※テイルズ オブ ザワールド レディアントマイソロジー2のお話です
※ヒロイン=主人公(ディセンダー)










 世界を救うディセンダー。つまりナマエが突然倒れ、医務室へと運ばれたのは昨日のことだった。幸いすぐに目を覚まし、みんなの心配の声にも、弱々しくではあるが応じている。リフィルせんせー♡によればただの過労らしく、今は医務室で安静にしているところだと言う。

「ってことでぇ、俺様がお見舞いに来てやったっつーわけなのよー」
「病人がいるのだから、静かになさい!」
「へいへーい。リフィル様、怒った顔も美し〜♡」

 軽口を叩きながら医務室に入ると、ナマエは一人、ただ白いベッドに腰掛け、本のような物を読んでいた。てっきり寝込んで頭も起こせない状態かと思えば、意外と元気そうだ。手元をよくよく見ると、ナマエが読んでいるのはカノンノちゃんが持っていた、あの絵本だった。そう、あの、絵本だ。ディセンダーの。

「よ。元気そーじゃねーかよ」
「ゼロス」
「何なにぃ? ディセンダーの絵本なんか読んじゃって。ディセンダー様ナマエが、とうとう己の使命に目覚めちゃったとか、そんな感じ?」
「そんなんじゃ……」
「そうだよな。……ナマエだもんなぁ」

 俺が初めてこの船へやって来た頃。まだギルドも小さく、メンバーもわずかばかりだった頃。ナマエが、おとぎ話に出てくるディセンダーだなんて、誰一人考えていなかった、あの頃。

 やって来る依頼なんて、ガキから来るもんがほとんど。誰でもできるような、雑魚魔物を倒す依頼だとか、小麦粉集めみたいな依頼ばかりだった。俺は正直、ここのギルドに長居するつもりなんて全くなかったし、ギルドを大きくすることなんかに興味もなかったんだけど、剣、魔法、回復と超オールマイティ〜な俺様は、精力的に依頼に取り組むナマエに同行を頼まれることが多く、パーティを組んで魔物退治に行くことがよくあった。

 ガキんちょが多いこの船では、ナマエと俺は比較的歳も近く、気も会う方だ。夜中、食堂に忍び込みかっぱらったワインで泥酔して二人してパニールちゃんのお説教をくらったり、1日中二人で代わる代わるチャットの物真似をしてチャットに激怒されたり、……まぁとにかく、俺たちは謂わばパートナーという感じだったのだ。

 その後、順調にギルドの人数も増え、船も増築したりして、ギルドの規模は大きくなったが、それでもしばらくはのんびりした雰囲気のまま、俺たちは生活していた。それが大きく変わってしまったのは、ついこの間のことだ。

「なんか、ゼロスと話すの久しぶりな気がする」
「そりゃそうよー。ナマエちゃんってば、急に人気者になっちまったんだもんなぁ。引っ張りだこってーの? ここんとこずっと、誰かの依頼にくっついてってたっしょ」
「そんな、人気者なんかじゃ……」
「あーあぁ。ついこの間まで一緒に食堂忍び込んでつまみ食いしてたはずの相棒は、気付いたら時の人ってか。」
「…………」

 ディセンダー。ただの記憶喪失少女だったはずのナマエに突然降って湧いた冠名。獄門洞とかゆー、超暗い洞窟に行ったきり、ナマエは帰ってこなかった。いや実際には、ナマエは帰ってきたはずなのだ。なのにもう誰も、ナマエの名を呼ばなくなった。『お前、ディセンダーなんだってな! すげーな!』『ディセンダー、期待してるよ!』ディセンダー、お前、ナマエをどこへやっちまったんだ?

「な。ナマエ。最近お前、変なんじゃねーの?」
「何よ突然。あんたこそ変だよ。わざわざ見舞いになんて来てさぁ。ただちょっと疲れてただけだっつーの。みんな大げさなのよー」
「あのなナマエ。俺様はさ、心配してんだよ。ナマエのこと。……なぁ、普通、ちょっと疲れただけで倒れるか? お前、働きすぎなんじゃねーの?」
「それは……」

 ナマエはあの日から、人が変わったように依頼に打ち込むようになっていた。元々仕事熱心なやつではあったんだが、どう見てもそれまでの倍以上、もはやいつ寝ているのかもわからないくらい、依頼達成に没頭するようになった。『さすがディセンダー』『私たちにはディセンダーがいるから大丈夫ね!』ナマエは周囲の声に応え、まるで取り憑かれたかのように休みなく魔物退治に繰り出していった。ナマエと、いや違うか、『ディセンダーと』一緒に仕事をしてみたいと言い出す奴が沢山現れ、自然と俺はパーティからも外れていった。気付けば、ディセンダーと手合わせしてみたい、なんつー、仲間内からの依頼もちらほら見えるようになっていた。ナマエはそれら全てに、快く応じていた。

 取り憑かれたように、じゃねーな。文字通りナマエはディセンダーに取り憑かれ、ディセンダーに取り殺されんとしていたのだ。

「ま、良い機会だからゆっくり休めって。ここんとこ、働きづめだったろ」
「そうしたいけど……溜まってる仕事がたくさんあるんだよねー」
「ああん?」
「レドゲゴ退治に行かなくちゃだし、……あ、あと料理クエストもいくつか……」
「お前な〜〜〜」

 俺は諫めるように睨むが、ナマエはこちらを見ていなかった。どこか遠くを見るその瞳には、零れそうなほどの焦燥感が俺の目から見てもわかる。ナマエは急に絵本を閉じ、すくと立ち上がった。ベッドサイドに座っていた俺は間抜けなことに、凜と立つナマエを見上げる形になる。

「そうだ、忘れてた。今日までの仕事があって……。せめてそれだけでも終わらせなくちゃ」
「お、おい、ばぁか。まだ本調子じゃねーんだろ。誰かに投げるか、断っちまえよ。特別に俺様が代わりに行ってやってもいいしよー」
「……ありがたいんだけど、是非私一人の手でって言われてて……」
「おお、出たよ、ディセンダー様ご指名パターン」
「ほんと、それだけ。それだけちゃちゃっと終わらせてくるから……」

 いそいそと荷物の準備を始めるナマエを、止めるでもなくぼおっと眺める。ここは病室だというのに、当たり前のようにナマエの武器はすぐそこに置いてあり、ナマエが休む気がないことも、周囲が休ませる気がないことも、それが如実に表していた。

「ったく。しゃーねえなぁ。無理すんじゃねーぞぉ」
「うん」

 俺だって同じだ。なんて、ずるくて卑怯なのだろう。心配の言葉はいっちょ前、実際にやっていることは、ナマエをディセンダーとして祭り上げるあいつらと大して変わらない。今ここで、ナマエの腕を力ずくに掴み、『いいからやめろって。俺が言ってるだろ』なーんてな、そんなことできるやつが本当のイケメンで、本当の主人公だ。俺は主人公にはなれない。もし俺たちが物語の登場人物だったら、きっと主人公はロイドくんみたいに熱血なやつか、ナマエみたいに特別な力を持ってるやつ、それかカノンノみたいに自分を犠牲にして何かをできるやつだ。自分の立ち位置なんてわかってるさ。ハッピーエンドのために必要なのは、ひたすら突き進むディセンダーを見守り、立ててやる脇役たちで、俺みたいに中途半端に水を差す奴なんて、この物語にはお呼びじゃないのだ。

「でも、話だけでも聞いてもらえてよかった。なんだかんだ、ゼロスと話すと落ち着くよ」
「だろぉ〜? いつでも俺の所に来て癒やされてくれって」
「ははは」
「その乾いた笑い、傷ついちゃうなぁ〜、俺様」

 俺に出来ることと言えば、努めて明るく努めて軽く、ナマエを送り出すことくらいだ。せめてこの船が、ナマエの帰ってくる場所であればいい。ナマエにとってこれが一番の形なら、俺は。そう思い、俺はナマエを送り出すことに、決めたのだが。

「さてと。じゃ、行ってくるかぁ。メスカル山脈」
「……メスカル山脈?」

……俺は耳を疑った。てきぱきと戦いに赴く準備を進めるナマエの手首を、思わず掴む。

「うん、そうだよ? どうした?」
「ちょ、ちょっと待てって。一人で行くって、レドゲコのことじゃなかったのかよ?」
「それはまた今度にしようかなって。金鉱石だけ、急ぎなんだよね」

 俺はもう一度、自分の耳を疑った。メスカル山脈、だって? あそこは魔物の気性が荒く、気候も厳しい。風に体力を奪われ、戦い慣れしているはずのリオンが倒れたらしいという話も聞く。麻痺攻撃をする敵もいたはずだ。どう考えても、ファーストエイドもリカバーも使えないナマエが一人で乗り込んで良い場所には思えない。

「俺はさぁ、レーズン火山だと思ったから、別にいいかなって言ったわけ。でも、メスカル山脈ったら話は別だぜ」
「……何でよ」
「魔物のレベルが違いすぎんだろ。メスカル山脈に一人で乗り込むなんてぇのは、ほとんど自殺行為だぜ」
「でも……」
「でもじゃねーだろーがよ」

 掴んだままのナマエの手首は、汗でじっとりと濡れている。いや、これは俺の汗だろうか? もはやそれもわからなくなっていた。俺の焦りと、ナマエの焦りが混ざり合い、熱を持っているかのようだ。俺は、焦りと同時に怒りが湧き上がるのを感じていた。ナマエだって、俺なんかに言われなくとも、メスカル山脈に一人で行くことの危険性は、十分わかっているはずだ。なのに、ナマエは行かなければならない。ナマエが、ディセンダーだから。ディセンダーは民のために死ぬ。ディセンダーは、民に殺される。

「……離して、手。もう行くから」
「行くな」
「……行くよ」
「まだ寝てろって」
「ゼロスだって、行っていいって言ったじゃん。しゃーねえなぁって、言ったじゃん」
「だぁから、それはレーズン火山の話なんだって。メスカル山脈は危険だろーが」
「なによ、私じゃ力不足だって言ってんの? 私だけじゃ、成し遂げられないとでも言ってんの?」
「そういうこと言ってんじゃねーだろうが」

 俺がため息をつくとナマエはますます焦りを顔に滲ませた。未だに俺が強く掴んでいる手を、もし離したら、今にでも駆けて行ってしまいそうだ。ディセンダーであることって、そんなに大事なのだろうか。ナマエがナマエであることよりも、ナマエがディセンダーであることの方が、大事なのだろうか。俺にはよくわからなかった。俺はこれまで一度だって神子が俺を上回ることなどなかったし、これからもないはずだ。俺から神子を取ったらもちろん『俺』が残る。ナマエだって、そうであるはずなのに。

「とにかく、休んでろ。チャットには俺から断ってやっからさ」
「だ、ダメ! そんなことダメ。大丈夫だから。行ってくる」
「大丈夫じゃねーから言ってんだろ!」
「大丈夫なんだってば! もーうるさいなぁ!」
「ああ!? うるさいって、お前……」
「ゼロスには関係ないじゃん! わたしの依頼なんだから!」
「……お前、」

 ナマエはこちらを一度も見なかった。俺ばかりが、ナマエを見ている。

「関係ないって。それ本気で言ってんのかよ」
「本気も何も、そうでしょ! ゼロスが危険なわけじゃないんだから。何でそんなに口出ししてくんのよ!」
「何でって、わかんねーかよ」
「はぁ?! なんなのよ。なんでそんな怒ってんの?! 意味わかんない!」
「本当にわかんねーのかよ!」

 衝動的に、掴んでいた腕を引き、俺はナマエを抱きしめた。一人の女の子抱きしめるなんて俺様、プレイボーイ失格だなぁ〜、なんて頭のなかで嘯く。人がこんなに脆いなんて、俺は知らなかった。抱きしめる力をもう少し強めたら、簡単に潰してしまえそうだ。

「ちょ……」
「俺はさ。本当に心配なんだよ。お前のこと。」

 ふいの出来事に驚いたのか、ナマエは思ったよりも落ち着いていた。

「……うん」

 ナマエの髪からは、ナマエの香りがした。みんな同じシャンプーを使っているはずなのに、どうしてナマエの匂いがするんだろう。不思議と落ち着く、でもどこか悲しくなる香りだ。抱きしめる腕に、力を込めた。

 どのくらい経っただろう。しばらくそのままでいると、ナマエがポツポツと、話し始める。

「ゼロス…………わたし……」
「うん」
「どうしたらいいのか……全然わからないの。記憶がなくて自分が何者なのかわからなくて、あんなに不安だったはずなのに、自分がディセンダーって知ってからの方がずっと不安なの。なんでかな。」
「うん」
「でも、きっとそれはわたしがまだディセンダーとして未熟だからなんだって思って」
「うん」
「だからもっと頑張らなくちゃって。もっと頑張って、頑張って、なのに、ね、全然不安は消えないの。むしろ、もっと不安になってくんだよ。ねえ、わたし、頑張るのをやめたら、どうなるの? ディセンダーじゃないわたしなんて、もしかしてこの世界にいらないんじゃないの? ……すごく怖いの。だから、頑張らなくちゃ、……頑張ってるわたしじゃなくちゃ、って」
「うん」

 俺は、すう、と息を吸った。もしかしたら、これから俺が言うことは、世界を壊してしまうかもしれない。もしかしたら、そうはならないかもしれない。それでも、俺は口を開いた。ナマエは、今は確かに俺の腕の中にいる。

「なあ」
「ゼロス?」
「……なあ。もしお前が世界を救わなかったら、どーなるんだろうな。」
「えっ……」

 俺を見上げるように顔を上げたナマエの顔を、そっと撫でた。人類全てに憎まれてもいい。ナマエにだって、喜んで恨まれよう。ナマエが、得体の知れねー、ディセンダーとかいう慈善事業に殺されるのだけはまっぴら御免なのだ。今確かに俺の腕の中にいる少女を生け贄に、のうのうとこの世界で生きていくなんて、考えるだけでも窒息しそうだ。

「俺と、逃げだそう」
「…………うん」

 素直なナマエの返事に、俺は目を丸くした。どーせナマエのことだから、また『でも』『だって』が始まるかと思ったのだ。存外、ナマエもこの言葉を待っていたのかもしれない、と思った。俺が思っていた以上にナマエは追い詰められ、俺が思っていた以上にナマエは逃げ出したがっていたのかも知れなかった。

「明日」
「明日……」
「じゃあ、三日後にしよう。お前も色々あんだろ。三日間、よく考えればいーさ」
「…………ありがとう」

 三日間。と、ナマエは小さく繰り返した。俺は、ナマエは、この三日間を何を思って過ごすだろう。

「でも、そんな簡単に抜け出せるものなの?」
「こーゆーのはさ、俺様みてーなヒールに任せろって。見てろよぉ、華麗に攫ってやっから。」
「……うん」

 確かに俺はどうあがいても主人公にはなれないだろう。むしろ、神子でありながら世界よりも私欲を優先したヒールとして、描かれるかもしれない。だが、そんなことはどうでもいい。俺は、俺とナマエを救う。世界のことなんてどうでもいい。だいたい、これが物語だなんて、一体どこの誰が決めたのだ?





 まるでガキしかいねえ、こんな船から抜け出すのはとても簡単だった。抑えときゃいいのは、リフィル先生、クラトス、ジェイドくらいのもんだ。それも簡単なもんで、ちょいちょいっと手を回して、その3人がちょうどクエストに出掛けるようにすれば完璧だ。あとは俺が『あーあ、この船にはガキしかいねーのかよ。街にでも行ってハニーたちに会いてーなー♡』なんて呟きながら過ごしていれば、俺はどんなにこそこそしてても怪しまれない。たとえ、ロイド君みたいなアホに見つかったとしても、『……しゃあねーな、お前も連れてってやるよ。ナンパ。リフィル先生には内緒だかんな〜?』とかなんとか耳打ちしときゃ、しばらく俺がいなくなったところで誰も怪しまないという寸法だ。念のため、ナマエにも新たに採取クエストを受諾してもらい、これで俺ら二人がある程度姿を見せなくても不自然でない状況はとうとうできあがったというわけだ。

 そうこうしているうちに時は経ち、あれからちょうど3日目の今日。俺たちは深夜遅くに小舟に乗り込み、バンエルティア号に別れを告げたのだった。

「みんな、私を恨むかな」
「あー、まぁ、恨まないって言ったら嘘になるだろうな。謂わば、世界に対する反逆者なんだ。この世界を救う術を持っているのに、それを放棄しようとしてるんだからな」
「本当に、世界は滅びてしまうのかな」
「どーだろうな。だけど俺様に言わせりゃ、こんな世界、クソ食らえだ。滅びちまえってな」
「……うん」
「……今から戻ったっていいんだぜ。今戻りゃ、何もバレやしねーし、ただいつも通りの日常に戻るだけだ。俺には無理矢理お前を連れ出すことはできねーよ。いつだってナマエは、自分がそうしたいと思う行動をしてくれよ」

 静かに、ナマエは首を横に振った。「戻らない。このまま行くよ。わたしが、そうしたいの」見つめ合ったまま、穏やかな海を漕いでいく。これから世界は滅び行くだろうというのに、まるで何事もなく、まるで平和であるかのように、空には月と星があり、海は凪いでいる。そしてここには俺とナマエがいるのだから、不思議だ。お互い黙って、広い海へ漕ぎ出してゆく。





 ギルドを飛び出して、どれくらいの月日が経っただろうか。俺らが戻るつもりがないことに気付いたのだろう、ギルドの連中がナマエを探しに街までやってきているのを何度か見たが、それも次第に見かけなくなっていった。やつらを見かける度、ナマエは酷く青い顔をした。罪悪感に苛まれる彼女を慰める術を、俺は持っていなかった。

 いつからか、町の建物の隙間から、大きく禍々しい、漆黒の渦が見えるようになっていた。海辺に出るとより鮮明に見える、あれは、何だろう。名前はわからないが、何なのかはだいたい検討がついた。
闇を孕むもの。光を吸い込むもの。
 それが見えだしてから、明らかに大気中のマナが薄くなってきているのがわかる。この町でも、少しずつその影響が出てきていた。少しずつ、少しずつ。時には疑心暗鬼、時には疫病、時には戦争となって。

「ナマエ」
「ん?」

 俺はナマエの手を取る。とてもか細くなってしまった手は、少し前まで大剣を振るっていたとは到底思えない。

「……海、見に行こうぜ」
「……いいよ」

 一番、あの漆黒の渦が良く見える所に行く。
 俺様だって、腐っても神子だ。だいたい、わかってしまう。いつこの世界が寿命を迎えるのか、いつ全てのマナが吸い尽くされるのか、それがいつかの未来なのか。……あるいは今日、なのか。

 海辺にやって来ると、そこには誰もいなかった。以前なら、観光客や商売人で賑わっていた場所だ。しかし今では人っ子一人いやしないし、空は晴れているというのに何故か暗い。灰色の海は荒れ狂い、生物の気配がない。少し草が生えている所を探して、二人で腰を下ろす。心なしか息苦しく、まるで微熱に浮かされたように、妙に蒸し暑いのに底冷えする。

「今日……なんだね」
「……ああ」
「何となく、わかってた。世界の寿命、まるで自分の命のように。ディセンダーの、命のように」

 黒い渦を見やると、小さな点が近づいていくのが見えた。
 ……バンエルティア号だ。
 どうして、こうなったのか。俺たちは、あそこにいて、世界を救っていたはずではないか。
 と考えて、俺はかぶりを振った。俺様が本当に救いたいと思う世界は、今目の前にいる。ナマエが、世界そのものだ。

「あ……」

 一瞬、黒い渦の近くで、チカ、と何かが光る。それを期に、黒い渦は増大してゆく。(ああ……みんな。)

「息が、ちょっと苦しくなってきたね」
「ああ」
「眠たくなってきたね」
「そうだな」
「……この世界は、滅びる。私が殺したの」

 俺はナマエの手を強く握った。ナマエは俺の肩に頭を預け、いつのまにか目を閉じていた。すう、すう、と微かな呼吸の音だけが、ナマエの命の灯火を俺に教えてくれる。

「こんな世界、くれてやろーぜ。いらねえよ。何も、かも。お前さえいれば」
「……うん。さいごにゼロスが隣に居てくれてよかった」
「ああ、俺もだよ」

 なあ、神様。どうして俺様は神子で、こいつはディセンダーなんだ? どうしてこれは物語で、俺は神子なのに世界を救えないんだ?
 目に見えて、空が暗くなる。マナと空気が薄くなり、意識を保つのもやっとになる。

「……愛してるぜ、ナマエ」
「うん、ゼロス。私も、愛してる。……私を、私にしてくれて、ありがとう。ディセンダーを殺してくれて、ありがとう」

 閉じていた目を、ナマエは少しだけ開けた。ナマエを見る。世界を見る。俺がせめて死を見届けられたらと。
 もし輪廻転生があるのならば。もしこれが物語なのならば。願わくば、俺を世界を救える神子にしてください。願わくば、ナマエが、ナマエの命を生きられるように、してください。

世界を殺すものたちよ
(200802)