思い出は、雪とともに。


「長野ォ?」

「はい、長野でスキーを楽しむ二泊三日の旅。もちろん経費諸々は全てこちらで持ちます。悪い話ではないと思うのですが」

お猪口を片手に、にっこりとお人形の様な端正な顔でそう宣ったのは、かつての教え子である檻舘ヨルだった。数年前に雄英高校を卒業し、今は都内有数の名門大学でキャンパスライフを謳歌している彼女は、その可憐で清楚で嫋やかな見た目に反し、それはもう大層な酒客であった。そのため貴重な酒飲み友達として、アタシと檻舘は今でもこうして定期的に集まって酒を飲む仲になっている。いやね、まーじでこの子は強い。消太なんかアタシのペースに合わせてると秒で潰れるのに、彼女はアタシと同じ…いやそれ以上にハイペースで飲んで顔色一つ変えないんだから…末恐ろしいわほんと。

「聞いてます?」

「あー、ごめんごめん聞いてる。で?そんな上手い話があるわけないってのはオネーサンもいい歳だからわかるんだけど。一体ヨルちゃんは何がお望みなのかな?」

タダほど怖いものはないというのはこの世の常識だ。まあ昔からアタシのファン(それも大分ガチなレベルで…)である檻舘がアタシの不利益になる様な提案はしてこないという信頼はあるが…とりあえず話を聞いておくに越したことはない。

「お話が早くて助かりますわ」

くいっ、とお猪口を傾けて、次は私の番ですわね、このメルロの赤ワイン頼んでもよろしいですか?なーんて笑顔で言うもんだから、アタシも慌ててお猪口を空にする。ああ、この日本酒美味しかったな…。

「実は先日、ある企業さんとお食事する機会がありまして」

店員にオーダーしたのち、彼女はアタシにスッと一枚の名刺を差し出してきた。そんな名刺渡されたってわかんないって…と思いながらもその名刺に目を通せば、そこに書いてあったのは、そんなに業界に詳しくないアタシでもわかる超超超有名一大企業の名前だった。

「はああ!?檻舘アンタ一体どんな人脈持ってんのよ!!怖えわ!!」

相手は齢20そこらのお嬢ちゃんが切れるカードとは到底思えない大物だ。ほんとこの子は…と脱力するが、檻舘なら有り得ると思えてしまうのが怖いところだ。

「この企業が毎年スキー旅行のキャンペーンを実施しているのはご存知ですよね?」

「まああれだけ知名度のある企画を知らないって方が無理あるよね…」 

時期になると町中至るところに貼られるポスターを思い出す。売り出し中の容姿端麗な芸能人が、カラフルなスキーウェアを身に纏い澄まし顔で写っているやつだ。

「何でも、来年はその企画が始まって30周年の節目になるらしくて。ここは一つド派手に、従来の若手女優ではなく、見目麗しい有名女性ヒーローにその役をお願いしたいと考えている様でして」

「ハア……で?」

「見目麗しい有名女性ヒーローの代名詞と言ったら、カーボン以外の選択肢はないと思いまして…私その場でお伝えしたんですの。そしたら先方も乗ってくださり、あれよあれよと言う間に話が進んでしまいまして」

ふふふ、と嬉しそうに話す檻舘に、思わず頭を抱える。コイツ…まさか…。

「というわけで、次のイメージキャラクター就任、おめでとうございます」

私の名にかけて、歴代最高の出来栄えをお約束致しますわ、とそう言って微笑んだ檻舘のキラキラした笑顔を、アタシは多分一生忘れないと思う。

×××××

「…てか実際、匙測とか波動とかの方がイメージキャラクター向いてたんじゃねーのこれ…」

かつての教え子たちも、今や立派なヒーローだ。若いし、初々しいし、企画のイメージにもぴったりだろうに。

「なんか言ったか、笑」

「いや、ただの独り言」

揺れる車内。車窓から景色を眺めながら思わず口から出たボヤきに、横で若干うとうとしていた消太が反応した。ここ数日、学校行事の準備でお互い忙しかったもんなあ…と前日までのバタバタぶりを思い出して、アタシは苦笑しながら消太の無精髭を撫でる。

「ごめん、寝てていいよ」

この企画に際し、檻舘は先方といくつか取り決めをしたらしく、その一つに"同行者の許可"があったという。この辺はほんとニクいなと思うのだが、檻舘の計らいで、図らずもアタシと消太は長野への小旅行の機会を得たのだった。

「…俺は……」

「んー?」

「…いや、何でもない」

何かを言い掛けて、けれども何も言うことなくそのまま口を閉ざしてしまった消太。眠そうな消太にわざわざ追及するのも何だかなと思って、アタシも何も言わずにひとり窓の外を眺め続ける。普段見慣れた高層ビル群はすっかり消え、気付けば辺り一面には、それはもう雄大な雪化粧の山並みが広がっていた。

「(最近忙しかったし、こんなにゆったりした時間過ごすのも久しぶりだなあ…こればかりは檻舘に感謝しなきゃな)」

暫くして、車内に軽快なメロディとともにアナウンスが聞こえてきた。どうやら目的地に着いたらしい。

「お、もうすぐ着くよ。意外に近いんだねえ長野」

「ん…ああ」

半分寝惚けた状態の消太に軽くビンタを喰らわし、アタシ達は電車を降りた。いざ行かん、長野、信州そばはすぐそこだ!なーんてね、ははは。

×××××

「次は!!そのウェアを着てください!!!」

…とか何とか思っていた数時間前のアタシ、何呑気なこと言ってんだとその頭を殴りたい。小旅行だなんて、そんな考えは甘かった。これはれっきとした仕事だ、しかも結構きつい部類の。

「ええ…まだ着んの…」

衣装さんに渡されたウェアを受け取りながら、アタシは向かいで仁王立ちする檻舘に話しかける。

「てかこの色さっきも着なかった?」

「着てません!三着前のはカメリアピンク、こちらはチェリーピンクです!あと先程のはオーバーサイズ気味のコーデでしたがこちらはジャストサイズ仕様です!!!!」

「お、おう…」

いつものお淑やかな君はどうしたと思わず言いたくなる程に、現場で会った檻舘は鬼気迫る様子だった。いやね、アタシを引かせるって結構凄いことだぞ!?

「メイクさん、もう少しアイシャドウ抑えめに直せます?カラーよりラメ感を重視して欲しくて…あと衣装さん、隣の部屋から3番の箱持ってきてください。小物変えます」

仕事スタイルなのか眼鏡を掛け、テキパキと周りに指示を飛ばす檻舘は誰がどう見ても立派な業界人だ。学生だというのに、流石はあの"檻舘"の令嬢か。

「はああ…やっぱりカーボンの艶やかな黒髪には絶対に鮮やかな色味が映えると思っていましたの…!次はレモンイエローのウェアにしますわ!!」

否…前言撤回。モニターに齧り付いて興奮している様子を見るに、アレはただのヲタクだ。オールマイトの特集雑誌について鼻息荒く語っていた緑谷と同じ顔をしている。

「いや、実際採用されるのって一着だよね!?もうこれで良くね…」

「駄目です!せめてあとこのロイヤルブルーとトゥルーグリーンは試着していただかないと…!」

"どの先生も素敵ですけど、真に似合う一着を見つけるまで妥協はできませんわ…!実際に着てみていただかないと顔の映え方はわかりませんし…!!"と熱弁する檻舘の勢いに負けたアタシは、ただただ溜息を吐くことしかできない。これも仕事だ、耐えろアタシ…。

………結局、アタシが解放されたのはそれから数時間後、すっかり日も落ちた頃だった。

「お疲れ様でした、先生」

「ほんと妥協しないのね…すげえな檻舘…」

げっそりとやつれたアタシとは対照的に、艶々とした満足げな檻舘の顔を見ているとまあ…なんというか、おまえが嬉しそうでアタシも嬉しいよ…みたいなことを考えて無理やり納得させるほか無いんだけれども。いやでもくそ…若いってすげえマジ…。

「ゲレンデでの撮影は明日の朝9時からですので、8時にお迎えに上がりますわ。それと…」

檻舘が何やら小さなバニティポーチを差し出してきたので、言われるがままに受け取る。

「なにこれ」

「今晩していただきたいスキンケア用品一式です。手順は中にメモが入ってますのでその通りに」

「げ」

チャックを開けてみれば、いかにも高級そうな化粧水やら美容液やら、シートマスクやらはたまた美容ドリンクまで…どっちゃりごっそり、これでもかというほど入っていた。うへえ、と明らかに辟易して見せたアタシに檻舘は"我慢してください、これも仕事です"と冷たく言い放つ。いやまあ、やるけど…やるけどさあ…。

「あと」

「まだあんの…」

ごほん、と咳払いをして檻舘は尚も続ける。いい加減アタシを消太が待ってる旅館へ帰らせてくれエ…。

「先生もいい大人ですから理解してくださるとは思いますけど…くれぐれも、くれぐれも!夜更かしはしないでくださいね」

「お、おうふ…!?」

「相澤先生にも後でしっかり釘を刺しておきますけれど…!"そういうこと"は、明日の夜まで楽しみに取っておいてくださいませ」

少しだけ恥ずかしそうな表情でそう宣った檻舘の様子に、アタシはピーンと察する。つまりあれだ、消太とくんずほぐれつ…つまるところヤるなってことか!

「檻舘…アタシらってそんな盛ってるように見える?」

「えっ!?いやそういうことでは…あの、いや、でも…一応というか…念の為…」

「まあ檻舘と心操みたいなピュアっ子達から見たらそう見えるか…」

「そっ…そこで心操君の名前が出てくる必要はありませんよね!?」

学生時代から不思議な距離感だった檻舘のコイビト…否、まだ友人なのか…?の名前を出せばわかりやすいくらい慌て出した彼女を見て、いやはや、初々しいなあとほっこりする。今日一日これだけ着せ替え人形にされたのだ、これくらいからかってもバチは当たらないだろう。

「で?最近シンソーボーイとはどうなのよ、もうヤった?」

「今日の現場は終了です!!!お疲れ様でした!!!!」

「照れんなって〜〜」

檻舘でひとしきり今日の鬱憤を晴らしたのち、アタシは用意されたロケバスで消太のいる旅館へとようやく戻ったのであった。

×××××

「…と、まあこんな感じだったよね」

「お疲れさん」

ひとしきり温泉に入って満足したのか、だいぶゆるーい感じで出迎えてくれた消太と少し遅めの夕食を取る。さすが大企業と檻舘…旅館も料理もめっちゃ豪華やん…。

「ちなみに檻舘から逐一オフショットと称してデータが送られてきてたぞ」

「マジか」

くいっと地酒を呑む消太のスマホを奪って確認する。(ちなみにアタシは顔が浮腫むって理由で檻舘から酒NGを宣告されてるためオレンジジュースを飲んでいる…畜生、日本酒…)

「うおお、実際の撮影のやつから隠し撮りみたいなのまで…檻舘いつの間にこんなん撮ってたんだよ…!」

スクロールし続けても永遠に出てくるアタシの写真の数々。アタシ自身がその場で確認しきれなかったデータも多々あって、中々見応えがある…というか、檻舘の色彩センスが良いってのもあるんだろうけど、どの写真も正直めちゃくちゃ三割増ぐらいでよく写ってる。次から宣材写真撮るとき檻舘に相談しよ…。

「で、消太ちゃんはどれが気に入ったー?」

「俺は…そうだな…」

テキトーにあしらわれると思いきや、意外にもノリノリで話に乗ってきた消太。思いの外吟味して真面目に選んでいるもんだから、アタシも少し恥ずかしくなる。こいつ、まさか酔ってんな…!?

「…この赤いやつだな」

しばらくして消太が選んだのは、真っ赤で所々に黒いラインの入ったスポーティーなやつだった。これは確かヨルちゃんの「うーん…それはもうカーボンの為に誂えたかの様なクールで格好良い超絶素晴らしい似合いっぷりなんですけれども…普段先生黒と赤のイメージ結構ありますし、クライアントの意向もあるので今回はもう少し派手目で明るめの色にしましょう!」という一言で除外されたやつだった。アタシも自分では割と気に入ってたやつ。

「お、やっぱ赤かー。見慣れてるから?」

「否、見慣れてるというか…」

そこまで言って、少し言い淀んだ消太。あれ、なんかこの感じデジャヴだな…。

「昔のお前、こんな色のウェア持ってたろ」

「えーそうだっけ…」

消太に言われて思い返してみる。確かに学生の頃赤色の持ってた様な持ってなかった様な…いまいち覚えてない。

「上が赤で、下がグレーのやつ」

「ああ!そういえば…!え、てかそんなの覚えてるとかお前やばない…?」

本人も忘れているような十数年前の話だぞ…!他人に興味ない様な顔して…こいつの記憶力怖えな…!

「昔、よくアイツらと一緒にスキー行ったろ」

「…行ったねえ、懐かしい」

アイツら、という名称は二人の中では特定の人物らに対する共通認識だ。もう、二度と戻ることのない過去の遺物。馬鹿みたいに楽しくて、だからこそ思い出すのが苦い、キラキラしたアタシたちの青春。

「真っ白なゲレンデで真っ赤なウェア着て、屈託のない顔でげらげら笑ってるお前が眩しくてさ…今思えばあの頃から、笑のこと特別視してたんだろうな」

"多分、アイツも…"なんてぽつりと呟く消太を前にして、アタシはつい何も言えなくなる。

「…悪い。折角長野まで来てんのに湿っぽくなったな」

「消太…」

「まあなんだ…つまり、俺はこの企画、笑にぴったりだと思ったし、何なら学生時代からずっと思ってた」

"だから自信持っていいし、檻舘にも感謝しないとな"

そう言ってお猪口片手に静かに笑う消太に、アタシの胸はぎゅうううっと締め付けられる。

「消太…酔ってるでしょ」

「…酔ってなきゃ言えない甲斐性なしで悪かったな」

「はあああ〜〜〜〜」

あまりの破壊力に頭を抱える。なんだこの可愛い生き物!

「やっばい、今めっちゃ消太のこと押し倒したい。抱かれたい、てか抱きたい」

「なっ!おま…俺だって檻舘に言われて我慢してるんだからそういうこと言うなよ…!」

「そんな可愛いこと言う消太が悪いわクソ!」

ああ、もう!アタシは消太にがばっと近寄って触れるだけのキスをする。無精髭がちくちくと刺さるその感覚さえ愛おしい。畜生!宣戦布告だこれは!

「明日、覚悟しててよね」

「…そりゃこっちの台詞だ」
 
そーんなこんなで、無事致すことなく迎えた翌日の撮影。行ってみたら予想外、かつての教え子たちが大集結していたこと("試しにすくいさんに声を掛けたら、皆様先生に久しぶりに会いたいとのことで沢山集まって下さいましたの。エキストラ要らずで助かりますわ"だとさ)や、晴れて仕事が終わって即観光そっちのけで旅館に戻って、すぐさま日本酒煽ってそのまま消太とくんずほぐれつしたこと("やっぱり結局致すんじゃないですか!"…うん、そりゃまあ、スるよねー!)は、また別の話!


 
おしまい!