「あ、漸く気がついた?」

 目を開けるとそこは海の上だった。何の装飾もないイカダに横たわる私と、覗き込む、イルミ・ゾルディック。くらく、何もない空と、彼のくらい瞳はよく似ていた。
 私はゆっくりとかぶりを振り、騒がしいパレードのようにぎゃあぎゃあと混乱する頭をなんとか整理しようと試みた。

「確か私、仕事で……」

 そうだ。絢爛な豪華客船。そのカジノに、ある獲物を狙い潜入していたのだった。
 私は財宝ハンター、その中でも世界中の富豪が持つ稀少な宝石や装飾品を専門として、活動している。所謂財宝ハンターの多くは、遺跡発掘が主な活動だ。そんな中で、既に人が持っている物を狙うスタイルの私は、コミュニティからのつまはじき者だった。幻影旅団みたいな手荒な連中とは違うっていうのに、頭の固い老人達にはそれがわからないらしい。まあとにかく、コミュニティからの情報が得られない私は、主に闇のルートからの情報を頼りに仕事をすることが多かった。

 ある日、私の元に、懇意にしている情報屋から知らせが入った。ある豪華客船で毎日催されている大規模なカジノのオーナーが、私が生涯かけて狙うと決めている宝玉、”天使の依り代”を所有しており、カジノでの展示品にしている、というのだ。
 私は一も二もなく飛び付いた。そして……

「そう、そうだ。私、念入りに準備をして、パーティに潜入した」

 しかし、カジノの展示ブースを見に行くと、そこにあったのは紛れもない紛い物だったのだ。
 天使の依り代は、厳密に言えば宝石ではない。一見するとオパールのようにも見えるが、成分は全く違っている。というより、現存する何とも成分を違えている。親指大のその物体は、見る人、見る時間、場所、季節、温度、湿度、気分、その他様々な要因によって色彩はうねるように複雑に変化し、一度見た遊色を二度見ることはできないという。
 そこにあったのは、確実に偽物だった。発色のいいオパールに、羽と葉を模した金の装飾があしらわれている。質のいい、偽物だった。

「本物を持っているかどうかも確証がなかったけど。私は一縷の望みにかけて、オーナーの私室に忍び込んだ。それで、それで、それから……」
「爆発が、起きたんだよ」

 イルミはどことなく上機嫌に、言葉を被せるように言った。記憶の中の火花が、ちかちかと脳裏で煌めく。

「船が大きく揺れた。遠くで爆発音がして、それから何発か聞こえた爆発音はだんだん近づいてくるようだった。そしてすぐに、とても近くで爆発が起きたんだと思う。爆風で窓が外に向かって割れて、私は柱につかまって外に投げ出されそうになるのを必死で堪えた。けど、飛ばされてしまった」
「よく思い出したね。えらいよ」

 ぱちぱち。とイルミは口で言って、手を叩くような仕草をした。

「オレは別の仕事であの船に乗っていたんだよ。キミがいたなんて、気付かなかったな。ホント偶然だよね。当然、詰めの甘いキミと違って、不測の事態への対処は念入りにしていたから全くの無傷だけどね。そしたら偶然、死にかけてるキミを見つけたから、イカダに乗せてあげた」

 死にかけてた、というイルミの言葉を聞いて初めて、私は自分の体が満身創痍なことに気がついた。イルミがやってくれたのだろう、簡単な止血は最低限施されているようだが、そういえば右足は完全に動かないし、右耳が聞こえづらい。
 ぐうぜん、とイルミは何度も言った。ぐうぜん、船に乗り合わせ、ぐうぜん、私を見つけて拾ったと。

「……あり、がとう。命拾いした」
「うん。オレがいなかったら死んでたね」

 イルミは前を向いて、イカダを漕ぎ出した。同時に、懐から端末を取り出して、「ウン、今から帰るから」と誰かと通話している。

「これから、オレんち連れてくけど、いいよね? 怪我の手当てもしなくちゃいけないし」
「……うん」

 私は、考えるのをやめる。あのイルミが、爆弾が仕掛けられていることに気付かずに、ぐうぜん、船に乗ることなどあるだろうか。あのイルミが、顔見知りの私が船にいることに気付かずに、ぐうぜん、乗り合わせることなど、あるだろうか。

「というか、キミ、その怪我じゃもうハンター業はできないんじゃない? 多分、その足、治ってももう走れないでしょ」
「……でも、」
「天使の依り代、だっけ? キミが欲しいものはそのうちオレが盗ってきてあげるからさ、ハンターはもう廃業にして、うちにお嫁に来たら?」
「……」

 私は目をつぶる。見ないふりをする。思えば、あの時飛び付いたあの情報だって、怪しいと思えば怪しいところはたくさんあった。イルミなら、身元を隠しながら、私が天使の依り代を求めていること、そしてそれは私がなけなしの冷静さを失うほどであることを調べ、私が飛びつきやすいような偽情報を確実に、そしてさり気なく、信用しやすい形で届かせることなど、造作もないことだっただろう。選んだのは、私だ。赤く、毒々しい程に熟れた林檎を、食べると決めたのは、私だ。

「……うん。そう、だね」
「だよね。じゃ、帰ったら母さんに報告するから」

 イルミは笑いもしなかった。何故私なのか、誰でもいいのか、何か理由があって選ばれたのか。全く検討が付かなかったけど、もうどうでもいい。自分で食べた毒林檎は、王子様のキスで吐き出せても、食べなかったことにはできないのだ。


毒林檎
(201024)
(「毒林檎を用意したのは王子様です」title by 夢見月*