07 愚者の咆哮


「檻舘…ッ!」

咄嗟に出た言葉と、伸ばした右手。当然この距離では、彼女に向かっていったモノを受け止めることも、自分の身体で身代わりになることも出来ない。ましてや、現在進行形でスローモーションの如くゆっくりと倒れていく彼女の身体を支えるなんて、そんな芸当は無理に決まっていた。それでも手を伸ばしてしまったのは、脊髄反射的なそれに他ならない。

しかし、"アイツ"は違った。

「ヨルッ!」

俺が手を伸ばしたのと同時に、突如視界に入ってきた眩い一閃。ぐらりと傾いた彼女の身体を既の所で引き上げたのは、先程彼女が幼馴染だと称していた、あの男だった。

「ヨル!返事しろ!大丈夫か!」

飯田天哉、と言ったか。彼の足元からは今も橙色の光が音を立てながら灯っている。言わずもがな個性を使ったのだろう。でなければ説明がつかない。

「飯田くん!多分あんま揺らさない方がいいよ!」

「指定された区画外で爆破なんてするから!」

「ウッセエ訓練中にあんなとこ歩いてる奴が悪いんだろ!!!」

「頭から出血してるわ!押さえないと」

「誰かリカバリーガールに連絡して!」

飯田天哉に続いて、ヒーロー科の面々がこぞって檻舘に向かって走っていく。各々がテキパキと能動的に動くその姿は、まごう事なくヒーローの卵だ。そしてその姿とは対照的に、状況が理解できず立ち竦む普通科の面々。そしてその群衆には、残念ながら俺も含まれていた。

「ヨル!」

飯田の腕に抱かれている檻舘は、依然としてぐったりとしており、彼の一際大きな声掛けにも全く応じないようであった。

「一時中断!とりあえず保健室に連れて行くぞ!飯田、そのまま抱えられるか」

「はい!」

教師の指示を受け、飯田が彼女を横抱きにする。躊躇ないその動きは、単に救助活動に慣れているからなのか、それとも相手が幼馴染の檻舘だからなのか。そこまで考えが至ったところで、こんな場面でそんなことを考えてしまった自分を心底軽蔑した。

結局、俺は一歩たりともその場から動けず、檻舘が運ばれていくのをただ眺めることしかできなかった。


*****


その後の体力測定は、平々凡々な月並みの結果しか出せなかった。あれだけ気炎を上げていたというのに、檻舘が知ったらどう思うだろう。ジャージから制服に着替えた今は、帰りのHRの時間だった。打ち所が悪かったのだろうか、檻舘は現在まで戻ってきていない。

「……………」

意識のない、ぐったりとした彼女の姿が頭にこびりついて離れない。心が騒つく。彼女は大丈夫なのだろうか。

「以上で終わりです…それと、部活や委員会が無い人、誰か保健室に檻舘さんの荷物を届けてあげて欲しいのですが」

担当教諭が困ったようにそう付け加えた。周りを見渡すが、名乗り出るクラスメイトはいない。皆一様に多忙なのか、それとも単に檻舘にそこまで仲の良い友達がいないのか…おそらく両方だろう。

「…俺、行きます」

気付けば俺は、右手を挙げていた。

その後、クラスの女子に更衣室から檻舘の制服などを持ってきてもらい、俺は荷物を持って保健室へと向かった。部活や委員会に所属していない割に、彼女の荷物はやや多いように思えたが、女子というものはそういうものなのだろうか。

「ちょっと、何勝手なことして…!」

保健室の前に着いたところで、中から聞き覚えのある声が聞こえた。

「(この声…檻舘…だよな、目が覚めたのか)」

但し、聞こえてくる口調も声色も、いつもの彼女とは掛け離れている。おそらく檻舘であることは間違いないのだが、俺の中にある檻舘ヨルのイメージと結びつけるのに随分と時間がかかってしまった。

「天哉には関係ないでしょ!」

「なんだその言い草は!こっちはお前を心配して…」

「大きなお世話だってば!」

「(…ああ、まただ)」

彼女の発する"テンヤ"という三文字に、随分と固執してしまう自分がいる。檻舘はただのクラスメイト、それ以上でもそれ以下でもない存在だ。故に、自分がこんな感情を抱くというのはお門違いもいいところで、相手にとっても甚だ迷惑な話だろう。

「(…身の程を知れよ、俺)」

言い争いは暫く続いた。とはいえ、ずっと保健室の前で立ち竦んでいるわけにもいかない。話し声が丁度途切れたところで、俺は扉を二回ほど叩いた。

「はいよ」

中から返答があったことから、意を決して扉を開ける。清潔そうな広い室内には、背の低い白衣姿の女性がひとり立っていた。

「どうしたんだい、怪我でもしたかい?」

「いえ…先ほど運ばれた1年C組の檻舘の荷物、持ってきたんですけど…」

「ああ!ヨルのクラスの人か!わざわざありがとう!」

俺の言葉を遮る勢いで、ベッドを区切るカーテンの奥から顔を出してきたのは、件の飯田天哉だった。俺はつい反射的に身構える。

「荷物はこちらで受け取るよ」

しかしそんな俺とは対照的に、飯田は先程グラウンドで起こった出来事など露程も気にしていない様子で爽やかに応対してくる。その姿に、意識しているのはこちらだけかと、人としての格の違いをまざまざと見せつけられたような気がした。そもそもコイツは俺のことなど覚えてすらいないのかも知れない。ああ、癪に触る。

「…檻舘は」

目の前の男に対抗したい一心で彼女の名前を呼べば、先程男が出てきた方から声が聞こえた。

「心操君」

「…檻舘」

それは、いつも通りの俺の知る檻舘の声色だった。カーテンがゆっくりと開けられ、ジャージ姿の檻舘が顔を覗かせる。頭に包帯を巻いており、色白の肌が一層白くなってはいるが、思ったより元気そうだ。

「ヨル、クラスメイトが荷物を持ってきてくれたぞ!感謝しなければ!」

「言われなくてもわかってます!…心操君、わざわざすみません」

「…もう大丈夫なの?」

「ええ、全然問題ありませんわ!ご迷惑をお掛けしてしまい申し訳ありません…荷物、重かったでしょう」

「いや、それは全然……元気そうで良かった」

彼女はいつも通りだった。否、いつも通り過ぎると言ったほうが正しいか。彼女の物腰柔らかなその物言いを聞くことで、俺と飯田の間にある明確な区別に嫌でも気付いてしまう。区別があるのは、当然だ。彼らは幼馴染なのだから。たかだか数日同じ授業を受けただけの一介のクラスメイトと態度が違って、何もおかしいことはない。それにいちいち引っかかっている俺の方がどうかしているのだ。

「心操君…何か…」

檻舘が何かを言いかけたが、それを飯田の携帯の通知音が遮る。

「車が正門前に到着したようだ、行くぞ」

「だから行かないって…」

仲介に入る暇も無く、またしてもふたりのやり取りが再開される。俺は、面前で繰り広げられるそれをぼんやりと眺めながら、初めて見る檻舘の様子に、何故か言いようの無い息苦しさを覚えた。

「…というわけでヨルは今から病院に行く!クラスメイト君、その荷物貰うよ」

俺が呆けている間に、いつの間にか決着はついていたらしい。急に話を振られた俺は、動揺を悟られないように檻舘に話し掛ける。

「…檻舘、荷物はこれで全部?」

「え、ええ…本当にありがとうございました」

"いつものように"。そう意識すればするほど、何故か檻舘の顔を直視することができない。

「じゃあ、お大事に」

彼女が戸惑っているのには気付いた。しかし俺はそれを無視して保健室を後にする。帰路に着きながらも、頭の中は自己嫌悪の念で一杯だった。

「(…ダサいな、俺)」

全部、自分が悪いんじゃないか。体力テストの結果が満足いかないものだったのも、ヒーローとしての素養に欠ける行動しかできないことも、クラスメイトを助けられないことも、全部、全部。それを人のせいにして、周りに当たって、最低以外の何物でもない。それで本当にいいのか。

「…良くねえよ」

自問自答の結果は明白だった。怒りに身を任せ、俺は足元にあった小石を蹴り上げる。もっともっと、足掻かないと。こうなっているのも全部、自分の努力が足りないせいだ。

「…クソ」

ジャリ、と地面の砂が鳴る。俺は純粋に、ただただ悔しかったのだ。惨めで、恥ずかしくて、気が狂いそうなほどに情けなかった。



07 愚者の咆哮


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