15 幕引きは突然に


心操君に半ば無理矢理昼食を取らせた私は、今度こそ彼の勇姿をこの目に焼き付けるべく、彼と別れて観客席へと向かった。先程の反省を生かし、目立たない様にそっと入り経営科とは真逆の座席を確保する。見晴らしもまずまず、準備は万端だ。

「はあ…緊張してきた」

選手でもない私が緊張してどうする。私はゆっくりと深呼吸をして、急ピッチで作られていくグラウンドをぼんやり眺めた。つい先程、最終種目の組み合わせが発表された。トーナメント形式、一度負ければそれで終わりの一対一のガチバトル。肝心の心操君の出番はまさかの一試合目、その相手は−−−

「(1年A組、緑谷出久…)」

予選一位の強者、それが心操君の相手だった。小柄な体躯と気弱そうな表情は一見強そうには見えないが、それでもこの最終種目まで残った実力は伊達ではないはずだ。

「きっと大丈夫…頑張れ…!」

汗ばむ掌をハンカチで押さえながら、キュッと拳を握る。普通科として、友人として、ファンとして、たとえどんな結果であろうと彼の勇姿を最後まで見届けなければならない。

「ヘイガイズアァユゥレディ!?」

そうこうしているうちに、プレゼント・マイクの声がスタジアム一帯に響き渡った。いよいよ始まるのか、私はごくりと唾を飲む。

「色々やってきましたが!結局これだぜガチンコ勝負!!」

「(すごい歓声…)」

「頼れるのは己のみ!ヒーローでなくともそんな場面ばっかりだ!わかるよな!!心・技・体に知恵知識!!総動員して駆け上がれ!!」

彼の言葉に、観客のボルテージも最高潮に達している。本職の人にかける言葉として適切ではないかもしれないが、プレゼント・マイクは本当に場を盛り上げるのが上手いなとつくづく思う。

「一回戦!!成績の割になんだその顔ヒーロー科緑谷出久!!」

緑谷出久が緊張した面持ちで出てきた。私が言うのも何だが、こうしてみると本当に小柄で、極々普通の少年にしか見えない。一体どんな個性の持ち主なのだろうか…もう少し心操君以外にも注目して予選を見ていれば良かったなと後悔するが、時すでに遅しだ。

「対、ごめんまだ目立つ活躍なし!普通科心操人使!!」

プレゼント・マイクの言葉に、なんて酷い言い草だ!と思わず反論しそうになったが、残念ながら間違いではないのでグッと堪える。ヒーロー科の人たちと比べたら目立っていないのは事実、それでもこうしてこの場に立っているのだ。思いっきり見せつけてやれ!と私は心の中で拳を突き出す。

「ルールは簡単!相手を場外に落とすか行動不能にする、あとは「まいった」とか言わせても勝ちのガチンコだ!!ケガ上等!!こちとら我らがリカバリーガールが待機してっから!!道徳倫理は一旦捨ておけ!!」

捲し立てる様にルールが説明される。そのスピード感に圧倒されながら、私は最大限目を見開いて舞台に立つ心操君を見つめる。ここから先、一秒たりとも彼から目を離してやるものか。

「レディィィィィイSTART!!!」

こうして、プレゼント・マイクの華麗な巻き舌捌きと共に、戦いの火蓋は切られたのだった。



*****



勝てると思った。いけると思った。
過信しているつもりは、なかった。

「んぬああぁああ!!!!」

しまった、と思ったのも束の間、俺の身体は緑谷によって勢いよく投げ飛ばされる。一瞬だった筈なのに、視界は何故かスローだ。遠い遠い観客席。米粒のような小ささの観客の中で、俺の両目は不思議と知っている顔を捉える。普段の澄まし顔が嘘のような、必死な顔。ああ、もしかしたら泣いているのかもしれない。

「心操君ッ!!!!」

間違いない、やっぱり檻舘だ。俺の記憶の中の彼女はいつだってお淑やかで、嫋やかな印象しかなかったから、檻舘もあんなに必死になって声を張り上げることが出来たんだな…なんて場違いな感想を抱く。いつもは柔らかに俺の名前を呼ぶその甘く澄み通った声が、今は必死になって俺の名前を叫んでいる。

ああ、ごめん。負けちまう。

その瞬間、俺の身体は重力に従い地面へと落下した。受け身をとる余裕など無く、勢いよく打ち付けられた背中。思わず呼吸が止まる。

「心操くん場外!!」

審判の声が聞こえた。

「二回戦進出!!緑谷出久ーー!!」

終わった。俺は負けた。痛む背中を庇いながらゆっくりと起き上がる。途中、緑谷が手を差し伸べようとしているのが見えたが、俺はそれを見なかったことにする。敵の情けなんて、惨めなだけだ。

「初戦にしちゃ地味な戦いだったが!とりあえず両者の健闘を称えてクラップユアハンズ!」

プレゼント・マイクの言葉に会場からは拍手が巻き起こる。向かい合って両者礼…の筈が、俺の首は殆ど下がらなかった。悔しい。なんで洗脳が解けたのかわからない、こんな筈じゃなかった。しかし、そんなことを考えたって俺が負けた事実は変わらないし、やり直しも効かない。一世一代の勝負というのは、いつだって一度限りだ。

「……………」

身体が叩きつけられる瞬間に見えた檻舘の表情が、今も脳裏にこびり付いている。こんな無様な負け方、一体どんな顔をして彼女に会えば良いのか。

「…心操くんは、何でヒーローに…」

「…憧れちまったもんは仕方ないだろ」

緑谷からの問いかけに、俺は答える。そう、憧れ。それが俺を突き動かす感情だ。緑谷は何か言いたそうな顔をしていたが、それを無視して俺は身体を反転させる。いつまでもこの場にはいられない、もう勝負はついたのだ。俺は重い足取りで出口へと向かう。

そのときだった。

「かっこよかったぞ、心操!」

上空から自分の名前を呼ぶ声が聞こえて、顔を上げる。そこにいたのは、まだあまり話したことのないクラスメイト達だった。

「正直ビビったよ!」

「俺ら普通科の星だな!」

「障害物競走1位の奴と良い勝負してんじゃねーよ!」

口々に言われる予想外の言葉。よくよく周りを見れば、観客の現役ヒーロー達も、俺のことを話している。普通科なのが勿体ない、とか、ウチの事務所に欲しい、とか。それは全部、俺が喉から手が出るほど欲しかった言葉だった。

「聞こえるか心操、おまえすげェぞ」

予想外の展開に、グッと胸が締め付けられる。試合の前に言われた檻舘の言葉が、頭を過ぎった。

"これまで世に埋もれていた心操君の個性が、実力が、こんなに大きな晴れ舞台で、こんなに多くの人に見てもらえて。心操君の今までの努力が実を結んで、ついに日の目を見ることが、私は今から楽しみでなりません"

「(…檻舘の、言ってたとおりだ)」

涙腺が緩むのを必死で堪える。ああ、俺の努力も、少しは報われたのかもしれない。

「…結果によっちゃヒーロー科編入も検討してもらえる、覚えとけよ」

俺は緑谷に宣戦布告する。負け犬の遠吠えと思われようが構わない。これは、決意表明だ。

「今回は駄目だったとしても…絶対諦めない。ヒーロー科入って資格取得して…絶対おまえらより立派にヒーローやってやる」

這い上がってみせる。追いついてみせる。俺自身と、応援してくれる皆の為にも。

「(…ありがとう)」

自分でも、現金な性格だなと思う。さっきまであんなに会いたくなかったのに、今はこんなにも、檻舘に会いたい。



*****



試合後、心操君を激励する為に控え室に向かえば、心操君は一人部屋の中で佇んでいた。泣いていたりするようであれば出直すつもりでいたが、意外にもいつも通りの様子だったので、私は小さく彼の名前を呼んだ。

「お疲れ様です」

「…ごめん、檻舘。あんなに励ましてもらったのに、あっさり負けちまった」

「何言ってますの。観客やクラスメイトの声、聞こえなかったわけではないでしょう」

あの瞬間、人々の歓声は間違いなく心操君にも向けられていた。普通科の皆の言葉も、現役ヒーロー達の評価も、彼にしっかりと届いた筈だ。

「私の言ったとおりだったでしょう?だからもっと胸を張って」

「…ああ」

私は彼に近寄って、用意していたタオルとスポドリを渡す。素直に受け取ってくれた心操君の表情は、思っていたよりも清々しいものだった。

「檻舘の声、聞こえたよ」

「え?」

「あんだけ人がいて、普通ならあり得ないんだけど。でも確かに、聞こえた」

彼の菫色の瞳が、真っ直ぐ私を見ている。

「あんなに必死に叫んでくれてたのに、勝てなくてごめん。ありがとう」

「…お疲れ様でした、本当に」

鼻の奥がツンと痛む。駄目だヨル、ここは泣くところじゃない。そう心の中で自分を戒める。目の奥にぐっと力を込めて、私は笑った。

「私、嬉しいんです。夢を見させてくれてありがとう、ヒーロー」

「…まだまだ、これからだよ」

「ええ、勿論。"心操人使"が、ここで終わるわけありませんもの」

激励の意を込めて、私は両手で心操君の手を握る。私の意図が伝わったのか、彼も力強く握り返してくれた。

「それと、背中、大丈夫ですか」

「ああ…リカバリーガール?って人に見てもらったけど、治癒するまでもなく大丈夫だって」

「そう…良かった」

だいぶ激しく地面に打ち付けられていたようだったから心配していたのだが、リカバリーガールが大丈夫というならそうなのだろう。私はそっと胸を撫で下ろす。

「さあ、クラスメイトがそわそわしながら心操君の帰りを待ってます。そろそろ行って差し上げて」

「檻舘は行かないの?」

「英雄の凱旋に余計なパーツは不要ですわ。頃合いを見て後から合流します」

私としても変に目立つのは避けたい。普通科の座席に戻る心操君の後ろ姿を見送って、私は一人背伸びをする。何はともあれ、私の体育祭もこれで終わった。後は閉幕を待つのみ、そういえば天哉も最終種目まで残っていたようだが、試合はどうなったのだろう。

「(まだ終わっていないようであれば一応見ておくか…)」

一応腐れ縁だしな…と私がぼやいたその瞬間、タイミングよく電話が鳴った。画面を覗くと、着信はどうやら母からのようだった。今日が体育祭だということは母もわかっていた筈だが、一体何の用だろうか。釈然としないまま、とりあえず電話に出る。

「もしもし?一体何…」

「大変なのヨルちゃんッ!」

私の声を遮った母の声は切迫していて、声色からもただ事ではないことが容易にわかる。

「ちょっと何、落ち着いて…」

「天晴君がッ!」

「!」

「ヴィランにやられてッ…それで…ッ」

"天晴君"、私の知り合いで、その名前を指す人物は一人しかいない。そんな、まさか。突然の知らせに、私は言葉を失う。

「今病院に運ばれたって、飯田さんの家から電話があって、それで知らせなきゃって…!」

「……………」

「天哉くんにも電話してるんだけど、繋がらなくて…ッ」

…そのあとの記憶は、あまりない。グラウンドから漏れ出す歓声と、電話越しに聞こえるお母さんの涙ぐんだ声に、私はただ呆然と立ち尽くすことしかできない。

「ヨル…!」

そのとき、後ろから名前を呼ばれた。私を名前で呼ぶ人は、この学校で一人しかいない。

「て、天哉…」

深刻そうな天哉の顔を見て、急に現実味が湧いてくる。ガタガタと震え始めた手足、危うくもっていた携帯を落としそうになるのを既の所で堪えた。

「天晴お兄ちゃんが…」

「落ち着け、ヨル。俺も今さっき聞いた」

そう私に話しかける天哉の顔も真っ青だ。駄目だ、私なんかより今一番不安なのは天哉だ。私が彼に励まされてどうする。

「……ごめんなさい、大丈夫です」

「俺は今から病院に行くが、ヨルも行けるか」

「行けます、連れて行ってください」

即答したその瞬間、心操君の顔が頭を過ぎる。しかし、今はそれどころではない。知人の、天晴お兄ちゃんの、命が掛かっている。

「車の手配は済んでいる、先生も事情は把握済みだ。行くぞ」

「ええ…」

天哉の後ろを追いかける。こうして私の体育祭は、思わぬ形で幕を閉じることとなった。



15 幕引きは突然に


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