真田弦一郎は私のことを好きじゃなくなったようです

弦一郎が「好き」って言わなくなってから、半年が経った。

この半年、私はずっと黒くてもやもやした不安と恐怖を抱えていて。

何度も弦一郎に「どうして『好き』って言ってくれないの?」って詰め寄りたくなった。

でもそれが出来なかったのは「好きではない」と言われるのが怖かったから。

嫌な考えはずっとずっと頭の片隅に居座っていて。それから目を背けていて。

でも、弦一郎と付き合ってもうすぐ1年が経つ。だから、そろそろ決着を付けなくちゃいけないんじゃないかな、って。

付き合い始めたときは楽しくて、幸せだった。
私たちが始まったきっかけは、弦一郎からの告白からだった——








放課後の教室。
その日は真田くんと日直だった。
好きな男子と日直なんて、それだけでドキドキして。私の運使い果たしたんじゃないの?って思うくらい、私は舞い上がっていた。

でも、ひとりで舞い上がってるって知られたら恥ずかしいから、平常心、平常心、っておまじないのように唱えて。


「真田くん日誌書けた?」
「もう少しで終わる」
「りょーかい、私は何書こうかな。真田くんは何書いてるの?」


っていつも通りのテンションで話しかけて、日誌を覗き込めば達筆な字で今日一日のこと。文字通り朝から放課後の今日一日のことを書いていて。

「す、凄いね」
「そうか?褒められるほどのことではないと思うが」

当たり前のように言うけど。
いやいや、十分凄い、凄すぎる。
日誌なんて手を抜いたり適当に書けば良いのに。

まぁ、それをやらない、出来ないところが真田くんだもんね。
そんなところが本当に好き。

って、思いながら「今日何あったかな?」「ご飯が美味しかったこと書こうかな」「そう言えば体育でバレーしたのも楽しかったなぁ」って大きな独り言を言えば真田くんは「お前は毎日楽しそうだな」「食事も美味しそうに食べていたな」「初めはレシーブ出来ていなかったが最後の方は上手くなっていたな」って言われて。


え、何で知ってるの?

って、びっくりしちゃう。

まるで私のこと見ていたかのような口ぶりに勘違いしそうになる。

そう思って、私が黙れば日誌を書き終わった真田くんと目がパチって合った。


真田くんの瞳は濁りのない真っ直ぐな目をしていて。まるで真田くんの性格を表してるみたいでだなぁ、って。

何だか、吸い込まれそう。

そんな風に思っていたら、真田くんに名前を呼ばれて。
「ん?」って真田くんの瞳に向けていた焦点を真田くん全体に切り替える。


真田くんはお腹からしっかりと声を出して、太い喉仏を震わせて私の好きな低い声で「好きだ」と発した。

私と真田くんの距離は机が挟まれていて。
それなのに、耳元で言われたかのような錯覚に陥った。
空気の振動が直接、私の鼓膜を震わせて、私の心臓を激しく揺らして。

壊されるかと、思った。

そんな破壊力の高い「好き」は脳にこびりついて。
そのあとの「付き合ってくれないか?」という言葉に私はただただ首を縦に振ることしか出来なかった。


好きだった男とは、ずっと前から両思いだったことを知ったのはその日の帰り道だった。


そして、あの日から弦一郎の「好き」の虜になった。
弦一郎の言う「好き」は麻薬だ。

一度聞いたらまた聞きたくなる。

「ねぇねぇ弦一郎」
「何だ」
「私のこと好き?」

面倒くさい女だな、と自分で思う。でも、弦一郎は自ら「好き」って言ってくれるような人じゃないから、こうして「好き」を引き出すしか方法はなくて。

弦一郎の答えは「勿論、好きだ」って。
さも当然のように。当たり前のように「好き」を伝えてくれる。

私の大好きな声で、空気を震わせて、まるで耳元で私だけにしか聞こえていないような声で伝えてくれるから、私の心は満たされていく。

「私も弦一郎のこと大好き」

もう、弦一郎からの「好き」がなければ生きていけない。
私だけの特別な言葉。
私だけに向ける特別な感情。
それを独り占め出来ることへの優越感と幸福感。
もうこれを知らずに生きていくことは不可能だった。


だから、付き合って半年経ったとき。
いつものように「私のこと好き?」って聞いて弦一郎が眉を寄せて、苦しそうな顔をしたとき、激しく動揺した。

…っ、何その顔?

いつものように瞳の奥に隠し切れない熱を含んで私のことを見つめてよ。

太くて丈夫な喉仏を震わせて私の大好きな声で蕩けるほど甘く「好きだ」と言ってよ。

いつものやりとりじゃん。
何も変わらない、些細な戯れなのに。
なのに、なんで今日はそんなに苦しそうなの?

嫌な予感がして背中から、タラリと冷たい汗が流れ落ちた。


「軽々しく、そう言うことを言うではない」


重々しい口調だった。
目線はすぐ逸らされて。

拒絶された、と思った。
いつも「好き」と答えていた弦一郎が「好き」を言わなくなった。

それってつまり、もう、私のこと……

そこまで考えて、考えるのをやめた。

「そ、そうだよね!軽々しく言うものじゃないよね〜!」

って、笑ってその場を誤魔化して。




——誤魔化して半年以上が経った。

あれから弦一郎は「好き」を言わなくなった。

『軽々しく好きを言うな』と言われたせいで、私も弦一郎に「好き」って言えなくなって。


日に日に、私たちは重苦しい空気を纏うようになっていった。



『好き』って言わなくなったのはやっぱり私に飽きたのかな、好きじゃなくなったのかな、って思うのは当然のことだった。


好きじゃないのに付き合ってもこのまま苦しいだけ、それなら。



「ねぇ、弦一郎」
「…何だ?」


下校時間。一緒に帰る弦一郎の顔を見れば西陽が当たり橙色に染まっている。
相変わらずキリッとした顔立ちは息を呑むほど美しくて。


あぁ、私やっぱり弦一郎のこと大好きだ。
……大好きだから、ちゃんと気持ちを確認したい。
もし弦一郎が私のこと好きじゃないのなら、ちゃんと別れよう、別れなくちゃいけない。


そう、固く決意して。
決意しても震える唇は止められなかった。

「弦一郎は私のこと、好き?」

半年ぶりの質問は、以前と違ってか細い声で発せられた。

「好きと軽々しく言うな」と拒絶された言葉。

それをもう一度ぶつけることは、すごく勇気がいることで。
心臓は今にも破けそうな程、ドッドッドと動いて、口から吐き出しそうだった。

それをゴクリと飲み込んで。

お願い。
「好き」って言って。
もう一度、弦一郎の口から、私だけが特別だってことを示してよ。


祈るように弦一郎を見つめれば、その薄い唇が小さく開いて、僅かに喉仏を振るわせた。


「好き、ではない」


途端、目の前が真っ暗になった。急速に足の先から指先までが冷え、心臓がジンジンと痛んで。


聞かなきゃ良かった。

何が『弦一郎が私のこと好きじゃないのなら、ちゃんと別れよう』だ。
好きかもしれない。
という淡い期待の中で、そばにいた方が幸せだったんじゃないのか。

別れたくない。
胸の痛みが、全身がそう叫んでいる。

でも、もう答えを知ってしまった。
今までみたいには、そばにいれない。


「そ、か」

声が震える。

じゃあ、別れようか。って続けるはずだったのに、唇がふるふる震えて。力が入らなくて。
言わなきゃ、言わなきゃって思っていたら、弦一郎の苦しそうな声が聞こえて。

「好きなわけ、あるか」

二度も言わなくていいじゃん。

その思いで顔を上げると弦一郎は顔を歪めて瞳に熱を孕んで私を見ていた。

え?って、思った。

どうして好きじゃないのに、そんな目で私を見ているの?


「好きなどという生優しいものではない」

伸びてくる手はスローモーションのようだった。
躱そうと思えば躱せるのに、動くことなんて出来なくて。

伸ばされた手は頬に添えられて。その手のひらは火傷しそうなくらい熱かった。

「こんな想いなど知りたくなかった」
「っ」
「側に居ればいるほど、お前を離したくないと、俺だけを見ていればいいと思うようになる」
「げ、いち、ろっ」
「傷つけたくないのに壊したくなる。優しくしたいのに、お前の泣き顔を見たいと思う」

親指が目元を拭うように、動いて。

「お前の楽しそうな声を聞いていたいのに」

弦一郎の手は下がり親指が唇を押し潰した。

「苦しそうに喘いで俺の名を呼ぶ姿が、見たいと思う」
「ッ、」
「好きなどという、生優しい気持ちではない」

弦一郎の瞳の奥は隠し切れないほどの熱情を持ち合わせていて。
それは確かに『好き』なんかじゃ言い表せない、深く濃い想いだった。

目線を晒すことの出来ない私に弦一郎は低く唸るような声で言った。

「このままお前を、奪ってしまいたい」

あぁ、これは確かに好きなんかじゃない。
好きより、もっと罪深い——

そう思って、近づいてくる弦一郎の口付けを受け入れた——



2024.9.26

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