05 憂鬱は重なる(下)
対峙する二人。
驚きと怒りが混じる表情を浮かべた目の前の彼を見上げて、私は、にこりと笑顔を繕った。
「そんな怖い顔をして、ヒーロー失格じゃない?」
これは牽制である。しかし、こんな小手先のやり取りが通じない相手だということは嫌という程わかっている。だからこの男は苦手なのだ。
「なぜ君がここにいるんだ」
「何故って、この学校の生徒だからに決まってるでしょ」
このジャージが目に入らない?と私は挑発するようにジャージの裾を伸ばした。しかし彼の表情は変わらない。
「受けないと言っていた筈だが」
ああ来た、と私は心の中で悪態を吐く。これだけ広い学校の中だ。発覚するまでしばらくかかると踏んでいたのだが、入学して一ヶ月も経たずにばれてしまった。なんてついてない。
「ヒーロー科は受けない、と言っただけ」
「なんでヒーロー科じゃないんだ」
幼い頃から私を知っているくせに、よくもまあそんなことが言えるものだ。私は呆れた様子を隠さず、嫌味たらしく彼の問いに答える。
「私如きが、天下の雄英高校のヒーロー科に入れるわけがないでしょう」
「落ちたのか」
「私は普通科しか受けてません」
「…お前は、いつもそうやって逃げるんだな」
「合理的選択の結果と言って」
険しい表情を崩さない彼に、私も段々と苛々してくる。
「そろそろよろしいですか、私急いでますの」
「待ちたまえ!話は終わってない!」
「あなただって授業中でしょう!」
無理やり掴まれた腕を払おうとするも、ヒーロー科として常に鍛えている大男に敵うはずもなく。段々とギャラリーが集まっているのが喧騒でわかる。
どうにかしなければ…と内心焦る私に、横からスッと手が伸びてきた。次いで、近い距離から聞き慣れた声がかかる。
「檻舘に何の用?」
「…心操君」
見上げた心操君は、天哉に対しこれでもかというほどに敵意を剥き出しにしていた。
「こっちも授業始まるんで。行くよ、檻舘」
「ええ…それでは天哉、さよなら」
緩まった手を今度こそ払い、私は天哉に背を向ける。しかし天哉は諦めていないのか、後ろからあの馬鹿でかい声で私の名を呼んだ。
「待てヨル!」
「天哉、いい加減に…!」
「まだあの仕事はしてるのか!」
ああもう、この男は本当に、空気が読めない!
「だったらなんだと言うの」
「ヨル…!」
「行きましょう、心操君」
ここに居てはさらなる火傷を負いかねない。私は咄嗟に心操君の腕を掴んで、天哉から逃げるようにその場を去った。
*****
「…檻舘、檻舘」
しばらく歩いて、心操君から声がかかる。我に帰った私は慌てて腕を離した。
「あ、腕…申し訳ありません、つい」
「いや、構わないけど…」
きまりの悪そうな表情をする心操君に申し訳なさが募る。これも全部、全部あの男のせいだ!
「…ありがとうございます、助かりましたわ」
とりあえず感謝を述べる。心操君がいなければ、きっと私は今頃各科の笑いものになっていた。
「今のって…」
「…ヒーロー科の飯田天哉。所謂幼馴染ですの」
そう、幼馴染。飯田天哉と私は、小中と同じ学校に通い、何なら赤ん坊の頃から家族ぐるみで仲良くしている正真正銘の腐れ縁だ。
「その割には、険悪な雰囲気だったけど」
「…色々あるのですわ」
「ふーん」
色々。それは濁したわけでも、はぐらかしたわけでもない、率直な私の言葉だった。
「でも本当に、大したことはないんですのよ」
正直なところ、飯田天哉と私の確執については、自分自身もよくわかっていないというのが本音なのだ。いつからこうなったのか、どうしてこうなったのか…これといった決定打はないが、些細な争いなら幾らでもあった。それらが積み重なった結果、私と彼の間にはいつのまにか溝が出来ていた。
「本当、お見苦しいところをお見せしてすみません」
私が再度頭を下げたところで、教師から声が掛かった。どうやら授業が始まるようである。良かった、授業が始まるのは憂鬱だが、この気まずい空気を打開できるのはありがたい。
「さ、行きましょう」
心操君は未だ複雑そうな表情をしていたが、それには気付かないふりをして一方的にこの会話を切り上げた。
そこからは、至って普通の授業だった。はじめに準備運動をして、体力テストの概要を聞く。事前の情報のとおり、普通科は個性使用禁止のようだ。まあ私のような個性では、たとえ使用したところで体力テストの結果を向上させるようなことは出来ないので別にどうということはないのだが。
「(それよりも…)」
さっきからずっと視線が痛い。クラスメイトからの好奇の目と、ヒーロー科からの無遠慮なそれ。ああうざい、内心舌打ちをする。
「先生すみません」
「ん、どうした檻舘」
説明が終わり、各自がテストに備える中、私はそっと教師に近づいた。
「陽に当たりすぎたのか少し頭が痛くて…少し端で休んでいてもよろしいですか」
「あ〜…一応全員データ取る決まりだから、回復したら言えよ」
「はい」
この場にいるのが堪えられなくなった私は、禁じ手ともいえる方法を選択した。無事教師からの許可もとれたことだ、もはや私がこの場に留まる理由はない。一刻も早くこの場から逃げよう。
「檻舘?」
「体調が少し優れないので、少し端で休んでおりますわ」
「大丈夫?」
「ご心配には及びません。心操君はご自身のテストに集中してくださいませ」
教師とのやり取りを見ていたのか、心操君が話しかけてきた。相変わらず優しい人だ。
「酷くなったら早めに保健室とか行きなよ」
「ありがとうございます。心操君も頑張ってくださいね、応援してます」
そう言って心操君と別れた私は、ひとり端に向かってとぼとぼと歩き始めた。さすが雄英高校、運動場も桁違いの広さである。ショートカットして最短距離を歩いているはずなのに端までが遠い。頭が痛いというのはあの場から逃げるための嘘だったのだが、このままでは本当に頭痛が誘発されそうだ。
「(…水くらい、飲んでもいいよね)」
少し水分を摂りたい。共用の水飲み場を使うのは檻舘ヨルのイメージにそぐわない気もするが、腹に背は変えられない。私は途中で進路を変え、水飲み場へと向かった。
そのときだった。
「危ない!」
遠くで誰かがそう叫んだ声がした。何、と半ば無意識にその声の方向へ頭を向けようとした瞬間、頭部に強い衝撃が走った。
「え…」
「ヨルッ…!」
ぐらりと傾く視界と、次いで聞きなれた声。この学校の中で私のことを下の名前で呼ぶ人間はそういない。なんであんたが、と呟こうとして、そこで私の意識は途絶えた。
05 憂鬱は重なる(下)
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