幸村精市に恋をして五感を奪われる話

幸村くんはテニスで五感を奪えるらしい。

どういった原理?と柳に問えばWイップスWというものが作用しているらしい。

それはどういうこと?って聞いたら「精神的プレッシャーで体が思うように動かなくなることだ」と、柳はスポーツが素人の私にも分かりやすく説明してくれた。

「なるほど、ということは私は幸村くんに精神的プレッシャーを感じているってこと?」
「……つまりそれはお前は精市から五感を奪われる、もしくはイップスの状況に陥っているということか?」
「yes!」

私が元気に答えれば柳は何とも言えない顔をした。
困っているような、これ以上深入りしたくないというような、そんな顔。でも優しくて知的好奇心を飼い慣らしていない柳は結局ため息を吐きこう言った。

「……話を聞こう」













それに気がついたのはつい最近──

「おはよう」

後ろから聞こえた挨拶。それは私に向けての挨拶だと分かった。

なんで?と聞かれても答えられない。
今は登校中で立海大の生徒がたくさんいるのに、その声はハッキリと私の耳に入るのだ。

「おはよう、幸村くん」

後ろを振り向いて挨拶をすれば幸村くんはそこにいて、やっぱり私に挨拶してくれたんだ、と朝から会えたことと声をかけてくれたことに声が自然と弾んだ。

「今日朝練は?」
「昨日試合だったから休みなんだ」
「そうなんだ。テニス部のことだから常に練習!練習!練習!って思ってた」
「まぁ、そういう時代もあったね」

幸村くんはそう言って苦笑した。
そういう時代もあった、なんて言い方が面白くて私も小さく笑った。

「君は昨日何してたの?」
「家でゴロゴロしてた」
「それなら試合応援来てほしかったな」

儚げに笑う姿に胸がどきっ、と高鳴った。
幸村くんはこうやってサラリとリップサービスをするから心臓に悪い。

「だってテニスのルール分からないし」
「それなら俺が教えてあげるよ」
「私、物覚え悪いよ」
「君が成績良いの、俺知ってるけど」

何で知ってるの?

そう言葉が出かかって引っ込める。

まぁ、家で勉強はしているし、それなりに授業態度は良い方だけど、テストの成績が張り出されているわけでも順位を言いふらすことはしていないのに何故だ?

と、驚いて幸村くんを見つめれば「ふふ、内緒」と上品に言われる。

そうですか。

幸村くんは優しそうな見た目だが、実際はかなり頑固だ。

だから聞き出すことは困難だろう。

まぁ多分、柳あたりが関係してそうだな、と予想はしておこう。

「でも本当に来てくれたら俺、もっと頑張れそう」

なんて、嬉しそうに言うからまた胸がキュンと鳴って。

「……そしたら考えておくよ」

って思わず言っちゃった。

だってそう言うしかなくない?ここで断るとかそんなこと出来る?

でも、それを言ってしまったが運の尽き。

「本当かい?そしたら来週も試合だから俺の出る時間教えるね。念の為部員にも来ること言っておくから見学の場所とかルール分からなかったら聞いていいから。あぁ、でもルール教えるのはやっぱり俺がいいな。そしたら誰の試合がいいかな。赤也の試合は悪影響だし、真田も場合によっては暑苦しいし、仁王は特殊、丸井はチャラいならな、う〜ん、柳か柳生かジャッカル辺りが無難だけど組み合わせによってはダブルスだからなぁ」

何やら考えているけど、あれ???と私の頭は疑問符だらけ。

私「考えておく」って言っただけなのに、行くこと確定になってない!?
しかも部員、正レギュラーを巻き込むつもりだ!

「ゆ、幸村くん…?あの…」

当日行けるか分からないよ、とやんわり伝えようとしたかったのに「あ、俺舞い上がりすぎだよな。ごめん」って照れたように笑うから「……はひ」って返事しか出来なかった。

これを断るとか、どんな鋼の心の持ち主だ……!!

でも幸村くんが照れくさそうに、でも嬉しそうに笑うから、まぁ少しだけ見学しようかな、なんて気持ちにさせられる。

そんなことを話していればもう学校には着いていて。

ああ、楽しい時間はそろそろ終わりだ。幸村くんといると時間があっという間に過ぎてしまう。

幸村くんとはクラスが別だ。だからもう少しでお別れ。

もう少し一緒にいたかったな。

そう思うと脚が途端に重くなる。
ズルズルズルズル、と脚を引き摺るようにクラスまで向かう。
このとき何となくだけど私の歩くスピードが落ちたからか幸村くんもほんの少しだけ歩くスピードを落としてくれたように感じて。

そんな些細なことが嬉しくなる。

「君と話すと時間があっという間だよ」

あっ。

「私も、同じこと思ってた……」

グッと胸が、よく分からない感情でいっぱいになる。
嬉しいのに苦しい。

もっと一緒にいたいな、と思う気持ちは友達にも抱くけど、それとはまた少し違っていて。

幸村くんは男子だから、みんなに感じることと少し違うのかな、って。

「それじゃあ、またね」と言って幸村くんは自分のクラスへ入って行ってしまう。

このとき私は虚しさを感じる。

もっと一緒にいたかったな、って思いと、また会いたいなって気持ちが入り混じる。

幸村くんが見えなくなった途端、学校特有の騒がしさが耳に入った。

ざわざわとなる音はさっきまで聞こえなかった音たち。

不思議だ。
でも幸村くんといるときはいつもそうなのだ。どんなにうるさい場所でも、何故か幸村くんの声はハッキリと聞こえるの。

まるで幸村くんの声以外の音が奪われたみたいに──







「ってことがあってね、幸村くんの声は聞こえるのに幸村くん以外の音は聞こえなくなるの」

柳に一通り説明すれば「……そうか」と言った後「ちなみに」と続けた。

「言っておくがお前の成績を言いふらすことはしていない」
「そうなの?」
「あぁ、流石にプライバシーに関わるからな」

そっか。まぁそうだよな。
この際何で知ってるの?ってことは言わないでおこう。話の論点がズレそうだから。

「それにしてもお前のそれはイップスとは状況が違うな」
「あ、やっぱり?」
「あぁ」

だろうな、とは思った。

柳の説明のイップスは全ての音が奪われるだろうし……

でもなぁ。

そう考えていれば柳は分かっているように言った。

「他にもあるんだろう?」
「っ!?そうなの!!他にもあるの!」

流石柳だ。
音だけなら、まぁそんなこともあるかな?って思うくらいだけど実はまだ奪われたものがあるのだ──










それはとある日の放課後。
ウキウキしながら帰ろうとしたら先生に呼び止められ「すまないがこれをゴミ置き場に持って行ってくれ!」と言ってバタバタと走り去ってしまった。

はい、なんて返事をする暇もなく。
廊下を走ったら真田くんに怒られますよー、なんて言う余裕もなく、先生の背中は見えなくなってしまった。

チラッと見たゴミは枯れた葉っぱたちだった。袋はひとつ。そこまで重たくないかも、と予想して持ち上げれば確かに重さはない。だけど、面倒くさ、という思いは芽生える。

でも流石にシカトは出来ないからな。

優等生で通っている私は仕方ないと割り切ってゴミ置き場に向かった──


ゴミ置き場は少し遠い。
持っているゴミが重ければブチ切れていただろうが散歩程度にはなったかな、ぐらいに思っていれば、そこには人がいた。

しかも。

「あれ?珍しいね」

そこにいたのは何故か幸村くんで。

先生頼んでくれてありがとう!

そう思った私はなんてゲンキンなのだろう。

「幸村くんの方こそ!」
「俺は美化委員だから掃除していたんだ」
「そうなんだ、お疲れ」

そう言うと「ありがとう」と、ふわっと優しく笑って、そして私が持っている物を見た瞬間顔が険しくなった。

「それ、重くなかったかい?」
「え?あ、大丈夫だったよ!」
「誰に持たされたんだい?」
「先生だよ」

一瞬の間。
そのあとため息をついて。

「……あとで俺から言っておくよ」

誰に?何を?

怖くて聞けない。
もし先生本人だとしてもやんわりと自分の意見を言いつつ、チクリと言葉の針を刺しそうだ。

真田くんみたいに怒ったり殴ったりしないのに、たまに幸村くんは言葉選びが上手くて圧がある。

まぁ、その圧は私に向けられたことはないけど。

幸村くんは私が持っているゴミ袋を当たり前のように持ってくれて、そのまま特定の位置へ置いてくれた。

「ありがとう」
「どういたしまし、」

どうしたんだろう?

幸村くんは私の方を振り返り、途中で不自然に言葉を紡ぐのをやめた。まるで何かに気がついたように、キョトンとし「ふふ」と笑って「ねぇ、そのまま止まってて」と言った。

んえ?

何が何だか分からない。
でも、幸村くんはある一点を見つめながら私に近づいてくる。

目の前に立つ距離感はいつもより近い。
ふわりと香る柔軟剤がいつもより大量に私の鼻に入って、胸がいっぱいになって。

伸ばされる手をぼぅっと見つめる。

嫌悪感もない、傷つけるわけがないその手は優しく私の頭に触れ、カサッと小さな音が聞こえた。

楽しそうに目の前で、くすり、と笑う姿に目を奪われて。

「葉っぱ」

そう言って幸村くんは葉っぱを見せるけど、私は葉っぱなんか目に入らなかった。

幸村くんしか、見えない。
そのとき幸村くんの姿以外の視界が、奪われた──






「ってこともあったんだ」

聴覚だけではなく視覚も奪われたのだ。幸村くんがいるときに。

柳に、どう?どう?と意見を求めるように視線を投げ掛ければ「なるほど」と落ち着いて首を縦に振った。

「精市のイップスは聴覚視覚触覚を奪う。お前は触覚を奪われたのか?」
「それが触覚は奪われたことはなくて…」
「そうか」
「時間とか正常な判断を奪われたことはある」
「……続けてくれ」
「たまに幸村くんと電話するんだけど気がつけば朝になってた、とか。電話がかかって来た時間は22時だったのに時計見たら朝の6時だったんだよ!?怖くない!?タイムスリップしたかと思ったし、8時間も幸村くんと喋った記憶がないの……はっ!!記憶も奪われている……?」

なんと記憶も奪われていたみたいだ!!

驚愕する事実に柳は「……記憶も奪われているんだな」と口先だけでオウム返しをする。

え?ちゃんと聞いてる?

「……続けてくれ」
「あ、うん。あと私、普段甘いもの食べないんだけど幸村くんが『これ、好きだろ?』ってチョコを渡しに来てくれて。好きじゃないのに『うん!好き、ありがとう!』って答えてた……正常な判断があのとき奪われてた……」

私いつか変な壺買わされたり借金背負わされたりするんじゃないかな……

え、こわい……!!

助けを求めるように柳を見つめれば柳はゆっくり頷いた。

「大体の状況は把握した。そしてお前のイップスらしきものの理由も」
「ほんと!?」
「あぁ。どうやら精市はとんでもないものをお前から奪っていったらしい」
「と、とんでもないものを!?」

それって……

「それって一体」
「それを教えるのは俺の役目ではない……精市」

柳は私の後ろに語りかけた。

精市って、まさか!

「ゆ、幸村くん!?」

後ろを振り返ればそこにはニコニコと笑っている幸村くんがいた。

え??いつから??
ついに気配を感じとることすら奪われた??

「苦労かけたね、柳」
「気にするな。では俺は退散しよう。馬に蹴れるのはごめんだからな」

私が疑問を浮かべていれば2人は何やら話を進めていく。

その話にすら馬?蹴られる??とよく分からなくて首を傾げる。

「邪魔したわけじゃないんだから蹴られることはないだろ。あぁ、今度練習付き合ってくれよ」
「……馬に蹴られた方がマシなようだ」
「ふふ、冗談だよ」

馬の蹴り食らったらひとたまりもないよ?

私がそう思えば柳は私を見て口を薄く開いて、閉じた。

え、何を言いかけたの?

って思ったけど柳は結局私たちから背を向け去って行く。

な、何だったんだ一体?と首を傾げるがここでさらに重大なことを思い出した。

「柳と何の話をしていたの?」

思わずビクリと肩が跳ねた。
そう、幸村くんはまだいるのだ。

「そ、れは」

言ってもいいのだろうか?幸村くんことを話していた、と。
知らないところで幸村くんの話をしていたと知って幸村くんはイヤな気持ちにならないだろうか?と不安になる。

だけど私と目を合わせた幸村くんは微笑みを絶やすことはないし「ん、何?」と優しく言ってきた。

それはいつもの幸村くんで。幸村くんが私に怒ったり私を嫌ったりしないだろうな、ってそう思って。

「ゆ、幸村くんのこと」

そう口にしたら「ふふ、そうなんだ。どんなことを話してたの?」って楽しいそうに聞いてきた。

「幸村くんといると、なんだか私おかしくなっちゃうみたいで……」

あれ?この言い方ではまるで幸村くんのせいだと言っているようでは!?

そう思って「あ、いやっ!ちがくて、いやちがくないけど!」って意味が分からないことを口にする。

焦っている私を幸村くんは優しく見つめて答え合わせするように問う。

「俺以外の音が消えたり見えなくなったりするってこと?」

それは今まさに柳に相談していた内容で。
そういうこと!そういうことなの!!と首を縦にブンブンと振った。

「うん、そうなの……でも、おかしい、よね?」


だって音が聞こえなくなるとか、目の前にあるものが消えるなんて、そんなことあるわけないのに……

「俺も同じ」

え?

「俺も君といると君以外の音が消えて、君以外見えなくなる」

嘘だ。
ってそう思った。
幸村くんは優しいから私に話を合わせてくれたんだ、って。

でも、幸村くんは私を真っ直ぐ見つめてくるから嘘なんかじゃない、ってすぐに伝わって、

「……本当?」
「うん、本当」
「幸村くんも同じなの?」
「うん、同じ」

一緒、幸村くんと同じ……なんだかそれって。

「嬉しい、かも」

変なの、さっきまで柳に相談するほど悩んでいたのに。今は幸村くんと同じってことが嬉しくて安心して、幸せで。
それで気がついたの。
私はこの感情を知っている。この感情って、もしかして。

ひとつの答えが出る寸前、幸村くんは優しく私の名前を呼んで、そして。

「好きだよ、良かったら付き合ってほしい」

時が止まった。

あぁ、まただ。また、私は幸村くんに時間を奪われた。
しかもそれだけじゃない。声を出したいのに声が出せない。
どうやら声帯すらも奪われたようだ。

黙る私に痺れを切らした幸村くんは笑顔で一言付け足した。

「君から「はい」って返事を聞かせてほしいな」


あれ?告白の返事って「いいえ」が存在するんじゃなかった?

「はい」以外を許すつもりはないみたいだ。

怒涛の展開に私は呼吸するのを忘れていた。
あぁ、この人は呼吸までも奪うのか。

いや、そうじゃない。

私はとんでもないものを奪われていたんだ。
恋心ってやつを──


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