03 その瞳に宿すのは


檻舘ヨル。
東京生まれ東京育ち。
エリート校と名高い聡明中学校の出身。

俺が彼女について知っているのは、初日の挨拶で彼女が話していたこれだけ。個性については、俺の聞き漏らしでなければ彼女は発言していなかったと思う。クラスメイトの大半は自分の個性について一言二言話していたように思うが、彼女のように話さない人間も少なからずいた。普通科である故、初日に説明されたカリキュラム的にも個性を使用する授業は殆どなさそうであるし、日常生活を送る分には個性を明かさずとも問題はない。そもそも個性は抑制するものと教えられてきた社会だ。大っぴらに個性を使用することが許されていない以上、必要以上に個性を明かすことはないのかもしれない。

…俺の場合は、個性の特性上黙っていると後々面倒になりそうだから初めに説明したが。現時点では案の定、腫れ物に触るような扱いを受けている。慣れているからどうということはないが。

「檻舘さんって、もしかしてあの《MAISON de ORIDATE》の関係者?」

「ええ、父と母のブランドです」

彼女とクラスメイトの会話が聞こえてくる。一つ誤解のないよう言わせてもらうと、たまたま席が近いからであって、断じて盗み聞きをしているわけではない。

「うわすごい!お嬢様じゃん!」

「いえそんな、皆さんが思ってらっしゃるような大層なものではありませんのよ」

《MAISON de ORIDATE》と言えば、いくらファッションに疎い者でも一度は聞いたことがあるであろう日本を代表する有名一大ブランドだ。檻舘本人は否定しているが、お嬢様であるのはまず間違いない。話し方佇まいから一般人ではないだろうなとは思っていたが、まさか正真正銘のお嬢様だったとは。

「ウワバミとのコラボあったよね?あれ憧れたなー」

「近々コラボスーツの事業にも手を広げていきたいと考えておりますの。ウワバミ様とのコラボは先方からの企画だったのですが、好評だったようで嬉しいです」

「へえー」

父と母の…という割には、まるで当事者のような口ぶりであった。もしや会社の経営にも携わっているのだろうか。今朝も感じたことだが、一介の高校生にしては彼女は随分と大人びている。

「ということは檻舘さんの個性もそっち系なの?服作ったりする?」

「経営科とかサポート科にしようとは思わなかったの?」

「専門的な知識を学べるというのは確かに魅力ですけれど、それは大学に行ってからでも遅くないと思いまして。選択肢の幅を広げる意味でも普通科が良いと判断しましたの」

とそこまで彼女が言ったところでチャイムが鳴った。結局檻舘の個性については分からずじまいであった。

「(ってなんか俺、気持ち悪いな)」

別にストーキングしたいとか、そういう邪な気持ちでは断じてない。しかし、今朝のやり取りがどうしても頭をちらついてしまう。彼女の意図は何だったのか、どうしてあんな思わせぶりな発言をしたのか、彼女は一体何を考えているのか。

我ながら単純だとは思うが、檻舘ヨルという人間ついて興味が湧いているのは事実だった。


*****


1日というのは早いもので、授業が終わり放課後になった。授業中の静けさが嘘のように、活気と喧騒を取り戻す教室。どうやら部活動の見学に行く生徒が多いようだが、生憎自分は部活に参加する気は無かったので早々に帰宅することとする。
そういえば檻舘もすでに教室にはいなかった。彼女ぐらいのお嬢様ならきっと黒塗りの高級車の送迎付きなのかもしれないなと考え、またしても彼女のことを考えている自分に気が付いて恥ずかしくなる。

「……………」

思えば、物心がついた時からずっと、自分の個性を知って尚あのように悪意なく話しかけてくる人間は家族以外では出会ったことがなかった。幼い頃は人並みに傷ついたりもしていたが、今ではもう割り切っている。仕方がないんだ。

だからこそ、彼女が物珍しく映る。こんなにも、気になってしまうのだと思う。
不信感は未だ払拭できないが、それ以上に不相応な期待を滲ませてしまう。

「…単純だな、俺」

こうして改めて考えると、どうにも幼稚で恥ずかしい。俺は意識を彼女から逸らそうと鞄から音楽プレーヤーを取り出した。イヤホンを嵌め、最近はまっているインディーズバンドのCDを選択する。ふと柔らかい風が頬を撫でていくことに気づいて目を細める。いい天気だ、こんな日はサイクリングをするに限る。家に帰ったら少し近所にある桜並木を走らせるのもいいかもしれない。
しばらく歩いて最寄り駅に着いた。東京はやはり人が多い。比較的都内でも郊外にあるはずのこの最寄り駅でさえ、埼玉から出てきたばかりの自分はついたじろいてしまう。

ふと喫茶店が目に入る。よくあるチェーン店ではなく、年季の入ったいかにも老舗といった店構えの、学生には少し敷居の高そうな喫茶店だった。興味はあるが、一人で入るのは難しそうだとぼんやり眺め、通り過ぎようとして、窓側に座る人物に目が留まった。

「檻舘…?」

そこにいたのは偶然にも、先ほどまで同じ教室で同じ授業を受けていた少女だった。一人でこんな敷居の高い場所に入れるなんて、と一瞬驚いたものの、よくよく見れば檻舘の向かいにはスーツ姿の大人が座っていた。中年男性と比較的若めの女性の二人組。どちらもその表情は険しく、スーツ姿の女性に至ってはその表情に確かな怒りの感情を滲ませている。対し、そんな二人組の目の前に座る檻舘は涼しい顔で書類に目を通している。何ならコーヒーカップを片手に持ち、飲み物を啜る余裕すら見える。

会話はもちろん聞こえない、しかしその場が和やかでないことは明らかであった。笑みを絶やさなかった今朝の彼女とは異なる、硬質な表情。

「(表情が違うだけで、まるで別人みたいだな)」

出会ってたった二日しか経っていない人間に対してそのような感情を持つのも間違っているような気がするが、これまで自分が持っていたイメージとは異なる彼女の一面を見たのは確かだ。

ふと、窓越しに彼女の視線がこちらを向いた。その瞬間、僅かに開かれた瞳。自分の存在に気付いたのか、一瞬交わる視線。

「あ…」

目が合ったと思ったのもつかの間、目の前の大人たちに話しかけられたのか、視線はすぐにそちらに戻った。檻舘に存在を認識された以上、ここに長居するのは失礼以外の何物でもないと気付いた俺は、慌てて足を進める。



03 その瞳に宿すのは



明日もし彼女が宣言通り朝早く教室に来るのなら、それとなく聞いてみるのもいいかもしれない。
正体不明だった彼女の新たな一面を知れたことで、俺の心は確かに踊っていた。
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