04 僕の欠片を埋めておくれよ
「私は反対です…!こんな未成年の女の子を囮に使うなんて…もし何かあったら…!」
「…俺だって反対だが、彼女には実績があるし、上もそれを認めて起用を認めたんだ。下っ端の俺らがどうこう言える話じゃない」
目の前で繰り広げられる会話を、私はどこか他人事のような気持ちで聞いていた。この人たちはとても心の優しい人なんだなと感心する一方で、自分を認めてもらえていない現実が歯痒い。私はどうやってもこの人たちから見たらただの子供で、庇護されるべきか弱い存在なのだ。それは事実で、いくら足掻いても覆ることはない。
「貴方方に売り込んでいるのは他でもない私です。危険は承知の上ですが、それ以上に成功させる自信もあります」
「でも…!」
この女性は初対面だった。隣の中年男性は以前現場で会ったことがあるからある程度理解を示しているのだろうが、如何せん表情は硬い。
「成功を見込めない話だったら私も断ります。概要を聞いていけると判断したからこうしてお受けしています」
書類を眺めながら、頼んだコーヒーを啜る。相手が奢ってくれるというので遠慮なくお値段高めのハワイコナを選んではみたが、味の良し悪しがわからない私にとってはいつもと変わらないただのコーヒーだ。欲を言えばタルトも一緒に食べたかったが、子供っぽいと思われたくない一心で頼まなかった。
「それとも、万が一私が危険な目に遭ったとして助ける手立てがないほど貴方方は無能なのですか?」
相手を挑発してみる。金銭のやり取りが発生する以上、こちらもプロとしての矜恃を持ってやっているのだ。ここは譲れない。
「私は自分の個性は勿論、貴方方も信頼しています。ね、刑事さん」
そうニコリと笑えば、結局は向こうが折れた。それが昨日の出来事のあらまし。
「…はあ」
思わず溜息を吐く。外から見ていた彼は、間違いなく心操人使君であった。警察側は気を遣って学校から近いあの喫茶店を指定してくれたのだろうが、やっぱり場所を変えて貰えばよかったとあの後少し後悔した。学校の最寄り駅だなんて、生徒から目立つに決まっている。もしかしたら彼以外にも見られたかもしれない。別に見られてやましいことはしていないが、見られないに越したことはない。
そんなこんなで、憂鬱な気持ちで迎えた朝。校門の前は何故かマスコミが大量に居座っている状態だったが、大方あの伝説のヒーロー、オールマイトが講師になった件だろう。群衆の中には以前メディア取材を受けた際に知り合った記者も何人かいたが、それらを適当にあしらって私は校舎に入った。
「おはようございます、心操くん」
「…おはよう、檻舘」
教室の扉を開けると、心操君は昨日と同じように自分の席に座っていた。彼が昨日と変わらずそこにいたことに、私はそっと胸を撫で下ろす。
「外のマスコミ、凄いことになってますわね」
「だな。俺も今日は裏門から入ったよ」
昨日、思いがけず気になっていた彼がいたことにテンションが上がって、ついがっついてしまったことは反省している。引かれたかなと内心心配していたのだが、普通に会話することができているので安心した。
「それにしても、今日も心操くんはお早いですね。何時にお家を出てらっしゃるの?」
「始発。家賃の関係で学校から遠いところを選んだから、移動に結構かかるんだ」
机に鞄を起き、彼の方を向く。そう言った彼の顔は相変わらずクマが酷い。果たして彼はきちんと眠れているのだろうかと、出会って数日ながら心配になった。
「無理は禁物ですよ、何事も身体が資本なのですから」
「ああ…」
彼の返答がやや上の空なのは、何か考え事をしているからだろう。そしてそれはおそらく、昨日の放課後のことだ。
「昨日の…」
ほらきた。大丈夫、そう想定して事前に返答は用意している。私は笑みを崩さずに彼の言葉を待った。
「…昨日の喫茶店は、雰囲気良かった?」
「え?」
予想外の言葉だった。そのためつい素で返事をしてしまった。まさか話していた相手でも内容でもなく、喫茶店の感想を聞かれるとは。
彼を見れば、僅かに目が泳いでいる。この言葉が彼なりに遠回しに聞こうと頑張った結果なのだとわかり、私はどうしても笑いがこみ上げてきた。
「ふ、ふふ…まさかの喫茶店の感想ですか…」
「いや…俺もあの喫茶店気になってたんだよね」
首に手を回し気まずそうに視線を逸らす心操君に、私の中でほんのりと悪戯心が芽生える。
「私はコーヒーしか飲んでませんが美味しかったですよ。あとはケースに並んだタルトが気になって…ふふ、どうですか、気になるなら今度一緒に」
「え」
「一人じゃ入りづらいでしょう、私も一人だと流石に気後れしますので…」
「…檻舘、やっぱり俺のことからかってるよね」
笑いながらの発言では流石に信じてもらえなかった、半分は本気で言ったのだけれども。
「昨日の相手は、うちの会社の取引相手のひとつですよ」
さすがに彼が可哀想になったので、私は予め用意していた言葉を彼に返した。
「会社って、《MAISON de ORIDATE》の?」
「私の家のこと、ご存知だったんですね」
彼の目が再び泳ぎだす。彼は表情筋が動かない割に、意外とわかりやすい反応をする。
「ああ、まあ…有名だし」
恐らく昨日のクラスメイトとの会話を聞いていたのだろう。盗み聞きと思われるのが嫌なのだろうか彼は言葉を濁した。私は別に気にしないのに。
「相手が中々話を理解してくれずつい厳しい顔をしていましたの。醜い姿をお見せしてしまってお恥ずかしい限りです」
「いや、別にそんなことはないけど」
「間違っても援助交際とかではありませんのよ。あ、でも昨日は女性もいましたからその勘違いはなさそうですね」
「援っ…!?いや最初から思ってないから」
「あらそうですか?よく間違えられるもので、すみません」
どうやら彼は信じてくれたようだ。まあ嘘はついてない。所々肯定せずはぐらかしている部分もあるが。
「檻舘は親の会社の手伝いもしてるんだな」
「まあ、そんな大したものではないですが…そんなところです」
「確かに大人顔負けで弁が立ちそうだよね」
「褒め言葉として受け取っておきます」
この辺りでこの話題は終わりにしようと、私は彼の机に視線をやる。卓上には数学の教科書とノートが置かれていた。
「今日の予習は数学ですか?」
「あ、ああ…うん」
彼のノートを一瞥すると、今日授業でやるであろうところよりもだいぶ先の部分を予習していることがわかった。きっと彼はとても努力家なのだろう、昨日は英語をやっていたようだったが、今日の数学同様、だいぶ先を予習していたように思う。
「あ、ここ、多分最後の計算が間違ってますわ」
「え?…あ、ほんとだ」
たまたま目に入った間違いを指摘する。簡単な引き算の凡ミス。彼もすぐ理解したようでささっと正答を書き直していた。
「…檻舘、やっぱり授業についていけないって嘘だよね」
「そんなことありませんよ」
彼の視線が若干痛い。ジト目ってこういうことを言うのだろうなと考えながら私が笑顔でしらを切り続けると、彼は諦めたのか溜息を吐いて、こう切り出した。
「…檻舘は、気にならないの。俺の個性」
「………個性?」
少し呆れたような、それでいて悲しそうな顔。
「確か心操君の個性はW洗脳Wでしたか」
「…忘れてたわけじゃないんだ」
「珍しい個性ですもの、忘れるわけありませんわ」
「じゃあ、何で。気味悪いとか、思わないわけ」
彼の顔が、徐々に強張っていくのがわかる。それはもう、痛々しいほどの虚勢だった。
「……………」
きっと彼はこれまで、自分の個性によって多くのものを失ってきたのだろう、あるいは、諦めて、呑み込んで、納得して。
それでも彼は、諦めきれなかった一欠片を大事に大事に胸に抱えて生きている。
「…もし、自分の望んだ個性になれる世だったなら、と考えたことがあります」
たかだか数日の付き合いの人間が、彼のその痛みを推し量るのはあまりに傲慢だ。私はそんな驕った人間にはなりたくない。
「でも、そんなたらればを夢見て生きる程愚かしいことはなくて」
願望は決して現実にはならない。その分別が付く程度には大人になったつもりだ。そして私は、諦めた。
「自分の個性を受け入れて、其れでも尚夢を追い続ける人を、尊敬はすれど気味悪がったりなんてしませんわ」
彼のこれまでの人生の苦悩や痛みを理解することはできない、安易な励ましはしたくない。けれど、自分ができなかったことをし続けている貴方のことを尊敬しているということは伝えたい。
私は、大事な一欠片を捨ててしまった側の人間だから。
「心操君の最初の挨拶を聞いた時から、応援しているんです。謂わばファン一号といったところでしょうか」
「…変わってるね、檻舘は」
「よく言われます」
くしゃっと笑った心操君の顔が、どうしようもなく綺麗で、私まで泣きそうになった。
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