06 刹那、君は何処にゆく
…目が覚めると、そこはベッドの上だった。視界に映る白い天井と、消毒液のつんとした香りが鼻腔をくすぐる。ああ、嫌な香り。
「……………」
一体どうして、こんなところで私は寝ているのだろう。記憶を手繰ろうにも、頭の中が靄がかったようにぼんやりとしていて、直前までの記憶が思い出せない。確か私は、体育の授業で外に出ていて…
「わたし…」
「あら、目が覚めたかい」
カーテン越しに話しかけられた。聞いたことのない声だ、知り合いではないと思う。
「開けてもいいかい」
「あ、えっと、はい」
慌ててベッドから起き上がり身支度を整える。カーテンが開くと、そこには白衣を着た小柄な年配の女性が立っていた。
「えっと…」
女性は私の言いたいことがわかったのか、人の良さそうな笑みを浮かべてこう言った。
「あたしはリカバリーガール。雄英高校の養護教諭で、そんでもってここは保健室さ」
「初めまして。1年C組の檻舘ヨルと申します…あの、ここにいるということは、当然、私が何かご迷惑をお掛けしたということですよね」
「覚えてないかい」
「…私、また倒れたりしたのでしょうか」
正直に尋ねる。暫くこんなことはなかったのだが、現にこうなっている以上その可能性は十分にあり得る。しかし女性…リカバリーガールは静かに首を横に振った。
「ヒーロー科の生徒が起こした爆発で吹き飛んだ備品が、運悪くあんたにぶつかったんだってよ。軽い脳震盪と創傷だね」
「…そうですか」
私が勝手に倒れたわけではないと知り、とりあえず安心する。とはいえクラスメイトその他諸々がいる面前で、意識をなくすほど盛大に倒れたのは事実だ。失態以外の何物でもない。
「ヨル!目が覚めたか」
「…なんであんたがここにいるのよ」
リカバリーガールの後ろから勢いよく顔を出してきたのは、悲しくも再会を果たした幼馴染だった。うわ…この男の顔を見たら色々思い出してきた。最悪だ。
「というか勝手に覗かないでいただけます?異性に対し配慮に欠けるのではないですか」
「む!それはすまない」
「はは、辛辣だねえ」
カラカラと笑うリカバリーガールに少しだけ殺意が湧く。あなたも女性教諭ならもっとこの堅物男にしっかり注意してください!と言いたかったがそこは教師と生徒、ぐっと堪えた。
「あんたをここまで運んだのは紛れもないこいつだからね。幼馴染なんだろう、もう少し労ってやったらどうだい」
「…天哉が」
彼女の言葉を受け私が彼の顔を見ると、彼は苦虫を噛み潰したような、複雑な表情をしていた。
「何よ」
「…爆豪…ヒーロー科のクラスメイトが起こした爆発の衝撃で備品が飛んでいったんだが、その先にヨルが居たのが見えてな。本当はお前に当たる前に対処出来たら良かったのだが…間に合わなかった。すまない」
彼はそう言って、深々と頭を下げた。本来ならば、迷惑をかけたと謝罪なり感謝なりをしなければならないのはこちらの方だ。この男に非は何一つないのに、一体、どこまで愚直なのか。
「…はあ、顔を上げてよ」
全く本当にこの男は、呆れるほどにお人好しで、超がつくほどの頑固者で、そして根っからのヒーローなのだ。それはもう、憎たらしい程に。
「…ここまで運んでくれたことは感謝するわ、ありがとう」
天哉に借りを作るのは癪だが、こうなってしまったのだから仕方がない。私は素直に頭を下げた。
「リカバリーガールもありがとうございます。ご迷惑をお掛け致しました。もう大丈夫です」
「それは良かった」
二人に感謝の意を伝えたところで、唐突に思い出す。ところで今は一体何時だ?
「しまった…」
「どうかしたかい?」
仕事のことをすっかり失念していた。今日も夕方には例の場所に行って、捜査に参加しなければならない。
「私、これから予定がありますの」
こんなところで呑気に寝ている場合ではない、早く準備をしなければ。私が慌ててベッドから降りようとしたところで、天哉から制止の声が掛かった。
「待てヨル。お前はこれから俺と病院に行くことになっている」
「は…」
「いつもの病院には話をつけてある。車ももう手配済みだ」
「ちょっと、何勝手なことして…!」
目の前の男のあまりに一方的な物言いに、思わず食ってかかる。被っている猫がべりべりと剥がれているが、そんなものを気にしている場合ではない。
「天哉には関係ないでしょ!」
「なんだその言い草は!こっちはお前を心配して…」
「大きなお世話だってば!」
お互いの主張を言い合うも、話は一向にまとまらない。完全なる平行線だ。こうなった天哉は本当に頑固で嫌になる。だんだんと激しさを増す口論に、これ以上は無駄と判断したのか。これまで私と天哉のやり取りを横で静かに聞いてたリカバリーガールが口を開いた。
「まあ落ち着きな」
「でも…!」
「養護教諭の立場から言わせてもらうと、あたしも病院には行くべきだと思うよ。あたしの個性で外傷は治してるけどね、頭だし血も出てたし、一応病院でも診てもらった方が安心だろう。入学時に提出してもらった問診票も見たけど、おまえさんみたいな経歴なら尚更さ」
彼女の参戦により、完全に二対一になってしまった。こうなると分が悪い、私はいよいよ黙らざるを得なくなった。
シン…と保健室が静まったところで、見計らっていたのかと思うくらいタイミング良く、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。
「はいよ」
リカバリーガールが返事をする。扉が開く音とともに聞こえてきたのは、聞き覚えのある声だった。
「失礼します」
「どうしたんだい、怪我でもしたかい?」
「いえ…先ほど運ばれた1年C組の檻舘の荷物、持ってきたんですけど…」
「ああ!ヨルのクラスの人か!わざわざありがとう!」
リカバリーガールに続いて、天哉も来訪者の元へ向かった。あいつは私の保護者か何かなのか、でしゃばるのもいい加減にしてほしい。
「荷物はこちらで受け取るよ」
「…檻舘は」
それよりも、だ。自分の名字を呼ぶ聞き慣れた低い声。間違いない。彼だ。
「心操君」
「…檻舘」
カーテンを開けると、思った通りそこには心操君が立っていた。ジャージではなく制服姿ということは、きっともう授業は終わったのだろう。その手には教室に置いていた筈の私の荷物が握られている。
「ヨル、クラスメイトが荷物を持ってきてくれたぞ!感謝しなければ!」
「言われなくてもわかってます!…心操君、わざわざすみません」
「…もう大丈夫なの?」
「ええ、全然問題ありませんわ!ご迷惑をお掛けしてしまい申し訳ありません…荷物、重かったでしょう」
「いや、それは全然……元気そうで良かった」
そう言った心操君の表情は、どこか硬い。いや、心操君の表情筋が緩かったことがあったかといわれると微妙なところだが、それにしたって違和感のある表情だ。
「心操君…何か…」
私が尋ねかけたところで、タイミング悪く天哉の携帯電話が鳴った。天哉は画面を一瞥すると、待ってましたとばかりに勢いよくこちらを向いた。
「車が正門前に到着したようだ、行くぞ」
「だから行かないって…」
尚もごねる私に、天哉は先程とは一転して、諭すような静かな声で言う。
「お前のご両親からも絶対に連れていくよう言われている。いい加減、観念するんだ」
「……………」
「お二人を悲しませるようなことをするな、お前だってわかるだろう」
親を出されてはこれ以上何も言えない。長い溜息を吐く、私の完敗だった。
「…わかったわよ、行けばいいんでしょう」
うむ!と満足そうに頷く天哉に苛立つが、彼の言うことが至極正論であることは私にだってわかっている。
「というわけでヨルは今から病院に行く!クラスメイト君、その荷物貰うよ」
「…檻舘、荷物はこれで全部?」
「え、ええ…本当にありがとうございました」
心操君に何かあったか、すっかり聞くタイミングを逃してしまった。まあ、天哉たちがいる前で聞くようなことでもなかったから、これで良かったのかもしれない。
「じゃあ、お大事に」
そう言って、あっさりと去っていく心操君の後ろ姿に、私は言い表せない寂しさを感じる。
「(…目が合わなかったわ)」
先程彼に抱いた違和感の正体はこれだろうか。そうだとしたら、少し落ち込む。
「(私、何かしてしまったのかな)」
「ヨル、歩けるか?」
「…問題ありません」
私の荷物を持った天哉が手を差し伸べてきたが、私はそれを無視した。リカバリーガールに改めてお礼を言い、私と天哉は保健室を後にする。
「ヨル」
「何ですか」
「…別に俺は、お前に嫌がらせをしようと思ってこんなことをしてるわけではないからな」
「…わかってるわよ」
そう、わかっているのだ。この男が100%の善意で行動してくれていることくらい。結局全部、私の子供じみた我儘でしかないのだ。この男は悪くない。
「だったら頼むから、これ以上周りの寿命を縮めるようなことはしないでくれ」
天哉のその言葉は、きっと今回倒れたこととは別のことを指しているのだろう。理解はしたが、それについては無言を貫いた。
それから車に乗り込んだ後も、散々天哉から小言を言われたが、私は適当に受け流した。無意識のうちに口から漏れる溜息。ああ、今日は本当についてない。
「……………」
車窓から流れていく景色をぼんやり眺めながら、別れ際の心操君の後ろ姿を思い出す。
「(…おかしい。私、あまり他人に執着するような性格ではなかったはずなのに)」
人間関係とは酷く難しい。折角仲良くなれたと思っていたのに、今日一日ですっかり自信がなくなってしまった。
「…少し寝るわ、着いたら起こして」
「ああ」
揺れる車内で私は静かに瞳を閉じる。
明日になれば、彼とまた普通に話せるだろうか。
06 刹那、君は何処にゆく
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