に会いに行けるようになったその日、名前は任務帰りでまたふたつの大きな瞳をくしゃくしゃにして泣いていた。
あまり酷くはないみたいだけど体には包帯が真新しく巻かれていて、頬にも大きな湿布。
痛々しい姿で俯いて、ぐすぐす泣くばかりで震える喉から言葉は何も出てこない。
「…泣いてるの?」
「ひ、ぅう、ぐす…か、霞柱様…ぐすっ。こんにちは…。」
「またたくさん怪我してる。」
「み、みっともなくてすみませ……え、また…?」
「全部思い出したんだ。…思い出したんだよ。うん、今回もよく頑張ったね、名前。えらいよ。」
「…ぐす…。何で…名前…?よ、よくわからないんですけど……ありがとうございます…?」
「でも僕と結婚したらもう傷つかなくていいよ。ずっと守ってあげる。ねぇ、君が好きだよ。だから僕のお嫁さんになって。」
「…………え…?」
泣き濡れた顔が、耳まで真っ赤に染まる。ぽろりと溢れた涙で煌めくまつ毛の先まで綺麗な、君の泣き顔。
今もまだその顔がまな裏に焼き付いて離れない。
君の表情ひとつひとつが、胸を焦がして僕はまた君を好きになる。
「お、お嫁さんには、なれません…。」
小さく震えた声がそう返したけど、そんなことは構わなかった。
「きっと君は僕を好きになるよ。」
予感はあった。自信もある。何より、僕を見つめるその表情は、君を見つめる僕と同じだったから。
それからはとにかくお嫁さんになって、と言う日々で、もう毎日毎日、時間が許す限り名前を口説いて求婚した。
人に心配されるぐらい、人目も憚らずにたくさん求婚した。
「うっ、ぅぇ、ぐすっ…」
「また泣いてるの?お嫁にくる?」
「ぐす…お嫁にはいきませんが、お気遣いありがとうございます…。」
「任務の後のご飯は格別…しみるなぁ…。」
「いっぱい食べなよ。あ、そう言えばお嫁さんになる?」
「なんでここにいるんですか…。あとお嫁さんにはなりません…。」
「うっ、いたい……痛いけど、これぐらいかすり傷だもん。餡蜜…餡蜜がまってる…。」
「こら、餡蜜なら後でいくらでも食べさせてあげるから早く治療するよ。終わったらお嫁さんになろうね。」
「何故自然に隣に…?しかもどこから?しれっと餡蜜代出す気でいないでください。お嫁にもなりませんよ…。」
「かわりの隊服届いたけど…恋柱様とお揃い…?うそ、前田さん……。だって私来月やっと十四になるんですよ…?こ、これはまだ早いんじゃ……。」
「へぇ。いい眺めだけど、僕以外には見せちゃ駄目。はいこれ、僕とお揃いの隊服ね。とりあえずお嫁においで。」
「あ、…いらしてたんですね…。え、でもここ私の家…いやもうどこから突っ込めば…?とりあえずお嫁にはいけません。」
何故断られているのに諦めないのか、聞かれたことがある。
断られていた自覚なんて微塵もない。
だって、名前はもう僕のことが好きだから。
お嫁さんにはなりません、そう言う名前の綺麗な顔には、僕が好きでたまらないと書いてある。
お嫁さんになってと伝える度に、白い肌はすぐさま真っ赤になって、恥ずかしいというようにまつ毛で翳る目が潤む。
僕を見上げる熱っぽい双眸にともるのは紛れもなく恋の熱だ。
眉根を悩ましげに寄せて、淡く色付いた柔らかそうな唇を震わせながら、僕が好きで好きでたまらないという顔をするくせに口ではいじらしくダメですと呟く名前を見るのが、僕はたまらなく大好きだった。
───────
駆けつけて一番にこの目に飛び込んできたのは、息も絶え絶えに僕のお嫁さんになりたかったと呟いて目を閉じた名前の姿だった。
血溜まりに沈んだ名前の色の抜け落ちた顔を見て、頭を鈍器で思い切り殴られたような衝撃を受ける。
「っそういうのはちゃんと僕の前で言ってよ…!」
糸が切れたように力の抜けた名前に駆け寄ってそう言っても、もう返事がなかった。
ぐったりと体を弛緩させる名前に、心臓がずきりと痛みを訴える。
「名前、目を開けて!」
嘘だ、そんなの。
慌てて真っ赤な口元に耳を近付けて、手首から脈をとる。
微かな、今にも消えてしまいそうな吐息と微弱すぎる脈に、ほっと息がもれた。
けれど全身ひどく傷だらけで、骨も何本も折れているし左肩と脇腹の損傷が激しい。特に脇腹からの出血が酷い。
早く蝶屋敷に運ばないと危ない。
動かすにしても手早く出血を抑えなければいけなかった。
もう何度か名前を助けに来てその度に傷の処置をしていたから、ある程度の適切な処置の仕方はおぼえいるのに、今日だけはどうしようもなく手が震えて仕方ない。
「ねぇ、起きて!目を見て、僕の声を聞いて!」
「絶対死なせないから、だから頑張って!」
「名前、名前ならあと少し頑張れるでしょ?寝ないで、目を開けて!!」
声をかけながら処置を済ませていく。起こして呼吸で止血させた方が良いけど、完全に意識が飛んでいてそれも期待できそうになかった。
だらりと力なく投げ出された右手には、ぐるぐるに巻かれた布と刃こぼれした日輪刀。
泣き虫のくせに、怖がりのくせに、死んでも刀だけは離さないという強い意志が見て取れて、喉の奥がぐっと鳴る。
ああ、そうだった。知っていた。
こんなに儚くて、美しくて、刀なんか似合わないような女の子だけど、名前はそんな子だった。
血みどろで、泥の中を必死に這いつくばって、泣きながら前を見ているような子だった。
弱くて脆くて普通だけど、泣き言なんてただの一回も口にしなかった。
この子は絶対に握った刀を手放さない。鬼の頸を自分の命とひきかえでも切れる、怖くても痛くても鬼を狩れる、そんな覚悟ができる、ちゃんと強い子だった。
嗚呼、でも、でも。
「そんな覚悟ができるなら、どんなふうになっても僕の元へ生きて帰る覚悟をしてよ…!」
明日、生きているかもわからない。
そんなこと知っていたのに。
こんなに頑張った名前のことを褒めなきゃいけないのに。
でも、それでも、思わずにはいられない。
言っても詮無いこと。けれど言わなければ気がすまなかった。
涙の膜がじわりと張られていく。乱暴に拭い処置を終わらせて血の海の中から彼女を抱き上げると、一瞬視界が眩んだ。
軽い。あまりに軽い体。命の重みが、消えかかった体だ。
僕と同じ年頃の女の子なのに、気絶した人間は全体重がかかって運びにくいはずなのに、中身が入っているのかどうか怪しくなるほどの体の軽さに、更に目がじんと熱くなった。堪えた声をのんだ喉奥がつきんといたい。
後始末はこの後に来る隠がしてくれる。
あまりにも血腥い鉄の臭いをはなつその場所からそっと背を向けて、僕は蝶屋敷へと名前を送り届けた。
───────
名前は、一度その心臓をとめた。
けど、持ち直してなんとか一命をとりとめて、今は容態もだいぶ安定してきている。
あれからもうふた月も目覚めない名前の元に、僕は足繁く通っていた。
そろそろ蝶屋敷じゃなくても清潔な空間と、ある程度処置に必要なものがあれば大丈夫と言われたため、名前は近々僕の屋敷へ移すことにした。
起きたら名前はどんな顔をするだろう。
いつもみたいに少し困ったように優しく笑うのかな。それとも今度ばかりは勝手に屋敷に連れてきたことをちょっと怒る?けど、名前のことだから血相変えて謝るかもしれない。
どれだって良かった。なんだって良い。どんな君だって好きだから。
生きててくれる。
それだけで僕は、こんなにも君が好きだよ。
「ねぇ、弱いのに何でこんな無茶したの。」
「………。」
「いつもぼろぼろになって痛いって泣く癖に学習しないね。」
「………。」
「早く目開けて、起きて、いつもみたいに泣いて、ご飯たべて笑って。」
「………。」
「それで、僕のお嫁さんになってよ。」
「………。」
「…無言は肯定と取るよ。ばか。」
いつもみたいにお嫁さんになりません、って、僕を好きで好きで仕方ないって可愛い顔して答えてよ。
あんな死に際の、今際の言葉のように呟いたあれを返事だとは思いたくない。
そもそも、なりたかったは過去形だ。
僕のお嫁さんになりたいって返事以外は受け取らないから、そのつもりでいてほしい。
覚悟しててよね、絶対に言わせてみせるから。
「……早く起きて、名前。」
甘味処に行く約束、まだ有効だからね。
名前が泣きながら笑って餡蜜を食べる姿を久しぶりに見たい。あんなに美味しそうに食べる子、はじめて見たんだ。
たくさん泣いて、たくさん食べて、たくさん笑っていてほしい。
その姿を、ずっと見つめていたい。
すうすうと眠る、包帯だらけの頬にそっと唇をよせる。
消毒液と、かすかに血の匂い。そして彼女の、あたたかい命の匂いがした。
目覚めた君に伝える言葉はもう決めてある。
君はただ、笑って頷くだけでいいよ。
おはよう、おかえり。
よく頑張ったね。でももう無茶しないで。
僕にずっと守られていて。死ぬことを受け入れないで。
一緒に生きて。叶うなら一緒に死にたい。
弱くて臆病で、誰よりつよい君が大好きだよ。
ねぇ、僕のお嫁さんになって。