「お願い! 絶対大丈夫だからさ! お願いー!」

 なんだかんだ、マチちゃんのお願いを断れたことは一度もない。自分と瓜二つの顔をしたマチちゃんが困った表情をすると、他人事じゃないような気がして苦しくなってしまうのだ。結局今回も私は気付けば首を縦に振っていたし、いつのまにか手のひらの中には、お礼の意味だろう、可愛らしいあめ玉が5つ握らされていた。

 私とマチちゃんは、親しい人でもほとんど見分けがつかないほど似た顔を持っている。もともと赤の他人だったのだが、ひょんなことから出会い、それからはこうしてたまにお茶をする程度の友達である。悪い子には全く見えないのに、悪いことをして生計を立てているというのだから驚きだ。本当に優しいし、私が困っていると必ず助けてくれる。(この『お願い』さえなければなぁ)。たまにマチちゃんがしてくる『お願い』。それは、とどのつまり『マチちゃんの身代わり』である。



(意外とバレないもんなんだよね)

 今日も、いつもと同じようにマチちゃんの仕事仲間に混ざってお酒の席にいた。私はただそこで、マチちゃんっぽく振る舞っていればいい。わからない話題を振られたら「さあね」とか「あたしに聞かないでよ」とか言えばいいし、あとは適当に談笑するフリをして、お酒を煽っていればいい。(幸いなことに私はお酒ならめっぽう強い)。そう、簡単なことでは、あるのだけれど。

「よぉマチ、今日はやけに大人しいじゃねえか。変なモンでも食ったか?」
「フハハ、フィンクスと一緒にすんなっつーの。なぁマチ?」
「なんだと?!」
「フィンクスうるさいね。せかくの酒が不味くなるよ」

 私は苦笑しながら(マチちゃんっぽく、不機嫌そうにするのも忘れずに、)周りを見回す。何度来ても、なかなか慣れない。この人たちが実は悪い人だということに、というよりも、これだけ大勢の見知らぬ人たちの中にぽつんといる自分に、だ。

「マチ。ちょっといいかい」

 名前を呼ばれ見上げるとそこには、奇天烈な化粧をした大柄な男が立っていた。マチちゃんの身代わりは何度かやっている私だけれど、この人は初めて見た。もしかしたら、普段は余りこういったことに参加しない人なのかも知れない。まぁ、浮世離れした雰囲気なら見るからに持っているし。私が色々考えてぼうっとしていると、男はニヤニヤしながら続けた。

「つれないねぇ。何か考え事でも?」
「別に……」
「じゃあちょっと。いいかな。昨日ちょっとやっちゃってね、念糸で繋げて欲しい怪我があるんだ」

 私がどうしようか迷っていると男は返事も聞かず手を差し出した。その手を取って立ち上がれということなのだろうか。だが私の中のマチちゃんはそんなことはしないように思えたので、悪いとは思いつつも無視してスッと立ち上がった。「ひどいなあ」

「でも今日は疲れてるからやらないよ。明日また見てやるからさ、今日はもういいだろ?」
「様子見てくれるだけでいいからさ。さぁ、こっちへ」

 男は無理矢理わたしの腕を掴み、宴からは丁度見えない暗がりの方へと引っ張っていった。どうしよう、あたりまえだけど、私は念など全く操れないわけだから、この人の希望に添うことはできないのだ。最悪、ポケットの中のポケベルを鳴らせば本物のマチちゃんが飛んできてなんとかしてくれる手はずにはなっていた。ただなるべく自分で対処したいので、頭の中でできるだけたくさんの言い訳を用意する。(あぁ、どうしよう)。

「それでさ」

 男は私に見せるために、右腕をずいと出してきた。「ここなんだけど」

「え?」

 全然、怪我してないじゃんと思うと同時に、ダン! と耳のすぐ側で音がし、次の瞬間には私は壁際に追い詰められていた。覆い被さる道化師のような顔はわたしの顔のすぐ近くにあり、三日月のように仄かに光っている。え、え、え! どうしようどうしよう、こんなことって!(きいてないよ! マチちゃん!)

「君ってさ」

 男の、やけに扇情的な囁き声が私の脳を震わす。

「マチじゃないよね?」
「え……?」

 わたしは困惑して、とるもとりあえず「何言ってるのさ」ともごもご言った。遠くで、ワハハなんて暢気な笑い声が聞こえてくる。みんな、気付いた様子なんてなかった。なのに、今日初めて会ったこの男だけ、なぜ?

「騙されると思った?」
「だ、だって……、」
「ボクはさ、基本的に他人に興味がないんだ。その分、よく見える。キミはマチとは全然違う人だよね。皆が気付かなくてもボクにはわかる」

 男は詰問するでもなく、ただ単純に答え合わせを楽しんでいるだけのようだった。まるで子どものように、無邪気に赤を入れる。 まる、ばつ、まる、ばつ、そうして値踏みをするように、私の上から下を舐めるように眺めた。「しかし」

「よく似てるね。どこで見つけたんだか」
「……」

 もはや、『何言ってるのさ』と突っぱねて押し通すことは、この男相手には不可能であるように思えた。正直に偽物であることを吐露し、ポケベルに呼び出されるマチちゃんを待つことくらいが、数少ない今の私にできることだ。私はそろりと左手をポケットに忍ばせる。マチちゃん、マチちゃん、早く来て!

「おっと」

 パシッと小気味のいい音がして、左手の手首を掴まれた。衝撃でポケベルを取り落としてしまう。

「あ、」
「無粋だな」

 息を呑んで男を見れば、ニヤリ笑いが視界いっぱいに広がる。まるで夜空のように近づいては離れる瞳に魅せられて、気付けば左手だけでなく右手の手首も掴まれ持ち上げられて、つまり壁に押しつけられる形になっていた。僅かに生じた恐怖に、「え、」と声を漏らすほかない。

「キミはマチなんかじゃない。ましてや誰かの代わりなんかでもない」
「わ、私は……」
「だからさ。今は他でもないキミの時間をボクにちょうだい」

 視界の端に、空しく転がるポケベルが映る。誰の責任でもない。誰にも迷惑をかけない。誰も助けてくれない。誰の代わりでもない、私の時間が今、はじまる。


ドッペルゲンガーの憂鬱
(120513)