14 摂氏23°、曇りのちアレルヤ(下)


アナウンスに乗じて、何とか昼休みを理由に経営科の面々と別れることに成功した私は急いで心操君を探しに向かう。

「(こっちには戻ってきてない、か…)」

手始めに普通科の席に戻ってみたが、案の定そこに心操君の姿はない。それも当然か、彼は今や一躍時の人だ。今この場に現れようものならクラスメイトから質問責めに遭うのは容易に想像が付く。彼だって、午後の最終種目に向けて気が散るようなことはしたくないだろう。となれば…考えられるとすれば選手控え室の方だろうか。私は、自分の席から昼食と水筒を持ってその場を後にする。

「会えるといいけど…」

携帯でわざわざ居場所を聞くのもなんだか気が引けたので、私はひたすら足を動かした。この広い敷地の中だ、出会えなければそれまでか…と覚悟はしていたのだが、運が良かったと言うべきか。意外にも私は、早々に彼を見つけることに成功した。

「(…いた)」

選手控え室に続く薄暗い廊下のベンチで一人、虚空を見つめる心操君がそこにはいた。

「心そ…」

私は反射的に声を掛けようとしたが、彼の横顔があまりに寂しそうで、思わず呼ぶのを躊躇ってしまった。気を取り直して一呼吸置いた後に静かに彼の名前を呼ぶと、心操君がゆっくりとこちらを向く。先程スクリーンに映し出されていた不敵な笑みは何処へやら。彼の表情は、先程とは大分違っていた。

「…こんな暗がりで、一体どうしましたの」

「いや、特に何も…ただぼーっとしてただけ」

「お邪魔でしたか」

「いや、大丈夫」

お隣良いですか、と尋ねれば、首を縦に振ってベンチの端に寄ってくれたので、お言葉に甘えて心操君の隣に腰を下ろす。

「最終種目出場、おめでとうございます」

「ありがと」

「正直なところ…何がどうなって心操君が勝ち進んだのか、全く分かっていなくて…ごめんなさい」

「…だろうね」

私が素直にそう伝えると、心操君はまるで想定内だというように、ニヒルに口角を上げてみせた。せっかく最終種目まで出れるというのに、彼の表情は一向に晴れる様子がない。

「順調に勝ち進んでいるというのに、浮かない顔ですわね」

「…そう見える?」

「ええ」

私が遠慮なく頷けば、心操君は"檻舘には敵わないな"と小さく笑って、それから少しの沈黙の後、ぽつりぽつりと言葉を吐き出した。

「…どんなにヒーローに向いてない個性だったとしても、諦められないから今俺はここにいて、ヒーローとして認めてもらうためにこうして足掻いていて…その選択をしたのは自分で、そこに後悔はないんだけど」

「ええ」

「でも、こうして周りのヒーロー科の奴らを見ていると、否応にも"ヒーローらしさ"ってのを見せつけられてる気がしてさ」

「……………」

「観客の目には、俺はどうしたって正義のヒーローでなく、真逆のヒールにしか映らないんじゃないかって思って…まあ、だからどうしたって話なんだけど」

なんてことないといった口振りで話してはいるが、心操君にとってそれは、決してなんてことない話では無いはずだ。物心ついた頃から染み付いたそれは、そう簡単に払拭できるものではない。

「このヴィランじみた個性と向き合うと決めたのは他の誰でもない俺自身だし、今更どうこう言うつもりも、この戦い方を辞めるつもりもないんだけど…まあ、少し考えてたよね」

一種の悟りとでも言うべきか。彼は決して落胆しているわけでも、卑屈になっているわけでもないのだろう。言葉の通り、自分の現在置かれている状況について、ただただぼんやりと考えていただけ。

…でもそれは、あまりに切ない思案だ。私は、再三彼に伝えていたつもりなのに。

「…私の意見を、お話ししても良いですか」

私は耐えきれず、心操君にそう尋ねた。駄目と言われても勝手に話し始めるつもりでいたが、心操君が首を縦に振ったので、私は遠慮することなく己の言葉を吐くことにした。

「…私は入学してからずっと心操君を応援していますし、その気持ちについては今更言葉にするのも野暮なので割愛しますが」

逸る気持ちを抑えて、なるべくいつものトーンを心掛ける。それでも語気が強くなってしまうのは、多めに見て欲しい。

「私はね、とてもワクワクしてますの」

「…ワクワク?」

心操君がきょとんとした顔でこちらを見るのがわかった。その視線には敢えて応えず、私は前を向いたまま自分の言葉を紡いだ。

「これまで世に埋もれていた心操君の個性が、実力が、こんなに大きな晴れ舞台で、こんなに多くの人に見てもらえて。心操君の今までの努力が実を結んで、ついに日の目を見ることが、私は今から楽しみでなりません」

いきなりの発言に驚いているのか、それとも呆れているのか…心操君は依然として黙ったままだ。それを良いことに、私は無遠慮に言葉を続ける。

「かつてノーベルやアインシュタインが己の発明を悔やんだように、世紀の大発明が使い方次第で兵器となり得るように。個性なんてものは、どんなものだって、使う人の意思によって善にも悪にもなり得ます」

「……………」

「心操君の個性は、確かに一見するとヒーロー向きではないかもしれないけれど…それでもその有用性を、真摯にヒーローを志す貴方のその想いを汲んで、認めてくれる人はこの世に沢山いるはずです」

生徒も、教師も、現役のヒーローも、一般市民も、皆が見ている。こんな絶好の機会、そうそうないはずだ。

「今日は言うならば初お披露目の日…心操君にとって、その輝かしいヒーロー人生の始まりの日ですもの。ファンとして、ワクワク以外の何物でもありませんわ」

「檻舘…」

私の聞くに耐えない独白に限界が来たのか、心操君が小さく口を開いた。長々と半ば勝手に胸の内を吐き出した私は、ここでようやく心操君の顔を見る。

「…だから」

心操君の綺麗な菫色の瞳を前にして、私は一喝する。

「だから、もっと堂々としてください。ヒール上等だと、思う存分笑ってやれば良いのです。そんな気持ちになれないと心操君自身が思ってしまうのなら、ファンである私に夢を見させると思って、無理にでも強がってみせてください」

心操君の瞳が大きく見開かれる。

「ヒーロー、なるんでしょう」

「…ほんと、檻舘には励まされてばっかりだな」

心操君が乱雑に頭を掻く。その表情に、もう迷いはなかった。

「ごめん、少し弱気になってた」

「私は何もしていませんわ。謝る必要なんて」

「うん、だからありがと」

心操君の感謝の言葉がむず痒い。今更ながら、熱烈なラブコール過ぎたかなと己の発言を振り返る。まあ、嘘は言っていないんだけれども、少しだけ恥ずかしくなってきた。

「…まあ、先程スクリーンに映っていた様子を見るに、私の意見なんて不要だったと思いますけどね」

"良い感じに悪そうな笑顔でしたよ"、と私が冗談めかして笑えば、"茶化すなって"、と心操君も顔をくしゃくしゃにして笑ってみせた。…良かった、この様子ならもう大丈夫だろう。

「さ、そうと決まればお昼ですね」

出すならこのタイミングしかないだろうと、私は隠し持っていた昼食と水筒を彼に差し出す。

「その様子ではまだ何も食べていないのでしょう?午後からが本番なんですから軽くでも何か食べないと」

「用意周到だね」

「褒めてもサンドイッチしか出ませんけどね」

私の手元にあったのは、素人の作ったさもないサンドイッチだけだ。運動する気なんてさらさら無かった私が用意した昼食の量なんてたかが知れている。心操君の空腹を満たすには心許ないが、それでもないよりはマシだろう。

「…貰っていいの?檻舘の昼飯だろ」

「逆に聞きますけど、席にも戻らずこんな所で呆けていた心操君は、一体お昼をどうするつもりでしたの」

私がそう問えば、彼はきまりの悪そうな顔をして、"昼食を食べる気分にもなれなくて、食べないつもりだった…"などと呟いてみせた。

「呆れた!そんなんじゃ戦えるものも戦えませんわよ」

一切動いていない私なんかより、優先すべきは彼の胃袋だ。

「他人の手作りに抵抗があるとか、嫌いな食材が入っているとかでなければ、寧ろ食べてください」

ずい、とやや強引に彼の面前にランチボックスを差し出す。暫くの間掌を宙に浮かせて悩んでいた心操君だったが、やがて観念したのか、節くれだった彼の無骨な手がおずおずとサンドウィッチに伸ばされる。

「…じゃあ、遠慮なく」

ようやくランチボックスから引き抜かれたBLTサンドが、彼の大きな口元へ運ばれていくのを、私は内心どきどきしながら静かに眺める。

「…美味しい」

「本当ですか」

「うん」

ふた口程であっという間に消えてしまったサンドウィッチが、彼の言葉がお世辞ではないことを証明している気がして、私はそっと胸を撫で下ろす。良かった、どうやら不味くて食べれない程ではなかったようだ。

「…図々しいのは百も承知なんだけど、もう一つ貰っていい?」

食欲もすっかり戻ったらしい彼の様子に、私は笑顔で頷いたのだった。



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