30秒、くらいだろうか?いや、5秒も経ってなかったかもしれない。とにかくわたしは少々の時間、一歩たりとも動かなかった。いや、動けなかったのだ。正確には。
「キミ」
すっかり止まった時間を再び動かしたのは、わたしの後ろすぐに立つひとの声だった。チャリ、と、どこのものかも知れない鍵が微かに音をたてる。
「誰?」
どうして名前を聞かれるだけでこんなにも緊迫した状態にならなければいけないのだろうか?少なくとも、私は悪いことはしてないはずだ。と、そうは思ってはいても、実際には緊張しすぎて身じろぎ一つできず、否定の言葉を発するなんてもっての他であるのが現実なんだけれども。
「あ……」
「ミョウジナマエだよね? この部屋に何の用?」
答える前に喋らないでよっていうか知ってるならわざわざ聞かないでよという言葉が次々とよぎったが、それが実際に口から出ることはない。とにかく背中のあたりにぴったりと押しつけている冷たい物をどかすべきだ。しかしそれが実際に口から出ることはない。
彼は何に包むでもない剥き出しの殺意をこちらに向けている。
「先生が……」
「なに?」
「……先生が呼んでこいって……あの……国語の……」
「ああ」
ヒバリさんは、なにやら心得顔で……いや、顔は見えないから心得声でということになるが、納得しているようだった。いや、知ってるなら呼ばれる前に自分で行ってよ!しかしそれが実際に口から出ることはない。呼びに行かせられる私の身にもなってほしいものだ。ああ、本当に、どうしてこんなことになっているのか。
「職員室に、来るように、って……」
「ふうん。それでキミが呼びに来たってわけか」
と言いながらもヒバリさんは職員室に向かう素振りを微塵も見せない。あれ、今わたし確かに伝えたよね?思い違いとかではないよね?しかしもうこれ以上わたしからヒバリさんに何かを言うことなんてできない。ましてや、先生の所に行くようもう一度促すなんてどう考えても無理、無理オブ無理だ。ヒバリさんには逆らえない。服従するほかない。弱肉強食だ。ここは戦場なのだ。わたしはすっかり平和ボケしていた自分を罵るほかない。
「用は、それだけ?」
「は、はい」
ようやく解放してもらえるのかな?まさか、応接室に勝手に入ろうとしただけでこんな目に遭うとは思わなかった。あと、実は密かに期待してもいた。怖いと評判のヒバリさんだけど、もしかしたら仲良くなれるかもしれない、なんて。素敵なロマンスが始まるかもしれない、なんて。しかし、始まったのは恋でもなんでもなく、戦争だ。
「じゃあ早く帰りな。もう3時間目が始まる」
「あ、は、はい!」
わたしは勢いよく走り出す。逃げる時だけ勢いが良い、わたしはそんな負け犬だ。それでいいんだ。
しかしもう休み時間が終わるとは驚いた。そんなに時間が経っていただなんて。おかしな話だ、だって、休み時間のほとんどの時間を、ヒバリさんが背中にぴったりくっついてる状態で過ごしたのだから。(なんか、恥ずかしいな)
「また、来れば」
後ろから投げかけられた言葉。
……なーにが、また来れば、だ。二度と、こんな戦場には戻らないぞ。恋が始まるなら、別だけど。
弱肉強食(ロマンス)
(110509/200407タイトル微変更)afterwriting