ロマンス新品495円

あまりにもさめざめと泣くから、だから、その日は本屋に寄った。早く忘れちまえという気持ちと、おれっていま最高にバカなのでは?という俯瞰に苦しめられるのにも、疲れた。
「知ってたか、世の中には食パンから始まる出会いもあるらしーぜ」
「どうしたの弾バカ、ついに頭までキューブになったの?」
「うるせえ恋愛バカ、振られたおまえを慰めてんだよこちとら」
 もっていた本で目の前の頭を突く。ほんとバカ、どうしようもない馬鹿だよおまえ。まだ太刀川さんの方が頭が回るんじゃないか、と同級生を見るたびに不安になる。一撃でへにゃ、と潰れたバカのつむじを眺めてみる。死んだか?
「出水にいわれなくとも知ってるよそんなの、でも現実的に無理じゃない?」
机に身体を伏せたまま本に片手を伸ばしてくるので後ろに避けてかわす。
「ものは試しじゃね?」
「じゃあ出水もやってね、遅刻ギリギリに出てトースト咥えて走ってきて」
「はあ?おれは出会いとかもとめてねーし、ひとりでやればいいじゃん」
「彼女は欲しいんでしょー、米屋が言ってた」
 アイツいらんこと言いやがって。今度カチューシャもぎ取ってやろう。いつが暇だろうか、と脳内カレンダー内に印をつける。
「誰がやるかバカ」
「バカっていう方がバカだもん!っていうかなんでいきなりそんな話題になるわけ?なんか変なモンでも食べた?拾い食いはやめときなって、太刀川さんじゃあるまいし」
「おまえの中の太刀川さんてなんなの?」
 うちの隊長はたしかにいつも単位が危ないとか、英語どころか漢字すらも怪しいところあるけど、悪い人じゃない。不審だし怖いけど。まあ確かに時々常識とか疑いそうにはなるし、拾い食いしてるの見たって言ったら信じるけどさ。
悶々と思考を巡らせていたが「隙あり!」という声で意識が戻る。あ、やべ。手元の意識から逸れ、持っていた本はバカの手にわたっている。
「出水くーん、これさあカバーかかってるから一見わかんないけど漫画だよねえー、こんなの持ってきて挙句読むなんていいのかなー」
「返せよ、まじで、やべーから」
「…………なるほど?」
ひとり納得顔で頷くが絶対こいつ勘違いしてる。見られて嬉しいモンじゃないし褒められた行為じゃないのはわかってる。ただコイツに中身を読まれるのだけは回避したい。
「それわかってねえ奴が言うセリフだろ!」
「何回バカっていうわけ?」
「さっきはバカっていってねえよ」
「遠回しにバカって言ってた!わたしは行間を読みました」
おまえのは行間じゃなくて曲解だろ。
「それは現代文のテストでやれよバカ!」
「またバカって……」
これもうエンドレスじゃん。頭を抱えたおれの背後から場違いな愉悦に溢れた足音が近づく。こちとら今修羅場だってのに。
「なになに、おまえら何やってんの?」
「これ以上この場にバカはいらねえよ……」
「え、何?開口一番罵声?なんかしたっけオレ」
「あー、したした。つーわけで、調停頼むわ、元凶はオマエだと思うことにする」
「米屋!出水って彼女欲しいのよね?」
「まじでこれ何?さっきまでと会話全然違わねえ?」
「バカにはバカ当てるしかないだろ」
「いうじゃん弾バカ」
とりあえずおれは呼吸を整えたい。コイツに付き合ってると疲れる。もっといい方法はないのか。一時休戦という風体でペットボトルのミネラルウォーターを呷る。「ほいよ」米屋から本が渡される。あー、とかうーとかどっちともつかない声で返事をした。槍バカ、おまえ、その顔やめろっての。
「ってことで出水も参加だから」
「なんて?」
「ドキドキ!食パン咥えて恋も食べちゃお作戦〜!」
「ネーミングセンス母親の腹に忘れてきたのか?」
「センスに関しては出水は口出ししたらダメじゃない?米屋ないちゃうよ」
「え〜んえ〜ん、出水くんがいじめる〜」
収集つかねえな、もう口出しする元気も湧かない。おれはふたりを眺めて、落ち着くのを待つ。ちらちら米屋が視線をよこすが、直接言葉をかけられるまで待機するつもりだ。やられっぱなしで終わるのはおれじゃないだろ。顔に覆った手を退けて、出てくるのは満面の笑み。
「遅刻ギリギリに出てトースト咥えてぶつかるのがルールな」
「参加前提なのまじで納得いかねえんだけど」
「いいじゃん〜、こんなバカ騒ぎで失恋の傷が癒えるなら安いもんだろ」
「審査員は名誉会長の米屋くんだよ」
「勝った方が来週の日曜日にメシを奢ること、以上!」
ツッコミどころしかねえじゃん。視線だけで米屋の隣に立つアイツを見る。にへにへわらっている。さっきまでちょっと泣きそうだったくせに。
「ねえ出水、一緒にトースト買いに行かない?」
「おれは参加したくないから遠慮しとくわ」
「そう言ってられんのもいつまでだか〜」


日頃の行いは悪くないはず。だって昨日だってそこそこマジメに生きてたし、なのに、かだからかはわからんが、とにかく、セーフかアウトかのギリギリのラインを爆走していた。
でもってこういう時に限ってなんかヤバい予感がする。遅刻するとかしないとかそうじゃないけど、こう、第六感ってやつ。闇雲に走れば走るほど深みにハマっていく感覚に陥る。沼地を走るのと似てるんだよな。少しでも冷静になりたい。そしてそういう時ほどバスは渋滞してる。最低限の出席を取らないとマズイ、ウチの担任は遅刻だけは厳しい。
スニーカーに感謝しながら、ラストのコーナーで加速する。ここを曲がれば校門、ここさえ乗り切ればセーフ。不安は相変わらずおれの背中にぴったりついている。だけど、一瞬、エクボを見た気がした。いやまあ全部幻覚なのはわかってんだけど。
「きゃっ」
「うお」
「あぶっねー、ナイス回避……っておまえかよ!」
既に4分の1サイズまで小さくなった食パンを手にしたバカと遭遇した。絵面が完全にバカ。紛うことなきバカ。そしてそのバカは残りの食パンを一口で頬張るとおれの腕をとった。え、なに?怖。それ一口サイズじゃなかっただろ。そのあとはなされるがまま、気がついた時には下駄箱の前に立っていて、バカは晴れやかな顔でおれをみた。こんな顔ランク戦で勝ったときにしか見せないタイプのやつ。
「とりあえず、何とかなったね!出水が遅刻ギリギリとか珍しいね」
「まあ、いろいろあんだよ」
「出会い探しながらきたらこんな時間だったの」
不安ってこのことか。
「おまえ正気じゃないから話すの怖いんだけど。なんで食パン食いながらきてんの?せめて咥えてこいよ、ガッツリ食うなよ、普通に引く。つーか引いてる……」
「おふたりさんおはよ、いやあ芸術的だったねえ」
「芸術じゃなくて狂気の間違いだろ」
教室からによによ笑う米屋に顔を顰める。そりゃ傍からみてればおもしれーで終わりだけど、おれにとってはバカぷりに引くしかない。
「ってことで、ドローな。そういうわけで二人ともオレに飯を奢ってね」
さてはコイツ最初から2回奢ってもらう気だったな。いやー、いい勝負でしたなー、と笑う米屋を教室の角まで引っ張っていく。図ったな?
「よかったじゃん、出水」
囁くとおれの脇腹を肘でぐりぐりとくすぐる。嫌な予感はいろいろ内包してくれていたらしい。悪くいってごめん、おまえは正しかったよ。現実逃避するおれの肩を組んで、米屋は愉快愉快とそりゃもうよく喋る。おれの感情追いつかねえよなんで朝からそんな元気100倍なんだよおかしいだろ。
「少女漫画まで買って予習しておいてよかったな。495円が無駄になんなくてラッキーじゃん、彼氏も運命の相手も一気に失せて、あとはもう、な?実質これあとワンステップだけじゃんオラオラ」
「うるせえ、ぜっったいにアイツにいうなよ!」
いわないって〜、と笑ったアイツの真っ黒な目を信じて挙句、はめられて土曜日におれとあのバカがデートする羽目になるのはまた別の話。