As You Like It.

「おかえりなさい、お兄様」

そう言うや否や背を向けて自室へと歩いていく妹の背を見てレクスは仕方ないな、と笑う。
アリソンの家に引き取られてからというもの、貴族の息女であることを忘れないというのが彼女の信念。
だが、毎年こうなのだ。こうして一年に数度あるかないかの回数を彼女は兄であるレクスに甘えて見せる。
自分が軍の所属になって数年、いつ兄離れするものかと思ったがまだまだ先のことのようにも思えて。
その日のことを思えば寂しくないといえば嘘になる。でもそれと同時に親として、兄として喜ばしいことでもある。
いつかそんな日を迎えるまではせめて自分の傍で笑っていてほしいというのがレクスの願いだった。

「セレスティナ、入っていいか?」
「はい」

彼女の部屋のドアノブをゆっくり回して、年頃の女子にしてはシンプルな部屋に足を踏み入れる。
ソファの上で俯いてクッションをぎゅっと抱き締めていたセレスティナが顔を上げた。
レクスは彼女の隣に座って自分の左目と同じ色の青を見据える。

「セレ」
「うん」
「ただいま」
「おかえり、お兄ちゃんっ」

貴族の息女でもなんでもない、昔から変わりのない元気な妹の笑顔。
それは兄として一番疲れの癒される瞬間であった。

「今年も、ちゃんと帰ってきてくれた」
「兄ちゃんはセレが呼ぶならいつでも飛んでくるだろ?」
「お兄ちゃんは心配性なんだから…」
「兄貴が妹の心配して何が悪いんだよ」
「ふふふ」

嬉しそうにもたれかかってくる妹の頭を撫でてやると、花が綻んだようで。
今年も約束を守ることが出来たことに安堵する。

「そうだ、これ」
「ん?」
「お兄ちゃんが約束を守れたら渡そうと思ってたの」

セレスティナは自身の横に置いてある包装された箱をそっと兄に差し出した。
細長いそれは赤と青のリボンが結んであり、受け取ってすぐにその意味に微笑む。

「開けていいか?」
「もちろん!」

リボンを解き包みを破いて箱を開けると、髪を結ぶ為の美しい青い組紐が綺麗に収まっていて。
組紐を手に取ってみると、優しくてあたたかい魔力の流れが感じられた。

「私の魔力を込めたの」

魔力を行使する術は護身程度にしか教えてこなかったレクスは、セレスティナが物に魔力を込める方法を誰かに教わったということをすぐに理解した。
頭にすぐ浮かんだのは彼女が"くーちゃん"と呼び慕う自分にとっても兄貴分である男。
だがレクス自身の直感がそうではないと告げ、少し前から妹の手紙に書かれるようになった少年の存在が脳裏をよぎる。
妹の丁寧な字で綴られた"ヘルト"という文字。
まだ先かと思った兄離れも、そう遠い日の出来事ではないのかもしれないと思いつつ胸の内に秘める。

「俺が教えたのに」
「それじゃだめ!お兄ちゃんの為に出来るようになりたかったんだもん」
自分の為だという言葉につい、口元が緩む。
「それは嬉しいな」
「ほんと?良かった…私もお揃いで同じの買ったんだ」
「じゃあ、セレの組紐貸して?」

素直に手渡された組紐を軽く握って集中する。
魔力を込めるというのはレクスにとって愛情を注ぐのと同じで。
中には魔力を込める行為を気難しく捉えて固い表情をする人間もいるが、レクスは違っていた。
全く違うのに親しい人間に出す料理を作るときのような、優しい感覚。

「お兄ちゃんの魔力って陽の光みたい…」
「ん。出来た」
そう言うとレクスは立ち上がり、セレスティナの髪を慣れた手付きで結って組紐を付ける。
再度ソファに座り、おいでと手を広げた兄の要望に答えるべくセレスティナが立ち上がってぎゅ、と抱き着いた。
そして目の前でくるりと一周して見せる。

「可愛い?」
「世界一」
「お兄ちゃんは大袈裟ね」

照れ隠しとばかりに呆れて見せる姿に、わかっていても問うてしまう。

「信じてないのか?」
「ううん、お兄ちゃんは私に嘘吐いたことないもの」

自信たっぷりに胸を張る妹にふは、と笑いが漏れた。
そんなレクスにつられてセレスティナも笑い出す。

「ふ、笑いすぎちゃった…!…ほんとにありがとう、お兄ちゃん」
「明日はどっかセレが行きたいとこ、どこでも連れてくからな?」
「お兄ちゃんと行きたいところ、リストアップしたから明日は覚悟してね?」
「かしこまりました、お姫様」

レクスが恭しく胸に手を当てて見せた。

「あと…寝るときに、何かお話して…?」
「勿論」
「あとね、あと…」
「そんな焦らなくていいさ、何日もあるんだ」
「…!うん」

後何回、何十回、二人で笑い合えるのかもわからない。
だから、いつ思い出しても笑えるように。

愛する妹のお気に召すまま。