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応接室の机の上に二枚の紙を置いた蛍は心配そうに雲雀に視線を向けた。
じっとその紙を見つめている雲雀はこれから犯人のアジトへ乗り込んで行くのだ。黒曜センターの内部の見取り図を丸暗記するかのように、じっと視線を注いでいる。
無事に帰ってきて欲しい。出来ることなら軽いケガで済みますように――…と蛍は瞳を閉じて思った。ついさっき大怪我を負った笹川の姿を目にしたら余計にそう願う。
相手はかなり強い。無差別に並盛生を襲っているのだとしても、ボクシングで鍛えている笹川はそうそう喧嘩に負けたりしないだろう。その彼が、あんなになっているなんて。
雲雀は強い。彼が誰にも負けないことは百も承知だが、それでも不安になるのはそんな実力者達が次々と倒れているからだろう。

蛍は自分が身に纏っている黒曜中の制服を見下ろした。今は雲雀から渡されたこれが蛍を守ってくれている。
本来風紀委員である蛍が狙われる確立はないとは言い切れず、黒曜中へ行った時から現在まで、ずっと着ているように雲雀から命令された。
それは彼なりの優しさなのかもしれないし、ただ犯人を探っていた蛍の正体を敵に知られたくないだけかもしれない。けれど自分だけ被害に遭わないように逃げているような気がして卑怯だと思った。
並盛の生徒が襲われているというのに、雲雀は敵地に乗り込んでいくというのに、黒曜生だと偽っている自分は安全な所で全て終わるのを見届けようとしている。
こんな時無力な自分を歯痒く思う。自分が雲雀と共に敵地に乗り込んでも足手まといにしかならないからついていくわけにもいかない。ここでじっとしているしかないことがとても惨めだった。

「雲雀先輩」

静かに席を立った雲雀は、もう見取り図を暗記し終わったのであろう、二枚の紙をライターで燃やし尽くしてからトンファーを手にして応接室の扉へと向かう。
思わず彼を呼び止めた蛍は「ついて行ってもいいですか」と言ってしまいそうな息をぐっと飲み込んで、胸の辺りを右手でぎゅっと掴んだ。

「…どうか、…無事に帰ってきて下さい…もし、雲雀先輩まで帰って来なかったら、私…」

そう言って、涙を溜めているのを隠すように俯いた蛍。
やがて彼女を見下ろしていた雲雀は呆れたようにため息をついた。

「馬鹿じゃない?僕が負けるとでも思ってるの?」
「いえ、そういうわけでは…」
「だったら余計なこと考えてないで待ってなよ」
「…はい」

ドアノブに手をかけた雲雀はチラリと後ろを振り向きながら呟いた。相変わらず自信に満ちた彼の台詞だが、信憑性があるのは確かだ。最強の不良の称号を得ている雲雀だからこそ口に出来る言葉なのかもしれない。
力強い雲雀の言葉のおかげか、いつの間にか涙も吹き飛んだ蛍はこっくりと頷いた。
彼によると、後のことは草壁に任せてあるという。雲雀がアジトへ乗り込んでいる間は草壁が事実上風紀委員をまとめ上げるということである。
草壁の指示に従え、と暗に告げた雲雀はアジトへ向かおうと扉を開けた。

――それでも、先輩の無事を願うことは止めないでいてもいいですよね。

扉が閉まる音を耳にした蛍は、灰になってしまった見取り図を見つめながら彼の無事を願って穏やかに微笑んだ。

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