10 翳す掌に希望はあるか(上)


「今晩は。いつもはメールですのに、電話だなんて珍しいですね」

「明日、休校になったのだろう。丁度良く頼みたい仕事があるんだが」

挨拶も世間話もなく唐突にそう切り出した電話の相手は、いつも通りの冷静沈着さで、これぞ正しくビジネスライク、といった事務的な対応そのものだった。そのくせ此方にはユーモアがないだの元気を出せだの無茶振りをしてくるのだから、本当にこの人はやりづらい。

「情報が早いですね…ああ、ルミリオン経由ですか」

「こっちで今追いかけているヤクの常習者が、金欲しさにコンビニで強盗を企てる未来が見えた。現行犯で身柄を確保したい」

「はあ…」

急な仕事の依頼は、基本的には断っている。突貫工事の計画程リスクの大きなものはないからだ。私には、想定外のことが起きた時に対応できる程の武力もなければ経験値もないのだから、その分石橋を叩いて叩き壊すくらいの慎重さがなければならない。

「…そんな急な話、あなたからの依頼でなければお断りしますのに」

しかし、彼からの依頼となると話は別だ。彼は、私がこの仕事をしていく上で絶対になくてはならない存在、謂わば超お得意様だ。彼の"予知"なくして、私の仕事は成り立たないといっても過言ではない。

私は、相手に伝わるようこれでもかとわかりやすく溜息を吐いた。もとより、回答は一つしかない。

「その分報酬は弾んでくださいね」

電話越しの相手は、私の回答などわかりきっていたと言わんばかりに、フン、と一回鼻を鳴らした。



*****



「ちょっと出掛けてくるね。夜には戻るから」

翌朝午前7時45分、毎朝の日課である糸巻き作業をしていた母の背中にそう話し掛ける。振り返った母は、私の言葉にわかりやすく難色を示していた。

「一人で大丈夫なの?最近物騒でしょ、現に昨日だって…」

「心配し過ぎだって。それに昨日のは明らかにヒーロー科の人たちが狙われただけで、普通科の私には関係ないから」

昨日の雄英高校襲撃事件は、既にニュースでも大きく取り上げられていた。母が心配するのは当然であるし、弁解としては些か強引すぎる気もしたが、私は無理矢理それを押し通した。なおも不安そうな顔をする母にむくむくと罪悪感が募るが、こればかりはやむを得ない。

−−−お二人を悲しませるようなことをするな。

前に保健室で天哉に言われた言葉が頭を過ったが、それを無視して私は玄関の扉を開けた。

「さてと、行きますか」

目的地までは凡そ1時間半といったところか。携帯で本日のルートを確認しつつ、私は最寄駅へと向かう。

「いらっしゃいませ、畏まりました、少々お待ちください、お待たせいたしました…ま、改めて覚えるようなことでもないか」

参考にと送られてきた従業員用のマニュアルに記載されていた文言を反芻する。昨晩の彼の話によれば、私は現場となるコンビニの従業員に扮することになっているらしい。彼の予知によると、犯人がコンビニに来店するのが午前11時半頃のようなので、順調にことが進めばいつもの夕方の仕事にも支障は出ないはずだ。

「恐れ入ります、ありがとうございます、申し訳ございません…」

接客7大用語を暗唱しながら歩くことおそよ5分、通学中の学生やスーツ姿のサラリーマンがひしめく中、私は駅の改札を抜け、ホームで待機している電車に乗り込んだ。ちょうど良く空いていた座席に座った私は、落ち着いたところで携帯を取り出し、昨晩彼から従業員用マニュアルとともに送られてきたPDFファイルを開いた。

「(対象の個性は《軟体》…)」

《軟体》とは読んで字の如く、身体をぐにゃぐにゃにすることができる個性らしいが、具体的にどれくらいの軟性を有するのかについての記載はなかった。もしスライムのように身体の原型を留めない程まで軟化できるのであれば、私の個性とは相性が悪いだろう。逃げられなんてしたら私の信用問題に関わるし、今後の活動にも大きな支障が出る。心して掛からなければいけない。

「(…素早く出す…目は細かく…はあ、緊張してきた)」

すう、はあ、と静かに深呼吸をする。今から緊張してどうする、と自分を叱咤し、私は資料の続きを読み進めた。

「(薬物、ね)」

今回の件でもう一点懸念すべきは、犯人が薬物常習者であるということだろう。まともな思考回路を持っているとは考えにくい。刃物はあくまで脅し、金だけ奪えれば…という思考であれば良いが、積極的にこちらに危害を加えようとしてくる可能性だって十分にあり得る。ここぞというタイミングが来るまでは、常に警戒して間合いを取る、無闇に相手に近づかない。ただでさえ私は人より鈍臭いのだから、危機感だけは人一倍忘れずに持っていなければならない。

「(…まあ、考え過ぎてガチガチになるのも問題か)」

私はそっと携帯の画面を閉じた。結局はなるようにしかならない。それは、今までの経験で痛いほどわかっていた。

暇潰しにと持ってきていた文庫本を開く。が、やはり緊張しているのか、内容はあまり頭に入ってこない。結局、殆ど頁を捲ることがないまま、およそ1時間、私は景色をぼんやりと眺めながら電車に揺られ続けた。



*****



「お待たせして申し訳ありません。おはようございます、サー」

午前9時30分、大凡予定通りの時間だった。集合時間は午後10時とのことだったので幾らか余裕があると思っていたのだが、私の予想に反し、待ち合わせ場所に指定されていた警察署の入口前には、既に今日の依頼人−−−、サー・ナイトアイがひとりで佇んでいた。私は小走りで彼の元へ向かう。

「相変わらず面白みと元気に欠ける様子だな、君は」

「…その言葉、そっくりそのままお返しいたしますね」

サー・ナイトアイ。この背の高い無愛想な男は、サラリーマン然とした見た目からは想像がつかないがれっきとしたプロヒーローである。しかも、一時期はあのオールマイトのサイドキックを務めていた程の実力者だ。

「今日は宜しくお願い致します」

「ああ」

彼とは、かれこれ2年程の付き合いになるだろうか。私がこの仕事を始めたばかりの頃からのお得意様で、性格に難はあれど、彼には色々と良くしてもらっている。

「資料には目を通したか」

「ええ、それなりに」

「10分から3階の小会議室で今日の捜査に従事する捜査員との顔合わせを兼ねた打ち合わせがある。それが終わり次第、捜査用車で現場のコンビニに行くことになっているから、そのつもりでいろ」

「はい」

淡々と説明される言葉に相槌をうつ。あまりに真面目で静かなその様子に、あなたも少しはギャグの一つでも交えてみては如何ですか、と言いたかったが、流石にそこは空気を読んで言わなかった。

「…対象は、どのような人物なのですか?あなたの個性が発動されているということは、少なからず面識があるのでしょう」

「…性格は、自己中心的且つ卑屈。普段は大人しいが、過去に捕まった際の様子を聞く限りでは、窮地に立たされた場合には逆上して突拍子もない行動に出ることも十分にあり得る」

「…でもって今はクスリのストックもない、と」

「まあ、半狂乱になって暴れる可能性は十二分にあるだろうな」

平然と言ってのけるサーに、思わず溜息が出る。この男は、一介のひ弱な女子高生に一体何をやらせようというのか。

「…私よりももっと武闘派のヒーローにお任せするべき案件ではないですか、これ」

「無論、制圧となった場合も考慮して人員は手配してある。だが対象が暴れる前に拘束できるのであれば、それに越したことはない」

「はあ」

「油断させての騙し討ちは、君の一番得意とするものだろう」

「随分と悪意のある言い方ですね…」

悪びれもせずにサーは言う。まあやっていることとしては事実であるし、それだけ私を評価してくれていると思えば良いのか。

「つまり、今回の私は切り札ではなく、あくまで数ある手札の中の一つだと」

「そうだ。お前が仮に失敗しようが別の策はある、自分の身を守ることを第一に考えるように」

「はい」

彼の言葉に素直に頷く。もとより、私は警察の人間でもなければヒーローでもない只の一般人である。内密にこうして仕事を任されてはいるが、正規のルートでない以上、私に与えられているのは"偶々居合わせただけの被害者"という立場である。本来そこまで身体を張る必要性も責任もない。…とはいえ、普段から厳しいサーの口からそのような生温い言葉が出てくるとは。正直驚きだ。

「まあ、負傷者が増えればそれだけそちら側の書く書類も増えますからね。余計な仕事を増やさないよう、心しておきますわ」

「……そういうことだ」

くいっと自身の眼鏡を上げたサーの表情は、彼の大きな掌に隠れて見えない。彼の言葉の意図を全て汲み取ることは難しいが、彼なりの気遣いだったのかもしれない。

「…少し早いが、ここにいても仕方がない。中に入るか」

慣れた様子でさっさと警察署の中に入っていった彼の後を慌てて着いていく。脚の長さが恨めしい。

「(…サーと話してたら、緊張が少し解れた気がする、よかった)」

さあ、仕事の時間だ。



10 翳す掌に希望はあるか(上)


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