神様が解放された日
「名無し子、私たち帰るけどどうする?」
『あー、ちょっと寄りたい所あるから』
悪いけど先に帰ってて、と伝えると友人達はにやにやと笑いながら「頑張れ」だの「報告してよね」だの好き勝手言いながら帰っていった。他人事だと思って茶化してくる彼女達だが、それなりに心配してくれているのだろう。
私たち女子テニス部の夏は、彼ら男子よりも一足先に終わった。全国に出られただけでも私としては嬉しかったが、部長としてはそれで満足していてはいけなかったのかもしれない。男子に私たちの夢を託して今日こうして決勝を見に来たのだが、結果は……。
私は、表彰式を終えた男子が集まっていた所へ向かった。きょろきょろとしていると、すぐに真田が私に気付いて寄ってきた。
『お疲れ様』
「あぁ。……すまない」
『何言ってるの。私たちなんて決勝すら出られなかったんだから』
私にどうこう言う資格など無いのだ。真田は思っていたよりも冷静だった。切原は泣いている。他のメンバーもやはり落ちているのがわかる。もしかしたら彼も……、そんなことを考えて不安になった。私は何て声をかけるつもりだったのだろう。よく考えたらこんな時に私が言える事なんて何一つ無いではないか。
「幸村なら顔を洗いに行ったぞ」
『……うん……、あのさ、真田』
「なんだ」
『私、邪魔にならないかな』
ぽつりと呟く。こんな事真田に聞いたって仕方が無いのに。真田は一瞬眉をひそめたが、すぐにいつも通りの顔になった。いつでも怖い顔をしている事には違いないが。
「知らんな」
『あはは、ですよね』
「だが、俺達が行くよりは良いと思う」
それが真田の優しさだったのか、単に私はチームメイトじゃないからというものだったのかはわからない。しかし、私は真田に礼を言うと、言われた方向へ向かうのだった。今を逃したらもう彼と話す権利が無くなってしまうような妙な使命感に駆られたから。
彼はすぐに見つかった。暗い通路でぼんやりと壁に寄りかかって立っていた。声をかけるのをためらってしまう程に、儚げで今にも崩れてしまうのではないかなどと馬鹿な事を考えてしまう。立海大の部長として戦い、負けても凛としていた彼と自分とでは遠い存在に感じられたのだ。しかし、今では違った意味で遠い存在に見えた。
『幸村君』
「……名無し子さん、見に来てくれたんだ」
幸村君は私を視界に捉えると、優しく微笑んだ。
『来るよ、当たり前だよ』
女テニだからね、なんて最もらしい理由をつける。本当はそんな理由じゃないけど。せっかく彼が一人でいる所に出会えたのだ。何か言わなければ。そう思っていたのに、何も言葉が出てこなかった。先ほどまでコートの上で凛としていた幸村君では無かったから。なんと言えば良いのかわからず、ええと、とか、あの、とか意味のない言葉を連ねる。頭のてっぺんまで混乱していて幸村君の様子さえ見えなかった。
『そば、行っていい?』
「もちろん」
本当は一人になりたかったのでは無いか。でなければこんな所で一人で立っていたりしないだろう。それでも、隣に行くことを許してもらえたのは、良いように捉えていいのだろうか。
「カッコ悪い所、見せちゃったかな」
『そんな事無いよ!! かっこよかった!!』
「うん、かっこ悪かったなんて言われたら落ち込んでた」
冗談を言って笑う彼に少し安心した。なんだ、いつもどおりだ。嬉しくて思わず笑顔になる。
「どうしてここにいるってわかったの?」
『真田が教えてくれた』
「そっか、真田にお礼言わなくちゃね」
『あ、私言っといたよ』
くすくすと笑い合う。学校でもこんな風に話してたっけ。つい最近の話のはずなのに、随分と昔の事のように思えてしまう。それほどぎゅっと詰まった夏休みだった。朝から晩まで練習して、帰ってきたらシャワー浴びて死んだように寝て。起きたらすぐに学校へ行ってまた練習。中学最後の夏休みだってのに何をしているのだか。
「まだ夏休みは余ってるけどね」
『うん、でも……』
私たちの夏は、終わっちゃったね。
幸村君はきっと高校へ行ってもテニスを続けるのだろう。私はどうするのだろう。引退してしまったら彼とこのように話す事も無くなるのか。……それは、嫌だ。
緊張していたらしい心はだいぶ落ち着いたようで、今なら考えていた事を話せる気がした。殺風景な壁へ向けられていた視線を隣にいる幸村君へと向ける。
『あのね、幸村君、』
私の言葉は、そこで止まった。彼の腕が伸びてきて、すっぽりと私の体を包んだ。予想外の事に一瞬脳内思考が停止した。が、彼から漏れる嗚咽に何となく理解した。
「ごめん」
あぁ、私は馬鹿だ。いつも通りなはずが無い。私がテンパっていたから気を使わせてしまったんだ。同じ部長という立場にいながら、どうして気付いてあげられないのだろう。それは私と彼の置かれた状況やプレッシャーがあまりにも違いすぎるせいだろうが、そんなもの言い訳にはならない。自分の事ばかり考えて本当に馬鹿だ。
『幸村君、ごめんね』
こうしてみると、何て彼は弱々しいのだろう。彼も同じ中学三年生なのだ。三連覇というプレッシャーを全部背負っていたのか。何もしてあげられなかった自分がはがゆくて、謝るしか出来なかった。
『お疲れ様、ありがとう』
彼はプレッシャーから解放されたのだろうか。ただそれを祈るしかない私は、そっと彼の背中へと腕を回した。
明日からはどうか、ただテニスが好きだった彼に戻れるように。そっと願いを込めて。
end