05 憂鬱は重なる(上)
雄英高校に入学して、早いもので数日が経とうとしている。袖を通したばかりの学校指定のジャージはまだ身体に馴染んでいないからか、チクチクと繊維が刺さって不快だ。
「…はあ」
「溜め息なんてついてどうしたの」
私の横にいるのは、相も変わらずダウナーな目元が印象的な心操君。現時点で行動を共にする者が定まっていない一匹狼同士、行動パターンが似ているのか。たまたま下駄箱で鉢合わせした私と彼は、そのままの流れでのんびりとグラウンドに向かっていた。
「いえ…憂鬱だなと思いまして」
「憂鬱?」
憂鬱の理由。それは決して、首元がざわついて不快だからなんて些細なものではない。もっと重大で重要で、私の今後の沽券に関わると言っても過言ではない、深刻な事象に因るものだ。
「私、本当の本当に運動というものに縁がありませんの」
「ああ…体育ね」
「憂鬱以外の何物でもありませんわ、体力テストだなんて」
体力テスト。
忌々しいことこの上ないが、この日本で学生をしているのであれば避けては通れないイベントだ。
自慢ではないが私は本当に運動が出来ない。はなから期待なんてされていないのはわかっているが、それでもクラスメイトが見ている前で、数値として可視化されるのは苦痛以外の何物でもない。
「そんな気負うほどのものでもないと思うけど」
「そういう割には、心操君はガチ…えっと、闘志に満ち溢れている感じがしますわ」
「…そう見える?」
「はい、とっても」
いつも以上に表情の堅い心操君 。きっと心操君にとっては、この体力テストもヒーロー科に編入する為の重要な項目なのだろう。そりゃ力も入る。
「…あれ」
ふと心操君が言葉を漏らした。彼の視線の先を辿れば、運動場の前で人だかりができていることに気付いた。
「何でしょう…心操君は何かご存知ですか?」
「いや…」
どうやら心操君も知らないようである。正体不明の人だかりは、観察するに見知った普通科の面々…つまるところクラスメイトであるようだった。
「入らないのですか?」
「あっ檻舘さん!」
とりあえず一番近くにいたクラスメイトに話しかけてみる。熱気の篭る空気を纏った彼らのテンションは、教室にいる時よりも格段に高い。
「それが、前の時間にここ使ってたヒーロー科の授業が延びてるらしくて。ちょっと待機してろって」
運動場を見れば、たしかに見慣れない顔が揃っている。個性をこれでもかというほど使ったその姿は、とても荒々しく、そして皆等しく本気だった。
「凄いですわねえ」
「ヒーロー基礎学だって。個性も派手だし、やっぱうちらとは違うよね」
確かに、彼らの個性を使いこなす姿はとても様になっている。流石は最難関の入試を突破した天下の雄英高校ヒーロー科ということか。
「そういえばヒーロー科のA組って入学式出なかったじゃん?あれって体力テスト受けてたかららしいよ、しかも個性使用有りの特別版」
「え、てことはうちらも次のテストで個性使えんの?」
「残念ながら普通科は個性使用禁止だって。さっき先生が言ってた」
「うわ出たヒーロー科贔屓。露骨過ぎ」
これまでヒーロー科の面々の授業を見る機会が一切なかったこともあり、興奮する者、嫌悪を示す者、囃し立てる者、各々が様々な感情を抱き好き勝手に騒いでいる。
そして、真横を見れば。
「…心操君、顔が凶悪じみてますわよ」
「…ごめん」
人でも殺してしまうのではないかというくらいの眼力で、運動場を眺める心操君がそこにはいた。
「私たちも、頑張りましょうね」
「…そうだね」
とりあえずそう言ってみたものの、心操君の表情はあまり変わらない。私なりに心操君の気持ちを慮った結果の言葉だったのだが、きっと最適解ではなかったのだろう。周りの喧騒の中で、私と彼の間だけは気まずい沈黙が流れていた。
*****
しばらくして、教師に聞きに行っていたのであろう体育委員が戻ってきた。
「ヒーロー科が終わるまでとりあえず半々で使うらしいから、普通科ももう入っていいってー」
その言葉を聞いて、心操君は待ってましたとばかりにスッと歩みを進めた。私も数歩遅れて運動場に向かう。はあ、憂鬱だ。
「いっそそのまま中止でも構いませんでしたのに…」
独り言を呟きながら、嫌々ながら歩く。クラスメイトの輪からも離れ、憂鬱を体現するかのようにゆっくりと向かっていたところ、背後から勢いよく手首を掴まれた。
「!」
何かと思って振り返れば、そこにいたのは堅物そうな眼鏡の男。
「ヨル!」
見慣れた、けれども出来ることなら会いたくなかった顔。男はひどく驚いた、それでいて怒ったような表情でこちらを睨んでいた。
「…あら、天哉。久し振り」
彼は飯田天哉。雄英高校ヒーロー科に所属する将来有望のエリートであり、私の幼馴染であった。
05 憂鬱は重なる(上)
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