「こんにちは、僕の天使」
彼はいつもそう言って、わたしの前に現れた。時には廊下で、時には教室で。わたしは決まって無視をして、そこを通り過ぎるのだけれど、彼はそれを許さなかった。いつも、手首を掴まれる。
「行かないで」
「放して」
「僕はナマエと話がしたいよ」
「わたしはしたくない」
彼の瞳は、とても綺麗だった。丁寧に並べられたインク字のような、不思議な美しさを持っていた。その瞳に覗き込まれると、わたしは思わず息を止めてしまう。
「君の瞳は綺麗だね」
逃げようとしても、掴まれた手首がそうさせない。いや、それは嘘だった。逃げようとなど、してはいないのだ。
「まるで青いインクで綴られた手紙みたいだ。整然としていて美しい」
ハッとなったわたしを余所に、ジェームズは朗々と話し続ける。彼の、こういうところが嫌いなのだ。わたしのことを呼び止めた癖に、わたしの手首を放さない癖に、わたしのことなど一つも見ない。わたしは、見てばかりで、いつも。
「君は、僕を嫌いかもしれない。そんな悲しいことを考えながら、僕は眠るよ。僕がもし、蜘蛛だったら、君という綺麗な青い蝶を捕らえて放したりしないのにな」
わたしは項垂れた。蜘蛛にとらわれた蝶は、そこから逃げ出そうと必死に藻掻き、足掻かなくてはならないのだ。例えそれが嘘であっても。蜘蛛の糸は穴だらけで、避けるのも逃げ出すのも簡単だ。それに間抜けなフリをして引っかかったのはわたし。彼を欲していたのは、わたしだ。
「もう一度言う。放して」
パッ、と、あっけなく解放された手首。この胸に残る名残惜しさは、気のせいではないだろう。わたしはいつまでも自分に嘘をつき続ける。わたしはいつまでも、自分の心を捕らえ続ける。
「さようなら。二度と現れないで」
「さようなら。僕の天使」
angel
(111109)afterwriting