10 翳す掌に希望はあるか(下)


「(…来た、)」

入店音とともに、一人の男が入ってくる。ちらりと腕時計を盗み見ると、文字盤の針は11時35分を指していた。相変わらずサーの個性は恐ろしいほどに正確である。

「(こいつが…)」

事前に見せられた写真と同じ顔。しかし実際の男は、写真よりも随分と痩けており、肌も病人のような土の色をしていた。ごくりと唾を飲む。男の汗ばんだ肌と据わった目つきは、明らかに常人のそれではない。サーの"予知"はこの男が店内に入るまで…即ち、これから先は全て臨機応変に対応しなければならない。辺り一帯に、緊張感が増す。

「いらっしゃいませー」

私の声が店内に響いた。現時点、男の手には何も握られていない。サーの見た映像には事前に刃物を用意するシーンも含まれていたそうだから、それが間違いなければ、今頃凶器は男の肩に掛かる手提げ鞄の中にあるはずだ。

「……………」

レジに一直線で来るかと思いきや、男は予想に反し店内をうろつき始めた。客に扮している刑事さんの顔にも緊張の色が見える。

「(…ペットボトル飲料と、弁当…こうしてみると普通に昼食を買いに来ただけのように見える…)」

ないとは思うが、万が一男が思い留まって犯行に移らなかった場合は、外で待機している制服のお巡りさんが所持品検査をして銃刀法違反で捕まえる手筈になっている。本音を言えばそうなってくれるのが一番嬉しいのだが、仕事として引き受けている以上、そうも言ってられない。常に最悪を想定して、気を引き締めなければ。私は、頭の片隅で、先程の小会議室でのやり取りを思い出していた。



*****

「こちらが、今回捜査に参加することになった被害者役の者です。一般人である故、氏名等については控えさせて頂きますが、身元及び実力については私が責任持って保証致します」

横に立つサーに促され、私も席を立つ。簡素なパイプ椅子が音を立てて鳴き、それが合図であったかのように、この小会議室の狭い空間にいる険しい顔をした捜査員の視線が一斉に向けられた。ああ、緊張する。

「この度被害者役のコンビニの従業員として配置させて頂きます。皆様の捜査のお役に立てるよう努めますので、宜しくお願い致します」

簡単な挨拶とともに一礼すると、その場にいたひとりが挙手とともに立ち上がった。

「まず、君のその個性についてお聞かせ願いたいのですが」

刑事さんの物言いから、あまり歓迎されてないのは空気でわかった。仕方ない。誰だってこんな素性の知れない子供がいきなり現れて協力しますと言ったところで、はいそうですかとはいかないだろう。

「はい」

息を吸う。怯むな。信頼は地道に勝ち取るしかないのだ。

「私の個性は、《触れた対象を檻に閉じ込める》というものです。触れる手は左右どちらでも構いません。どちらかの手で一瞬触れさえすれば、相手を拘束することが出来ます」

私の個性、《檻》。触れれば何処からともなく−−−正確には私の体内にある鉄や脂質を変換しているらしいが、私にもよくわかっていないのが実情だ−−−鉄格子状の囲いが現れて対象を拘束する。極々単純で、シンプルな個性だ。

「檻は、私自身が念じるか、気絶するなどして私の意識から外れた場合に消失しますが、通常であれば数時間はそのまま拘束状態を保てます。連行時に運搬する車両等の関係もあるでしょうから、事前にサイズ等を教えてくだされば概ねその大きさで生成します」

ご希望であれば今から実演致しますが…と付け加えれば、そこまではいい、と断られてしまった。まあ、こちらとしても個性の乱発は避けたかったところであるから都合が良かった。

「強度はどれくらいですか」

「一般的な鉄と同じです。工具を使えば切断も出来ますが…今回のケースの場合特に心配はないかと」

「拘束にかかる時間は?」

「触れさえすれば数秒で。生成するサイズや鉄格子の厚さによって変動するので、正確に何秒、とは明言出来かねますが」

刑事さんから矢継ぎ早に質問が飛んでくる。ここで隙を見せてはいけない。冷静に、堂々と見えるよう心掛けながらひとつひとつ答えていく。

「あとすみません、こちらからも質問させていただいてもよろしいでしょうか」

「どうぞ」

「本日の対象の個性なのですが、《軟体》とは具体的にどの程度の軟らかさを有しているのでしょうか。その度合いによっては鉄格子の間隔を狭めたり、完全に閉じることも視野に入れなければならないと思うのですが」

丁度良いタイミングだと、私が懸念していた事柄を質問してみた。相手もそれは想定済みだったのか、特に言い澱むことなく、すらすらと答えを返してきた。

「奴の個性は、イメージとしては自由自在に関節を外せる…といった感覚に近いでしょうか。以前別件で逮捕した際は、手指の関節を外されてしまい手錠を抜けられ危うく逃がすところでした。とはいえ、所詮はその程度です」

「成る程…つまり、人体の厚みや形状を度外視して考えるほどではない、という認識でよろしいでしょうか」

「はい」

「わかりました。ありがとうございます」

他に何か今のうちに聞いておきたいことなどある人は…という仕切り役の人の言葉に、私は首を横に振る。聞きたいことはもう聞けた。

「では、今日の作戦の流れを説明します−−−…」

*****



「(…ッ来た…)」

脳内で流れをシュミレートしているうちに、対象がレジへと向かってきた。いよいよか。私は不安を悟られないよう、愛想の良い店員を精一杯演じる。

「ありがとうございます〜商品失礼しますね」

男の手から商品を受け取る。手が触れるが、今の時点ではまだ駄目だ。強盗の現行犯で捕まえるというからには、実際に奴がお金を手にして逃走を図るまで待たなければならない。未遂より既遂が…と先程の打ち合わせで刑事さんが何やら小難しい話をしていた。部外者の私は、それに従うまでだ。

「3点で732円です」

バーコードを読み取り、私がそう伝えると、男は財布を取り出すような様子で、鞄に手を入れた。

「…!」

来るか。刃物が出てくるのに備え、私は半歩後ろに下がった。鞄から、キラリと何かが反射する。

「か、金を出せ!!」

「きゃあああああっ!!」

その瞬間、私の渾身の叫び声が店内に響き渡った。

「騒ぐな!殺すぞ!」

面前に突きつけられたのは、刃渡り18センチ程度の一般的な鎌形包丁。事前にわかっていたとはいえ、こうして実際に切っ先を向けられると、どうしても身体が震える。

「(はは、リアリティは十分、でしょ…!)」

今の私の悲鳴で、バックルームでは入口の自動ドアのセンサーが切られた筈。もう逃げられない、賽は投げられた。

「この鞄に、有り金全部!入れろ!」

「は…はい…」

卓上に乱暴に投げられた手提げ鞄。私はそれを拾うと、辿々しくレジのドロワーを開けた。

「そっちのレジの金も!奥の事務所の金庫もだ!」

男が叫ぶ。もう一人の店員役の刑事さんが隣のレジを開けている間に、私はバックルームへと走る。監視カメラで映像を確認していた刑事さんから、事前に警察側で用意していたという札束を渡される。目が合う、刑事さんの口元がゆっくり動く。

いけるか、
その4文字に、私は無言で頷いた。

「まだか!早くしろ!」

「はい、あ、あの、こ…これで全部です…」

私はレジカウンターを出て、フロアで包丁を掲げる男の面前に鞄を差し出した。男は私の手から手提げ鞄を乱暴に引っ手繰ると、身体を反転させ入り口に向かって一直線に走り出した。

「ッ…!」

ここだ!

私は男の後ろ姿に向かって大きく手を伸ばす。男の左肩に指先が掠めたその瞬間、男は私に気付いたのか、こちらを振り返り、右手に持っていた包丁を振り回した。

「このガキ、邪魔すんじゃ…!」

やばい!だが、確かに手は触れた。触れて仕舞えば、こちらのものだ!

「(間に合えッ…)」

刃先が向かってくるのを覚悟し、私は咄嗟に両腕を交差し顔を守った。その瞬間、店内に金属同士がぶつかる鈍い音が響き渡る。

「…ん、だあぁあ!!!」

恐る恐る腕を下げる。目の前には、見慣れた正四角形の檻と、無理な体勢で箱詰めにされた対象の男。

「午前11時42分!現行犯逮捕!」

高らかなその声を皮切りに、待機していた警察官が一斉に飛び出してくる。男はなおも騒ぎ立てているが、手も足も出ないこの状況ではどうしようもないだろう。念のために柵の間隔を狭目に生成したのも功を奏した。

「(…終わった)」

緊張が解けたのか、私は無意識にその場で後ずさる。すると、足に何かが引っかかった。視線を下げれば、先程まで犯人が持っていた包丁が転がっていた。

「あ…」

これも大事な証拠品だ。こんなところに置いたままでは駄目だ、拾わなくては。私は床に腕を伸ばす。と、ここで、自分の腕が震えていることに気付いた。

「触るな、現場保存が第一だ」

「ッすみません…!」

後ろから声をかけられ、私は慌てて手を引っ込める。後ろには、サーがいつもの涼しい顔でそこに立っていた。

「これから現場の見分が始まる。私たちは犯人の連行に合わせて警察署に戻るぞ」

「はい」

未だ止まらぬ震えを抑えようと自分の掌をギュッと握るが、効果は薄い。どうやら今更になって、刃物を向けられたという事実に実感が湧いてきたようだ。

「(…情けない)」

こんなみっともない姿を、サーや警察官の人に見られるわけにはいかない。これは仕事だ。自分で売り込んで、自ら囮になっている。この程度で怯えていては話にならない。

「車に戻るぞ」

「はい」

甘ったれるなと自分を奮い立たせ私はサーの後ろをついていく。こうして、私達は現場を後にした。





「…よく発動させなかったな」

警察署へ戻る道中、犯人を乗せた警察車両の後ろを別車両で追いかけていると、運転席に座っているサーが徐に口を開いた。

「どういうことですか?」

彼の言っていることが理解できず聞き返す。運転中のサーは前を向いていて、当然ながら視線が交わることはない。

「レジの対応中、いくらでも個性を発動する機会はあっただろう」

「いや、ただレジに来た段階では強盗として逮捕することは出来ませんから…」

朝の打ち合わせでも散々説明があった。そもそも以前から警察と共同で捜査を行っているサーが、それを理解していないはずがないのだが…彼の顔は相変わらず仏頂面で、そこから意図を読み取ることは酷く難しい。私は、大人しく彼の次の言葉を待った。

「…事前にこれから刃物を向けられると、危険が及ぶのを理解した上で、それでも恐怖心に耐え忍んで待つというのは、人間なかなか出来ることではない。力を持たぬ非力な者であれば尚更だ」

「……………」

「警察は、既遂での逮捕がベストと言っていたが、今回の場合、未遂でも予備罪でも銃刀法でも、身柄さえ確保できるなら罪状は何でも良かったと私は考えている。既遂を狙うのは、リスクも高ければ精神的な負担も増える」

ああ、ここでようやく理解した。私の抱いた恐怖心など、彼にはすべてお見通しだったのだ。

「だがお前は身一つで耐え、求められる最良の結果を出した。この結果は誇っていい」

「…有難う、御座います」

彼はどうやら、私を励ましてくれているらしい。滅多にないサーの労いの言葉に、私は少し居心地が悪くなる。

「もとよりお前の度胸は買っている。その面白みの欠片もない性格がなければ、事務所にスカウトしていたところだ」

「…褒めるのか貶すのか、どちらかにしていただきたいですね」

彼の優しさが擽ったい。こんな捻くれた返答しかできない自分にほとほと呆れるが、サーが特に気にしていない様子なのがせめてもの救いか。

「…私如きが事務所にスカウトだなんて、恐れ多いですわ」

「フン、」

丁度信号が赤になり、車が止まる。ようやくサーと目が合い、彼のすらりとした右手が差し出された。

「兎に角、よくやった、檻舘」

「…これからも、ご贔屓にしていただけると嬉しいです」

私は差し出された右手を握った。震えは、いつしか収まっていた。



10 翳す掌に希望はあるか(下)


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