Apathy


afterwriting

さようなら、いとしいひと/戦国無双/三成

いわゆる死ネタというやつですね。

当たり前のように戦があり、すぐ隣に死がある、戦国時代という状況で、『死』というものはどのように捉えられていたんでしょうか。ちょっと私には上手に想像できません。

……といってしまうとおしまいなので。想像できないなりに考えてみたのですが、ひとや自分の死と隣り合わせの生活で、死を自分事として考えるというのはとても恐ろしく、そしてとてもしんどいことなのではないかと思うのですよ。

なので、まさか自分や愛しい人が死ぬなんて考えもしない、想像もしない。
しーらんぺっ 的なメンタルじゃないと、戦なんてとてもとても出来ないのではないかと思うのです。

(少なくとも戦国無双の)三成はきっと小心者でしょう。
死の可能性を感じながら、戦に出たり、ましてや兵を戦に送るなんて、恐ろしくてできないんじゃないかな。
だからきっと、普段は死のことなんて忘れたふりをしている。
それが訪れたとき初めて死を感じるのでしょうね。