Spoil

シルヴィア・ヴァレは揺るぎない。
一人の命よりも数多の命を選び、個人よりも組織を優先する。選択を迫られた彼にとって、感情というものは無いに等しい。
それが使命であるならば、死地に赴くことも部下や友を喪うことも致し方ないで済む。
より良い結果を得る為に犠牲は付きものだから、と。

時折シルヴィアは考える。
幼少の頃の自分は、きっと今の自分を嫌うだろうと。
まだ無垢であったあの頃はもっと人の感情であったり、人となりを大切にしていた。
だからといってあの頃に戻りたいとも思えなかった。
今あるものを無かったことには出来ないのだから。

後ろを振り返ることは出来ない。
何本にも分かたれていた道は、いつの間にか今歩く道だけになった。
振り返ったところで死んだ骸に合わせる顔などない。
ただこの一本道を突き進むしかなかった。


木々の生い茂った森林の中。いくつかのコテージが建ち並ぶそこは、貴族の別荘であったり隠居先であったり。
その中のひとつに、わりと目立たない配置に建てられたそう大きくないコテージがある。
わりかし真新しいようでずっと前からそこに建っていたような、不思議な外観のものだ。
そのコテージの中の二階、寝室にあたる場所にシルヴィア・ヴァレは存在していた。
クローディアが住処にする場所のひとつである此処に、数日前ふらりとやってきて。
軍には休暇をもらったからとたった一言告げてからというものの、自堕落に過ごしている。

ベッドの中であたたかい布団に包まって眠っていたのはつい先刻までのことで。
今はだらりと天井を見つめたまま微動だにせず、時折長い睫毛がしなやかに瞬きをするだけだ。
シルヴィアが眠ったのはかれこれ十数時間前のことで、惰眠を貪ったとはこのこと。
目覚めたときには既に遅かった。眠っていたが為に、放置しすぎた身体の中が空洞のように無気力で。
一歩誤れば吐き気のような感覚に、ようやく自分が空腹であることに気付いたのだ。

「ロディ」

自身でした想像より随分掠れた声が発せられ、思ったような声量もなかった。
それでも呼ばれた相手はちゃんと気付いたようで、木の階段を上がる音が段々と大きくなる。

「お目覚めか?ルヴィ」

扉が開いた音がして、次に目に入ったのは秋に舞う紅葉のように鮮烈な紅。
まだ覚醒にしない眼で捉えたそれは、鮮やかで美しい。
その光景にふにゃりと顔を綻ばせて紅に手を伸ばす。

「なんだ?寝惚けてんのか?」

くしゃりとその髪を撫でると紅、もといクローディアが笑った。
そのままクローディアの首に腕を回して起こして、と強請ればゆっくりと引き寄せられて上体が起き上がる。
起き上がっても変わらず首にまとわりついているシルヴィアに、クローディアが気にした様子はない。

「ふふ」
「良く寝たな?」
「ん、久しぶりかも、起こされないの」
「だと思って放置してやった」
「ありがと」

綺麗な唇が弧を描いて、なんとも締まらない顔を見せる旧友にクローディアはため息を吐いた。
その顔を弟子にも見せてやればいいものを、と。
こんなふんわり締まらないシルヴィアを見たら彼らは呆れるだろうか。
それとも惚けるだろうか、と遠い軍にいる彼らを思った辺りで頭に衝撃がやってきて思考が中断された。

「ロディ、お腹空いた、考え事してないでご飯」
「お前な、頭突きすんな。飯なら温めるだけだっての」
「じゃぁ下いこ」

さも当然の如く、持ち上げろとばかりに動かないシルヴィア。

「…てめぇで歩けよ?」
「呼んだらすぐ来るくせに?」

もう何度目かわからないため息を吐きながら、クローディアは力を入れた。
大した力を入れずとも簡単に抱き上げられるシルヴィアはまた一段と軽くなった気がした。
痩せたか?なんて言葉にはしないが、本人には十分伝わってしまったようで。

「いつからロディは私の体重計も兼ねるようになったの?」
「お前がすぐまとわりつくからだろうが」
「私だって誰かに甘えたいことだってあるよ」
「…わーってるよ」

貴族の嫡男として生まれたシルヴィアは家族の愛には恵まれていた。
それでも父母や姉たちにべったり甘えることはなかった。
軍属になればなおのこと、人を導く立場にあって甘える立場にはなく。
弟子の前では完璧でいなくても良かったが、完全に力を抜くわけにも行かず。
まだまだ自分が守ってやらなくてはと思ってしまう自分がいて。

クローディア・スペードは唯一無二の友だった。
私のどうしようもない約束を守る、優しい男。
そんなことでしか彼を生かしておけない自分に、シルヴィアは時折嫌気がさす。
唯一無二の友に、自分の死を見届けさせるなんていう残酷なことを強いるシルヴィアを許してくれる。
それすらもシルヴィアの甘えでしかないと、彼はわかっているのだ。

「食べたらまた寝ようかな」
「…好きにだらけてろよ」
「おやつはパンケーキが食べたいなぁ」
「へいへい」
「夜はね、…」

このまま全部を台無しにしてもいい。
この手で全てを終わらせてもいい。
でも今はまだ、君の我儘に付き合っている。

この一本道の終わりまで。