家に帰ったら保科さんがいて、ご飯作って待ったり、一緒にテレビ見てゴロゴロしたり。穏やかな日々を過ごしていたのに。
保科さんの仕事が忙しくなってきたことで事態はいっぺんした。
「ただいま」
って、言った部屋はシン、と静まり返っている。
温もり、なんてものは存在しない。
広いリビングとキッチン、それから寝室と浴室。
広いって感じるのは元々一人暮らししていた部屋が狭ったからか、それとも、あの笑い上戸で冗談ばかり言う明るい保科さんがいないからなのか。
「はぁ」
と、ついたため息は思った以上に大きく響いて。それにまた、胸がグッと締め付けられる。
とりあえずご飯を作ろう。
そう思うけど体が思うように動かない。
適当でいいや。
と、冷凍ご飯と味噌汁と朝のあまりの卵焼きを温める。
こんなはずじゃなかった。
保科さんが帰ってきさえすれば、もっと野菜たっぷりのカレーとか、季節ものの魚を焼いたり、煮込んだりとか。
細い見た目の割に、私の2倍の量のご飯をペロリと平らげる。
あれだけの量を食べてなお細いということは普段かなり消費という運動をしている証拠だ。
一般人の私からしたら想像もつかない。だから保科さんと一緒に住むにあたって食事や睡眠に気をつけるようになった。
「僕に合わせんでもいいよ」
って、困った顔して言っていたけど別に夜更かしをしたいわけでも、お菓子ばかり食べる生活をしたいわけではないから保科さんの生活リズムに合わせることにした。
すると一人暮らしのときは苦手だった早寝早起きも出来るようになって、食事もしっかり摂るようになった。しかも肌艶が良くなったり頭がスッキリするとかそういう美容とか健康面でも役に立った。
「最近調子ええやん」
って、私の頬をツンツンと突く保科さん。「僕のお陰か?」って言うから「そーですね」って返事する。
「でも君どんどん綺麗になってくから心配やわ」
「へっ!?」
「君は僕のもん、ってちゃんと分かっとる?」
「へっ、は、はぃ……」
顔を覗き込みながら、そんなこと言われて平気でいれるわけがない。
「ん、ええ子。そんな子にはご褒美やらんとな」
「え、わ、わっ!」
大勢が急に不安定になり思わず保科さんの首に捕まる。
私を軽々と抱き上げ、軽い足取りで向かうのは寝室。
「ほ、ほしな、さ…」
ポフっと、優しくベッドに私を降ろして跨る保科さんの笑みはいつも通りなはずなのに。
下から見上げているからか、糸目の瞳は仄暗くゆらゆらと燃えているように見えて。
パチリと合った瞳が、見なかったことには出来なくて。
見るんじゃなかった……!
目を逸らすことも逃げることも出来ない。そんな私に保科さんは。
「食事も摂って睡眠も普段からちゃーんと取ってるなら、あとは足りんの何やと思う?」
「っ、!?」
この体勢でそれ聞く!?
この体勢で思いつくのはただひとつ。
人間の三大欲求のひとつ。
いや、この体勢じゃなくても寝室に向かってるときから何をするかは分かってはいたけど。
それでも口になんか出せなくて、顔に熱を持つ私を保科さんはたのしそうに見下ろして。
「何想像してん?えっち」
「なっ!!?」
「まぁ、ヤることは変わらんか」
ヤる、って言いましたよ!この人!ヤるって!!
「でも僕、合理的で良えなぁって思うんよ。性欲も満たせて運動も出来て、しかもそれが好きな人となら心も満たされて、一石二鳥どころか三鳥四鳥って思わん?」
ひょえ。
とんでもないことを言われて頭が追いつかない。
性欲と運動と、好きな人、しかも心が満たされる、って。
あぁ、体だけ求められてるわけじゃないんだ、ってこのときすごく安心して。
「基地のときは『鬼!』とか『厳しすぎ!』って言われとるけど、君にだけ特別に優しく甘くしたるからな」
どろり、と。
それは台詞とか声色とか瞳の色とか、雰囲気とか。
保科さんの全部が甘くあまく蕩けて。
上手く息が吐けなくて。ぱちりと瞬きをすれば保科さんの顔が目の前にあって。
「僕だけに集中しい」
って、言われて覆い被された。
「んっ、」
唇がくっついては離れ、離れてはくっついて。何度か繰り返される度に離れていく唇が名残惜しくなる。
やだ、離れないで。
そう思った瞬間、「んぅっ、」唇が深く重なる。
お互いが求め合うように角度を変えれば、更に深くなる唇。それなのに、私の心はもっと、もっと、と保科さんを求める。
「ほ、しなさ」
「ん?何や」
「すき」
「っ!」
おでこをくっつけて保科さんの瞳を覗き込む。
至近距離で見た瞳は、ゆらゆらと動揺を隠すことは出来なかったみたいだ。
「うふふ」
「……何や」
「保科さんの珍しい姿見ちゃった」
恋人のなかなか見ない姿に機嫌が良くなる私。けど、その反対に保科さんは不機嫌になっていく。
「随分と余裕みたいやな。その余裕、壊したるわ」
「えっ?…ぁっ、!」
下着のクロッチから指を入れられる。
キスしただけだ。キスして少し戯れただけ。だから、濡れてるはずなんかないのに。
秘部から漏れたのは、くちゅ、と小さい水音。その音を聞いて私の体は朱色に染まった。
恥ずかしくて、保科さんから目を背ける。何も言わないでほしい。気が付かないでほしい。なんて、そんなこと不可能なわけで。
もちろん、その音も感触も保科さんにはバレていて。
「キスだけで濡れたん?」
「ちっ、が」
「何が違うん?ほら、音聞こえんの?」
「…っ、や、やだ、ぁっ」
ぬちゃ、ぐちゃぁ♡っとわどらしく保科さんは水音を出すように指を掻き乱す。
いやいやと目を瞑って首を振る私に保科さんは「かわええな〜」とか「いややないやろ?」とか「ぐっちょぐちょやな、キスしただけなのに簡単に指はいってもうたわ」って私の羞恥と体をぐちゃぐちゃにしていく。
攻め立てる台詞は全部、声が浮かれていて。
そんなにキスだけで濡れたのが嬉しかったのかな、なんて思っていれば。
「なぁ?目開けぇ」
「ん?」
指を止め保科さんが優しくそう言うから、ゆっくりと目を開ける。目尻に溜まっていた涙がツーと横に流れたのを感れば、その涙を保科さんは親指で拭う。
保科さんがおでこ同士をくっ付けて私の瞳を覗き込んで。
あれ、なんだかデジャヴ…?
「好きやで」
「っ、」
お返し、と言わんばかりの表情。
私の動揺は保科さんに伝わったのだろう。機嫌良さそうに口の端を上げている。
本当に負けず嫌いなんだから!!
なんて、思いながら保科さんの『好きやで』に脳からドバドバと多幸福感が溢れて止まらなくて。
「力抜き」
って、秘部に熱く硬いモノを押し付けられて。
そこからはただ甘く保科さんと溶けていった──
──と、いうのが一ヶ月前。
それならバタバタと保科さんが忙しくなって、家に帰ることが少なくなって。
帰ってきてもほんの一瞬。
荷物だけ取りに来て、「すぐ帰るから」って、キスして出て行った。
パタン、とむなしく閉まるドア。
その台詞、しぼうフラグだよ保科さん。
って、ツッコめば良かった。
そう思って笑いたかったのに「…っ、」上手く笑えない。
優しくされたキスが逆に憎らしかった。
もっと奪って欲しかった。身も心も。不安で心配な気持ちすら、吹き飛ばすほどのキスをして欲しかった。
またひとり。
ふたりで選んだ部屋に私はひとりで待つ。
雨の日も、地震があった日も、怪獣が現れた日も。
ひとりで住んでいた経験もあるから怖くない。寂しくない。
そう言い聞かせても、隣を見てしまう。
『安心せぇ』
って、いつも通りの笑みを浮かべて私の手を握ってくれる彼を想像するけど、隣は誰もいない。
「っ、」
耐えられそうになかった。これなら一人暮らししてた方がマシだった。
そう思って最小限の荷物をスーツケースに詰め込んで、私は家を飛び出した── 家を飛び出して向かった先は友達の家。
「いいよ、泊まっていきな。今週夜勤あるし。あ、ついでにその日ゴミ出ししといて」
って軽い口調で言ってくれた。
友達の家は楽しかった。
何より気が楽だった。
それに、ここは友達の気配が色濃い。
テーブルもソファも小物も、全部友達が好きそうなもので溢れかえっていて。
保科さんとの部屋にひとりでいるときは、この時計は保科さんが選んで買ったなぁ、とか。
ソファに寛ぎながらお笑い番組を2人で笑いながら観たなぁ、とか。
お風呂に入ろうと思って洗面台の扉を開けたら保科さんが上半身裸で立っててびっくりしたなぁ、とか。
疲れすぎて玄関で倒れて寝そうになってる私を抱き上げてベッドまで運んでくれたなぁ、とか。
「あつい」って言ったら「ん、そうか」って言ってエアコンの温度下げて腕枕して私が寝付くまで離さないこととか。
それと、リビングでもキッチンでも寝室でもたくさんキスしたこととか。
そういうのを思い出して辛かった。
でも今は女2人で気楽だった。
何なら保科さんと観ることはない海外の恋愛ドラマを夜通し観たり、「面倒だから」って理由でピザを宅配したり。
「今日は仕事頑張ったからお風呂に薔薇浮かべるわ」
って言って、お風呂に薔薇を浮かべたり。
気軽でたのしくて笑って、友達の家に帰るのが楽しみで。
って、思ったときハッと我に返った。
本来だったらこうやって帰るのが楽しみになるはずだった。
それが、今はあの部屋に"帰りたくない""居たくない"って思ってしまって。
ジワジワと罪悪感が胸を犯していく。
「どうしたの?」
不思議そうに友達が聞いた。
心配されたくなくて「長居しすぎちゃったからそろそろ別の場所に移ろうかなー!って思って!」って言えば「……そっか。まぁ、また泊まりおいで」って優しく言ってくれた。
一週間泊まらせてもらってお金を渡そうとしたけど「次来たとき夕飯毎日作ってくれればいいよ」って。あぁ、何て出来た友達だ。
「次来たら毎日好物作ってあげる」
「何それ、プロポーズ?」
なんて笑い合って、スーツケースに荷物を詰めて友達の部屋を後にした。
さぁて、ここからどうするかな。
家を出て一週間。本来ならそろそろ家に帰っても良い、というか家に帰らないと不味いんだけど、それでも。
もう少しだけ、離れたい……
どうしてもあの部屋にひとりで帰る気にはなれなかった。
家に帰ってもひとりだと、確定しているから尚更。
友達のおかげで家を出たときより、気持ちは楽になったが回復までもう少しかかりそうだった。
スーツケースをカラカラ引いて公園のベンチに座る。
とりあえず、今日はホテルに泊まろう。ビジネスホテルか、いや、せっかくなら温泉付きのところに泊まるか?
なんて考えながらスマホをいじっていれば[ピリリリリリ]と電話音が鳴って、突如として現れた名前に胸がギュッと締め付けられた。
[保科宗四郎]
予想外だった。
電話なんて会えなくなってから一度もしてこなかったから。
電話、どうしよう。
怖い。
電話に出たら「寂しい」と「会いたい」と縋りついてしまいそうで。
仕事で帰れないのは理解している。だからこそ、迷惑をかけたくなかった。
でも、保科さんのことだ。
ここで電話を切ってももう一度掛けてくるだろう。
もしかしたら基地まで洋服や私物を運んで欲しい、とかそういう用件かもしれない。
保科さんの心配を掛けたくないこと、そして少しでも役に立ちたいと、思って。
私は自分の「寂しい」とか「会いたい」とか「声を聞きたい」とか。そういう感情をぐっと飲み干して保科さんの電話に出た。
「もしも」
『今どこおんねん!?』
出来るだけ明るくハキハキと。
そう思って出た電話は、保科さんの焦った声でに掻き消された。
『家帰ったら人の気配なくなっとるから事件かと思って部屋探したら財布もスマホもないしスーツケースも服も君が使ぉてる化粧道具も洗面台に置いてあるクリームとかも無くなっとるやん!?君の意思で部屋出たんやろ!?』
探偵もびっくりの名推理と、息つく間もない言葉たちに唖然としていれば。
『なぁ、まさか寂しくなって他の男の部屋とかにおん?だからさっきから黙っとん?浮気とか絶対許さへんよ。家おらんかったの1日2日やないやろ?なぁ、何処で誰と何してたん?僕に言えんとこなん?なぁ、』
何も言えない、というより言うタイミングがなくどうしよう、と焦る私にその声は耳元と少し離れた場所で聞こえた。
「『今どこにおん?』」
あっ。
見つかった。
二重になった保科さんの声にホシナさんも気がついたのだろう。脚をピタリと止め、こちらをゆっくりと見れば、バチリとそれはそれは音が鳴りそうなほど目が合って。
ツカツカツカツカ
ひぇっ。
悶々と黒いオーラを放ちながら私の目の前まで早歩きで来て、無言で立ち止まったホシナさん。
「お、お久しぶりです」
「……おん」
「元気に、してましたか?」
「……おん」
「それは、良かった、です」
「言いたいことはそれだけか?」
ヒュン!と思わず背筋が伸びる。
やばい、これは怒っている!
いや、電話のときから分かってはいたけど。
でも本人を目の前にしたら圧があって。
どうしよう。これが怪獣を普段相手にしてる人か……って、理解したら。
「はぁぁぁぁぁぁ」
って、保科さんはそれはそれは深く長いため息をついた。
「あの、保科さ」
「黙っとれ」
って、怖い声でそう言ったくせに、ギュッと抱きしめる力は優しかった。
暖かな体温。そして珍しく力無く私に体重を乗っけるような抱きし方。
「……よかった」
あ、心配させてしまった。
安心したように呟く保科さんに、ここでようやく自分がバカなことをしたと自覚した。
「ごめん、なさい」
「ん。許さへん」
「保科さん、あの」
「なぁ?」
「は、はいっ、」
「今まで何処におったん?何してたん?誰といたん?……何で部屋におんの?」
最後の一言は絞り出したような、疲れ果てたような台詞で。
「あかんよ、ホンマ。君がおらんあの部屋なんかこれっぽっちも価値ないんや。家に帰って『おかえり』って出迎えるか、君がソファで寝落ちしてるのか、今日はどっちなんやろ、って考えながら帰るのが楽しみなのに。久しぶりに家に居たらどっちもちゃうし、君のいた気配がなくなっとる。どんだけ僕が肝冷えたか、分かるか?」
私を抱きしめながら話すから、保科さんがどんな顔をしているか分からない。でも、すごく辛い顔をしているのは見なくても容易に想像ついた。
「ごめんなさい」
「ん。許さへん」
二度目の許さないを言った後、保科さんは体を離して、私の両頬を手の平に添えた。
優しく、それでも力強く目を合わせて「今まで何処に居て、何して、誰といたんか、家帰ってたっぷり聞くからな」って、私を立ち上がらせてスーツケースを左手で、右手で私の手を強く繋いで歩き出す。
温もりに包まれた右手に、何だか泣きそうになった。
ねぇ、保科さん。
私ね、この1週間友達の部屋で友達と恋愛ドラマ観たりお風呂に薔薇浮かべたりして過ごしてすごく楽しかった、って言ったら保科さんは何て言うかな。
「僕かて恋愛ドラマ観れるしお風呂に薔薇浮かせられるわ」って拗ねるかな?それとも「なんちゅー日々送ってたんや」って呆れるかな?それとも「それ、ホンマに女友達なん?」って疑うかな?
でも、保科さんが何て言おうと私は受け入れるよ。
保科さん、本当にごめんね。
私が家に帰るのが楽しみだったように、保科さん家に帰るのが楽しみだったんだね。
私が帰る理由が保科さんだったように、保科さんも帰る理由が私だったんだね。
それなら──
ガチャリ、と部屋の鍵を保科さんが回す。そのまま扉を開けて脱いでリビングに進もうとして。
「保科さん」
「ん?」
「おかえりなさい」
私がそう言えば、強張った顔がキョトンとして意味を理解したのか保科さんは前髪をくしゃっと握りしめて「はぁ」とため息をついた。
そして両腕を私の首の後ろに回して抱き締めれば「ん、ただいま」と優しく呟いた。
その瞬間、冷たかった部屋が何となく暖かくなったような気がした。
「ほな、尋問の時間と行こうか?」
「へっ?」
楽しそうに保科さんはそう言うと、ヒョイっと私を持ち上げてリビングへと向かう。
え、ちょ、待っ、えっ!?
尋問?
今、尋問って言いました!?
恐ろしい単語に震える私を他所目に「ほな、何から聞こうかな?」って笑っていない瞳で私を見つめるから。
あ、まだ許してないんだ…っ!!
って、温かい部屋で私はひとり顔を真っ青にした。
おわり
おまけ
このあと洗いざらい友達と何してたか話せば「僕かて出来るからな!」って、何故か対抗心剥き出しにして海外の恋愛ドラマを観たりお風呂に薔薇を浮かべて一緒に入ったり(入るまでに一悶着あった。めちゃめちゃ抵抗したが最後は実力行使された)あとはピザとか寿司とか宅配する。
保科さんとそういう日々も楽しいけど、結局女友達の気軽さには敵うことはなく。
たまに泊まりに行くことになるけど「早よ帰ってきたな」って、子犬みたいに甘えてくる保科さんがいるから、結局早めに帰るんだ。