5分前、余裕を持って待ち合わせ場所に行ったつもりだったが、その男は既にそこにいた。私は何となく苛ついて、奥歯を噛みしめた。

「早かったな」
「……嫌味ですか」
「いや、もっと遅れてくるかと思っていただけだ」

 今日は月に一度の、“チェックの日”だ。私のいた一族には、一世代に一人、天女のごとき美しい髪を持つ者が生まれるらしい。運の悪いことに、それがたまたま、私だった。運の悪いことに、天下の幻影旅団の団長に知られることとなった。そして、運の良いことに、この美しい髪は私の命が絶たれれば美しさが消滅してしまうことがわかっていた。

「うん、相変わらず美しいな。髪の手入れもきちんとしているようだ」
「……価値がなくなって殺されちゃたまんないからね」
「しかし……」

 クロロは一瞬顔をしかめて、私の全身をじろじろと眺めた。それはいつもの品定めの目線で、私ももう慣れっこのものではあったのだが、どこか違和感があった。なんだろう、と考えてすぐ、違和感の正体に思い当たる。いつもは髪しか見ないこの男が、全身を見ていた。私を、見ていた。

「吸い過ぎじゃないのか?」
「え?」
「煙草。相当吸うんだろう」
「……どうして……」
「見て解るほど、血管の収縮が起きている。ごくたまに右の瞼が軽く痙攣しているな。何より、髪がかなり痛んでいる。見た目にはわからないが、これは触ればすぐにわかる。煙草の吸いすぎが原因で、酸素の供給量が減っている」
「……医者かなんかなの、あんた」
「ただの観察眼と知識だ」

 クロロは何故かにこっと微笑んで、「死に急ぐなよ」と言った。優しさのつもりだろうか。しかしその優しさは、人間としての私ではなく、稀少品としてのこの頭髪に向けられているのだ。私はまた苛ついて、ああ煙草が吸いたい、と思った。どうせ遅かれ早かれ死ぬのだ。早く死んで、このクレプトマニアの鼻を明かしてやるのも一興ではないか。

「おまえには健康で、長生きしてもらわなくちゃいけないからな」
「……まるで呪いね」
「いいや、祝福だよ」

 いっそ、この忌々しい髪をすべて刈り取って燃やし、その業火で点けた煙草を吸ってやろうか、なんて馬鹿な考えが頭をよぎる。しかしそれもまた見透かすように、クロロは私の後頭部を撫でた。つるりと、良く手入れされた髪の上を大きな手が滑る。

「ああ、本当に綺麗だな」

 嘆息しながら吐かれたその言葉に、私はまた奥歯を噛みしめる。ああ、苛つく。早くこの髪を絶やしてしまわないと、全ての言葉がまるで私に向けられたかのように錯覚してしまうのだ。

発火する距離
(220212 連作:Smoke
(title by 温度計

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「はあ、はあ、」

 こうするつもりはなかった。こうなるつもりはなかった。私の目の前には頭から血を流して倒れた男、私の手には血の付いた灰皿。男はぴくりとも動かず、大量の血が滾々と流れ出ている。
 私が切り盛りを任されているチンケな酒場の客席だった。今は血の海と化しているが。どうでもいいチンピラの血だ。どうでもよくて、吐き気がするほど薄汚く、殺したいほど邪魔だった、チンピラの、血だ。
 ぼうっとしている自分に気がついて、我に返る。トップスがはだけたままだったので、皺を伸ばして適当に整える。煙草を口に放り込んで火を点け、手に持っていたままだった血まみれの灰皿に灰を落とした。それから警察に電話をした。逃げ回ったり、抵抗したりする元気は、私にはない。

「……案外、元気そうじゃねーか」

 来客を知らせるドアベルとともにそんな言葉が飛び込んで来た。顔を上げる。警察を待っているつもりだった。まさか警察よりも先に来るとは。

「左馬刻さん……」
「ばか、お前、泣いてんじゃねーか」
「……あは、殺しちゃった」
「ハ、どうせクズだろ」

 左馬刻さんは相変わらずガラの悪いシャツを着ていて、血や死体を見ても全く動じなかった。ややあって、私が持ったままの血まみれの灰皿に視線がいったことがわかった。それから、胸ポケットの煙草を取り出して、躊躇なく口に銜える。私がライターで火を点けると満足そうに笑った。

「ま、事情があったんだろ。お前は前科ないしな、大したことにはならねーだろ。ポリ公にはツテもある」
「……左馬刻さん」
「あんだよ」

 こんなチンケな飲み屋も、大元を辿っていくと、ヤクザに繋がるのだ。くだらねー男に借金を背負わされ、あとは泡しかない、と思っていた私を、あるヤクザが拾ってくれた。そのヤクザの男が、借金を猶予してもらう代わりに、ここの仕事を宛がってくれたのだ。その時はまさかそのヤクザが若頭だとはさすがに思いもしなかったけれど。あの時、左馬刻さんに私は一度救われた。二度救って欲しいと思うのは、過ぎたる望みかもしれない。

「一緒に、逃げて欲しいな」
「……いいぜ」

 左馬刻さんは煙を吐き出した。燻る煙が視界を奪ってくれる。多分、嘘だろう。私にもそれくらいわかる。でも今は、この嘘に騙されていたかった。そういう死に方が、私が望める最良の行き先だ。

終点を覆うのにじゅうぶんな霞
(220212 連作:Smoke
(title by 温度計

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 酷い曇り空だ。煙草が旨い。仕事をサボって非常階段で吸う煙草くらいしか、私の人生で旨いものなんてない。どうでもいい仕事と、どうでもいい仕事の間に、どうでもいい煙草がどうでもいい私の寿命を縮めてくれる。最高じゃないか。

「……おい、テメェ、ナマエか?」

 声のする方を見ると、そこにはパトロール中と思しきヒーローがいた。逆光で顔は見えない。でも、私の名前を知っていて、そしてこんなに口が悪いヒーローは、一人くらいしか思い当たらない。

「……バクゴー?」
「何で疑問形だよドクズが」
「口悪っ、やっぱ爆豪だわ」
「……おう」

 爆豪は大股でこちらに歩いてきて、あっという間に私の前に現れた。やっぱり爆豪だった。当然だけど、記憶の中にある学生時代の爆豪よりも、大人びた顔立ちだ。何も言わず、不躾に私の隣に座る。コスチュームの装飾と非常階段が当たって、カンカンカン、と安い音が鳴った。

「……お前、何しとる」

 そんなことを神妙な感じで言うものだから、私が少し笑ってしまうと、爆豪は不満げに口を山なりに閉じた。あの頃、この表情が好きだったことを思い出す。愛おしかった爆豪が今の爆豪の中にも残っていることに、こっそり安堵した。

「別に、ふつーに会社員だよ」
「……ヒーローは」
「雄英出たからって、普通に就職しちゃいけない決まりないっしょ」
「フン」

 同じような会話を、卒業直前にもした。そして大喧嘩になった。そしてそのまま、私たちは卒業し、連絡も取り合わなくなってしまった。学生時代の恋愛なんて、そんなものだ。あの頃、毎日同じ授業を受けて、同じ寮に帰って、同じ物を志している人を、当然のように好きになった。吊り橋効果みたいな物だ。そして吊り橋効果は、吊り橋から降りれば消えてなくなる。

「……煙草、いつから吸ってんだよ」

 爆豪は、忌々しげに言った。ほとんど独り言みたいな声量だったけど、私は「さあ、どうだろ」と返事をした。爆豪がこちらを見る。やっぱり、あの頃より大人びた表情。きっと、彼がこれまでに経験してきた数々の修羅場や、危険や、葛藤が、この表情を作るのだろう。そんな彼を見て、私はへらりと笑って目をそらすことしか出来なかった。ひどく眩しくて、見ていられなかったのだ。

「ノド使う個性のお前が、わざわざ煙吸ってどーする」
「……爆豪さぁ、何言ってんの。私、ヒーローでもなんでもないんだから。個性なんて、使えなきゃ使えないで別にいいんだよ」
「……いつから俺は、勝己じゃなくて爆豪になったんだよ」

 爆豪は酷く寂しそうな顔をした。彼が、こんな表情をするなんて知らなかった。彼は変わらない。大人になった今でも、彼の良いところは変わらない。でも私は、あの頃とはもう変わってしまった。何もかも。
 私は顎に力を込めて、煙草を噛み潰した。苛立ちと言うよりはむしろ、赤ん坊がおしゃぶりに噛み付くようなものだ。口寂しくて、寂しくて、何か安心できる物を手探りで探している。

「……ヴィランになんのは、勘弁しろよ」
「あは、なるわけないじゃん、だいじょーぶだよ」
「でもよ……」
「ヴィランにも、ヒーローにも、ならない。ただこうやってクサクサしながらフツーに生きてくだけだよ」

 爆豪は苦い顔をした。まるで、煙草を噛んだのは彼の方に見えるくらいだ。

「……でもそれが、一番つらいのよ。たぶんね」

 爆豪は座ったときと同じように無言で立ち上がり、逆光の光の中に戻っていく。私はそれを、ただ眺めていて、煙を長く吐き出しても、この眩しい光景を隠してはくれなかった。

ひりひり痛む憧憬
(220212 連作:Smoke
(title by 温度計