むかしから、私は“よく気がつくほう”だった。妹に意地悪する友達にあるのは、実は強い嫉妬の気持ちだった。怪我していることを必死に隠す同級生は、親から情けないと叱責されるのを恐れていた。ある生徒にばかり厳しく当たる先生は、その子に過去の自分を重ねていた。

 だからその日も、私はすぐに気がついた。入学したばかりの中学校で、たまたま隣の席になった男の子は、拳に怪我をしているように見えた。私は何も考えず、いつものように口を開いたのだ。何も知らず、無垢で、純粋で、愚鈍で、馬鹿で、間抜けで、阿呆で、お節介で、可愛い、中学生になり立ての私が、口を開き、その男の子に、問いかけた。

「ねえ、怪我してるの? その怪我、まるで人を殴ったみたいな位置だけど……まさか早速喧嘩? もー、子どもみたい」

 その瞬間、何かが私の体に強くぶつかった。そして意識が途切れ、次の記憶は病院だ。
 複雑骨折を含む、全治2ヶ月の大怪我。
 病院のベッドで目覚めるなり、混乱する頭をぶんぶんと振って、止めるナースを振り切り、傍らにあった鞄からクラス名簿を引っ張り出した。教室内の配置と名簿を照らし合わせて、自分の右隣の座席に座ったであろう人物を探す。

「雲雀、恭弥……」

 これが、私と雲雀の出会いだ。最悪だ。最悪以外の何物でもない。私の最悪の中学校生活が、こうして幕を開けたのだ。



 あれから2年経ち、私達は最終学年、中学3年生になった。まあ、これまでの2年間も最悪だったがその内容は略とする。

 今や雲雀恭弥は、入学初日から燦然と見せつけた暴力性を遺憾なく発揮し、不良の親玉、そして風紀委員長に上り詰めていた。この学校で、彼に楯突くような愚かな者は一人もいない。……私を除いて、だが。

「……いや、別に私、雲雀に楯突きたいっていうわけじゃないんですけど」

 保健委員長である私にとって、保健室は養護の先生と共に守らなければならない城だ。……と言っても、養護の先生なんて、いていないようなものだけれど。今日も昼休みの怪我人に備えて、保健室で一人弁当を食べていた。そこにやってきたのは、風紀委員副委員長であり、雲雀の腰巾着、草壁だった。

「ミョウジさんはそうでも、うちの委員長にとってはミョウジさんは目の敵なのさ」
「そんなこと言われてもね……」
「委員長がせっかく、目障りな群れや風紀を乱す輩を噛み殺しても、あんたが片っ端から治療しちまうもんだから、これじゃ粛正の意味にならないだろう」
「へえ、あいつがそんなご立派な理由で暴力を振るってるなんて、ただの大義名分だと思ってたけどね」
「委員長は真剣に並中の風紀を正そうとしてるよ」
「私だって真剣に並中の生徒の保健を守ろうとしてるんだよ」

 いくら話しても、私と風紀委員連中の話は平行線のままだ。この手の会話は一度や二度じゃなく、何度も話してきた内容だった。
 私は別に、治療なんて大それたことはしていない。というかできない。技術もなければ資格もない。ただ、“気が付く”だけだ。一目見れば、怪我をしている人たちが、どこに痛みを感じ、どこを庇って動いているのか。誰を、どこに連れていき、どんな治療が必要なのか。だから、然るべき所に怪我人を連れて行くし、必要な情報を必要な人に引き継いでいる。それだけだ。……それが、風紀委員長様はお気に召さないようだった。

 昼休みの終了を告げる予鈴が鳴る。私は空のお弁当箱を風呂敷で包んでいるところだった。草壁が立ち上がり、出入り口付近を見やる。その視線の動かし方に、何か違和感があった。何かを含んでいた。草壁が何か私に不都合なことを知っていて隠しているのだろうと感じた。

「……本鈴までの5分間、忙しくなるよ」

 草壁がそう言う。情報はそれで十分だった。草壁が保健室を出て行ってほんの数秒後、「クソー!雲雀の奴!」と言って、あちこち大けがをした1年生が3人、雪崩れ込んできた。



 午後の授業を終え、学校を出る。様々な部活動のかけごえがそこら中から聞こえてくる。……ふと、その喧噪が、何かいつもと違う気がした。ちょっとした違和感に、私は眉をひそめた。悪い予感がした。下駄箱から靴を取り出して足を入れ、校門とは反対方向に歩き出す。運動場と校舎の間の道を抜け、テニスコートがある辺りに向かってみる。
 ここは所謂、校舎裏といわれる場所だ。時には不良の漫然としたたまり場になるだろうし、時には古風なラブレターの受け渡し場所にもなるだろう。今は、そのどちらでもないようだった。私の悪い予感はよく当たる。当たらないでくれと願っても、よく当たるのだ。

「……キミたち、群れすぎだよ。咬み殺す」

 ああ、最悪の、大当たりだ。

「雲雀!」

 私はひとまず声を張り上げて、雲雀の名前を呼んだ。この場で最も名を呼びたくない存在だったが、この場で唯一私が名前を知る存在だったから仕方なかった。雲雀の前には、数人の不良とおぼしき男子生徒と数本の煙草、空き箱やライターが転がっていた。目の端で確認する。1、2、3、4人。1人は無傷、怯えているだけだから、先生に引き渡す。2人は軽傷、養護教諭に引き渡す。1人は重傷そうなので、副校長に連絡の上、病院に引き継がなくてはいけないだろう。

「……また、キミか」

 雲雀は酷く忌々しげに言った。歪んだ口元からは憎しみが溢れ出ているかのようだ。でもこちらだって、喜んでこんなことをしているわけではないし、相手への憎しみという点ではおあいこだ。

「僕は風紀を乱す存在を咬み殺しているだけだ。キミに邪魔する権利があるかい? それとも、キミも咬み殺そうか。目障りだもの」
「彼らは怯えているし、やりすぎだよ。もういいでしょ。手当をしてもらうから、そいつらをこっちにちょうだい」
「指図するんだ。良い度胸だよね。また病院送りにされたい? 懐かしくて涙が出るでしょ」
「ほんと、涙が出るわ。あんたの、その、下らねー破壊衝動には」

 チ、と大きく舌打ちをして、雲雀はそれまで構えていたトンファーを下に下ろした。私は正直、この程度の言い争いで矛を収めてくれるとは思っていなかったので、内心ホッとした。多少の怪我は覚悟していたのだが。
 雲雀は転がっている不良たちを一瞥して、不機嫌そうに歩き出した。私の隣を通り過ぎていく。私は雲雀の方を見なかった。「ねえ」と、雲雀は私の後ろから声を掛けてきた。

「キミは、どのくらいの強さで咬んだら壊れるのかな?」

 ハッとして振り返ると、そこにいる雲雀はわらっていた。背中が粟立つのを感じる。身体全体で、脳へと危機を知らせている。

「壊れるまでやってみないと、わからないよね」

 雲雀はそう言い残して校舎へと戻っていった。私は頭をぶんぶんと振る。それでも、脳裏に焼き付いた、あの邪悪で凄絶な、おぞましい笑みは中々意識から離れてくれなかった。

(220129)

悪魔と踊る、蛹の子ら