「ねぇ丸井くん、数学の教科書貸して」
隣のクラス。中学の頃から仲が良い丸井くんにそう言えは「お、いいぜ」とゴソゴソ机の中を漁り、ほいっ、と私に渡した。
「ありがとう、終わったすぐ返すね」
「頼むぜぃ」
じゃあね、と手を振って本鈴が鳴る前に自分のクラスに着く。
ほっとしながら席に着けば蓮二が目の前に立っていた。
「教科書忘れたのか?」
「うん、丸井くんから借りた」
私と同じ教科書。それなのに教科書の端が少し折れてたりほんの少し汚れていたり。私と同じ教科書のはずなのにどこか違う、そんな丸井くんの教科書を見つめれば。
「珍しいな」
落ち着き払った声を落とした。
「……そうだね」
それはどっちに対してだろう。
教科書を忘れたことに対してか、丸井くんに借りたことか。
もし後者ならすごく嬉しい。
だって私は蓮二に嫉妬してほしいから。
、
嫉妬してほしいな。
初めてそう思ったのは、蓮二が女の子と話しているとき。
女の子が持ってる資料を覗き込んでいる蓮二と女の子の距離が近くて息を呑んだ。
彼らにとっては何てことない日常会話。それだけのことなのに私は泣きそうになった。
女の子の隣に立つ蓮二を見るだけで胸が痛くなる。胸に棘が刺さったみたいな、ズキッとした痛みは私の呼吸を乱していって。
蓮二のこととなると本の小さなことで不安になる。
いつか蓮二が他の人のところに行くんじゃないかって。私より頭が良くて綺麗で運動神経が良くて。
私を捨ててそんな女性を選ぶんじゃないかってバカみたいに悩んで。
蓮二はそんな見た目とかで選ぶ人間じゃないって思うけどそれなら私と付き合っている理由は何なのだろうって。
私ばかり、余裕がない。
蓮二はいつも余裕なのに、私ばっかり右往左往してる。
私が男子と話していても蓮二が気にする素振りを見せたことはない。
というより、興味がないのかも。私が男子と話そうが何をしようが、蓮二にとってはどうでもいいんじゃないのだろうか。
私だって、蓮二に嫉妬されたい。
蓮二が嫉妬すれば分かるはずだ。私の不安も悩みも、蓮二のことがどれだけ好きかということを。
いつかこの嫉妬心で私は壊れちゃうんじゃないか、そう心配するほど私はこのことについて悩んでいる。
それに蓮二みたいにたくさん読書してるわけじゃない。だからこの痛みや不安をどう表現したらいいか分からない。ただ痛みに耐えるだけ。
少しでも私を壊してしまいそうな嫉妬心をどうにかしたくて、嫉妬という言葉を辞書で調べた。
[嫉妬とは
他人が自分より恵まれていたり、すぐれていることに対して、うらやみねたむこと。
自分の愛する者の愛情が他に向くのを恨み憎むこと。]
──恨み憎むこと。
その言葉に胸がぎゅっと締め付けられた。
好きなのに、どうしてそんなこと思わなくちゃいけないんだろう。
ずっと幸せでいたかったのに。誰かを好きになることは尊く、美しく、綺麗だと思っていたのに。
綺麗な感情が膨れ上がれば上がるほど、醜く苦しい想いも一緒に湧き上がってくる。
他の女の子と話さないで、私の側にいて、私だけを見て、好きでいて、必要として。
恋ってこんな罪深い感情だったんだ。知らなかったな。
蓮二は知識だけじゃなくてこんな感情も私に教えてくれるんだね──
、
「どうかしたか?」
「あっ、な、何でもないよ!」
一緒に下校していたがどうやらボーっとしていたみたいで蓮二の声に我に変えり、苦笑した。
だって咄嗟に出た何でもない、という言葉が私の心とは正反対だったから。
何でもないなんてこと、ないくせに。
私はこの醜くい感情を蓮二に知られたくない。嫉妬されたいと願うのに、知られたくないなんて私はやっぱり傲慢だ。
しかも嫉妬されたいってことは、それはつまり蓮二に嫌な思いになってほしい、と願っていることで。
恨みや憎しみを抱えてほしい、ってことで。
……それは、嫌だな。
同級生と比べて落ち着いていて大人っぽくっても蓮二だって私と私たちと変わらない学生なんだ。
それにテニス部の参謀なんか呼ばれて頼りにされて、生徒会だって入ってる。そんな蓮二にこれ以上、背負わせたくない。
本当だったら蓮二の大変さを私だって背負いたい。それなのに、嫉妬してほしいなんて。彼の重荷になることを思ってしまって。
蓮二にこの気持ちを知られたくなくて、私は顔を伏せたまま。目を合わせたら全てを見透かされてしまいそうで。
少しの沈黙の後、蓮二の指が私の髪を動かした。その指が頬と耳に触れたビクリと体が跳ねたが、彼は気にせず横髪を耳にかけた。
頬や顔が剥き出しになる。
「…ぅ、ぁ」
その剥き出しになった肌をジリジリと焦げそうな程で見つめていた。その熱は逃がさない、と言わんばかりで。
「あまり、他の男子と仲良くするな」
思ってもいない、それでも心の中で望んでいた台詞に勢いよく蓮二の顔を見る。
「ぁ、?え…?」
「お前は話すとき距離が近くなる。他のやつらが勘違いする」
「あ、うん…」
「それとも、わざとか?」
咎めるような声にハッとなって「ち、違う!」と言った声が思った以上に大きくなった。
「ならば、俺の言うことが聞けるな?」
有無を言わせない、そんな圧を感じて首を縦に振って。
じわり、と胸の中に広がる感情は初めてだった。幸せとは違う、ねっとりしたものが胸の穴を埋めていくようで。
それは毒のように全身を回っていく。もっとその感情に飲み込まれたくなって。
「……蓮二も、嫉妬したの?」
喜びと、細やかな束縛に胸が震えてそう言えば、蓮二は見たことない顔で答えた。
「お前程では、ないがな」
知られていたんだ。
そうだよね、蓮二が知らないはずがない。
それならこうして言ってくれたのはきっと──
嫉妬していたことを知られていた気恥ずかしさと、蓮二も私ほどではないけど嫉妬してくれていたことが嬉しくて、私は笑った。
おわり