保科さんが女性隊員に人工呼吸してるところがテレビに映されて過呼吸を起こす話

「な、なに、それ…」

テレビに流れるのは怪獣討伐後の防衛隊の慌ただしい姿。その中に女性隊員がぐったり倒れてて、それを懸命に人工呼吸と心臓マッサージしてる保科さんの姿。

口を覆って呼吸を送り込んでいる。それは甘い雰囲気なんかじゃない。キスとはかけ離れたもの。でも、唇は触り合っていて。唇同士をくっつけ合うのは特別な相手としか出来ないことで。

あれは人命救助だ。

分かってる。あの女性隊員は保科さんが目に掛けてるひよっこたちのひとりだって。分かってる。あの女性に保科さんが特別な感情は持ってないってことを。

分かってはいる。分かってはいるけど、感情が、追いつかない。

ひゅっ

変な呼吸になる。

あー、だめだ。息を吸わなきゃ。吸って吸って、吐いて。落ち着かなきゃ。

それでも映るモニターが私の動悸を早める。

もし人工呼吸されてるのが別の女の子だったから、こんな動揺しなかった……


私は一度だけ、あの女の子と会ったことがある。


防衛隊の飲み会のとき。

珍しく保科さんから連絡が来て迎えに行ったとき、女の子が酔っていて保科さんに支えられていた。

「っ、」

あれを見た瞬間、全身から血の気が引いた。脚が地面に張り付いて、女の子を心配そうな顔で見つめている保科さんと「ほしなしゃん!私!まだ飲めます!!」って明るく元気に言うのに、その瞳は熱く保科さんを見つめていて。

「はいはい。お子様はお家に帰る時間やで〜」
「お子様じゃないれすー!」
「ははっ!ビール一杯で酔わんくなってから言い」

ペシっ

と、その子のおでこを叩いて。

「ははっ、えぇ音」

ひゅっ、と何かが迫って来るような、そんな恐怖が全身を襲った。

しかも周りの隊員たちは保科さんと女の子のやり取りを見て見ぬフリ。それだけだはなく、ふたりから距離を置こうとしていた。

いやだ。

保科さんが彼女と近い距離なことも、保科さんが心許したように笑うことも、周りの隊員たちが彼女をお持ち帰りさせようとする雰囲気も、全て全て嫌悪が走る。

そして何より一番嫌なのは、私の声が出ないこと。明るく「やっほー!待ったー!?」って彼女面して出ていけばいいのに。私が彼女なんだから堂々としてればいいのに、それが、出来ない……

理由は分かってる。
私には、自信がないからだ。
保科さんに愛されてる好かれてる自信が……


それからどのくらい時間が経ったのだろう。

パチっと保科さんと目が合った。

「……何や、来てたんなら声掛けや」
「ご、ごめん、つい」
「ついって、何や、彼氏の顔忘れたんか?」

保科さんがそう言うと、ぐるん、と目が、たくさんの目が私に向いた。そこにはもちろん、その女の子も。

「ほな、お迎え来たから僕行くわー」
「えー、もうちょっと飲みましょうよ!」
「そうれすよー!!今度は負けましぇんよー!!」

惜しみないたくさんの声。それは真実か、下心か、感情が濁った私には区別が付かなかった。

「はいはい、みんなは楽しんできてな、ほな、また」

そう言って女の子を別の隊員に預け私の隣に立つ保科さん。

「ほな、帰ろうか」

いつもの笑み。変わらない声。

いつもは保科さんの笑みを向けられること声を聞けることが飛び上がるほど嬉しいのに、今は見たくも、聞きたくもなかった──

保科さんと一緒に帰ったけど、隣に立つだけ。手は繋いでくれない。さっきの女の子は体全身で支えていたのに。

その違いが、私と保科さんの距離を表しているようで。手は繋がれないけど保科さんはいつものように話をしてくれる。

今日こんなことがあった、ひよこたちがドジをした。お昼ご飯が美味しかった。

そんな話をたくさんしてくれるのに、私は生返事しか出来ない。

さっきの女の子には触れさせていたのに、私には触れさせてくれないの?触れてくれないの?

本当は私より防衛隊と、女の子と一緒にいたかったんじゃないの?

口を開けばそんな言葉が出ちゃいそうで。

「……なぁ」
「ん?」
「今日何かあったん?」

えっ?

「……僕の話、生返事やん。いつもは楽しそうに聞いてくれんのに」

喜びたかった。

保科さんが心配してくれるのも、いつもの私をちゃんと見てくれていることを知れて。

でも。

「どないしたん?」

あっ。

と、声にならない声が一瞬口をついて。

「……なんでも、ないよ」

私は首を振る。

重い女になりたくなかった。良い女でいたかった。保科さんがどんな大怪我しても死の淵を彷徨っても感情を表に出さず、静かに、どん!と待っているような女に。

だから、女の子が保科さんのことを憧れだけではない眼差しで見つめていたことに、動揺したくなかった。

「……そうか」

私が話さないのを察したのか、保科さんも口を継ぐんでしまった。私が拒絶したくせに、保科さんが話すのを辞めたことに胸が痛んで。

それにポケットに手を突っ込んだまま歩く保科さんも、その保科さんの手を掴もうとしなかった私も、そして嫉妬という感情のせいで楽しい時間だったはずが、重苦しい時間になったことも、全部ぜんぶが──




あの飲み会から私たちには変な空気が流れていた。

見えないバリアが体にも心にも張られているような。

お互い近づくことはしない、近づいたら破裂してしまいそうな、そんな空気が──




「…っ、エッグ、ヒグッ!?」

テレビを見ながら、つい数週間前のことを思い出していれば、呼吸がおかしくなってきたことにようやく気がついた。

「ヒッ、グッ、ん、ヒグッ!」

指が、痺れる。頭がぼーっとして、気持ち悪い。

息が、上手く、吸えない…!
落ち着け、落ち着け…!
なんだ、何が起きたの!?

そう思えば、ハッ!と保科さんの話を思い出した。

『怪獣討伐初めての隊員が緊張し過ぎて過呼吸になってな。慌てて近くにあったゲロ袋口に当てたわ。そしたら隊員が「げ、ゲロー じゃない、ですっ!」って言うから「ゲロやなくて、息を吐くんや!ゆっくり呼吸せんか!」って思わずツッコミ入れたわ」

面白おかしく話してくれたことを思い出して近くにあったビニール袋を口に当てる。保科さんのいつも通り呼吸せんか!って、あのときの台詞を思い出し、ゆっくり呼吸する。

ハッハッ、と胸を苦しめるような痛みは徐々に落ち着きを取り戻せば保科さんの『過呼吸は酸素を吸い過ぎて血液中の二酸化炭素が減って起きるんや。何事も適量っちゅうもんがあるんやで』と教えてくれたことも思い出す。

保科さんがいなければ、私はどうなっていたんだろう。

過呼吸で死ぬこともあるのかな?
もし死ぬことがあったのなら、保科さんは私の命の恩人だ。

そう思ったら狭まっていた視界や聞こえなかった音がクリアになった。

見えてきた聞こえてきたのはテレビの音。

ちょうど救急車が現れ、女の子が運ばれて行くところ。それを保科さんが心配そうに見つめていた。

私もそのシーンを見つめる。
そのとき、苦しいとか辛いとか心配とか、そういう感情は一切なく。

心は

──無──

ただ真っ白な頭と心でテレビを見つめていた──










大規模な怪獣災害だったようで、防衛隊は帰るに帰れなかったらしい。

それが良いのか悪いのか。
会いたいけど会いたくない。
保科さんのことが大切だけど今は保科さんを傷付けることを言ってしまいそうで。


そんな私の心情を知ることのない保科さんは時間があれば連絡をくれた。

【君んところは大丈夫やった?】
【僕は頭に怪我してもうた。イケメンが台無しや】
【まだ仕事終わりそうになくて帰れんわ】
【早く君に会いたい】

そんな連絡がぽつぽつと入る。私もそれに可能な限り返事をする。

【大丈夫だったよ】
【え、イケメン…?誰が……?】
【お仕事お疲れ様。ムリしないでね】

それだけ送った。

下手に長くなりそうな返事を書けば、女性隊員は大丈夫だった?
あの子保科さんのこと好きだよね?
保科さんはそれに気が付いてるの?
保科さんはあの子のことどう思ってるの?

そう返してしまいそうで。

いつも途中まで入力するの。

でも、こんなの送って何になるの?保科さんは大変なのに迷惑になるでしょ。保科さんの仕事を邪魔したいの?

そう我に返って消して。それを何度も繰り返して。

だから最後のメッセージには何で返せば良いのか分からなくて既読だけして、アプリを閉じた。

保科さんは私に会いたいんだ。
そっか、私は……私は、どうなんだろう。

テレビの映像が、脳裏をチラつかせる。人工呼吸だとしても女の子と唇を合わせた映像。

まるで映画のワンシーンのようで。それは私だけじゃなくてテレビを観てた人も思っていたようで。

新聞の見出しにも【保科副隊長!決死の人命救助!】なんて書かれていて。

国民からはふたりは付き合っている、とか。
恋人を必死に助ける保科副隊長、とか。

そう言われていて。

記者が防衛隊員に「あのふたりはどんな関係ですか?」ってインタビューしていたのも見た。

私はてっきり「仲睦まじいです」とか「良い雰囲気です」とか 「上司と部下以上の関係です!」とか言うのかなって思ってたのに。

「一仲間にしか過ぎません」
「保科副隊長は俺があの状態でも変わらず人命救助します」

って、キッパリハッキリ答えたり。

「あー、あんまり変なこと言うと保科副隊長に怒られるので!!」

って、逃げるようにその場を立ち去ったりする人もいて。

これを機にふたりをくっつけようとする動きがあるのかな、って思ってたのに。

それに何かみんな何処となく顔色悪かったし!

やっぱり疲れてるのにそんなこと聞く記者はおかしい!質問するなら今回の怪獣討伐についてでしょ!!

それにみんなあれだけ疲れてるんだから保科さんはもっと疲れてるよな……

帰ったら労わってあげなきゃな。

そうだ。帰るんだ。保科さんは私のところに帰って来るんだ。

それは、遅かれ早かれ確実に起きることで。

逃げちゃ、だめだ。
保科さんと、ちゃんと、話さなきゃ。

そう思うのに、それでも、やっぱりあのシーンが蘇る。

女の子も私も、保科さんに助けられた。でも私は思い出。あの子は近くで。

……これからも、私は思い出の保科さんに助けられた方が良いんじゃないのかな……

今までの過去を全て綺麗に残して。保科さんの思い出だけで生きていくの。それで保科さんの隣にはあの女の子がいて、防衛隊の隊員もみんな喜んで、それがハッピーエンドなんじゃないのかな……


ズキン

頭痛が、する。
その痛みで目が潤んできて。

ズッ…と、不恰好に鼻水を啜る。

……ばか。たったこれだけでダメージ受けて、何がハッピーエンドよ。


保科さんの隣には、私がいい。
私だけが保科さんの特別でありたい。

そう思えば思うほど、保科さんと女の子が唇を合わせた映像を思い出して……


私は、どうすればいいの……、!


抱える頭で、助けて……、と願って思い浮かぶのはやっぱり、保科さんだった──












【今日帰るから待っとってな。あと話もあるから】


帰って来るんだ、今日……


保科さんからのメッセージ。

それは嬉しくて私の元に帰って来ることにホッとするはずなのに、私の顔は歪んで。


話って、何の話をされるんだろう……
ここ数週間の私たちのこと?
怪獣討伐が忙しかったこと?
それとも、人命救助だとしても女の子と唇を合わせたこと……?

それから、それから──

──別れ話、その三文字が頭を掠めたそのとき、ピンポーンと音が鳴った。

ビクッ!!

跳ねる体といやに早くなる心臓。

インターホンのモニターを除けばそこには案の定保科さん。

久しぶりに見た姿は少し窶れていて。

その姿を見て私は考える暇もなく、震える指先で音声ボタンを押した。


「…は、はい」
[ただいま。扉、開けて?]
「う、うん…」


保科さんもこの部屋の鍵は持っている。

でもドアにはチェーンロックが掛かっている。

「必ずチェーンロック掛けといてな」それが、保科さんと私の約束で。だから保科さんが帰ってきたら私が玄関の鍵を開けてとチェーンロックを外す。

それがいつもの流れだった。でも、今日は。

カチャンと、サムターンを回せば、ドアノブが少し動いて。

そのままチェーンロックを外せば保科さんはいつも通り部屋に入って来る。入ってきて、何を話すのだろうか……私に、あの子を助けたその唇で、私に何を話すのだろうか……


そう考えたら、私はそれ以上動くことは出来なくて──


カチャン


その音は、チェーンロックが外れた音ではなく、チェーンロックに阻まれた、扉の音。

扉は全部開くことなく、チェーンロックの部分のみ、開かれている。

それはまるで、私の今の心を表しているようで。


「……なぁ、開けて」
「っ、」
「君の顔、見せてほしいんや」
「…ぁ、」
「……僕のこと、きらいになった?」
「ち、ちがっ!」

反射的な答えた私に保科さんは優しく問いかけた。

「怒っとる?」
「……」

怒ってるわけじゃ、ない。だってあれは不可抗力で、仕方がなくて、それで、でも、だって……!!

「傷付いたん?」
「っ、」

グサリ

心臓から血が出たんじゃないかと思った。それくらい、深く深く何かが胸に刺さって。

ジクジクとした痛みで思い出すのは、やっぱり保科さんと女の子が唇を合わせてる、あの人工呼吸で──


「そうか、そうなんか……」

頭の中がぐちゃぐちゃの中、聞こえたのは保科さんの自嘲するような笑い声で。

「はは、僕最低や」
「…ぇ?」
「君が嫉妬してくれてるの知って、喜んどるんや」

ひゅっ、と何度目かの息を呑む私。だけどそれは、今までとは少し違って。

「なぁ、僕の話そこでええから聞いとって」

ひとつ呼吸を置いた後。

「……好きやで」
「っ、」
「好きなのは君だけや」
「…っ、ぅっ、」
「ほんまに、君だけなんや」
「ほ、しなさ…っヒッ、ヒグッ」

私は保科さんのこんな声、聞いたことがない……いつもの保科さんからは想像もつかない程の弱々しい声。

それなのに、好きと言う言葉は、熱くて、真実だと思わせてくれて……

泣き声を押し殺す。もう泣いてることはバレているだろうけど、それでも、保科さんの声を一語一句聞き逃したくないから。

「なぁ、教えてほしいんや。君が何を思っとるのか、君の心の奥を、ぜんぶ、僕に聞かせてほしい」

嫌だった。
例え、人命救助だとしても、保科さんと女の子が唇を合わせたこと。
それをテレビが映し出していたこと。
酔った女の子を全身で支えていたこと。
誰にも、触られてほしくないこと。
保科さんの隣には、私がいい。
私だけが保科さんの特別でありたい。
私だけ、これから今後一生、私だけを特別にしてほしい。


聞いてほしい。知って欲しい。私の全てを。私の全てをあげるから、私も保科さんの全てが、ほしい。

それを言いたい。
でも、今は私の泣き声が邪魔で。もう少しだけ、待ってほしかったんだけど。


「……なぁ、そろそろ開けてほしいんやけど。さっきお隣さん帰ってきて僕のこと怪しい目で見とったんよ……!!絶対『ドアに「…好き」って言ってる変態おる』って思われたやん!!ドアに言っとんちゃうねん。君に言っとるねん。……あれ?君そこにおるよね?……えっ!?なぁ!やめて!!ずっとひとりで哀愁漂わせてドアに『好き』言ってるイケメンが変態になるやん!!」


シリアスが台無しだ。

あと自分のことをイケメンだと言い切れるその自信は一体どこから出てきたのだろう。

そう思ったら、心が呼吸がふわっと軽くなって。

私はチェーンロックに手を掛けた。

カチャン

音が鳴ればドアが開かれ、保科さんが顔を出す。

「ただいま」
「おかえり、なさい」

そう言う私の目元を保科さんの親指が拭った。


「……泣かせて、ごめんな」

うん。たくさん泣いた。たくさん傷付いて悩んで、でも、今は。

「うん。もういいの」

泣いた後だから無沙汰な顔で私が笑えば保科さんも、ふっ、と力が抜けたように笑って。

ちょんちょんと、保科さんは自分の唇を指差した。

「なぁ、ここ」
「ん?」
「上書きして欲しいんや」

上書きって、それって、つまり。

「…っ、わたしで、いいの……?」
「君がええから、仕事早く終わらせて帰ってきたんや」

保科さんが窶れていた理由が私にもあったらしい。申し訳なく思ったけど、それが嬉しくて。


「なぁ、お願い。早くして」

そう急かす保科さんが珍しくて、可愛くて。知らない保科さんを知るたびに私はまた保科さんを好きになっていく。


そして私たちの唇は、呼吸を与えるためじゃなく、奪うために、重なった──



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