午前零時は面映ゆい苦味とともに
「いるまぶちょー、生きてる?」
「…何の用だクソボケ」
「うわあ、案の定ひどい顔」
無遠慮に組織犯罪対策部の扉を開けると、その先にいたのは私の予想通り、死人のような顔をした同期だった。折角の美形が台無しですね、と笑えば美形の男−−−入間銃兎は眉間の皺を更に深くしてあからさまに溜息をついた。
「何徹目です?いや待ってやっぱり言わないで当てます…2徹目!」
「3徹だボケ…あなたね、用件次第ではマジで横浜港に沈めますよ」
「それ完全に例のマル暴の力借りてコンクリート詰めるやつじゃないですかあ、リアルすぎて笑えないんですけど」
言っておきますけど私だって遊んでるわけじゃないですう、失礼にもほどがありますう、と口を尖らせた私の顔を見る入間の顔は、それはもう視線だけで人を殺せるなと思った。さすが天下のマットリ、45rabbitの名は伊達じゃない。同期とはいえ怖いからさっさと用件に入ろう。
「はい写真。急ぎかなと思っていの一番に現像して持ってきてあげました。気の利く優秀な同期に感謝してください」
「…助かります」
おお素直…と内心驚いたものの、それだけ現在進行形で修羅場ということだろう。同業者だ、気持ちはわかる。
「リミットは?」
「明日朝イチで送るので、決裁にかかる分差し引いて7時間…といったところですかね」
「うへえ相変わらずハード!そいや別件の検査結果も出ましたけど、これは明日以降の方が良いですかね」
「…心遣い感謝します」
眼鏡のレンズ越しに見える綺麗な瞳の下には、わかりやすく青いクマができていて、なんだか見ていて可哀想になってくる。だって今晩は…と思ったが、我々の仕事にそんなものは無縁だったなと、自分の時のことを思い出して虚しくなった。
「なんか書類手伝いましょうか?私今比較的暇なんですけど」
「他の課のあなたに手伝ってもらうほどではありませんよ…というより、自分が作る書類の大方は出来ているんです。あとは部下が作成中の書類の完成を待って添削するだけで」
入間はそう説明しながら、徐に内ポケットから見覚えのあるケースを取り出した。
「署内は禁煙でーす」
「もうこの部屋には私しかいないので好きにさせてください」
「私の存在を無視するな〜副流煙反対〜」
「そっちが勝手に居座ってるんだろうが…」
もー仕方ないなあ、と私は部屋の主の許可も取らず勝手に窓を開ける。入ってくる夜風が気持ちいい。もうすぐ6月か、早いものだ。
「まあ職業柄もう慣れましたけどねえ、徹夜のヤニ切れ部長は怖いので今日は見逃してあげます」
「そりゃどうも」
微塵も思ってないだろうと思わざるを得ない棒読みな言葉を吐きつつ、入間は慣れた動作で煙草に火を付けた。スラリとした指先を口元に当て、口から煙を吐く入間は腹立たしいほどに美しい。芸術品か何かかと見紛うほどだが、本人に言うと調子に乗りそうなので言わない。
「…そんなに見つめられると吸いづらいのですが」
「…いやあ、美味しそうに吸うなあと思いまして」
適当に誤魔化す。入間も特に気にしていないのか、そうですか、とだけ言ってそのまま煙草を吸い続けた。ゆっくり、じっくり、彼の息で煙草が灰になっていく様を観察する。夜風が吹いて、ゆらゆらと煙が泳いでいく。煙草なんて臭いし煙いし、何より職場のクソジジ…上司どものイメージがこびりついていて正直好きではないが、この男の煙草を吸う姿は単純に美しいので好きだった。
「…というかあなた本当に何でここにいつまでもいるんですか?用件の写真なら終わったでしょう」
何分くらい経ったろうか。気付けば入間は既に煙草を吸い終え、携帯灰皿に吸い殻を入れながらこちらを呆れ顔で見ていた。
「今日は珍しく当直が静かでして、事件事故もなくいたって平和なので暇なんです」
これは事実。いつも忙しいヨコハマ署にしては珍しく、今日はまだ一件も臨場していない。
「…横浜港で死体でも浮かんできませんかね」
「ちょっと不吉なこと言わないで」
そんなもん浮かんできたら徹夜待った無しだよ!!と叫んだら入間部長はははっと笑った。よかった、少しは生気が戻ってきたようだ。
「で、本題は何なんです?流石に鑑識課の部長が手放しで暇なんてことはないでしょう」
「…バレバレですかあ」
そりゃそうか。私だって入間ほどじゃないが多忙を極めている。目的があるのは鼻からお見通しだったか。
私はちらりと腕時計を確認する。時計は丁度、あと数秒で両針が重なるようだった。
「というか逆に聞きますけど。入間部長、本当に心当たりありません?」
「…何か頼んでた資料とかありましたっけ?」
「はーもう、これだから仕事人間は」
やれやれ、と私はやや大袈裟に呆れてみせる。カチ、っと部屋の掛時計が鳴った。時間だ。
「お誕生日おめでとう、入間部長」
日付が変わり、5月30日。今日は入間銃兎の誕生日だ。
「三十路いえーい」
私が一人虚しくぱちぱちと拍手すれば、入間は呆気にとられた様子でフリーズしていた。
「んん?驚きで言葉が出てこないといった感じですね」
「…そういえばそうでしたね、素で忘れてました」
これぞ正しく「鳩が豆鉄砲を食ったよう」という表現がぴったりな表情で入間がこちらを見ている。いつも澄ました表情ばかりのイメージが強い入間だけに、なんだか得した気分だ。
「ここ数日、組織犯罪対策部は修羅場極めてましたからね〜どうせそんなことだろうと思ってました」
「…で、あなたはわざわざそれを言いにきたんですか。本当に暇人ですね」
「失礼な!」
眼鏡をくいっと上げる入間の表情は一見いつも通りだが、同期の私はわかる。これは完全に照れてるやつだ。
「入間部長が頑張ってるから、お手製珈琲でも淹れてあげようかと思ってきたんですけど」
今回部屋に来た目的はこれだ。いや勿論現像し終わった写真がメインではあるのだが、元々入間はちょくちょくうちの課に遊びに来ては私に珈琲を淹れろとせがんでくるので、眠気と戦っているであろう誕生日の入間に差し入れしてあげようと思った次第である。
「どうですか?嬉しいですよね?もっと手放しに喜んでいいんですよ」
しかし予想に反して、彼から出てきた言葉は真逆の言葉だった。
「……結構です」
「え!」
まさか振られると思っていなかった私は、驚きのあまり思わず椅子から立ち上がる。いやいや、これ断られるとか私めっちゃ恥ずかしくないですか…?
「ショック…いつも散々鑑識に飲みに来るから好きなもんだとばかり思ってたんですけど…」
「だからですよ」
へ?と私が間抜けな顔で答えれば、入間は少し気恥ずかしそうに、目線を逸らして口を開いた。
「…あなたの珈琲は美味しいので、こんな眠気覚ましの為みたいな飲み方は勿体ないので遠慮します。今みたいな状況はまずい缶コーヒーぐらいが丁度いいんです」
入間がデレるなんて今夜は槍でも降るのでは。もしくは横浜港から惨殺死体が見つかるか。徹夜続きの深夜テンションとは恐ろしい。
「…嬉しいこと言ってくれますねえ」
とはいえ、こうも褒められてしまって、嬉しくないわけがない。
「わかった!山場終えたら特別今日は鑑識に遊びに来てくれてもいいですよ、とびっきり丁寧に淹れてあげます」
「楽しみにしてます」
そう言って微笑んだ入間は、3徹目のくせに腹立つくらいにイケメンで、腹立たしいが鼓動が早くなるのを感じた。
「…じゃ!とりあえずはこれで残り7時間乗り切ってくださいな」
照れ隠しにじゃらじゃらと入間の机の卓上に置いたのは、たまたま私の制服のポケットに入っていた飴玉タイプの眠気防止薬。ちなみに珈琲味で、私も普段よく舐めてる。
「俺をカフェインで殺す気か」
「へへ、それじゃファイトです」
真に用件を終えた私は、これ以上仕事の邪魔をしてはいけないと慌てて部屋を出る。すると背後で、名前を呼ばれた。振り返ると、入間がこれまた珍しい表情でこちらを見ていた。
「…わざわざありがとうございます」
ふふ、と私も思わず笑みが零れる。
「どういたしまして、ハッピーバースデー!」
【午前零時は面映ゆい苦味とともに】
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