⾃室に戻って、鞄も下ろさずベッドに座り込んだ。どっと疲れが押し寄せる。全⾝から何か⿊い靄のような物があふれ出しているみたいだ。
 たぶん、私も、⼭本も、悪くない。ボンゴレも、沢⽥も。なのにどうして、こうも上⼿く⾏かないのだろう、と⼼の中で嘆く。世の中がもっと単純だったらいいのに。もっともっと、単純で、暴⼒的な何かで、全部が解決すればいいのに。

「……そういえば、どうして雲雀の名前が出てきたんだろう」

 “暴⼒”から雲雀を連想した。我ながら単純な連想ゲームだ。
 卒業以来今まで、彼のことを全く思い出さなかったというわけではない。ある意味で、濃厚な関係ではあった。良好な関係ではなかったが。⼀度も解り合えなかったし、⼀度も意思疎通ができなかった。いつも⼀⽅通⾏で、たとえお互いがお互いのことを考えても、それは相⼿を素通りしてしまっていた。……って⾔うと、何かお互いに思い合ってたみたいに聞こえちゃうな。いや、それは違うんだ。なんていうか、うまく⾔語化できないんだけど。とにかく何かとセットにされがちな私と雲雀との関係だったが、実際そこに情緒的な繋がりは何もなかったのだ。
(って⾔うとやっぱり、情緒的な繋がりが欲しかったみたいに聞こえちゃうんだけど
ね……)
 ⾃分でも⾃分の気持ちはわからない。修学旅⾏のあの夜、驚くほど何の感情も湧かなかった。でもそれは、⾃分の感情を⾒ないフリしているからなんじゃないか。⼀⽣懸命フタをして、何か恐ろしい感情があふれ出てこないようにしているんじゃないか。……なーんて、ぐるぐる考えても仕⽅がない。
 私は気持ちを切り替えるみたいに、バッと勢いよくベッドから⽴ち上がった。鞄を⽚付けて、⼿を洗ってうがいをして、部屋着に着替える。明⽇の講義を確認しようとスマホを⼿に取ると、丁度いいタイミングで着信が鳴った。⼭本からだ。慌てて電話に出る。

「もしもし……」
「今すぐそこを離れろ!」
「えっ——」

 ⼀瞬、何が起こったのかわからなかった。現実は映画みたいにスローモーションになってくれない。⽬の前が光って、後から爆発⾳が聞こえた。⾝体ごと吹き⾶ばされたのだと思う。そう広くない部屋の中を、なすすべもなく転がった。⽞関の⽅で爆発があったのだと、理解したのは⾃分が割れた窓から壊れたベランダを越えて、建物の外へと投げ出されたからだった。

「あ……」

 そっか、私、こういう死に⽅なんだ。そう思って、⽬を閉じる。のに、死はなかなかやってこなかった。代わりに、何者かに⾝体を掴まれる。下に落ちて⾏くところだった物を無理⽮理⽌めたので、反動で衝撃が私を襲う。「かはっ、」と声にならない声が喉から出たが、お構いなしにその何者かは私の⾝体を抱えたまま、マンションを外側から跳ねて上っていく。
 ようやく⾝体を下ろされたのは、マンションの屋上だった。貯⽔タンクが無愛想に並ん
でいる。空を⾒上げると⽉が出ていた。
 私は混乱していた。あまりのめまぐるしさに、処理が追いつかない。気付けば地⾯に嘔吐していた。必死に息を吸って、吐く。吸って、吐く。ようやく周りを⾒る余裕が出てきて、私は⾃分を助けてくれた何者かを、⾒た。

「……なんで、」
「⾺⿅だね、下⼿に⾸を突っ込むからだよ」
「……ひ、雲雀……?」

 ⽬の前で偉そうに⽴ち私を⾒下ろす男、それは⾒まごうことなく、あの雲雀恭弥なのだった。

「ナマエ、⼤丈夫か!?」

 ばたばたと⼤仰な⾜⾳を⽴てながら登場したのは、先ほど別れたばかりの⼭本だ。地べたに這いつくばる私と吐瀉物を⾒たあと、傍らでそれらを冷たく⾒下ろしている雲雀の⽅に視線を移す。⼭本がハッと息を呑むのがわかった。⼭本にとっても、ここに雲雀が来たのは予想外だったのだ。

「⼭本武」
「……雲雀。まさかこんな所で会うとはな。年末までシチリアじゃなかったか?」
「僕の予定は僕が決める」

 話を聞くに、どうやら⼭本は、私ほどには雲雀と疎遠ではなかったようだ。だいたいの所在地や予定まで把握しているくらいだ。……おそらく、雲雀もあのマフィアの活動と深く関係している⼈物なのだろう。でもそうすると、⼭本が⾔っていた、『雲雀のとこと、迷ってる?』という⾔葉はなんだかおかしいことに気がついた。雲雀のとこ、とは何なのだろう。派閥争いでもあるんだろうか。
 私がぼやっとしていたからだろう。⼭本が、私を窺うように半歩横にずれた。そしてそんな⼭本と私の間に⼊るように、雲雀も半歩横にずれる。まるで、敵から庇ってくれているような動きだ。この場合、安⼼できる存在とそうでない存在の位置が本来と逆なのだけれど。

「ナマエ、今そっち⾏くからな。お前を保護してから、敵さんを⽚付ける」
「……ハァ。僕がこの⼈を担いでいる間、キミは何してたわけ? 呆れるな。野球でもして遊んでいたのかい?」
「……」
「⼭本武。忠告するけど。……守れないなら、関わるな」

 ⼭本の顔が強張るのがわかった。彼は⾃分を恥じているのだ。同時に、私も恥ずかしかった。⾃分の⼒にのぼせて、分不相応の、⼤きすぎる世界に⼿を出してしまっていた。結果、待っていたのは、こうして⾃分の⾝を危険に晒し、⼈にも迷惑をかけているという最悪の現状だ。
 遠くから、パトカーや消防⾞のサイレンが聞こえる。⼼臓がぎゅうっとなった。先程の爆発で、⽕事が起きたのだろうか? 他に怪我⼈が出てしまった? マンションの損害はどのくらいだろうか?
 地⾯についている腕と脚になんとか⼒を込め、⽴ち上がろうとする。⼭本が、ハッとして何か⾔おうとしているのが⾒えた。でもその前に、雲雀が私の⼿⾸を物凄い⼒で掴んだ。⾻が軋むような強い⼒。「痛、」と思わず声を出すと、雲雀は更に⼒を込めた。

「は、離してよ」
「誰がキミの命を守ったと思ってる? いつまで思い上がっているつもりだ。僕から離れたらキミ、死ぬよ」
「それでも、いい」
「……そんなに、僕に触れられるのが嫌なわけ」
「……はぁ?」

 予想外の⽅向性に、私は思わず呆けた声を出してしまった。更に雲雀は、「⼭本武には許すくせに」と続けた。更に意味がわからない。雲雀は⾒るからに苛々していた。でも私も負けず劣らず、苛⽴ちが募りはじめている。

「そんなの、今は関係ないでしょ」
「確かに、関係ないね。キミがどう⾔おうと、僕がどうするかは勝⼿だ」

 まるで⼦どもみたいな⾔い分に、私は更に苛⽴つ。なんだこいつ、⾺⿅みたいに強いくせに、中⾝はまるでガキだ。⼀⽅的に⾃分の⾏動だけ押し付けて、相⼿がどう思おうが関係ないのだ。
 (そうだ、あの時だって――)と、回想しかけて、私は慌てて頭を振った。危なく、開けたくもない記憶の蓋を開けるところだったじゃないか。

「か、勝⼿すぎる! 私はあんたの⾔いなりになんてならない! いいから離して」
「キミが僕の⾔うことを聞かないんだから、僕だってキミの⾔うことは聞かない。良いよね」
「良いわけが……!」

 そこで予想外のことが起きた。突如聞こえた爆発⾳とともに、雲雀が私の⼿⾸を掴んだまま、激しく横に跳んだのだ。私は役⽴たずのボロ布みたいに、ただ引っ張られて引きずられた。かろうじて、雲雀が乱暴に⼿⾸を引っ張り上げたおかげで地⾯に顔⾯が衝突することは避けられた。代わりに肩が猛烈に痛い。

「敵襲か!」
「ワオ。遅かったね、間抜けくん」

 先程まで私と雲雀が⽴っていた地⾯は⾒事に抉れていた。貯⽔タンクが⼀つ倒れて、⽔がじわじわと漏れ出ている。

「雲雀待て、俺が⾏く。多分、敵さんは俺狙いだ。だからナマエが標的にされた」
「わかってるじゃないか。わかってるなら、ノロマは⼤⼈しくしててよ」

 雲雀は冷たくそう⾔って、持っていた武器のような物を勢いをつけて投擲した。ほど近くで、⼩さな爆発⾳がする。それから、「バイバイ、群れてない所は評価するけどね」と雲雀は⾔った。
 しん、と不気味なほどの静寂が降りる。重なるサイレンの⾳が、どこか遠くの世界の⾮常事態を告げている。

「……敵は本当にそいつだけかよ」
「⼼配なら、キミが⾒てくれば。僕は興味ない」
「……いや、お前が⾔うなら、そうなんだろ。それより俺は、ナマエをこのまま置いていけない」
「あっそ」

 対峙して睨み合う⼭本と雲雀、そして私の⼿⾸はいまだがっちりと雲雀に掴まれたままだ。ぎり、と再び⼒が込められる。

「い、痛い、よ……」
「そう」
「離して」
「嫌だ」
「痛いの、⼿⾸」
「知らない」

 ⼀際激しい痛みを感じて、掴まれた⼿⾸を⾒た。ぎりぎりと、雲雀の⼿指が喰い込む。⽖が⽪膚を破り、⾎が流れ出る。「痛い、って! ほんとに、痛いの、」絞り出した声は、⾃分でも驚くくらい泣きそうな声⾊だった。こんな⽢えた⾃分の声を、初めて聞いた。

「いなくなったキミが悪いんだ」

 驚いて、雲雀の顔を⾒る。まさか雲雀がそんなことを⾔うとは思えなくて、聞き間違いだと思ったのだ。彼は邪悪な笑みを浮かべていた。あの時と同じだ。『どのくらいの強さで咬んだら壊れるのかな』と⾔った、15歳のあの時と、全く同じ表情で、わらっていた。

「⼭本武なんかといたキミが悪い」
「ちょっと、なんの、話……?」
「僕も学習したよ。今度はいなくならないように、強く、強く掴んでおかなくちゃ」

 ぎり、と再び激しい痛みが⼿⾸から体中を駆け巡った。⼿⾸から肘に⾎が伝い、地⾯にぽたぽたとおちる。私はそれを、⾒ていることしかできない。⾃分の⾎が、流れ出ていく様⼦を、⾒ていることしかできない。

「おい、雲雀、いい加減に……」
「ねえ、どうしてキミは僕のもとから去ったのかな?」
「え……?」

 雲雀には最早、⼭本のことなんて⾒えてもいないのだろう。私だけを焼き尽くさんとするかのように、瞳を爛々と苛⽴たせている。

「どうして、いなくなった? キミは、」
「――!」

 獣だ、と思った。獣のキスだ。息つく暇もなく、雲雀の⾆が腔内を蹂躙した。同時に⾸を絞められる。ひどく苦しいのに、私はこの獣のキスを⽌められなかった。嫌がれなかった。何故か、不思議な懐かしさが駆け巡っていた。私はこのキスを知っている。私は、この乳飲み⼦のキスを、知っている。

「っは、はあ、」

 始まるのも突然なら、開放されるのも突然だった。私は必死で息を、吸って、吐く。吸って、吐く。ふと、いつの間にか⼿⾸が開放されていることに気がついた。

「ナマエ」
「雲雀……」
「僕は、また来るよ。キミが死んでいない限りは」

 それだけ、⾔い残して雲雀は去っていった。まさしく、⾵のように、雲のように、掴みどころなく。怪我をしていない⽅の⼿で、⼝元をぐしゃぐしゃと拭った。何がなんだかわからない。⾎とか、唾液とか、涙とか、吐瀉物とか、泥とか砂とか、いろんなものが混ざりあった味が⼝中にこびりついていた。

「私はお前のママじゃねーっつーの……」

 ぼやいたって、誰に届くわけでもないのに。


(250828)

悪魔と踊る、蛹の子ら