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『文化祭?』
「うん。再来月にね」
『授業なしってことだよね?やった。この学校ってどんなことしてるの?』
「一日目はステージ発表、二日目は体育祭、三日目はクラスごと色々かな」
『美代ちゃんも美術部の発表があるとか?』
「うちらは空き部屋に飾るだけ」
美術部といっても活動は盛んじゃないから、コンクールと文化祭に合わせて作品を作るようにしているだけ。絵を描くのは好きだけど強要されるのは嫌いな私には、それぐらいの方が性に合っているから別に良い。
「そうだ。体育祭は百合ちゃんの出番だよ」
『あー…その日は腹痛がくる予定が…』
「ちょっと」
『冗談。そんな顔しないで、可愛い顔がもったいない』
そう言って笑う百合ちゃんの方が数億倍可愛いのに、不思議とひがみは感じない。なんでだろう、綺麗な人に“貴方も綺麗だよ”とか言われても、寧ろ下に見られているようで嫌な気分になるのに。
『美代ちゃんの作品見に行くね』
「えーそういうのいいよ、なんか恥ずかしいし」
『なに言ってるの。友達が頑張ったのに、見に行かない理由なんてないよ』
多分、これは百合ちゃんの中身によるものだと思う。素でこれを言っているから憎めないのだ。
見た目は彫刻のように美しいのに、それを鼻に掛けない不思議で天然な言動。それにどっちかっていうと、女子らしさよりお茶目な子供っぽさの方があるし。ギャップってこういうことを言うんだろうな。
「ていうか百合ちゃんこそ、何か出し物とかしないの?」
『いやいや転入早々それは強すぎる』
「芸達者じゃん」
『人を歩くサーカス団みたいに言わないでよ』
何を今さら。寧ろ、サーカス団でトリを務められそうなのに。文化祭では毎年、有志の人たちがステージで何らかしら発表をしていて、去年はたしか三年女子の先輩たちがダンスを披露していたし、他にもクラスでショーをしているとこもあったりと色々だ。
百合ちゃんは楽器だって弾けるし、歌も上手いし、ダンスもできるんだからやればいいのに。あ、でもプロ並みに上手すぎて文化祭で披露するには勿体ないかも。
何もする気のない百合ちゃん。しかし、そんな彼女の意思を変えるような出会いが、私の知らないところで起きていたとは思いもよらなかった。
***
「ここのステップはこうやろ?」
「あ、ほんとに?」
「こうで、こうなるんよ多分」
「ワン、ツー、スリー……あれ?でも曲のテンポと合わない気がする」
放課後、いつものように体育館裏のコンクリートの上でダンスの練習をしていた僕と善。ダンス練習をしようにもスタジオなんかに所属していない僕たちは、室内でできる場所が他にないからこうやって外でやるしかない。
ここは先生が使う喫煙所の近くだから、他の生徒は先ず近寄ってこないし、建物の大きなガラスで動きを確認できるから、意外と穴場なのだ。そうして昨日の続きからやっていこうとしていた、その時―――
「そこ、サイドからのシーウォークじゃない?」
突然上から声が聞こえてきたのだ。
見上げた先にいたのは、体育館二階裏口の階段に立つ一人の女子生徒。ジャージの色からして僕たちより一つ下の学年。普通なら見知らぬ後輩からいきなりタメ口で声をかけられれば流石に腹立たしい筈なのに、そんなことはどうでも良いと思えるほどに、彼女の美しすぎる顔面に驚いてしまった。
「それってBIGBANGの曲だよね」
彼女はそう言って僕たちの方まで降りてきた。女子のわりに背は高いようだ。呆気に取られている僕たちに対し、女子生徒はごく自然と入ってきたと思えば、鞄の上に置かれたパソコンを操作して、
「ほら、ここの動き。結構分かりづらいんだけど、こんな感じでさ」
曲に合わせて難なくステップを踏んだのだ。画面に映っていたプロと同じで、無駄な動きが一切なく、しなやかに。ダンスをしている者なら分かる。この子只者じゃないって。
「ね?」
「え、…ていうかキミ誰?」
「間宮百合。この間、転入してきた者です」
それを聞いてやっと納得がいった。二年間この学校に通っていたら、こんな顔面国宝みたいな子がいれば絶対に顔と名前ぐらいは知っている筈だから。
この前、一つ下の学年にとんでもない美少女が入ったって、クラスのやつらが阿保みたいに騒いでいたのを耳にしたけど、まさかこんなに早くお目にかかるとは。
「この曲かっこいいよね。サビのとこは勿論だけど、個人的にはラップが…」
「いや、あの…」
「?」
「僕たち、一応先輩なんだけど…」
「………え?そ、そうなん、ですか?!」
「ジャージの線。お前は緑やけど、俺ら赤じゃん」
「お、おぉお……知らなかった」
「転入生だし、別にかまへん。やけど俺ら以外やったら目つけられとったかもしれへんから気ぃつけな」
「あ、はい。ありがとうございます」
三年の先輩にはそういうの煩い人いないけど、うちの学年の方がめんどくさいのがいる。一番荒れてる学年と先生たちに影で言われているぐらいだ。ヤンキーの女子だっているし、目をつけられると大変だ。
まぁこの子の場合、容姿だけで目をつけられてる可能性は否めないけど。
「えっと…それで、先輩たちはダンス部とかですか?」
「…なんか急に敬語にされると、それはそれで気持ち悪いかも」
「せやな。やっぱタメでええで」
「まさかの振り回された…」
「ちなみに俺らは帰宅部。ダンスはまぁ…趣味みたいなもんや」
「……へぇ」
「んなことより、さっきのどうやるんか教えてや。俺らここよう分からへんねん」
善がそう言ったことで始まった、転入生と僕たちの不思議な関係。
ダンス上級者らしい彼女に教わりながら進めやダンスは、いつも以上にスムーズで、そしてびっくりするぐらい上手くできるようになった。
結局、その日は終礼の鐘が鳴るまで三人でダンスをしていた。この鐘が鳴ったらどの部活も帰宅しなければならない決まりだから、強制的に追い出される前に僕たちも帰路につくことにした。
『じゃあ二人はいつもあそこで練習してたんだ』
「うん。ここらじゃストリートできる場所もないし、なんだかんだあそこは踊りやすいしね」
『ふぅん』
「間宮はどっかのクラブ入っとったんか?」
『入ってないよ』
「じゃあ自己流?すご」
『うーん…なんていうんだろう、ちょっとした修行に行ったというか…プロの人に教わってたといか…』
「マジ?誰に?僕でも知ってる人?」
『…おそらく』
間宮さんが教えてくれたその人物の名前。善は知らなかったようだけど、僕はその名前を聞いて思わず叫びそうになってしまった。
その人は“キング・オブ・ポップ”とも呼ばれた音楽会の頂点に立つ人にも教えをした、つまり師匠にあたる人で、ダンスの世界じゃ神様とまで言われている人だ。間宮さんは数年前、その人から直々に教えてもらったらしい。
どうやったらそんな人に教えを乞えるんだ、と疑いたくなるような話だったが、今日見ただけでも彼女の実力はよく分かったし、その歳でプロ並みの実力を持つなら、信じるほかない。
「でも、それだけ凄い技術持ってるなら、どこかで披露すればいいのに。もったいない」
『今はゆっくり地元で過ごそうかと思って。それに家族や昔の同級生と過ごすのも楽しいから』
「なーに大人ぶっとるんや?子供のくせに」
『そういう善さんこそ、子供でしょうに』
「はぁ!?お前よりは大人やぞ!?」
「善、ムキになると説得力なくなるから」
『そうだそうだ。楓太さんを見習うといい』
「やっぱお前タメ口禁止!完全に舐め腐っとる!」
『すいません帰国子女なんで、敬語はちょっと…』
「さっきバリバリ使っとったやろ!?」
いつもは僕と善だけだった帰り道も、間宮さんが加わったことで三人になり少し賑やかに感じた。
***
それからも間宮さんは時々、僕たちが練習しているところへ顔を出しては、指導者になったり善を茶化したりと、僕たちの放課後はいつの間にか三人でいることが多くなっていた。
そして文化祭までちょうど残り一か月というところで、事件は起きたのだ。
給食が終わったあとの昼休み、僕と善は同じクラスだから最近の音楽を語ったり、ダンスについて話したり、いつも二人だけで過ごしていた。まぁというより僕たちは、お互い他に友達がいないからだけど。
けどその日、突然教室がざわつき出したかと思えば、僕たちの目の前に立っていたのはまさかの間宮さんだったのだ。
「え?」
「な、お前なにしとんねん」
『昨日言ってたプレイリストのお届けです。あ、ここにハンコください』
「あー、それはおおきに。遠路はるばる配達ごくろーさん、ってアホか!サインなんかいらんやろ!」
『おぉ、これぞ本物のノリ突っ込み』
至極真面目な顔でCDを差し出す間宮さん。この子は顔が整い過ぎて笑ってないと逆に怖い。ていうか先輩の教室に堂々と入ってくるとか、自分がいかに注目を浴びているか分かっているんだろうか?
ここで敬語を使っているあたりは、一応先輩の前ということは理解しているようだけど。
『今日は日直で遅れそうなので、先に渡しておこうかなって。優しい後輩でしょう?』
「てかお前、もしかして普通に入ってきたんか?」
『はい。あ、ノックした方が良かったです?“コンコン”、よしこれでオッケーですね』
「口で言ってどないすんねん!」
『任務は終えたので間宮宅急はこれでお暇しますね。授業寝ないようガンバですよ、ちなみに自分は無理そうなんで保健室に行きます』
「サボる気満々やん」
相変わらず意味不明なことを言っている間宮さん。先輩の教室に入ってきても崩れないそのスタンスは一体どこからくるんだろう。
すると、そんな僕たちのもとへ近づいてきたのは、クラスメイトの男子たち。嫌な予感がした僕は、もっと早く間宮を教室へ帰してやれば良かったと後悔した。
「キミ、間宮ちゃんだよね?何々、こいつらと知り合い?」
「聖ぃ〜俺らにも紹介してよ」
「……間宮さん、そろそろ教室に戻った方がいいよ」
「はぁ?何、急に。俺らに紹介してくれたって良くね?え、もしかして二人付き合ってんの?」
「ほら早く、」
間宮さんの背を押して廊下に連れていこうとすれば、今度は別の奴らが前を塞いでくる。こいつら、いつもなら僕らのことなんて無視するくせに。噂の転入生が来たと思って、きっと馬鹿なことを考えているに違いない。
「なぁ聞いてんだけど。付き合ってんの?」
「えーマジで?それはなくね?」
うるさい。
「間宮ちゃん知ってる?こいつらの噂」
黙れ。
「おいお前らなんや急に!」
「関西人は黙ってろよ」
「まじキモいんだけど。あ、それともヤキモチですかー?愛しの聖くんが取られたとかぁ?」
「やっぱ噂はマジもんじゃんー、きっしょー」
…やめろ。
「こいつらいつも一緒にいるっしょ?それって実はさ、」
「やめろ!!」
自分のどこから出た声なのかは分からない。でも僕の声でクラスの騒がしさは一気に失われ、一瞬の静寂が訪れた。
しかし僕の目の前にいた男は、いきなり襟元を掴んできたかと思えばさっきまでの阿保みたいな声とは違い、脅すように言ってきた。
「お前、ホモのくせしてなに盾ついてんの?」
「……ッ」
「あ、げ!触っちった!汚っ、ホモ菌がうつる!」
「ギャハハハ!さっさと洗わねぇと!」
下卑た笑いが耳につんざく。こいつらが何を言おうと、今まで気にしてこないようにしてきた。馬鹿の言うことなんて、いちいち気にしてたらキリがない。
―――でも、
「間宮ちゃんもさ、こんな奴らといたら汚くなるよー?やめときなって」
彼女にだけは聞かれたくなかった。それも、こいつらの前では絶対に。
ああ、終わった。
昨日まで一緒にダンスして、笑いながら帰っていたのが、もうできないと思うと無性に悔しかった。善と僕、そして間宮さん。三人でいた時間はまだ少ないけど、僕たちは多分、ピースみたいに合っていたのだ。
僕が黙って下を向いている間、周りは俺たちを見下し、そして間宮さんは―――
『それで?皆さん、昼休憩終わりますよ?そろそろ次の授業の準備した方が良いんじゃないですか?』
いつもと変わらず、あっけらかんとした態度でいた。
「お、お前…」
『そういえば楓太さん。言い忘れてたんですけど、自分が保健室行く理由、他の先生には言わないでくださいね』
「…あ、うん」
なんだこの子は。さっきのことなんて本当にどうでもいいのか、当たり前のように僕に話しかけてきたし。
「え、ちょっと間宮ちゃん。話聞いてた?」
『はい。これでも耳は良いんで』
「いやだからさ、」
『大丈夫ですよ。そちらの先輩たちの知識が足りなくても、日本はまだまだ理解に乏しい国ですからねぇ。こればかりは時間が経つしかないですよ』
「…は?」
『あ、ちなみに自分が先輩たちと仲良くさせてもらっているのは、今度の文化祭の準備のためです』
そして間宮さんは僕と善、それぞれの肩に手を置くと、
『自分たち、文化祭でダンス披露するんで。良ければ応援お願いします』
とんでもない爆弾を落としていったのである。
***
『やっぱり曲は二つ使った方がメリハリあって良いよねぇ』
「おい」
『せっかくだからどっちも男らしさ全開のやつで、女子のハート鷲掴みしに行く?』
「おい」
『今練習してるのは第一希望として、もう一つは…』
「おいってば!!」
『え、どしたの』
ひとりで話をすすめる間宮さんにツッコミを入れる善。彼の言う通りだ。どうしたもこうしたもない。文化祭まで残り一か月しかないというのに、何でこんなことになっているんだ。
いつも通りの練習をする筈が、今日は間宮さんが来るまで何もできず、僕と善は固まっていた。思えば昼休みからずっと思考が停止している気がする。
「誰が文化祭出るんや…」
『私と、楓太さんに善さんですけど?』
「俺たち出るとか一言も言ってないで!?」
『なーにを今さら。これだけ練習してて出ないとか、寧ろこっちが驚いちゃうわよって』
「驚いとるんはこっちじゃ!」
「……善はともかく、僕は無理。二人についていくので精一杯なのに」
「楓太…」
この数日、たしかに一緒に練習してきた僕たちのなかでも、運動神経が良い善はもともと僕より上手いから随分踊れるようになっていた。でも、僕ははっきり言って二人の足元に及ばないのだ。人前で踊るなんて、まだまだ先の話だと思っていたぐらいなのに。
『二人は多分、ずっと一緒に二人だけで踊ってきたんでしょ?』
「ま、まぁ…」
『それならそう勘違いしても仕方ないよ』
「…え?」
『これでも一応、プロと肩を並べてきた身だからそういうの分かる方なんだ。
二人にはセンスがある。磨けば絶対にもっと光る。
――そうじゃなきゃ、この私がボランティアでここまで教えたりしないよ』
とんでもない上から目線の発言。
でも今の僕たちにとっては、この上ない誉め言葉だった。
『前、私に言ってたよね?それだけの技術持ってるならどこかで披露すればいい、もったいないよって。
私から言わせれば、二人の方がもったいないことしてる。こんなに毎日練習して、休みだってずっとやってるんでしょ?動き見れば分かるよ。
ご機嫌伺う時代は終わり。二人がいかに凄いかって猿でも分かるように、度肝を抜くステージ見せてやろうよ。』
不適に笑う間宮さんに、僕たちが首を横に振る理由はもうない。
僕たちが三人となってピースのように合わさり、そして変化は起きた。
***
それから一か月の間、僕たちの猛特訓が始まった。
選曲は無事に決まり、韓国のアイドルグループの曲を二曲することになったらしい。
「でもホントにいいのかな?これって普通は4人でやるのに…」
『いいのいいの。普通の概念に捉われなくたって。それに、その方が一人一人目立つ部分をたくさんつくれるしね』
「も、もしかして…ソロやるの?」
『え?もちろん』
「む、無理だよ…!僕、一人で踊ったことなんてないのにッ」
「…俺もソロなんて考えたことないわ」
『でもダンスだけのステージならソロは必須だよ。皆がずっと同じ動きをしてても面白味がない。観客は驚きを求めているからね』
「お、おお、なんかプロデューサーみたいやな」
「自信ない…」
『楓太さん。私、これでも本物のアイドルに教えてたことあるから、任せなさいな』
「え、そうなの!?」
『…食いつきが違う』
「楓太はアイドルオタクなんよ。ずっとこのアイドルたち応援してるし」
『あ、やっぱり。選曲もそうだったから、もしかしてとは思ってたけど…』
「誰?誰に教えてたの!?」
『んー…ソロやってくれるなら、考えてもいいよ』
「やる!!」
「変わり身がすぎるぞ」
それから毎日、間宮さんの組んできたスケジュールに沿って、放課後だけじゃなくて朝と昼休みも使い、休日は丸一日使い、ひたすら練習していた。
間宮さんはその手腕通り、僕たちの苦手な分野も把握して順番に教えてくれるから、無理だと思っていた二曲をいつの間にか踊れていっていることが嬉しくて、もっとダンスが面白くなっていって、自分でも信じられないぐらい上達していくのが分かる。
そして残り一週間というところで、初めて通し練習をした日ことだった。今日の練習を終えて、帰り道でアイスを買って食べていたとき、僕はある話を持ち出した。
「…百合ちゃんは聞かないんだね」
『はひをへふは?』
「食ってから喋ろって」
『……ゴクン、何をですか?』
「あの時さ、教室でアイツらが言ってたでしょ?……“ホモのくせして”って」
「おい、楓太…」
「アレ…半分嘘で…半分本当なんだ」
***
「僕と善、小4から一緒なんだ。善がうちの近くに引っ越してきて、それからずっと友達で、ダンス誘ったのは僕の方。アイドルの人たちみたいな、あんなかっこいいダンスできたら良いなって。それで…一度は一緒にダンススタジオに入ったんだけど…」
中学に上がってダンスをやろうと思ったけどダンス部がなかったから、近所のダンススタジオに通うことにした僕。でも昔からの気弱な性格と人見知りがあったから入るのに悩んでたとき、善が一緒に入ってくれるって言ってくれたおかげで、初めてダンスに触れることができた。
僕と違って元々運動神経の良かった善はどんどん上手くなっていった。それを羨ましいとは思うことはあってもひがむことはなかった。寧ろ、嬉しかったのだ。最初は僕に連れそう形でダンスを始めた善も、同じようにダンスを好きになっていってくれたから。
善と一緒にダンスの話ができるのも、一緒にダンスができるのが何より楽しかった。
そんなときダンスの先生が変わって、新しい先生がやってきた。
今まで女の先生だったけど、男の先生になったのだ。
その先生は優しくて、面白くて、僕は先生が大好きだった。
でも、この前までランドセルを背負っていた子供の僕は、ある意味無知だったのだ。
この想いがどういうものなのか。
そして、それは世間的には――タブーだということも。
「僕……先生のこと、好きなんだと思う」
「…ふーん。ま、ええんちゃう?楓太、先生とおると楽しそうやもんな」
スタジオで休憩中、善にだけは小声で打ち明けた。僕としては好きな人を打ち明けること自体が恥ずかしかったから、それ以上の意味はなかったのだ。
でも多分善は知っていたから最初は戸惑ってはいたけど、一生懸命受け入れてくれて、何も変わらず傍にいてくれた善を見て、僕は安心してしまっていた。
もっと注意するべきだったのに。世の中、誰が聞いているか分からないんだから。
「なぁなぁ!お前って男好きなの!?」
「……え、」
登校早々にクラスメイトから言われた言葉。僕は鈍器で殴られたかのような感覚に陥った。こっちを珍しいものでも見るかのように笑う、目の前のクラスメイトと、その周りでクスクス笑っている同級生たち。
僕はそこでようやく、“これ”がいけないものなんだと――身をもって知った。
「それってホモって言うんだぜ?気持ちわるー!」
「もしかしてお前がいつも善と一緒にいるのってさ、」
「…善は関係ない!」
僕のせいで善まで疑われてしまう。それだけは嫌だ。
でもそんな僕のもとに駆けつけてくれるのが、この親友の馬鹿みたいに優しいとこなんだ。
「おい!やめろや!お前ら!」
「善!お前、ホモとデキてんの?ってことはお前も?」
「うるさいんじゃボケ!ほら行くで、楓太」
「ヒューヒュー!ホモカップルだ!」
クラスメイトの気味の悪い野次を浴びながらも、善は僕をそこから連れ出してくれた。でもそのせいで、結局善まで余計なものを背負ってしまって、僕は溢れる涙を止められなかった。
「…善、僕と行動しない方がいい」
「何言っとるん。アイツらもっとエスカレートしてくんぞ」
「駄目だよ、善まで……変な目で見られちゃうから」
「……」
「僕は“気持ち悪い”んだって。皆とは違うんだ」
「…楓太は気持ち悪くない」
「男なのに、男を好きっておかしいんだ。なんで…気づけなかったんだろ、僕は馬鹿だ…」
「おかしくもないし、馬鹿でもない。楓太は俺より成績良いやろ」
「いいから離れっててば」
「嫌じゃ」
「…善!」
「そしたらお前、……ほんまに一人になるやろが。
そんなん俺嫌や。…悲しすぎるやろ…」
僕はその時、初めて善が泣いているのを見た。幼稚園で近所の大型犬に追いかけられたときも、小学校で上級生から喧嘩を売られたときも、怖い先生に怒られたときも、善はそれまで一度たりとも泣かなかったから。
それから僕たちは噂の広まったダンススタジオを揃ってやめて、それでも大好きなダンスは続けたかったから、体育館裏で練習するようになった。
クラスメイトたちからは遠巻きに避けられていたけど、善がいたから耐えてこられた。他人に変なことを言われても気にしない。
皆、僕たちのことを変な目で見る。それが当たり前だった。
しかし――そんな当たり前をぶち壊すかのように、彼女は言ったのだ。
『それで?』
『大丈夫ですよ。そちらの先輩たちの知識が足りなくても、日本はまだまだ理解に乏しい国ですからねぇ。こればかりは時間が経つしかないですよ』
戸惑っている様子もなく、寧ろ、あのクラスメイトたちの方がおかしいとばかりに、可哀そうなものでも見るかのように笑っていた。
***
「…“おかしい”のは僕で、善は本当に普通なんだ。だから半分本当で、半分嘘」
「楓太、そんな言い方よせや。お前だって何もおかしくないんやぞ」
「でも世の中はそうはいかないでしょ。クラスの奴らの言ってることは正しいのかもしれない」
自分でも何でこんな話を持ち込んだのか、気まずい空気になると分かっていたのに。でも、これは今話さないと駄目な気はした。
文化祭のために練習してきた僕たちは、もしかするとこうやって一緒にいるのが最後かもしれない。だから終わる前に、伝えておかないといけなかったのだ。
するとそれまで静かに聞いていた百合ちゃんは、僕の前に立って、その綺麗なヘーゼルの瞳を向けてきた。こんなに真正面に向き合ったのは初めてかもしれない。
『“常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう”』
「…あれ、それどっかで聞いたことある…」
『相対性理論を発見したドイツの物理学者、アインシュタインの有名な言葉』
そうだ。前に本か何かで読んだことがある。
その時は意味を分かっていたつもりでいた。でも、それだけ。
それなのに、何でだろう…今になって聞くとまるで違う言葉に感じるのは。
『人の言う常識なんて、所詮は学生時代に経験したことを集めたちっぽけなものってこと。
そんな他人の常識にあてはまって生きても、この世界はあまりにも広すぎて、それこそもったいないよ』
――皆が僕を“おかしい”と言うんだ。これは世間的にタブーなことだから。
それなら僕は普通にならなきゃいけないのかな。
自分を押し殺して生きていかなきゃいけないのかな。
そう思っていたのに、
『LGBTであることは何も特別なことじゃない。
誰が誰を愛しても、いいんだよ。どうせ皆、同じ人間だから』
僕はこの時、初めて――自分を愛そうと思えたんだ。
***
「百合ちゃん、今日ダンスするんだよね?」
『うん』
「プログラム見たよ、下級生なのに殆ど最後の方だったね。凄いよ」
『みたいだねぇ。楓太さんが“逆に嫌だ”って怖がってたよ』
「ちなみになんだけどさ…この発表者名の名前のとこ、「団子三兄弟」って誰が考えたの?」
『え、私だよ?』
「…マジですか」
『良い名前でしょう。なんかパッと思い浮かんだんだよね。あ、コレしかない!って』
そう言って満面の笑みを見せる百合ちゃんはやっぱり不思議な子だ。生徒会に書類を提出をした後、先輩たちから小言を言われたに違いないのに。
でも名前はともかく、彼女のステージならきっと凄いものに変わりはないだろう。例の先輩たちは下級生の間でも噂になってる人たちだけど、私としては、初めて見る百合ちゃんのダンスに浮足だっていた。
***
「どうしよ…緊張がピークに達してきた…」
「お、落ち着くんや楓太。とりあえず“人”を飲み込んでからな、」
「ひ、人を?そんな大きなものどうやって」
『二人ともどうしたの?あ、トイレ行ってきた?』
「何をそんな、朝飯食べた?みたいなノリで聞いとるんや。こちらとらビギナーじゃぞコラ」
初めてのステージに緊張しっ放しの楓太と善に対し、百合の方は全くもって緊張とは無縁のような顔をしていた。
それもそうだ。彼らと百合ではそもそも経験値が違うのだから。
アメリカのトップスターとも共演したことがあるほど、ダンサーとしてのレベルも経験も随一の百合。何万人もの前で踊ったことのある彼女にとってみれば、学校の文化祭などただの発表会に過ぎない。
しかしプロとしてのプライドがある分、手抜きをするつもりはない。いつも通り全力でやるだけだ。
『まぁまぁ、緊張の自覚がないよりマシだよ』
「ハァ…マジでやれんのか…」
『はいはい。緊張はいいけれど、ネガティブ思考はやめよう』
そう言って、円陣を組むように二人を集める。
『はい。いつもみたいに暗示でも、洗脳でもいいから、自分にかけて。
“自分以上の踊り手はいない。自分は今世界で一番イケてる”』
ダンスをする上では表情管理も重要になってくる。ただ踊るのではなく、感情を乗せて踊るのだ。そのためには先ず、自分に自信を持つことが一番大事になってくる。
「…おし」
「…うん」
『よし、じゃあ我ら「団子三兄弟」いきますかね』
「…あのよ、その名前ほんまどうにかならなかったんか?」
『なんで?』
「もっとカッコいい名前が良かった…」
『え?良いよね?団子三兄弟』
「…お前に書類を任せた俺が馬鹿やった」
結局、別の意味で二人の緊張も和らいでいたが、それは本人たちの知るところではなかったらしい。
***
【それでは、次の発表に移りたいと思います】
いよいよ次は百合ちゃんたちのダンスだ。周りの皆もざわついているのが分かる。聞こえてくるのはやっぱり百合ちゃんの名前。
美しすぎる転入生が出てくるとあって、やっぱり一番注目されているんだろう。
そして司会者の説明が終わると、ようやくステージである体育館の檀上に現れた三人。上級生とみられる二人はしっかり顔が見えたから分かったけど、もう一人、白いバケットハットを被っている人は顔がはっきり見えない。
あ、でもあの綺麗なEラインは百合ちゃんだ。
帽子を被っていても隠せないその美貌。それに帽子で見えない部分があると、それがまた神秘的に感じてしまう。
上はショッキングピンクに近い派手な色をした、大きめのだぼっとしたトレーナーを着ていて、下も同じようにトレーナーだけど帽子と同じ白色だから、シンプルでも凄くお洒落だ。普通の人がやったら寝間着に見えてしまいそうなのに、百合ちゃんの抜群のスタイルと顔面の強さがあるから、どんな服でもお洒落に着こなせるんだろう。
そうして音楽がかかってから、私は何かに取り憑かれたかのようにステージから目を離せなかった。曲は邦楽ではなく、かと言って洋楽でもない、韓国の曲らしかった。男性の歌声と共に流れる曲は中毒性のあるリズムで、激しいビートとパワフルなラップがカッコいい。特に女子の間では人気があるのか、一部の生徒たちが反応していた。
ダンスをする三人は、合わせる部分はピッタリ合っていて、そしてソロではまたそれぞれが暴れまわっている、といった印象を受けた。
百合ちゃん曰く、上級生二人は最初そこまで上手というわけはなかったとか。
ところが二人の動きを見て、ダンスをやったこともない人間でも思ったことは、
いや……どこが?
うますぎでしょ。普通にテレビのバックダンサーとかできそう。
なんていうか、校内で見たときより全然違う人に見える。
けど、それ以上に――彼女はとんでもなかった。
大きめのトレーナーで女性らしい体形を覆っているからか、遠目で見ていると男の人にも見えてくる力強いダンス。時折除く美しい瞳は鋭く前を向いていて、常人にはできないキレのある動きは曲と同じく、とにかく“かっこいい”の一言に尽きる。
さっきから百合ちゃんがソロをやる度に、どこからか女子生徒たちの黄色い声が聞こえてくるし。
そして一曲目が終わったと思えば、また次の曲がかかり、今度はどこか神秘的な曲。これも同じく韓国の曲だった。
もう何分も踊っているのに、衰えることがない迫力のあるダンス。
これは、もう、文化祭のレベルを超えている。
生徒たちのなかには盛り上がりが最高潮に達したのか、テレビで見るライブみたいに立ち上がっている人がたくさんいた。壇上の方に駆け寄って、もはや席など関係ない状態。
慌てて先生たちが取り締まろうとしても、三人の踊りはそのままラストスパートまで勢いが止まらず、それにあてられた生徒たちで溢れ返っていた。
三人の初ステージは、大きな爪痕を残すほど大成功を収めたのであった。
***
『いやー楽しかったね』
「なんか…あっという間だった」
「俺も。…始まる前はあんな緊張したんに、終わるとき…ちょっと切なかったわ」
『善さん、それポエム?』
「ちゃうわ!」
「ていうか、百合ちゃん…全然息切れてないし…」
「ほんま…化けもんや」
『そろそろ着替えようよ』
「ちょう待て、休息ってもんを――「あ、あの、先輩がた!」
パフォーマンス後、舞台袖から体育館外まで出てきた三人。楽しそうに笑っている百合に対し、二人は緊張の糸が切れたのか、どっと疲れがやってきていた。
すると、そんな二人のもとへ声をかけてきたのは、数人の女子生徒たちだった。
「ダンス、か、かっこよかったです!」
「私、ファンになりました…ッ」
「私も!」
「こ、これからも頑張ってください…!」
女子生徒たちは頬を赤らめながら、恥じらいつつもそう言って、走り去っていった。一方で、二人の方はというと…
『え、大丈夫?息してる?』
「…夢…じゃないよな…?」
「……たぶん」
口を開けたまま固まっていた。
今しがた起きたことが信じられないのか、頬を掴んでは現実を確認している。
『ね?言ったでしょ?女の子のハート鷲掴みだって』
「そうは言ってもこんな簡単に…」
『簡単じゃないよ』
善の言葉に、今まで笑っていた百合の表情は一変。真面目な顔で二人に言う。
『二人の並々ならない努力の賜物だよ。誰よりも練習して、必死に頑張ったからこそ…ああやって人の心を動かせたんだ。
簡単なようで、実はとんでもないことだよ。
ほんと凄い、二人は』
ステージを見る側は知らない。どんなに凄いパフォーマンスをしても、それがどれほどの練習量だったかなんて。
そのため、毎日時間があれば練習をしてきた二人の努力は表舞台でしか、たった数分間でしか伝えられない。
しかし、そのたった数分のために全てをかけた二人の踊りは、見る人の心を動かしたのだ。檀上に寄ってきた大勢の生徒たち、そして先ほどの女子生徒たち。皆が彼らの踊りに惹かれた。
『もっと自分を誇りに思っていいんだよ』
―――自身を愛することを忘れないでくれ。 セーレン・キェルケゴール(1813〜1855)
***
文化祭最後のメインイベントである体育祭。うちの体育祭は赤・黄・青にクラスごと色分けされて、その三つの組が競って一番を決める。組が一緒の学年ごと共闘するから、上級生と下級生が協力し合うのだ。
ちなみに私たち1年1組は青組。青色のハチマキを頭に巻いて、校庭に貼られたテント下のシートにクラス別で荷物を置いていく。ちなみに同じ学年だと2組も青組だからテントは隣だし、その隣にも青組の上級生たちが連なっている形。
『え、二人も一緒なの?』
「うん。僕たちも今年は青組だよ」
「俺の記憶やと、この話は昨日もした気がする」
『じゃあお揃いだ』
「聞いちゃおらん」
「まぁまぁ」
百合ちゃんが話しているのは、昨日一緒のステージで踊っていた二年生の二人だ。相変わらず仲が良いらしく、三人が一緒にいるのはもう見慣れたものだが、にしてもあの百合ちゃんが特定の誰かと一緒にいるのって珍しい気がする。
小学校の頃は、百合ちゃんのもとに皆が集まっていっても、百合ちゃんは自分から誰かと行動しようとはしなかったから。一人で何でもできる百合ちゃんは、それこそ誰かに頼らなくても生きていけたと思うし。まぁ、私はどっちかっていうと、壁を作られたようにも感じたけど。
あ、でも…一人だけいたな。
百合ちゃん自ら近づいていった人が。
その人は彼女の幼馴染でもあり、一時は二人が付き合ってるんじゃないかと噂されたこともあったほどだ。
その“彼”は2組で、私たちの隣のテントに座っていた。
***
「百合ちゃんは何の種目出るの?」
『そういえば何に出るんだろうね?』
「ま…まさかの質問返しとは…」
「お前なぁ…ちゃんと把握しとけ。そういうの絶対クラスメイトに迷惑かけるタイプやろ」
『ちょっと聞いてくるよー』
そう言って手を振りながら自分のクラスのテントに戻っていく百合。自由奔放で天然なところに、楓太は苦笑いをこぼし、善に至っては深いため息をついていた。
『美代ちゃん、私って何の種目に出ればいいの?』
「え…うちに聞かれても…そんなに詳しく把握してないよ」
『そっか。じゃあ別の人に聞いてみるよ』
「多分、体育委員に聞いてみたらいいと思う」
『ほんと?分かった。ありがとうね』
百合の隣の席でもあったことから、美代は何かと声をかけられることが多かった。別にずっと一緒にいるわけではないが、必要なときに百合の方から尋ねる仲ではある。
そして、いつも通り美代の助言をもとに体育委員のもとへ向かおうとする百合だったが、何故か彼女は隣のテント、つまり自分のクラスではない人間に聞きにいこうとしたのだ。
しかもその相手は、例の――百合の幼馴染であった。
『コウくん、体育委員って誰?』
「は?なんで俺に聞いてんの。俺ら、クラス違うじゃん」
『なんだ、知らないのか』
「1組の体育委員って太樹じゃないの?」
『え、やっぱり知ってるんだ』
「だってさっきからあそこで準備してるじゃん」
彼が指さす方向には、グラウンドの真ん中で道具を運んでいる生徒たち。実行委員会でもある各クラスの体育委員たちが準備に追われている途中だった。その中には百合のクラスメイトもいる。
『おぉ、さすがコウくんだね』
「いや、百合ちゃんがマイペースすぎるだけだって」
『えへへ。そうかな』
「褒めてないし」
『じゃあまたあとでね』
話があまり噛み合っていないようにも聞こえる二人の会話。周りで見ていた同級生たちのなかには少なからず驚いているものもいた。
それほどまでに百合という少女が、圧倒的存在感を放っていることでもある。本人は全く気にする素振りも見せないが。
そしてその後、体育委員に確認した百合は再び、楓太たちがいる場所へ。
『障害物競走だった』
「あ、僕も出るよ」
『障害物競走って最後パン食い競争もあるんだって。ただでパン食べれるよ』
「趣旨違くないか?」
『あんぱんあるかな。私、こしあん派』
「俺、粒あんー」
「僕はこしあん」
『善さんの負けだ』
「なんで勝手に多数決になっとるん。お前ら粒あん、なめんなよ」
『こしあんの勝ちだよ』
「粒あんも……うまいんじゃぁああ!」
かくして「粒あん」「こしあん」、両者の決着をつけるときがきたようだ。からかうように笑っている百合を追いかける善。それを見ていた楓太は、二人の立ち位置が段々見えてきたと悟っていたらしい。
***
開会式が終わると、次々に種目が進まれていく。私は生粋の文科系だから苦手な体育は嫌いで、自分の競技を終えたら早々に傍観する立場に徹した。そしてテントからグラウンドをぼーっと見ていたとき、周りにいた生徒たちがざわつくのを感じた。
百合ちゃんが競技に出るようなのだ。
「間宮ちゃんガンバ〜」
「ガチで可愛いよな」
「はぁ、顔面強すぎて…あたしずっと見てられる」
「腰が何であんな位置にあるの…足の長さが…隣には並べないわ」
美しすぎる彼女は既に学校中のアイドル的存在になっていて、男子は勿論だけど女子のなかにも彼女に憧れを頂く人が多い。
そんなことも知らない本人は平然とした様子で障害物競技に出場したかと思えば、相変わらずの常人離れした身体能力を発揮し、二位との間に圧倒的な差をつけて一番にゴールしていた。
最後のパン食い競争では加減を間違えたのかジャンプし過ぎて、パンをぶら下げていた棒にぶつかりそうになっていれば会場全体からどよめきの声が上がっていたし。
でもそれすら耳に入らないのか、百合ちゃんは嬉しそうにパンを咥えて、ゴール早々に開封して食していたけど。
それから午前の競技が終わって、やっと昼休憩に入った。テントで各クラスごと持参したお弁当を食べるようになっている。
私も別の友達と一緒に輪を作って食べようとしたところで、ふと百合ちゃんがいないことに気付いた。どこ行ったんだろ、と思って辺りを見渡せば、彼女は未だに例の上級生二人と一緒にいた。
「せやから粒あんが一番やって」
『こしあんの方がなめらかで美味しい』
「粒あんの方があんこ感満載やん、あほか」
「ねぇ、この討論まだ続ける気?早くお弁当食べないと時間なくなるよ」
「…お前のせいで怒られたやろが」
『善さんが「こしあん派」と言えば済む話だよ』
「なんで俺が折れなあかんねん!」
「そろそろ百合ちゃんも自分のテント戻ったら?」
『うん。でもその前に二人のお弁当見てみたい』
「見てもなんもおもろくないぞ」
『善さんのはたこ焼きが入ってるかもしれないからね』
「お前の関西人への偏見はどないやねん」
二人のあとに付いていった百合ちゃんは、そのまま上級生のテントの方にお邪魔していった。女子の先輩からも歓迎されていたから、流石だ。
「百合ちゃんここ座りなよー」
『お気遣いありがとうございます。でもここで大丈夫です。直ぐ帰るんで』
「えーざんねーん」
『後でまたお邪魔させてもらいますね』
「…間宮が礼儀良くしとる」
『私だって目上の人には弁えるよ?』
「お前の目の前におる人間も目上やで…?」
「善は、んなキャラじゃねぇだろ〜」
「はぁ!?」
「そうだね」
「楓太まで?!」
上級生たちのクラスからどっと笑いが起きていた。私が噂で耳にしたのは、例の二人がクラスから浮いているって話だったけど、あのステージの影響によって良い方向へ変化したらしい。
勿論全員がそうなったわけじゃなくて、見るからに面白くないと言う先輩もいたけど、でも今まで二人だけだったのが、少しずつ周りと打ち解けていったことで下手に口を出せなくなったのか、あからさまに邪見にするものはいなかった。
きっと二人にとって、百合ちゃんはスーパーマンみたいな存在なんだろうな。
***
「お、よっしゃイチゴ入っとる」
『善さん苺好きなの?』
「当たり前やん」
「善はフルーツ大好きだもんね。顔に似合わずスイーツ好きだし」
「顔に似合わず!?楓太さん、さっきから毒舌じゃありませんかね?」
善が切なそうに楓太に抗議している間、百合は悪戯でも思いついたのか、楽しそうに善のお弁当箱へと手を伸ばした。
彼が大好きだと言う苺を取ると、近くにいた女子の先輩に声をかけて、無事協力を得ることができたようだ。
全ての準備が揃ったところで、百合は楓太に詰め寄っている善の肩を叩いて彼の注意を引いた。
『…(もぐもぐ)』
「なんやねん急に。何をそんなうまそう、に………」
何も言わず顎を動かしている百合を怪訝そうに見ていた善は、その視線を再び弁当箱へ戻したと思えば、
「お、お前……」
『(もぐもぐ)』
「……食うたんか…?」
『(もぐもぐ)』
「俺の……俺の大好物の…苺……」
『…(ゴクン)』
「返さんかぁあああああい!!」
善が叫ぶとともに、百合は立ち上がりテントからグラウンドの方へ走った。しかし直ぐにそれを追いかける善。
笑顔で逃げる百合。必死に追いかける善。
突如始まった二人のグラウンドでの追いかけっこに、昼食を取っていた生徒たちも含め、皆の視線が一気に向けられていた。それは、ただの追いかけっこにしても、追いかけられている側の身体能力が常人じゃなかったからだ。
忍者のように素早く走っていると思えば、バク転などのアクロバットを使いこなして華麗に避けたりして、ただの追いかけっこの筈が、まるで映画のアクションシーンのようだ。
善は至って真剣なのに対して、百合の方は完全におもちゃで遊ぶ子供のように楽しそうだった。
百合の動きを見ていた観客から驚きや賞賛の声が上がるなか、教師陣のテントから走ってきた体育委員顧問の教師が介入してきたことで、二人の追いかけっこは強制的に終わりを迎えることに。
「お前のせいでまた怒られた!てかなんで俺が怒られるん!?被害者俺なんに!」
『なにが?』
「苺食うてたやろが!」
『食べてないよ』
「は?嘘こくなや、ったく」
『嘘じゃないもん。見せてあげる』
そう言って先ほどのテントに戻った百合は、例の女子の先輩に声をかけると、女子生徒は楽しそうに自分が持っていた小さなタッパーを空けた。するとそこには善の大好きな苺が。
「じゃ〜ん。善のはここにありました〜。あ、安心して、これ元々空だったから。いつも最後ここに弁当箱のごみ入れるために入ってただけ」
「…な…なんやねん…」
『私、別に食べたなんて言ってなかったよ』
「お、お前……鬼か…」
『追いかけっこ楽しかったね』
「とりあえず後で一発殴らせろ」
「何言ってんの!こんな顔面国宝殴ったら捕まるよ?」
「お前らはこいつに騙されとるんや…こいつは鬼…いや、悪魔やぞ」
「ねぇねぇ百合ちゃん、ファンデ何使ってる?肌すごいきれいっ」
『日焼け止めだけです』
「足長くて良いなぁ。私もダンスしようかな〜」
「…この世界に俺の味方はおらんのか、うう…」
「ドンマイ善」
「楓太ァ…」
完全に百合に遊ばれた善が悲しみに打ちひしがれているなか、いつの間にか百合の周りでは興味津々な女子生徒たちがここぞとばかりに寄ってきていた。
圧倒的な美貌だけなら近寄りがたいだろうが、百合の場合は中身が中身なだけに寧ろ人を惹きつける魅力があるらしく、昔から異性だけでなく同性からの人気も同じくらいあるのだ。
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