しとしとと朝から降る雨が夕方頃にやんだ時、心の中で熱い溜め息を吐いた。こんな時は決まって、百さんは傘を忘れていく。十中八九、事務所に傘を置いていくのだ。そして、残って仕事をしている私に一声だけかけて、帰っていく。事務所所属のタレントとはいえ、新米事務員の私がre:valeというトップアイドルとお話しできる機会なんて、そう多くない。傘を忘れた百さんは、お疲れー! と明るく言って、ウィンクをする。私はその瞬間を心待ちにしながら、仕事に没頭する、ふりをする。……もう少し。もう少し。もう少ししたら……
「あー! やっぱ、ここにあったぁ! すぐ傘忘れちゃうんだよねぇ」
「あ、お、お疲れ様です……」
「ミョウジちゃん、いつも頑張ってるねぇ。お疲れぇ!」
事務所を出ようとする、百さんが止まる。こんなこと、初めてだ。私もつい手を止めて、百さんの方を見てしまった。
「まさか気づいてないわけないと思うけど、わざとだよ?」
そして、ウィンク。ひらりと舞うように、百さんは去る。どういう意味だろうか。その意味を知るために、私はまた、忘れられる傘を待っている。
忘れず傘を忘れること(百)
(200614)
(title by icca)
back to … list or Apathy
仕事で遅くなる、先に寝てて良いからね、と言って、千は出掛けていった。先に寝よう、先に寝よう、頭の中でぐるぐる、考えすぎて、眠れない。二人じゃ狭いセミダブルも、一人で寝るには隙間が多すぎるのだ。寝よう、寝よう、と考えるほど目が冴えちゃって、目蓋の中で文字通り目まぐるしく目が踊っている。
ふと、耳を済ます。外に、タクシーの泊まる音。ガチャ、と玄関が開く。電気をつけずに、そーっと誰かが入ってくる。
「ただいま。寝てるよね」
小声のそれは、もちろん千の声だ。目まぐるしく、目まぐるしく、意識は踊っているけれど、まさか千がいなくて眠れませんでした、なんて言えないから、寝たふりをした。
「ナマエ」
千は小さな声で、よびかける。私は返事をしない。
「ほんとは起きてるね?」
私は返事をしない。千は更に近づいてきて、口づけを落とす。何度も。何度も。意地悪に。
「狸寝入りが下手だね」
半ば意地になって、私は目を閉じ続ける。私は知らんぷりをしなくちゃいけない。千の無数の口づけも、夜中降ってた長雨も。
夜通し降り続く雨(千)
(200614)
(title by icca)
back to … list or Apathy
「大っ嫌い! きらい! もう知らない! 千なんて知らない! 百と結婚したら? 私なんて飽きたらすぐ捨てるくせに! 放っておいて! さよーなら、今から死にます、バイバイ」
私が叫び、泣き喚き、手に取れるありとあらゆる物を部屋中に投げても、千は顔色ひとつ変えなかった。単行本のページを淡々とめくり、紅茶をゆっくりと飲んでいた。私の訴えはまるで雑音か、それ以下だとでもいうような、反応だ。どうやったって、千には伝わらないんだ、と思い知って、洪水のように涙が出てきた。その場に座り込み、声も出さずに泣いていると、千はようやく、こちらを見た。
「気は済んだの?」
「……済んでない」
「だろうね」
千は微笑んで、ティッシュを箱ごと差し出した。それを奪い取るように掴んで、ブーン! と鼻をかむ。
「気は済んで、ない、けど……もういい」
「いいの?」
私がコクリと頷くと千は立ち上がった。
「じゃ、アイスでも食べよう」
「……ハーゲンダッツがいい」
「うん。あるよ。選ぶでしょ、おいで」
とてつもなく優しい音楽に、絞め殺される。私を包み込んでくれるのは千だけだけど、私を絞め殺してくれるのも千だけだ。
まるで雑音って感じの反応。(千)
(200719)
(title by icca)
back to … list or Apathy
ゼミが同じ。それ以上でも以下でもない。二階堂大和が大学をやめて芸能界に行くらしいと、風の噂で聞いた。本人は何も言わない。いつも通り、飄々としていて、ゼミが終わるとすぐに教室を出ていった。最後に言葉を交わすほどの仲でもなかった。
教室を出てすぐ、携帯の充電器を忘れたことに気がついた。友達に一言断り、一人で教室に戻る。
「あったあった、これだ」
充電器はすぐに見つかった。しかしもう一つ、想定外の物も、見つけてしまった。明らかに、この教室のものではない、異物。明らかに、誰かの忘れ物。明らかに、さっきのゼミで忘れていった、二階堂大和のカーディガン、だった。
思わず、椅子にかけられていたそれを手に取り、抱き締める。柔軟剤と化繊のにおいが鼻腔を満たした。
「……二階堂…………好き。」
がた、と後ろで音が鳴った。嫌な予感がした。あるいは、破滅の予感かもしれない。
「あー……今の、もう一回聞いて良い?」
「に、二階堂、あ、こ、これは、」
「それとも、聞かなかったことにするか?」
「い、いや、これは、おもしろおかしい一人言でした! ていうか、」
二階堂は、ニヤ、と笑った。あ、好き。その顔が、好き。と反射的に思う。
「その一人言、やっぱお兄さんもう一回聞きたいなー、なんて。」
好き。好き。好き。何度でも言える。溢れるように。
以上、おもしろおかしい一人言でした!(大和)
(200719)
(title by icca)
back to … list or Apathy
九条の家の子である私が、TRIGGERの八乙女楽とこっそり会っている、だなんて、それを知ったら九条さんは卒倒するんじゃないだろうか。
「お前を拐って、二人で逃げてしまえれば良いのにな。TRIGGERも、八乙女も、九条も、全て捨てて、ただの楽とナマエになる。そしてただの人間として生きる。そしてただの人間として死ぬ。……そうなれたら、どんなにいいかと思う。それが、現実になれば、って、な……」
(……嘘だ。この人にとっては、これはあくまでも夢物語だ。理想を語り、私を誘っておいて、最後には『めでたしめでたし、って夢物語でしたとさ。』と言って目の前で道を閉ざすのだ。TRIGGERも八乙女も九条も、捨てる気なんてさらさらないだろう。逃れられない血と家の呪縛の中で、一番に自分を貫いて生き、輝き、そして死にゆく。それが、八乙女楽として生きるということだ。そして私はそんな八乙女楽を、好きになったのだ)
めでたしめでたし、って夢物語でしたとさ。(楽)
(200719)
(title by icca)
back to … list or Apathy
今日見た映画は本当にクソだった。駄作中の駄作。見る前の予告の段階から嫌な予感はしていたのだ。『日本中が涙』! 若手俳優の泣き顔ドーン! アイドルの絶叫ドーン! 無理矢理抱き寄せてキス! ……逆に良く見る気になったな、これ。ナマエは昔からこういうベタな恋愛ものの邦画が好きで、こいぞらだかなんだか知らないが、とにかくそういう映画を見つけては俺を無理矢理引っ張って映画館に走った。駄作に当たれば「これは例外的にダメだったね」と言い、良作に当たれば「ほらね! 恋愛ものは大体当たるの!」と得意気に言う。付き合わされるこっちの身にもなって欲しい。まぁ、俺も俺で、上映中寝てりゃー良いものを、妙なところで真面目が発揮されて、エンドロールが終わるまできっかし目に焼き付けてから映画館を出るのだけれど。
「流石に今日のは……」
「ひどかった、ね……」
ナマエと俺は同時に溜め息を吐いた。なんだろうな、この、駄作に引っ掛かって映画館を出た後の、虚無感。
「途中、ポップコーンすごい捗っちゃった」
「あーわかる。味わって食べられたよな。てか主人公なんであのクソ男に惚れた?」
「でもあのクソ男に負けず劣らず主人公もクズ女だったね」
「ライバルの女の子が一番まともだったよなぁ」
「ライバルの女の子これから頑張って生きてまともな相手見つけて欲しい」
クソ映画を見た後は、だいたいそのまま俺の家に来て感想戦をする。……まぁ正直、良い恋愛映画よりも、クソ映画を見た後の方が、酒が旨いのも、事実だ。
「何でこうもつまらん映画引き当てるかねえ。……一応、今俺が出てるやつも上映中なんだけど。あれ結構面白いって評判なのよ?」
「私、大和が出てるやつは、見ないって決めてるの」
「何でだよ。お兄さん、傷ついちゃうなぁ」
「だって、あんな大画面で大和見たら、ドキドキしちゃうでしょ?」
……なんて、可愛いことを言われるなんて、思わないじゃないか。
「じゃあ映画なんか見なくていい、今、目の前の俺を見てドキドキしてよ」
静かに目を見開くナマエを、ゆっくりとソファに沈める。あー、これだから、つまんねぇ映画を見るのもやめらんねえな。
めでたしめでたし、のその後で(大和)
(210414)
(title by icca)
back to … list or Apathy
「たまにはこーゆージャンクなのもいいよな!」
と言って、三月は大きなテリヤキバーガーにかぶりついた。いや、別にこのバーガーは特別大きいわけじゃない。ただ三月の顔が小さいのだ。
「三月、バーガーより顔小さいんじゃない?」
「んなわけねーだろ!」
「なんか小動物みたい。自分より大きい物にかぶりついてる」
「さすがに俺の方がでかいっつの!」
「あー、かわいい。ウサギみたい。写真撮って一織に送っちゃおうかな」
「やめろって!! かわいい禁止!」
三月は眉間をしわくちゃにして私を睨んだ。全然怖くない。かわいい。紙ナプキンで口元を拭う。かわいい。口角のあたりに、まだソースがちょっとだけついている。かわいい。
「ここ、ついてるよ」
「ん?」
ぺろっと舌を出して、自分の口角についたソースを舐め取った。かわい……いやいや、こいつわかってやってるだろ。
リリカルリップ(三月)
(210418)
(title by icca)
back to … list or Apathy
『緊急事態! 千んち集合! なるはやで!』というラインが来て、慌てて千さんの家にやってきた。緊急事態って一体なんだろう、と考えて心臓が脈打つ。私が送った『了解』に既読が付かないのも不安を煽った。
オートロックのインターフォンで呼び出すと、千さんが出て『お、来たね』と案外間の抜けた声で言った。ますます事態が飲み込めない。部屋まで辿り着くと、心なしかニヤけ顔の千さんが出迎えてくれ、部屋の中に入った。
「……で、これ、何ですか?」
「えっとね、誠心誠意謝ってるつもりの百」
「ほんっとーーーーーにゴメン!!!! ゴメンナサイ!!!!!」
部屋の真ん中で百は土下座をし、回りには彼を取り囲むように色とりどりの花やブランド物のショッパー、玩具やケーキなんかもあるようだ。
「ナマエが好きそうなもの、ありったけ集めたの。これでナマエが許してくれるかどうか……」
「え、ちょっと待って、まず教えて、何をしたの?! 私は何を謝られてるの?!」
「うう……」
黙り込む百を見かねて、千さんが後ろから何かを差し出してきた。……週刊誌の原稿のようだ。
「これって……」
「……フライデーされました……」
「はあ!? だって私たち友達、いやこの写真もこないだ千さんと3人で遊んだところじゃん! 何だよ『ラブラブお持ち帰り♥』って! 馬鹿か!!」
「はい、馬鹿です……」
しょげかえる百を見て、ますます怒りが湧いてきた。すぐそばで解った顔してニヤついている千さんにもだ。なぁーーーーにが『ラブラブお持ち帰り♥』だ! 私がどれだけの期間百に片想いしてると思ってる?! 女友達としか見られないことにどれだけ苦しんでると思ってる?!?! こんな週刊誌ごときに、かき混ぜられて引き千切られる私の身にもなってみろっつーんだよ!!
「ま、雨降って地固まるとも言うじゃない」
けらけら笑って平然と言う、千さん私はあなたにもムカついてるからな!
暴かれたい内側(百)
(210425)
(title by icca)
back to … list or Apathy