わたしは一人、電車に乗っている。ガタンゴトンという規則的な振動は心地よく、窓から入る日差しはちょうどよい強さだ。だが、わたしの気持ちはもちろん晴れない。この電車が、望まない場所へわたしを連れて行く箱だと、わかっているからだ。
 この電車が行き着く先は、わたしの故郷であると、わかっているからだ。

 窓の向こうに見える景色から、だんだんと大きな建物が減っていく。気づけばまわりは緑、緑で、ついぞ先ほどまでいたはずの街々とのギャップに吐き気がした。
 わたしは故郷の、山と湖に囲まれたあの村が大嫌いだった。他の土地から隔離された、ど田舎。多くの人はこの村に生まれてから、山や湖でとれる僅かな自然のものを食べ、村から一歩も出ることなく死んでゆくのだ。村の老人たちはことあるごとに、この村の伝統と歴史と文化を説き、都会は怖いところだと子どもたちに吹き込んだ。この村は人に垣根のない暖かな村だと。しかし実際にそこにあったのは暖かさなどではなく、下らない虚栄心と猜疑心にまみれた、ただただ遠慮のない不躾な視線だった。
 そんな、物理的にも情緒的にも隔離された山村から逃げるように出て行き、あてもなくヨークシンへ向かったのは15のときだ。もちろん、名も知れぬ田舎の村からやってきた小娘を受け入れてくれるほど、ヨークシンは生易しい街ではなく、死にそうな目にも幾度となく遭った。それでも後悔だけは絶対にしなかった。あの村に、もしあのままいれぱ、そこら辺の好きでもない男と結婚し、貧しく平凡で代わり映えのしない日々を送っていただろう。もしかしたら、わたしも大人たちにまざって、子どもたちに村の良さを延々と語っていたかもしれない。想像するだけで薄ら寒く、耐え難い。


 しかしわたしは結局、幸せを手に入れた。沢山の良いことや悪いことをして、それでも強かに生きてきたわたしに、神さまは微笑んだのだ。
 わたしには、相手の言っていることが嘘か本当か見抜くことができる才能があった。その才能のおかげで、生き抜いて来られたと言えるだろう。あの忌まわしい村で生まれたというのは、わるいことばかりではなかったということだ。あの村で大切に純粋培養してきた猜疑心が、思わぬところで役に立ったのだ。

 わたしにとって、もう一つ幸運だったと言えることは、仕事上のよきパートナーに巡り会えたことだった。拾われた、と言い換えてもいいかもしれない。闇の世界でその人を知らぬ人はおらず、畏れられている存在。わたしのパートナーの名は、クロロと言った。
 クロロはよく、わたしの才能について、「便利」と評した。クロロが持っている、人の才能を我が物にする才能の方がよっぽど便利ではないかと思うのだが、クロロ曰わく、「そういうことじゃないんだ」。「能力だけ盗んだってしょうがない。特にキミみたいな能力はね」。その後の彼の説明は冗長で、かつちんぷんかんぷんだったが、彼が嘘をついていないことだけはよくわかった。彼は嘘をつかなかった。だから、わたしたちは本当にたくさんの仕事を共にこなすことができた。



 わたしが村へと向かっている理由というのは、実のところ自分でもよくわかっていなかった。

『もしもし? ……ナマエ? ナマエ・ミョウジ?』

 電話だった。聞いたことのある声に、わたしは一種の吐き気を覚える。

『……どうしてわたしの番号がわかった? 誰にホームコードを聞いた?』
『おお! その声はやっぱりナマエちゃんか。よかったよかった。いやね、緊急の用事があったから。急いで調べてもらったんだよ』
『わたしはあんたたちに用なんてない。勝手に調べたりして、不愉快だ』
『そう言わずにさ。あ、ナマエちゃん、おじさん誰だかわかるかい? ナマエちゃんちの裏のおじさんだよ〜。今はね、村長になったんだよ』

 言われなくても、わかっていた。子供の頃、嫌というほど村の文化について話してきた、大人の一人だった。声を聞いているだけで、次々と思い出す。ヨークシンの色に染まっていたはずのわたしの心から、少女の思い出が顔を出す。

『そうそ、ナマエちゃん。大変なんだよ。ナマエちゃんのご両親、今危篤なんだよ!』

 ドキッとも、しなかった。嘘だと、すぐわかる。冷徹になったわたしの頭は、たくさんの可能性について思案する。……自分でも驚くくらい、冷静だ。

『危篤?』
『そうだよ! ご病気でね』(嘘。)
『いつごろからなの?』
『ずっと元気だったんだけど、 2、3日前に突然ね、』(……本当。)
『そうなの。他のみんなは変わりない?』
『うん、まあ。変わりないよ。みんな元気。相変わらず』(嘘。)
『じゃあうちの両親のことも、みんなが看てくれてるのね。ありがとう』
『そうそう。みんなミョウジさんたちのこと、本当に心配しててね、親身になってくれてるよ』(嘘!)
『ねえおじさん、お父さんとお母さん、いつまで生きられそうなの?』
『さあ、それはなんとも……でも、もうそろそろだと思うよ。生きてるうちに、会いに来てあげてよ』(嘘! 嘘! 嘘!)

 そのあとは近々行く約束をして適当に電話を切り、深呼吸をするしかなかった。こんなこと、仕事にしているわたしじゃなくたってすぐに検討がつくことだ。両親は2、3日前、村の誰かに殺された。村長になったとかいうあの男から電話が掛かってきたということは、村ぐるみだろう。しかも、わざわざ情報屋を雇ってわたしのホームコードを調べたということは、何としてでもわたしに村に来てほしい理由があるらしい。あの村が村ぐるみで困ることなんてどうせ金がらみだろう。
 わたしはもう一つ、吐き気混じりのため息を吐き出した。どうしてわたしはあそこで電話を切ったのだろう? もっと追求することはできたはずだ。でもなぜかできなかった。どうしてわたしは、村へ帰るための準備を、始めているのだろう。



 久しぶりの故郷は、嫌になるほど記憶と変わっていなかった。ただひとつ、わたしを驚かせたのは、そこにクロロがいたことだった。

「遅かったな」
「どうして……」
「いや、特に用事はない。この近くに古い本屋があるというから様子を見に来たんだが、陳腐な物しかなかった。これだから田舎はいやだな」

 クロロは嘘をつかなかった。だから、わたしはこの男が好きなのだ。この男しか、信用したくないのだ。

「ふうん、それにしても、大層な田舎だな。こういうところにいる人間というのは、たいてい力もないのに頭だけ成長して、やっかいな生き物になっている。こんなところに今も住み続けているというのが、いい証拠だな」
「クロロ、その通りだよ。ねえ、クロロ、」
「どうした。……ああ、そうか。お前には嘘が通じないんだった」

 わたしは、普段クロロから感じるはずのない違和感に戸惑っていた。たわいもない、たった一つの嘘。ただそれが、凄絶にわたしの心を圧迫する。

「ひとつ、嘘をついた。だが、それもじきにわかることさ。それより、こっちへ」

 クロロは、そんなわたしの違和感などお構いなしに、ずんずんとわたしの手を引いて進んでいく。不思議な心地だった。クロロが向かう先は、容易に想像がついた。わたしの故郷だ。何年たっても忘れることはない、わたしの故郷へと続く道を、今歩いている。

「よし、もう着くな」

 いつの間にか、わたしは涙を流していた。なぜだろう、悲しくなど、ないのに。村の、たった一つの広場に着くと、クロロは満足そうに微笑んだ。

「オレはさっき、一つだけ嘘をついた。『住み続けている』という言葉だ。住み続けることなど、できない。何故なら住み続けるためには最低限生きている必要があるからだ。そうだろう?」

 朗々と語るクロロに、わたしはコクリと頷く。目の前には、文字通り、人の山があった。遺体の山だ。村の全員と思われる数の遺体が、1箇所に集められ、重ねられていた。みんな何故か笑顔で、折り重なってこちらを見ている。てっぺんにはおじさん……今の村長が、あの頃、わたしに村の素晴らしさについて話していたときと同じ、穏やかな笑顔で、こちらを見ていた。

「どうかな、お気に召したかい?」
「クロロ、ああ、クロロ、」

 忘れてはいけない、この人は極悪人で、こうやって人殺しも厭わない、A級首だ。

「どうした?」
「クロロ……ありがとう、ありがとう」

 ならどうして、わたしはこうして涙を流し感謝しているのか、ただわたしには、わからない。

Home Sweet Home
(130406)