「あ。やっべ」

それは母からの知らせだった。
僕は来年、十三歳となり中学生に上がる。小学六年生はそのための準備の一環として、保護者とはまた別に中学校の説明会に行かなければならないのだ。勿論、僕もその説明会に参加しなくてはならないのだが、母からの連絡がなければ完全に忘れていただろう。今、アメリカのロサンゼルスにいる僕は。

幼少期から様々な分野の先生に付いて、世界中を飛び回ることが多かった。一応、日本の学校に籍を置いていたが、長期休み以外にも飛行機に乗って海外へ、なんてことはしょっちゅうだった。それでも理解ある先生たちが、僕の個性を認めてくれたおかげで、課題や試験なんかで登校日数をカバーしてくれた。

 どうして僕が今、アメリカにいるかというと、米軍の駐屯地で訓練を受けていたからだ。少年がどうしてそんなところへ、と疑問に思われるだろうけど、アメリカじゃ精神が未熟な子供が将来非行に走らないよう、育成の一環で厳しい訓練を受けさせる親もいるからそこまで可笑しな話ではない。
 ただ僕の場合、普通の子たちと理由は違っていて、とある症状を治すために武術を教えてくれた先生によって二年前にここへ送り出されたのだけど。

 そして軍へ送られた本来の目的も達成し、さてそろそろ退役だ、というタイミングで母からの連絡。母からは定期的にメールを貰っていたが、生活が忙しかった僕はそれをゆっくり読む余裕もなかったので久々に携帯を開いてみれば、冒頭に至ったというわけだ。

 明日は退役日だが、その翌日の昼過ぎには説明会だ。アメリカから日本までは約十時間はかかるし、空港から地元に行くにしても移動時間が長い。これは飛行機から降りてそのまま学校に直行するしか他ないな。

 ***

 アメリカから日本の空港に来てみれば、様々な人から視線を注がれた。向こうじゃこんなことはなかった。でもそれも仕方ないかもしれない。
 僕の今の格好は迷彩服だ。軍人が日常でも目につくアメリカじゃそう珍しくないだろうけど、日本は日常生活で先ず目にしないものだ。
 脱いでしまえば注目を浴びることもないのだが、軍に入る際、私服なんかは持ち込まないのが規則だから退役しても私服なんて持っていないし、家に帰宅する軍人も殆どがそのままの格好で帰るのだ。

 本当は一度家に寄って私服に着替えてから学校に向かいたかったけど、そんな暇もないので仕方なくこのままの格好になってしまった。
 母から学校の先生には一応連絡してもらっているので、不審者に思われることはないだろうけど、不安はないといえば嘘になる。
 これでも同年代の子より成長が早かったから背丈はある方だし、身体も鍛えられているので子供に見られることはあまりないのだけど、どこの世界に軍服姿の子供がいるというのだ。

 ***

 空港からバス、電車、タクシーと公共交通機関を乗りつくして、ようやく目的の中学校にたどり着いたときにはとっくに昼過ぎになっていた。もしかしたら説明会はもう始まっているかもしれない。
 学校内は一応授業中らしく、下駄箱から廊下まで人っ子一人見当たらない。体育館で行われると書いてあったけど、とりあえず職員室まで足を運んでみることにした。

 「失礼します」
 「え、は、はい。」
 「お仕事中すいません。自分、今日こちらの学校の説明会に参加させていただく予定の間門八雲と言います。一応ご連絡はいっていると思うのですが…」
 「あ、えーっと…ちょっと待っててね」

 職員室の扉を開けば、中にいた数名の教師たちから一斉に視線を送られた。中には立ち上がってまでこちらを凝視してくる人もいた。
 手っ取り早く扉の一番近くにいた教師に声をかければ、少しどもりながらも職員室の奥の方へ向かっていった。流石にいきなり軍服姿の人間が現れたらそら驚くわな。

 「お待たせしました。教頭の山口です。説明会は体育館の方でやっているので案内しますね」
 「すみません、お願いします」

それからやってきた幾分か年老いた教頭先生が体育館までわざわざ案内してくれることになった。

 「すいませんね。もう始まってるから途中参加になっちゃうんですけどね…」
 「いえ、遅れた自分が悪いので」
 「お母さんから連絡は聞いてますよ。昨日まであちら(軍)の方に?」
 「はい。先日退役いたしました」
「それはご苦労様でございました。何か事情はあるのでしょうけど、…お疲れ様でしたね」
 「ありがとうございます」

 教頭の年齢からいうともしかしたら軍人と聞いて思うことがあるのかもしれない。この国は“今は”軍を持っていないけど、何十年か前は違ったから。
だからなのか、その優しい顔つきに思わず身体が勝手に動き、敬礼の形で返してしまった僕。

 「あ、すいません、つい癖で」
 「いえいえ。でも、これからは学生として気兼ねなく過ごしてくださいね。その方が私も嬉しい」


 体育館まで案内されると外からでも見えるたくさんの生徒たち。
この中学校はここから北と西にある近くの二つの小学校の生徒たちが一緒に通うことになる。僕が在籍しているのが北の小学校で、こちらはとても小さな学校だ。特に僕たちの代は典型的な少子化によって一クラスしかない。一方で西にある学校はマンモス校と言っても定かではないぐらい生徒数が多い上に、僕たちとは対照的にクラス数も一番多いらしい。
つまり片方の30人ほどの生徒の集まりが僕のクラスメイトだろう。

説明を受けている生徒たちから僕たちは丁度見えていない。担任の先生も気づいていないようだった。
そのまま中に入っていく教頭についていけば、ようやく担任の先生がこちらに気付いて駆け寄ってくれた。それと同時に生徒たちの視線もこちらに向く。
 大半が驚いているのだろうけど、僕はその視線を払拭するかのように先生に顔を向けていた。

 「お帰りっ間門くん」
 「ただいま帰りました。遅くなってしまってすいません」
 「元気そうで何よりだよ。向こうに皆いるから」

 先生は満面の笑みで迎えてくれて僕も嬉しかった。この先生は長年うちのクラスを担当していて、僕のこともよく理解してくれている人だ。
 先生に言われて早速、綺麗に二列になって座っているクラスメイトたちの後ろの方に回った。

 「八雲、全身迷彩じゃん!」
 「そんな恰好で来たのかよ(笑)」

 皆、一様にこちらを向いて何か喋っているが、一応まだ説明会の途中なので声は潜めていた。

 「ほれほれ前を向きんしゃい」
 「後で話聞かせろよっ」
 「えーそれは面倒」

僕も久しぶりに同年代の子と話すから、やっと地元に帰ってきた実感が湧いてきたのだった。

***

 説明会では中学の教師からの話を聞き、それから学校内の案内をされることになった。まだ入学まで数か月あるのに今から案内されても覚えられるわけないだろ、とは思ったが学校には学校なりの考えでもあるんだろう。雰囲気だけでも味わうとかね。

 「なぁなぁ兵隊って何やるの?」
 「銃とか撃った?」
 「戦った?」
 「俺まだガキだよ?大人が子供を戦地に出すわけないじゃん」
 「そうなの?ふーん」

 まぁ銃や火器類は一通り扱ったし、災害やテロの救出作戦には赴いたことはある。勿論最前線で戦ったわけではないけど。
 案内されている間、近くにいる一部のクラスメイトたちからは質問攻めにあった。お前ら先生の話聞けよ。

 「八雲、身長いまいくつ?」
 「入隊の時に測ったやつだと、167だった」
 「はぁ?デカすぎ!」
 「そういや、お前らちっこいなぁ」
 「うざ!巨人に言われたくないし」
 「そんなに褒めてくれるとは」

 クラスメイトのなかでも一番背が高いし、すれ違う西の学校の生徒でも僕より背丈がある人はいなかった。成長痛はまだまだあるから、これでもまだまだ背は伸びるらしい。それに僕の場合、足自体が普通の人より長いらしいから、よくモデルなんかにスカウトされたこともある。

 生まれながらに顔は整っている方だし。全くどんどん格好良くなっちゃうじゃんか。
母親曰く、僕は“目が真ん丸で大きいから男の子なのにアンタ可愛いのよ”らしい。そして姉曰く、“可愛い顔をしているのに筋肉があるからギャップがヤバい”とのこと。まぁ昔から年齢問わず女の子には好かれる方だから、そういうことなんだろう。
 実際、このクラスメイトのなかも僕のことを好きだという子はいるらしい。積極的にアプローチしてくる子もいれば、遠巻きにそう言っていた子もいる。

 海外に渡っているときは基本周りが大人ばかりだから、こういう恋愛ごとに出くわすことは殆どない。だから久々に味わうな、こういう学生っぽいの。僕はまた始まる学生生活が楽しみに思えてきた。

 ***

 春、入学式がある今日は何故か朝から忙しなかった。

 「母ちゃん、やばい!靴下買うの忘れてた!」
 「お兄ちゃんの借りなさい」
 「あぁなるほど」
 「いやなるほどじゃないわ!お前靴下ぐらい持ってるだろ!?」
 「だって学校の白って決まりがあったんだよ。俺、白いの持ってないし」
 「八雲、あんた鞄は?」
 「あるよ?」
 「それじゃなくて指定のやつがあるじゃん」
 「あー、アレはダサいから嫌だ」
 「お前…入学早々ブラックリストのるなコレは」
 「でも八雲だったらそんなの関係なく生きていけそうだから怖いわ」
 「じゃあ行ってきまーす」
「ちょっとやっくん、今日はお母さんたちと一緒に行くのよ?!やっくん!?」
 


 両親の車で一緒に学校へ向かってみれば、既に玄関口では入学生の写真撮影大会が繰り広げられていた。僕も両親と一緒に適当に写真を撮り、その後は両親と別れて自分の教室へと向かった。ちなみにクラスは一組。

 教室内へ入れば既に何人か生徒たちはいた。この学校ではクラス替えはないから、これから三年間を共にするクラスメイトだ。
 席に座っている子もいれば、立ち話をしている子たちもいる。僕も席に座りたいけど、これは席とか決まっているのか?

 「ねぇ」
 「え?」
 「席って決まってるの?」
 「あ、黒板に席順貼られてるよ」
 「ふぅん……あ、どーもね」

 一番前に座っていた生徒に聞いてみれば、黒板には確かに席順の書かれたプリントが貼られていた。僕の席は……お、ラッキーなことに一番後ろの席だ。

 「八雲〜、一緒のクラスだな」
 「おー……誰だっけ?」
 「はぁ?友樹だし!」
 「知ってる知ってる、冗談だって(笑)」

 少数の北の小学校と、マンモス校の西の学校が一緒になるにあたって、僕たち北校出身者は5クラスにバラバラに振り分けられるから、元クラスメイトは一クラスに男女合わせて6人しかいない。完全にアウェー状態なのだ。
 にしてもこのクラスの北校出身の男子生徒は三人とも大人しい子たちばかりらしい。これは僕のが完全に浮いているな。
今日初めて交流する北と西の生徒たち。今はまだお互い壁を作っているのか、知り合い同士でしか話そうとしない。だから友樹も僕に話しかけてきたんだろう。北校にいたとき、彼とはさほど一緒にいなかったのに。



 にしても、入学式は全くもって退屈だったな。まず話が退屈。人前で話すならもっとスピーチ力をつけた方がいいと思うけど。式の間、何度眠りそうになってしまったことか。

 「このクラスを受け持つことになった清水です。三年間よろしく」

 その後行われたホームルームは担任の教師の簡単な自己紹介。生徒たちの自己紹介はまた明日、30秒間のスピーチと共に行われるらしい。今日はこれからの学校生活と、授業が始まるまでのオリエンテーションのスケジュールなどの説明だけで、思ったより早めに帰れることになった。

 ***

 「30秒スピーチ、何考えてきた?」
 「あー…、考えてないや」
 「お前大丈夫かよ?!」
 「まぁなんとかなるさ」

 そういえば昨日そんなことを先生が言っていたような気もする。しかし30秒ってどれぐらいだろうか。

 「〜〜〜〜です。三年間よろしくお願いします。」

なるほどこれぐらいか。既に自己紹介を終えた子たちの様子を見て、おおよその時間帯は分かってきた。でも何を言おうか。別に話す内容が思いつかないわけじゃない。寧ろ反対だ。ありすぎて整理がつかないのだ。まだ十数年しか生きていない僕の人生は、普通に生きている人が体験しないようなことをたくさん経験して、いつの間にか大分色濃くなっていたから。

 「じゃあ次、間門」

 考えているうちにもう自分の番がきてしまった。結局、あんまりまとまらなかったけど、こういうのはいっそその場のノリでいってしまえばいいのだ。

 「あー…間門八雲です。北校出身ですけど、つい最近までアメリカで二年間米軍の方でお世話になってました。あ、退役軍人ですけど戦地に行ったとかじゃないんで、そんな大したことはしてないですから。あとは…他にも幼少期から海外を練り歩いていたので、海外渡航歴は結構豊富なつもりです。外国語は大体話せるので、英語で何か困ったことがあったらまぁ手助けぐらいはできるかなって思います。
 これからは学生生活を存分に謳歌したいなって思ってるんで、どうぞ三年間お願いします」

 僕がスピーチを終えるとなんだか教室の空気が少し重くなっているような気がした。え、なんか変なこと言ったかな。それから先生が拍手してくれたおかげでやっと元に戻っていけた。

 ***

 それはいつも通りに登校してきた日のことだった。下駄箱に靴を入れようとしたところ、奥の方に封筒のようなものが見えた。取り出してみればピンク色の手紙。差出人は見たところ書かれていない。ていうかこれって、

 「やっぱそうだよなぁ…」

 教室に行くまでに中の手紙を読んでみれば、そこにかかれていたのは「好き」だの「付き合ってほしい」だの、そういうことが書かれていた。世に言うラブレターというやつだろう。手紙の隅っこに名前も書かれていた。でも名前があっても僕にはこれが誰かも知らないし、そもそも興味も湧かない。

 女の子に好意を向けられていることはよくある。でもこんな風に手紙を送られたのは初めてだ。今時いるんだなこういう子。
 直接言ってくる子はいたけど、そういう場合は直ぐに断りの返事を言えるから楽だ。でもこの場合はどうしたらいいんだ。いやでも僕が知らない相手のことで一々悩むのも変な話だな。

 結局、この件は自分のなかで閉まっておくことにした。
 ところがその日の放課後―――

 「八雲、二年の先輩がお前のこと呼んでる」
 「え?」

 突然の呼び出し。しかも二年の女子生徒から。教室の扉の方へ行ってみれば、そこには三人程度の女子生徒がいた。

 「間門くん、だよね?」
 「はい」
 「ちょっとこの子がキミに用があるんだけど、今いいかな?」
 「あー……別にいいですよ」

 何故か呼び出してきた生徒ではなく、その後ろにいる小柄の生徒の方が僕に用があるようだ。それなら自分で呼べばいいものを。

 その後、人気のない下の階まで降りていけば、女子生徒が手を後ろに組みながら顔を赤らめて僕の前に立っている状態。俺はこれを早めに済ませたくて、自分の方から話を切り出した。

 「もしかして手紙くれた人ですか?」
 「あ、うん。そうなの。それでね、あの、私、八雲くんのこと好きなんだけど……どうかな?」
 「どうって?」
 「付き合ってくれませんか…?」
 「……すみません。お気持ちは嬉しいんですけど、俺は付き合えないです」
 「え、あー……そっか」
 「わざわざ言ってくださって申し訳ないんですけど、本当すみません」
 「い、いいよいいよ。ごめんね、ウチもいきなりで」
 「それじゃあこれで失礼します」

 今にも泣きそうな女子生徒。振った俺がいつまでも傍にいるのは失礼だから、早々にその場を立ち去った。



 「八雲、お前告られただろ?」
 「そうだけど?」
 「付き合うの?相手年上じゃん」
 「付き合わないよ。じゃあまた明日」

 教室に戻ればまだ部活に行っていなかった一部の生徒たちから、からかい半分で質問される。そういうの下世話な話はあまり好きじゃないから、こういうのはさっさと立ち去るのが一番だ。

 「志乃ちゃん、待って待って」
 「…八雲くん」
 「今日部活ないの?」
 「うん」
 「じゃあ一緒に帰ろうよ」

 それに俺は今も昔も、この子しか見ていない。

 ***

 委員会活動というものがある。ちなみに俺は園芸委員会。要するに校内で育てられている花の世話をする係だ。育てた花はいずれ文化祭とかで活用されるから、それなりに大事な委員会らしい。

 「あ、」
 「おや。間門くん」

 水やり当番のあるその日、昼休憩時間に花が植えられた花壇へ出向いてみれば、そこには既に先客がいた。

 「教頭先生、こんちは」
 「こんにちは。委員会かな?」
 「はい。俺、今日当番なんで。教頭先生はどうしてここに?」
 「こっちの小さい花壇は私が植えた花だからね、こうして時々見に来ているんだよ」

 大きな花壇の隣に丸形の小振りの花壇がある。委員会活動当初から植えられたそこも、園芸委員が当たり前のように水やりを担当していたけど、誰が植えた花壇なのか考えたこともなかったな。

 俺がホースで水を撒いている間、教頭先生は花壇の花を丁寧に見て、時折雑草を抜いたり、葉の様子を観察していたりして慣れた手つきが伺えた。
 「間門くんはどうして園芸委員に?」
 「んー…特にこれと言った理由はないっすね。成り行きで決まったもので」
 「そうかい」
 「まぁでも入って良かったかなって思ってます。俺、何かを育てるってあんまりしてこなかったし、それに―――

 殺すよりは、生かすことの方が気分良いですからね」

 自分でもどうしてそう言ったのか、後になってみても分からなかった。でも、この学校を初めて訪れたときにこの先生が言っていた言葉が俺のなかで残っていたのだろうか。この人なら、俺の中に巣食うこの言い難い気持ちを理解してくれるかもしれないと。

 ***

 「やっくん起きなさい!」
 「へ?」

 母から暖かい布団を取り上げられてしまい、思わず素っ頓狂な声を出してしまった。

 「ちょ、母ちゃん今日土曜…」
 「何言ってんの、今日参観日だよ?」
 「あー……そうでした」

 なーんで折角の土曜日にわざわざ学校へ行かなきゃならないんだ。

 と、ここにいる生徒の半分以上が思っているだろう。
 教室ではうちの担任が数学の授業を行っている。普段ならジャージで過ごしている先生がわざわざスーツを着ているのは、俺の後ろにいる人物たちが原因だ。

 クラスメイトの両親がずらりと並んでいる。
 休日に参観日を行うのは、親の仕事の都合を考慮してのことなのだろうけど、結局半日で学校は終わるから生徒たちには振替休日も用意されていない。これならばっくれた方がまだマシな気がする。
 
ちなみに、うちは父が仕事なので母だけが参加している。
 俺の成績をよく知っているから勉強の方に口を出す人じゃないけど、母はどちらかと言うと俺の授業態度の方を心配しているのだろう。

 最悪なことに俺は一番後ろの席でありながら、窓側の席でもあるのだ。つまり後ろと横に立つ保護者と最も近いことになる。いつの間にか俺の横に立っていた母は、俺がノートを全く取っていないことに気付くと顔をしかめていたし。

 『ちゃんと板書しなさい』
 『する必要ないし』

 記憶力、計算力、…etc、頭脳がめっぽう強いから学校の授業はどれも退屈だ。テストは満点しか取らないから、授業で居眠りしようがぼーっとしようが、成績が良ければ結局問題ない…筈なのに今日はそうもいかない。

 こんな窮屈で退屈な時間が続くかと思うと、気が滅入ってしまう。
 なんて、そんなことを考えていたから罰でも当たったのだろうか。

 このあとまさか、再びあの服に袖を通すとは思いもよらなかった。

 ***

 プルルルルル……
 突然、教室の電話が鳴った。黒板の横の壁に備え付けられているそれは学校内で連絡として使うもので、俺がこの学校に入学してからまだ一度しか使用しているのを見たことがない。授業中に鳴るなんてまずあり得ないだろう。

 「はい、清水です。え?あ、はい……はい…」

 授業を途中で止めてから先生が電話に出る。授業がストップしたことで生徒たちのなかには腕を伸ばすものや、肘をつくものなど、ようやく緊張状態から解放されたことが伺えた。
 電話が鳴るのは珍しいけど、まぁきっと大したことはないんだろう。そう思っていた矢先、

 「間門、ちょっと」
 「…え?」

 何故か呼ばれたのは俺だった。先生が俺に向かって早く来るように手招きするので、すぐさま席を立って向かえば、

 「防衛省の方からお電話だそうだ」
 「は、」
 「もう繋がっているから、このまま出なさい」

 少し声を落として言う先生。その表情は少しだけ強張っていた。そして受話器を渡されてしまい、仕方なく電話に出ることに。

 「…お電話変わりました。間門です」
 『お忙しいところすいません。恐れ入りますが、私、防衛省の瀬川というものです』
 「はぁ…」
 『突然で大変申し訳ないんですけども、今からお話することを聞き入れて頂きたくお電話いたしました』

 ***

 米軍にいた頃、殆どが訓練に明け暮れていた。そもそもまだ子供の俺を一介の隊員として置いてくれているだけでも有難いのに、大人と同じ訓練まで受けさせてくれるなんて恵まれていたと思う。
 そして俺の実力を買ってくれたのか、時々実戦に赴くこともあった。災害場所での救出や立てこもりでの戦闘、戦地に一度行ったこともある。だから経験はある方だし、俺は身体能力が群を抜いていたから活躍することもできていた。

 だからこの話が来た時、別段不思議には思わなかった。
 “適材適所”―――指揮官はそう考えるから。



 『ペルーの日本大使館で大規模な立てこもり事件が起きました』

 防衛省の話はこうだ。大使館で立てこもり事件が起き、多くの日本人の人質が捕らえられてしまった。すぐにでも救出作戦に移りたいが、“武力を持たない”日本は自衛隊を送ることができないのだ。勿論、ペルーの軍が救出を全編的に行ってくれるが、全て丸投げというわけにもいかない。そこで白羽の矢が立ったのが俺というわけだ。

 世界最強の米軍にいて、実際同じような事件を経験したことがあり、自衛隊に入っていない自分。

 防衛省が、俺が米軍にいたことをどこで聞いたのか知らないが、わざわざこうして電話してくるあたり、相当切羽詰まっているんだろう。何しろ、海外でこんなに多くの日本人が人質となる事件など前例がないのだから。

 「事件発生は日本時間で何時ですか?」
 『今朝の7時です』
 「大雑把でいいです。どれぐらいの規模なのか分かりますか?」
 『えっとですね…まだ殆ど情報はないんですけど、あ、テレビで今緊急放送がされています。現地のメディアが映しているんですけども』
 「チャンネルは?」
 『NHKの1番です』

 俺は咄嗟にすぐ横の黒板にチョークで、“NHK 1番”と書き、手に持ったチョークで音を鳴らして先生の気を引いた。これを映せ、そう目配せすると、先生は何も言わずその通りにしてくれた。


 【ペルーのラジオ局の情報によりますと、今現在確認できるだけで、人質となっている日本人は28名―――】

 教室内が若干ざわめく。それもそうだろう、俺が誰と電話していて、そして映し出したものがこれでは困惑するのも無理はない。

 「―――行きます」
 『本当ですか…!?』
「はい。ペルーには行ったこともありますし、言葉も分かるので通訳はいりません。ただ、向こうの方に自分が行くことをきちんと伝えてください。それと、できたら自分の経歴もそれとなく説明しておいてもらえると助かります」
 『勿論です』
 「飛行機の手配はしてもらえるんですか?」
 『それなんですが、実はそちらの学校の方へ今ちょうど陸上自衛隊のヘリが向かっておりまして、それに乗っていただければ手配した飛行場まで送ります』

 ここまで手筈が整っているとは、どうやら俺が了承することは既に決められていたようだ。

 「…分かりました。引き受けます」
 『ありがとうございます!お願いいたします!』

 ***

 「すんません。急用ができたので早退します」

 そう言うと先生は全て分かっているかのように首を縦に振った。

 服装について聞くのを忘れていた。おそらく自衛隊の方で軍服でも貸してくれるんだろうけど、ヘリが来るまでに学生服は脱いでおいた方がいいな。ジャージにでも着替えて―――

 あ、そういえば昨日クリーニングに出しておいたんだった。
 エナメルバッグの下から着慣れた軍服が顔を出していた。これも運命なのだろうか。

 「ちょっと待って八雲、どこに行くの?何をしているの?さっきの電話は何?」

 電話を終えて席に戻った俺が机の上に広げた教科書やらペンやらを片付け始めたかと思えば、今度は鞄からいつかの軍服を取り出そうとしているのを見て、流石に母が声を上げた。

 「急用ができたから。あ、できたら俺の荷物持って帰って欲しいのと、兄ちゃんに暫くオンゲーは無理って伝言を―― 」
「急用って貴方、まさか…その服を持ってまた戦争にでも行くつもりじゃないよね…!?」

 母の目つきは鋭く、そして今にも泣きそうだった。俺が軍に入ったことを知ったときも、同じような反応をしていた。受話器越しに泣きながら引き留める声は今でも忘れない。

 「戦争って……ハァ…母ちゃん、俺は米軍で戦争してきたんじゃないって前から言ってるでしょ。それとさっきのテレビ、ペルーの日本大使館で立てこもり事件が起きたんだ。その救出に向かうだけだから」
 「何言ってるの…っ!?なんで八雲が行くの?!貴方はまだ学生で、子供なのよ?!馬鹿な真似はもうやめなさいっ、どうしてそう危険なことばかり…!母ちゃんがどれだけ心配するか分かるでしょう…!?」

 教室に響き渡る母の悲痛の叫び。もう先生も授業どころではなくなっていた。周りの保護者、生徒、全ての視線が俺たちに向けられている。

 「…でも行かなくちゃ」
 「なんで八雲ばっかり…っ」
 「母ちゃん」

 母はついに泣き出してしまい顔を隠すように両手を当てていた。子供思いの優しい親。そんな母に、俺は尚も引き下がれなかった。

 「向こうで助けを待ってる人がいるんだ。俺が行く理由なんて、それだけだよ」

 敢えて笑顔を見せてみた。出立するのに俺が厳つい顔でいたら、きっとこの人はもっと不安がると思ったから。

 「先生、後のことはよろしくお願いします」
 「あ、あぁ…」
 「いつ帰れるか今のとこ分かりませんけど、できるだけ早くカタをつけてくるんで。あ、それと休み明けに課題とか提出しますから、出席日数のとこはー…」
 「も…勿論考慮しておくよ」
 「ありがとうございます!」

 よし、とりあえず留年は免れそうだ。まぁ命張って救出に向かうんだから、これぐらい配慮されて当然だと思うけど。

 「授業中断させてすんませんした。行ってきます」
 「き、気を付けて…!」
 「ちょっと母ちゃんはまだ許してない!待ちなさい!八雲!」
 「分かったからっ、とりあえず授業の邪魔になるし一緒に出よう」

 軍服の入った鞄を背負って教室を出ていこうとすると、やはり納得のいかない母が後ろから追いかけてきた。
 俺が更衣室で軍服に着替えている間も、ドアの外から抗議の声を続けている。

 「もうー…なんなら納得してくれるのさ」
 「大体、子供をあんな危険な場所へ送るなんて国も何を考えているの!?」
「自衛隊はあくまで防衛のため…戦う術までは正直持っていないだろうからね。確実性と適正を考えての判断だ。寧ろ、珍しく賢い答えを出した方だよ」

 こういう柔軟な考えは今までのお堅い国柄なら先ずあり得なかっただろう。個性を伸ばさない教育を未だに続けている国で、俺という特殊な個性を持った人間を認めた結果だ。

 「よし、準備オッケー。忘れ物は……って、向こうが準備してくれてるからいいのか」
 「八雲、今からでも遅くないから防衛省に断りを入れなさい」
 「……あ!」
 「何?!」
 「忘れてた!」

 大事なことを忘れていた。“あの子”にちゃんと言わないと。

 母ちゃんが何か言っているのが聞こえてきたけど、そんなことお構いなしに俺は階段を駆け上がった。
 そして目的の教室までたどり着くと、思いっきり扉を開けた。中は勿論授業中だけど、もう時間もないから構ってもいられないのだ。

 「え、な、なにか用ですか」
 「授業中失礼します。小宮志乃さんに用があってきました。直ぐ終わらせますので、お時間貸してください」

 授業をしていた先生が突然現れた軍人に驚いて、いや、周りの人間皆がざわついているなか、彼女のもとへ真っ直ぐ向かっていった。

 「や…八雲くん…その恰好…」
 「うん。ごめん、今日からちょっと一緒に帰れない。」
 「何言ってるの、話読めないんだけど…」
 「時間ないから簡単な説明になるけど、ちょっと危ない場所に行って、人を助けてくる。
でも、

 ――ちゃんと生きて帰るから。待ってて」


 まるで映画のワンシーンみたいになってしまった。教室で、皆が見てるなか言う台詞じゃないな。

「……それフラグじゃん」
 「大丈夫。俺、最強だから」
 「知ってるよ……ほんとに怪我しないできてね」
 「うん。約束する」

 志乃ちゃんと約束を交わした時、タイミング良く遠くからヘリの音が聞こえてきた。

 「じゃ、行くね」
 「…うん」

 その後、授業を中断させてしまったことをお詫びして、ヘリの待つ校庭まで走った。校庭に着地することはできないから、梯子を下ろしてもらって乗り移るしかない。

 結局、母は最期まで反対していたけど、ヘリに乗り込む俺を止められないと思ったのか、たくさん泣きながら何度も同じことを口にしていた。

 「絶対に、絶対に、親より先に逝っちゃだめだからね」
 「うん」
 「多少の怪我なら許すから。とにかく五体満足で帰ってきて」
 「…うん」

 母の言葉は思いのほか、枷のように俺のなかに圧し掛かってきた。でも重くはない。これはどちらかと言えばお守りのようにも感じたから。

ALICE+